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第3話 賢者、勝手に神話を構築する

 セレスが手帳を広げたのは、三日前の野営地だった。


 リュシアの「敵陣に、私たちを想ってくれる人がいる」という言葉を、セレスは最初、感傷だと思っていた。

 リュシアは情にもろい。困っている人を見ると助けずにいられないし、敵の中にも善人がいると信じたがる。

 それ自体は勇者の美徳だが、戦場での判断基準にはならない。


 だから、セレスは冷静に検証するつもりだった。

 リュシアの直感を「気のせい」と証明するために。


 ところが——。


「おかしい」


 セレスは手帳のページをめくり、過去の行程を並べた。ここ数回の戦闘と移動の記録を精密に分析し始めた。


 第一の遭遇戦。哨戒兵との鉢合わせを避けられた。当時は「運が良かった」で済ませた。

 第二の遭遇戦。罠だらけの遺跡を無傷で通過した。「リュシアの勘が冴えていた」と判断した。

 第三の遭遇戦。補給が尽きかけた直前に、なぜか物資を発見した。「偶然」とした。


 そして前回。北東ルートへの変更。完璧な罠回避。三つの補給ポイント。敵との遭遇ゼロ。


 一つ一つは偶然で説明できる。

 だが、全部を並べると——。


「偶発的支援にしては、あまりにも再現性が高い」


 セレスの目が、変わった。


 考察オタクの血が騒ぎ始めたのだ。


「仮説を立てます」


 セレスは手帳に新しいページを開いた。

 ペンが走る速度が、明らかに上がっている。


「まず、これらの支援が単一の存在によるものだと仮定します」


 リュシアが顔を上げた。「セレス?」


「次に、その存在が我々の行程・周辺の地形・罠の配置・哨戒ルートのすべてを把握していると仮定します」


 ガルナが干し肉を噛みながら首を傾げた。「何の話だ?」


「さらに——その存在が、単発ではなく継続的に介入していると仮定します」


 セレスのペンが止まった。

 手帳を見つめる目に、奇妙な輝きが宿っている。


「点ではなく、線で見るべきです。そうすると説明がつきます」


 リュシアが身を乗り出した。「やっぱり——」


「ただし」セレスが釘を刺す。

「まだ仮説の段階です。これが偶然の集積なのか、意図的介入なのかは、もう少しデータが必要です」


 ガルナが面倒そうに欠伸をした。


「要するに、誰かが俺たちを助けてるかもしれねえって話だろ? いいじゃねえか。助かってるんだから」


「軽く言わないでください」セレスが少し声を強めた。

「もしこれが意図的介入なら——その存在は、戦局の均衡を調整しているということになります」


「えっと……」ガルナが首を傾げる。

「日本語で頼む」


「つまり、戦いの流れそのものを裏から操っている人がいるかもしれない、ということです」


 リュシアの目が大きく見開かれた。


「……やはり。あの黒衣の人が——」


 セレスは一瞬だけ迷い、それから手帳に一行書き加えた。


 ——仮称:黒衣の案内人。継続的介入の可能性あり。要追跡。



   ◆



 そのころ、するめは古代遺跡の地下で保守点検をしていた。


「はぁ……めんどくさ〜い」


 接続杖を端末に触れさせ、劣化した結界のパラメータを再調整する。外套の裾の古代文字が淡く光り、地図やログが虚空に投影される。


 今日の作業は三箇所。

 暴食軍が略奪した区画の遺産修復。怠惰軍の管轄内にある快眠結界の定期メンテナンス。そして——。


「あー、これもですか」


 三つ目の作業場所は、教会が管理する聖遺物の安置所だった。

 安置所といっても、するめから見ればただの古代端末の保管庫である。教会の人間には聖遺物に見えているらしいが、中身は古代魔導文明の通信装置と記録装置だ。


 最近の戦闘の衝撃で、装置の一部が故障している。

 教会側は「聖遺物の奇跡が弱まった」と大騒ぎしているが、するめから見れば単なるハードウェア障害だ。


「……接続端子の腐食ですね。清掃して繋ぎ直せば動きます」


 するめは黒手袋をはめ——古代設備に触れる時の感電防止用保護具だ——端末を開いて修理を始めた。


 作業は十五分で終わった。


 端末が再起動すると、保管庫内に淡い光が灯った。古代文字が壁面に投影され、装置が正常に稼働していることを示すシステムメッセージが表示される。


 するめがのそのそと保管庫を出ようとした時、入り口に人影があった。


 教会の司祭だった。


 老齢の男が、保管庫の中を見て——淡い光に照らされた古代文字を見て——大きく目を見開いていた。


「……奇跡だ」


 司祭は震える声で呟いた。


「聖遺物の光が——戻った。黒衣の者が、聖遺物に触れただけで——」


「いえ、接続端子を掃除しただけなんですが」


「なんと尊い……! 異なる装いの者が、聖なる御技を以て遺物を蘇らせた……!」


「だから、端子を——」


「記録に残さねば。奇跡の記録に、このことを——」


 するめは心底面倒そうな顔で、保管庫を後にした。


「……はぁ」


 背後で司祭が感涙にむせんでいる音が聞こえた。

 するめは完全に無視して、次の作業場所に向かった。


 今日の本命は、三つ目——ではなかった。

 今日の本命は、帰りに寄る予定の古代遺跡だった。


 その遺跡には、音楽記録結晶のアーカイブがある。

