Ⅶ 癒やしの魔法
──下級、中級、上級と三つの階級に分けられる魔法。
それは属性によっても、癒しの下級魔法、中級魔法、上級魔法と分類されている。
心音の育てることになったグリフォンは、魔法検査の結果「癒」の属性だと判明した。
しかし、そのグリフォンの受取人が訪れるのは明日。
時間が無い中、心音はクロムとファイの助けを借りながら、朝からずっと取り組み、何とか昼前に癒の下級魔法の基礎を教え込むことが出来た。
最初こそ、自分が魔法を使えない分どうやって魔法を教えればいいのか悩んでいたが、グリフォン自身が既に魔法の発動方法を理解していたため、それの応用だと心音は考えた。
つまり昨日使った浮遊の魔法の感覚を、癒の魔法に変えること。
言葉で表現するには簡単だが、心音は諦めることなくグリフォンと向き合ったのだった。
「つ、疲れたぁ~…」
ドサッと草原の柔らかな草の上に身を投げ出した心音の側には、同じ様に魔力を使い過ぎて疲労の色を浮かべたグリフォンが座っていた。
「お疲れ様…家の方に昼食の準備をしてあるから、休憩にしよう?」
「えっ…ごめんなさい!今日って確か私とファイがお昼ご飯の当番……」
心音がファームへと来た日、ファームの仕事以外に何かさせてほしいと頼み、食事や掃除などを手伝っていた。
勿論一人で出来ることもあったが、食事の用意は見たことのない食材が多いため、ファイとクロムと当番制で一緒に作っていたのだった。
「俺が一人で作ったから、気にすんな」
そこへ、ラルを肩に乗せたファイが歩み寄る。
「ファイ…でも…」
「あーもう!疲れてんだろ!?だから…!その…暇な俺が作ってやったんだよ!悪いか!?」
顔を赤くして声を荒げると、ファイは心音に背を向けた。
すると肩でおとなしくしていたラルが、心音
の前に降り立つ。
「ファイは、ココネ心配してた!…だから、気にすることないの~…」
「なっ!おまっ!ラル!!」
「きゃ~!?…ボウリョクいけない!」
ふわふわと飛び回るラルを追いかけるファイに、心音はクスリと笑みを浮かべた。
その隣では、クロムも声を上げて笑った。
「ありがとう、ファイ」
「!…お、おう」
照れたように頭の後ろで手を組んだファイに、心音は最初の頃よりファイと距離が近づいたようで嬉しく思ったのだった。──
「はい…どうぞ」
「ピィー!」
家の外のテーブルにはサンドイッチやサラダなど美味しそうな料理が並んでいた。
クロムとファイが席に着くなか、心音はグリフォンの前に「リュビの実」という果物が沢山入ったお皿を置いた。
それは手の平に乗るか乗らないかの大きさで、見た目は苺に似ていた。
(クロムが言ってたけど…ファームの獣たちは自分が産まれた野菜や果物を好んで食べるんだって。……やっぱり、不思議だな)
ファームには飼育用と食用がある。
飼育用はグリフォンのように実が大きく、召喚獣が産まれてくる物。
そして食用は今グリフォンが食べているような、小さい物だった。
「ココネ?早く食べないと……ラルが全部食べちゃう」
「え!?」
むしゃむしゃと食べるグリフォンをぼんやりと見つめていたココネは、クロムの声にハッと我に返ると立ち上がり席に着いた。
そこでは口いっぱいに頬張り、美味しそうに食べるラルの姿があった。
「おいちぃ~!」
耳をパタパタと動かして、赤い宝石のような瞳を輝かせるラルに誰もが呆れたような笑みを浮かべた。
その時───パリンッ!
