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最終話 文明は続く、でも勘違いも続く

 ヴァルガンの総攻撃は、食い止められた。


 完全な撃退ではない。魔王軍は依然として広大な領域を支配している。だが、人類壊滅という最悪のシナリオは——少なくとも今回は——回避された。


 勇者一行が反撃の起点を作り、王国連合が防衛線を再構築し、教会騎士団が後方の安定を取り戻した。


 そして、するめは——しれっと生きていた。


 省力化支援室で、携帯酒瓶を傾けて、遺晶板を眺めている。


「……はぁ」


 戦後処理の書類が山積みになっていた。

 マドロームは椅子に沈み込んで、すでに眠っている。


「……相変わらずですね」


 するめは書類の山を見て、酒を一口飲んだ。


 自動醸造酒蔵は無事だった。音楽記録結晶のアーカイブも守れた。娯楽アーカイブ塔は傷ひとつなかった。快眠結界も、対戦遊技盤も、自動調理器も。


 だらだら楽しむための文明のすべてが、まだここにあった。


「……まぁ、良かったです」


 するめは酒瓶をテーブルに置いて、椅子にもたれかかった。


 疲れていた。ものすごく疲れていた。

 でも——文明は、続いている。



   ◆



 するめの知らないところで、世界は動いていた。


 教会の聖堂。

 老齢の司祭は、分厚い奇跡の記録帳を前にしていた。


 彼の手元には、もう一つの書類がある。勇者一行から教会に提出された、戦闘報告書の写しだ。


 司祭はゆっくりとページをめくった。


 聖遺物を修復した黒衣の者——奇跡の記録。

 勇者一行を導いた黒衣の影——戦闘報告書。

 古代文字を操る謎の存在——複数の証言。


 司祭は記録帳と報告書を並べ、照合した。


「……一致する」


 震える声で呟いた。


「黒衣の導き手は——実在した」


 司祭は深く祈り、それから教会の上層部に報告書を提出した。


 数日後、教会は公式見解を出した。


 ——「黒衣の導き手」と称される存在が、戦時において複数の奇跡を行ったことが確認された。

 教会はこれを「聖者の系譜」案件として審議に付す。当該案件が審議中である間、現場判断による追及は控えることとする。


 勇者の体験談と、教会の「追及を控える」という実務的な判断。

 教会が断定したわけではない。ただ、「追及を止めた」という事実が、民間では「教会が認めた」と解釈された。

 それだけで——噂は、勝手に伝説になった。



   ◆



 王都の酒場。

 するめの名前を知らない人々が、するめの話をしていた。


「聞いたか? 黒衣の案内人」

「ああ、勇者様たちを救った——」

「教会も認めたらしいぞ」

「敵陣にいながら、人類のために戦った存在……」

「すごいやつもいたもんだな」


 噂は、瞬く間に広がった。画家が絵を描き、子供たちが案内人ごっこをして遊んだ。


 黒衣の案内人——敵陣の影から現れる、正体不明の導き手。

 ある者は「酒蔵の守り人」と呼び、またある者は「遺跡の番人」と呼んだ。

 教会は「黒衣の導き手」と記録し、一部の司祭は「聖者の系譜では?」と囁き始めた。


 するめは、その噂を省力化支援室で遺晶板越しに知った。


「…………」


 しばらく画面を見つめていた。


「……何言ってるんですかこの人たち」


 するめは遺晶板を閉じて、酒を飲んだ。



   ◆



 勇者一行は、それぞれのやり方でするめを語り継ごうとしていた。


 リュシアは、王都の教会で証言を行った。


「あの方は——敵陣にいながら、私たちを何度も救ってくれました。名前も、顔も、はっきりとは見えませんでした。でも——あの方のおかげで、私たちは今ここにいます」


 リュシアの目に、涙が光っていた。


「私は、あの方を忘れません。たとえ世界が忘れても」


 セレスは、論文を書いていた。


 タイトルは「戦乱の観測者仮説——戦時における匿名的介入の分析と、その文明史的意義について」。


 百二十ページの大論文だった。


 冒頭にはこう書かれていた。


「本論文は、直近の大戦において確認された継続的匿名介入の分析を行い、その背後にある存在——仮称『戦乱の観測者』——の行動原理と目的を考察するものである。

 筆者の結論として、この存在は人類史の破局点を回避するために超長期にわたって介入を行う『文明秩序の観測者』であるとの仮説を提唱する」