 古代魔導文明が残した音楽の記録。滅んだ文明の名曲が、何百曲も結晶に封じられている。

 するめは保守点検のたびに、こっそり一曲ずつ聴くのを楽しみにしていた。


 最近のヴァルガンの侵攻で、あのアーカイブが戦闘に巻き込まれる可能性が出てきていた。


「あの曲、もう聴けなくなるんですけど……」


 するめは小さくぼやきながら、遺跡の地下に潜った。

 アーカイブの安全を確認し、念のため結界を強化しておく。


 ついでに——本当についでに——その区画の罠を最新状態に更新した。

 もし勇者一行がこの近くを通ることがあっても、罠で怪我をしないように。

 面倒だからだ。怪我人が出ると戦線が長引いて、もっと面倒になる。それだけだ。


 作業を終えたするめは、音楽結晶を一つ取り出して、接続杖で再生した。


 薄暗い地下に、古代文明の旋律が静かに流れた。


 するめは壁にもたれかかり、目を閉じ、携帯酒瓶を傾けた。


「……いい曲ですねぇ」


 人類史の破局点を回避する超長期観測介入など、一ミリも考えていなかった。

 ただ——この曲を聴き続けたいだけなのだ。



   ◆



 セレスの分析は、三日間で劇的に進んでいた。


 手帳はもはやノートに化していた。ページの余白にびっしりと書き込まれた文字、矢印、図表。


「セレス、また書いてるの?」


 リュシアが心配そうに覗き込む。


「ええ。データが増えれば増えるほど、仮説が補強されるのですから」


 セレスはペンを止めず、早口で説明を始めた。


「まず、支援パターンの分析です。ここ数回の戦闘で確認された"見えない支援"を時系列に並べると、すべてに共通する特徴があります」


「どんな?」


「介入のタイミングが、すべて我々が致命的な状況に陥る直前です。しかも、介入の方法がすべて間接的——罠の解除、ルートの誘導、補給の配置。直接的な戦闘介入は一度もない」


 ガルナが口を挟む。


「つまり?」


「この存在は、自ら戦う力——あるいは意思——がないのではなく、意図的に間接支援に徹しています」


 セレスの目が、怖いくらい真剣になっていた。


「最初は、継続的な介入だと思いました。誰かが我々に好意を持ち、繰り返し助けてくれている、と」


「それだけじゃなかったのか?」


「ええ。データを見るうちに、もう一段深い構造が見えてきました」


 セレスがノートを広げる。地図の上に、複数の矢印が描かれている。


「介入のポイントを結ぶと、ある方向性が浮かびます。この存在は、単に我々を助けているのではない。戦局全体のバランスを見ている可能性がある」


 リュシアが息を呑む。


「つまり——」


「最初の仮説:継続的介入。二番目の仮説:戦局の均衡調整。そして——」


 セレスはペンを置いた。


「三番目の仮説」


 沈黙が落ちた。


「この存在は、人類史の破局点を回避するために、超長期にわたって観測し、介入している。戦乱そのものを管理する観測者——」


「セレス」ガルナが真顔で言った。「お前、ちょっと飛びすぎてないか」


「いいえ。データが示しているのです」


 リュシアは胸に手を当て、強くうなずいた。


「セレスの仮説が正しいかどうかはわかりません。でも——あの方が、私たちのために何かしてくれていることは確かです」


「本人が否定するほど、むしろ仮説は強化されます」セレスが手帳に書き込みながら言った。

「あの存在が自己救済を語らないことが、観測者仮説と整合するのです」


 ガルナは頭を掻いた。


「……難しいことはわかんねえけどよ。あいつが助けてくれてるなら、今度会ったら礼を言おうぜ」


 セレスは新しいページを開いた。

 表紙に、几帳面な文字でこう書いた。


 ——戦乱の観測者仮説



   ◆



 教会の聖堂。

 老齢の司祭は、奇跡の記録帳を開いていた。


 分厚い羊皮紙の束。何世代にもわたって書き継がれてきた、聖遺物にまつわる奇跡の記録。


 司祭は震える手で、新しいページにペンを走らせた。


「聖暦四七二年、秋の月。

 聖遺物の光が失われて七日目のこと。

 黒衣をまとう者が聖遺物に触れ、光を取り戻した。

 その者の衣には古代の祈りの文字が刻まれており、手には聖なる杖を携えていた。

 名を問うたが答えず、静かに去った。

 これは奇跡である」


 司祭はペンを置き、静かに祈った。


「……黒衣の導き手。教会にも、その噂は広がるだろう」



   ◆



 するめは、省力化支援室の椅子に沈み込んでいた。


 遺晶板には「保守点検完了」の文字。

 携帯酒瓶は空になっていた。


「……あの曲、もう聴けなくなるんですけど」


 小さくぼやいて、するめは目を閉じた。


 音楽アーカイブは、とりあえず今日は無事だった。

 教会の端末も直した。罠も更新した。結界も強化した。


 全部ついでだ。全部面倒だった。全部、酒と音楽を守るためだった。


 だが世間では——そしてどこかの賢者のノートの中では——するめの雑な保守仕事は、まったく別のものに変わりつつあった。


 人類史の破局点を回避する、超長期観測介入。

 戦乱そのものを管理する、観測者。


 するめがそれを知ることは、たぶんない。

 知ったとしても、きっとこう言うだろう。


「……はぁ。何言ってるんですかこの人。酒蔵守ってるだけなんですけど」


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