第5話 魔王軍に裏切りを疑われる
オルディアは、不愉快だった。
傲慢の監察官として、魔王軍内部の不正を追うのがオルディアの仕事だ。だが最近の戦況は、不正どころではない異常を示していた。
「勇者側の勝率が、統計的に不自然です」
幹部会議の円卓で、オルディアは静かに切り出した。
ヴァルガンが不機嫌そうに腕を組む。マドロームが椅子に沈み込んだままぼんやりしている。
「具体的に言いなさい」ヴァルガンが低い声で言った。
「ここ数回の戦闘で、勇者一行の生存率が異常に高い。罠回避率、補給確保率、哨戒回避率——すべてが通常の三倍を超えています」
「運だろう」マドロームが欠伸をした。
「偶然、ですか」オルディアの目が冷たく光った。「無能が好む言葉ですね」
マドロームは気にしていない様子で目を閉じた。
「戦場において"たまたま"が続く時、それは誰かの意思です」
オルディアは円卓に書類を置いた。
「内通者がいます」
沈黙が落ちた。
「証拠は」ヴァルガンが言った。
「現時点では状況証拠のみ。ですが、パターンは明確です。勇者一行がすべての危機を乗り越えている──その裏に、情報を流している者がいる」
オルディアの視線が、マドロームに向いた。
そしてその奥——怠惰軍の方向を見た。
「調べます」
ヴァルガンがうなずいた。
「遅い。見つけたら殺せ」
◆
するめは、省力化支援室で遺晶板を見て青ざめていた。
「……内通者捜査、ですか」
幹部会議の議事録が、怠惰軍にも回覧されてきた。オルディアが内通者の存在を示唆し、全軍に調査協力を求めている。
するめは椅子にもたれかかって、天井を見た。
「はぁ……」
これは、非常にまずい。
するめがやってきた裏工作は、すべて間接的なものだ。通信の遅延、哨戒ルートのノイズ、結界の微調整。直接的な証拠は残していない——はずだ。
だが、オルディアは優秀だ。状況証拠を積み上げるタイプで、しかも執念深い。
「……証拠隠滅、しないとですね」
するめは重い腰を上げ、外套を羽織った。
まず、通信ログの痕跡を消す。
次に、結界操作の記録をダミーデータで上書きする。
さらに、哨戒ルートの変更を「システム由来のエラー」として報告書を作成する。
「めんどくさ〜い……」
するめの一日が、さらに忙しくなっていく。
◆
皮肉なことに、するめが証拠隠滅のために奔走すればするほど、勇者一行は救われた。
するめが通信ログを操作するために前線の中継局を訪れた際、ついでに結界のバグを直した。
そのバグのせいで勇者一行が閉じ込められかけていたのだが、するめが気づいたのは修理した後だった。
するめが哨戒データを書き換えるために巡回ルートをいじった結果、実際の哨戒兵が勇者一行を見落とすことになった。
するめがオルディアの調査を回避するために一日中走り回った結果、前線の遺産が軒並み整備され、人類側の防衛線が実質的に強化された。
「はぁ……はぁ……」
日付が変わるころ、するめは省力化支援室に戻った。
机に突っ伏す。体が重い。目が痛い。
「……睡眠時間を削ってるんですけど」
ぼやいた声は、誰にも聞こえなかった。
マドロームが足音もなく近づいてきた。
「するめくん。追加の仕事が——」
「…………」
「憤怒軍の前線報告の整理と、暴食軍への物資申請書。あと、オルディア監察官への協力報告書も出してね」
「……わたし、怠惰軍ですよね?」
「だから省力化するんだよ。君が全部やれば一本化できるだろう? それが最も効率的だ」
「それは省力化じゃなくて——」
「私は全体最適を見ている。現場最適は君の担当だ」
するめは机に顔を埋めた。
「……快眠結界、使いたい」
怠惰軍が保守管理している快眠結界。安眠を保障する古代遺産だ。するめが保守点検しているのに、するめ自身は使う暇がない。
怠惰の悪魔が、怠惰からもっとも遠い場所にいた。
◆
一方、勇者一行は。
「また助けられました」
リュシアが焚き火の前で、静かに言った。
「今日、結界に閉じ込められかけた時——なぜか、結界が解除されたんです。誰かが、私たちのために——」
セレスがうなずく。
「介入パターンは継続しています。しかも今回は、魔王軍の哨戒ルートまで変わっている。これは偶然ではない」
「あの方は——」リュシアの声が震えた。「命を削って、私たちを助けてくれているんです」
ガルナが真顔になった。
「おい。それ、本当にそうなのか? あいつ、前に会った時は普通に酒飲んでたぞ」
「ガルナ」リュシアが泣きそうな目で言った。「あの方は、苦しみを見せない人なんです。酒を飲むのは——きっと、痛みを紛らわせるため——」
「いや、普通に美味しそうに飲んでたけど……」
セレスが手帳に書き込む。
「仮説ですが、黒衣の案内人の活動が活発化しています。おそらく、敵内部で何かが起きている。内部圧力が高まる中で、なお介入を続けている——」
リュシアが両手を胸に当てた。
「私は——あの方を救いたい」
「まず自分たちが生き残ることが先です」セレスが冷静に言った。
「でも——!」
「わかっています」セレスは手帳を閉じた。「ですが、今の我々にできることは、あの方の介入を無駄にしないことです」
ガルナは干し肉を齧った。
「難しいことはわかんねえけどよ。あいつが走り回ってくれてるなら、俺たちも頑張らねえとな」
三人は焚き火を囲んで、それぞれの思いを胸に抱いた。
◆
そのころ。
するめは省力化支援室の椅子に沈み込んで、からっぽの酒瓶を見つめていた。
忙しすぎて、酒を買いに行く暇もなかった。
「……怠惰の悪魔なのに、誰よりも忙しいです」
快眠結界は、手が届く場所にある。
するめが毎週保守点検している。するめが一番よく知っている装置だ。
でも今日は、使う時間すらなかった。
「……睡眠時間を返してください」
するめは、空の酒瓶を抱えたまま、椅子の上で気を失うように眠った。
怠惰の悪魔の、一番怠惰から遠い夜だった。