「っ…!!」
ラルの耳が側に置いてあったグラスに当たり、心音に向かって飛んでしまう。
そして大きな音を立てて、グラスは心音の目の前で派手に割れてしまった。
「ココネ!!」
「いっ…」
グラスの破片が飛び、心音の手からはだらだらと血が流れる。
「ココネ…っ!ご、ごめんなさいっ!!」
「だい、じょうぶ…だよ」
「ココネ、動かさないで!今止血を!」
顔を青ざめ、頭を何度も下げるラルに、痛みを堪え無理に笑う心音。
それを制し、クロムは急いで近づくと心音の手を抑えた。
「ピュィ…。っ!!ピィィーー!!」
それを見ていたグリフォンが突然、大きな鳴き声を上げた。
それに驚き誰もがグリフォンを見ると、そこには翼を大きく広げ、身体に淡いピンク色の光を纏い、ジッと心音を見つめるグリフォンの姿があった。
「な、にが…」
初めて見るその姿に、心音が言葉を失っていると、グリフォンはゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間、グリフォンの足下にピンク色の魔法陣が広がった。
それはクルクルとゆっくり回り、発動の準備をしているようにも見えた。
「まさか…」
そうクロムが声を上げた瞬間、魔法陣の光が溢れた。
それは心音を包み込み、一瞬の内に彼女を光の中に閉じ込めた。
「な、何っ!?」
ギュッと目を瞑った心音は、光の中の温かさに驚き目を開く。
そこは一面ピンク色で、他には何も見えなかった。しかしある違和感を感じ、心音はそっと自分の手を見た。
「傷が…ない!?」
そこには先程の傷どころか、流れ出ていた血もなかった。
跡形もなく。そんな言葉が思い浮かぶ程、痛みもない事に心音が瞬きをした。
すると周りの壁が崩れるようにして消え、心音は目の前に立ち、心配そうに自分を見つめるクロムと視線が絡み合った。
「大丈夫?ココネ」
「は、はい…って、今傷が治って!」
「ピィー!?」
混乱する心音に、グリフォンが心配そうに近づくと怪我をしていた手を舐め始める。
それを受けながら、心音はクロムに何が起きたのかと視線を戻す。
「えっと…今のはグリフォンが使った癒の魔法みたい」
「それって…さっき教えたことを、もう使えるようになって、傷を治してくれたって事ですか!?」
きゃー!ありがとうっ!と嬉しそうにグリフォンの首元に抱きついた心音に、グリフォンは嬉しそうにすり寄る。
それを見つめていたクロムに、ファイとラルが近づいて耳元に顔を寄せる。
「あの、クロムさん。…俺の感覚が間違いなければ、今の魔法…中級の上、いや上級の
下くらいの魔法ですよね?」
「…うん。ファイの感覚は間違いじゃないよ」
苦笑いを浮かべる二人に、ラルが呟く。
「もともと…グリフォンは希少種よ?
此処で産まれるのも珍しいのに…ココネへの愛が魔力を高まらせたの!…このままいけば……高値で売れるねっ!チャリンッ」
心音を傷つけ、魔法を発動させるよう仕向けたようにも感じる行動をした張本人は、呑気にクロムの肩でキャッキャッとはしゃいでいた。
(可愛い容姿をしていて、意外とがめついんだな…旅兎って)
瞳にお金のマークが浮かんでいそうなラルに、呆れたような視線を向けたファイは、未だ今の凄さを理解していない心音にどう伝えようか悩むのだった。
* * * *
夜になり、二階の部屋に明かりが灯る。
そこは物置として使われている部屋で、中には幾つかの箱や本が山積みになっていた。
その部屋の奥に一つだけある窓際、そこに綺麗に整頓された白いシーツのベッドがあり、心音が腰掛けていた。
初めて此処に来た日、部屋は全て物置として使っていて無いがベッドならあると、クロムが物置からベッドを引っ張り出してきた物だった。
最初此処で自分が寝るから、心音は僕の部屋を使って。と言われたが、心音はお世話になる身なのだからと、進んでここを選んだのだった。
つまり今はこの部屋が、心音の自室となっていた。
「ついに……明日、か」
心音は夕食時、ファイに聞かされた今日の昼の出来事を考えていた。
──「あの魔法は上級魔法だ。たぶん、飲み込みが良いから、既に上級まで魔法を使えるようになったんだと思う」
「それじゃあ…」
「グリフォンはもう大丈夫。…安心して受取人に渡せるよ。…頑張ったね、ココネ」
クロムが心音の頭を撫でる。
しかし心音は無言のまま、その場を去ってしまったのだった。
「クロムもファイも…労ってくれたんだよね…。だけど…」
心音はぽっかりと胸に穴が空いてしまったように、ぼんやりと窓の外を見た。
「明日…お別れなんだね」
分かっていたことだと。納得して、最後まで頑張ろうと決意していたのに…。
心音の頬を、静かに涙が伝った。