 全部間違いである。

 だが、整合性だけは異常に高かった。


 ガルナは、もっとシンプルだった。


 酒場で大声で叫んでいた。


「あいつはいいやつだ! 口は悪いし愛想もないけどな! また飲もうぜって言っておいてくれ! 次は逃がさねえからな!」


 酒場の客が拍手した。


 三人三様の、するめへの贈り物だった。

 するめ本人は、何一つ受け取っていないが。



   ◆



 魔王軍の側では。


 オルディアは、自室の机で書類を見つめていた。

 証拠は不十分だった。通信ログ、結界操作、哨戒ルート——すべてが「たまたま」で片付けられていた。


「……次は、逃がしません」


 オルディアは低く呟いた。だが、次がいつ来るかは——オルディア自身にもわからなかった。



   ◆



 すべてが落ち着いた、ある夜のこと。


 するめは、省力化支援室の椅子に沈み込んでいた。


 マドロームは隣で寝ている。書類の山はまだ半分残っている。遺晶板には、怠惰軍の次の保守点検スケジュールが表示されていた。


 するめは携帯酒瓶を傾けた。今日の酒は、あの南部の自動醸造酒蔵で作られた果実酒だった。新酒が届いたのだ。


 甘酸っぱい。美味しい。


 どこかの酒場で、吟遊詩人が「黒衣の案内人」の歌を歌っている。

 教会はまた何か面倒な審議をやっているらしい。どうせ手を出しにくいのだろう。

 リュシアたちも、たぶん気づいている。でも見逃してくれている。保守は結局わたししかできない。


 全部が——するめにとって都合よく転がっていた。


 意図してそうなったわけではない。

 ただ——酒と娯楽を守りたかっただけなのに、結果としてそうなってしまった。


 マドロームが寝言を言った。


「……する……めくん……明日の……書類……」


「寝てても仕事を振ってくるの、やめてもらえます?」


 するめは小さくぼやいて、酒を一口飲んだ。


 窓の外には、夜空が広がっている。


 どこかの酒場で、吟遊詩人が歌っているのが聞こえた。黒衣の案内人の歌だ。


 するめはそれを聞きながら、少しだけ眉をひそめた。


「……いや、別にそこまでじゃ」


 一拍置いて。


「まぁええか」


 するめは酒瓶を抱えて、目を閉じた。


 文明は守られた。

 酒は美味しい。

 娯楽アーカイブは無事。

 音楽結晶も壊れていない。

 快眠結界は——明日の保守点検で、やっと自分でも使える。


 怠惰な日常が、続いている。


 人類を救おうなどとは、最後まで一ミリも思わなかった。

 ただ——文明が消えるのが困るだけだ。


 するめは椅子の上で、静かに眠りに落ちた。


 その寝顔は、黒衣の案内人というより——酒を飲みすぎた怠惰な悪魔そのものだった。

 世界は勝手に救われたが、本人はそのことを絶対に認めない。



   ◆



 遠い未来。

 王都の大聖堂に、一枚の絵画が飾られることになる。


 もちろん、するめ本人が描かせたわけではない。

 後世の画家が、勇者の証言と教会の記録と、酒場で歌い継がれた噂をつなぎ合わせて、勝手に描いた絵だ。


 黒い外套をまとい、古代文字に包まれた人物が、祈りの杖を掲げている。

 その目は伏せられ、表情は荘厳で、背景には崩れゆく世界と、その中で光り輝く結界が描かれている。

 ——実物よりだいぶ格好よく描かれていた。


 絵画の下に刻まれた銘文には、こう書かれていた。


 ——黒衣の案内人。

 ——敵陣の影から現れ、名を語らず、人類の文明を守り抜いた。

 ——その導きと献身を、我らは永遠に忘れない。


 もしするめがこの絵画を見たら——たぶん、こう言うだろう。


「……はぁ。犠牲も献身もしてないんですけど。酒蔵守ってただけなんですけど。あと目を伏せてるのは眠いだけですし。杖は保守用の工具ですし。テンプレーターですから」


 そして、一拍置いて。


「まぁええか」


 酒瓶を傾けて、のそのそと帰っていくのだろう。


 怠惰の悪魔、ぐうたらするめ。

 酒と娯楽を守りたかっただけなのに、話だけが勝手に大きくなった。


 そのしょうもなさのせいで、世界は勝手に救われた。

 永遠に認めないだろうが、伝説だけは勝手に残る。

 そういうものだ。



(完)


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