(本当は喜ぶべきなんだよね…あの子が頑張って、魔法を使えるようになったんだから…)
ごしごしと目元を拭うと、心音はベッドの上に横たわった。
「最後は笑っていよう。…あの子を迎えに来る人が、良い人でありますように」
そう囁くと心音は、静かに瞼を閉じて微睡みに身を任せたのだった。
──心音が寝息を立て始めた頃、外のベンチにクロムがラルと共に座っていた。
クロムは、二階の心音の部屋から漏れる明かりに目を向けると、小さく息を吐いた。
「どうしたの?…ココネが、心配?」
「うん…。日が昇って、明日がきたら……ココネは泣いてしまうだろうか」
クロムは二階から視線を外すと、空に浮かぶ月を見つめた。
満月まで後半分の半月。そんな半分の光と闇が、心音の心のようにグリフォンとの別れを悲しんでいるように見え、クロムの表情が曇る。
だが、クロムが沈む理由は、ただ心音を心配しているだけではなかった。
それは心音に、言えていないことがあったからだった。
それが分かったからか、ラルがクロムを見上げる。
「クロム。…真実を告げることは、時に苦しくもあるわ。
……でもね、ちゃんと伝えないと…後で後悔するのはクロムだよ?」
ちょこんと前足をクロムの膝に乗せたラルに、クロムは苦笑いを浮かべた。
「そう、だね。…後悔するのは、僕だ。
けれど……言わないで欲しいというこの気持ちは、あの子の願いなんだと思う」
「え?」
ラルが首を傾げた時、ゆっくりと近づく大きな影があった。
それは玄関の小さな明かりに照らし出され、グリフォンだということが分かった。
《……その通りです》
クロムとラルの頭の中に直接響くように、可愛らしい女性の声が響いた。
それに驚くラルとは対照的に、クロムは驚くことなくグリフォンを見た。
「グリフォンが希少種なのは、容姿や強さだけじゃない。…人よりも優れた“知性”を持つこと。
本当は…産まれてから数週間で話せていたよね?」
クロムの言葉に、グリフォンは頷く。
《あの方に…知られるのが怖かった。話せることを知って、気味悪がられたらと…。
けれど一緒に過ごす内に、何故話さなかったのかと…後悔しました。
あの方は…ココネは……とても優しくて、温かくて、心が清らかです。
私は……あの方の涙に、悲しみという感情を知りました。もう、あの方を泣かせたくありません》
意志の強い瞳でクロムを見つめたグリフォンは、ふと二階の部屋を見上げた。
《ファームで生まれる召喚獣の中で、聡い者には…自分がいつか此処を出て行くことを理解しています。
私もその中の一匹です…だから、離れたくないなどという感情は…持ってはいけないのに。……ココネと、ずっと一緒にいたいっ》
グリフォンの言葉は、心音と同じ気持ちだった。
彼女も同じ様に悩み、別れを受け入れることを決意したのだ。
それはグリフォンも同じだった。けれど…心音とグリフォンは心の片隅に“共に居たい”という強い想いがあり、前へと進めずにいた。
「だから…伝えずに行くの?」
《召喚獣の“癒”は、他の属性より……「短命」という事を知って、ココネが正気でいられるとは思えません。
優しい人だから。私の…母のような存在で、一番の友。
……育てて貰った恩義を忘れずに…その真実も隠して私はココネと別れる。そう、決意しました》
再びクロムと視線を合わせたグリフォンに、クロムは静かに頷いた。
「分かった。僕も黙っているよ」
「クロムッ!?」
今まで黙って聞いていたラルが、慌てたようにクロムを見上げる。
それを制し、クロムはベンチから立ち上がるとグリフォンに近づいた。
「だけど、君と僕の知るココネは、それを絶対に許してくれないと思う。
数週間という短い期間しか共に過ごしていない僕等でも、ココネの性格は何となく分かっている…そうでしょ?」
《ですがっ…》
「明日の昼だ」
グリフォンの頭に手を乗せたクロムの言葉の意味を理解し、グリフォンは口を噤む。
「君を迎えに来る人は、此処での出来事に何も感じはしない。
所詮、召喚獣という品物を売る店でしかない。残念なことに、それが此処の正体だ。……悲しませるのは、真実を知らされなかった時だよ」
《……っ!》
悲しげに揺れるクロムの黒い瞳。
まるで昔、同じようなことがあったかのように、悔やんでいるようにグリフォンには見えた。
(ああ…これがファームの主。…私達を育て、幾多の出会いと別れを繰り返してきた人。……けれど、私は───)
黙り込む一人と二匹。
だからだろう…心音の部屋の明かりが消えたことに誰も気づくことはなかった。──
* * * *
そして、日が真上に昇った昼時。
ついに───グリフォンと心音の別れの時間が訪れた。
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