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第2話 最短ルート案内が神の導きになる

 するめは省力化支援室の机に突っ伏して、遺晶板を見ていた。


 また勇者一行が危険地帯に入り込んでいる。


「……なんでそっちに行くんですか」


 するめの目の前には、前線の地図が広がっていた。勇者一行が進んでいるルートは、ヴァルガンの支配域をかすめる最悪の経路だ。

 罠だらけの古代遺跡を通り、補給もなく、結界の複合地帯を正面から突っ切ろうとしている。


「はぁ……勇敢なのはいいですけど、真正面から行く意味がわからないですね」


 するめはため息をついて、携帯酒瓶を一口あおった。


 放っておけばいい話なのだ。

 自分は魔王軍の怠惰軍所属だ。勇者一行が壊滅しても、するめの責任ではない。


 ただ——。


「……酒場街」


 するめの指が、地図の一点で止まった。


 勇者一行が突っ切ろうとしている区画の先に、人間たちの酒場街がある。ヴァルガンの侵攻が進めば、あの酒場街は数週間以内に焼かれる。


 あの街には、するめのお気に入りの果実酒を仕入れている問屋がある。先月の保守点検のついでに寄って、新作の梅酒の味見をさせてもらったばかりだ。


「……焼かれたら終わりなので」


 するめの指が、遺晶板の上で走り始めた。


 前回の裏工作は、小さな調整だった。通信を遅延させ、哨戒にノイズを混ぜた程度だ。

 今回は少し——いや、かなり大胆にやる。


 まず、最適ルートを計算する。

 するめは保守担当として、前線遺跡の内部構造を完璧に把握している。どこに罠があり、どこに結界の穴があり、どこに補給可能な物資があるか。全部わかっている。


 その情報を匿名で——勇者一行に送る。


 といっても、複雑なことはしない。

 古代魔導通信網の一部を利用して、勇者たちが持っている方位磁石型の魔導具に微弱な信号を乗せるだけだ。指向性のある誘導信号。

 普通の人間には「なんとなくこっちに進みたくなる」程度の効果しかないが、勘のいい人間なら気づくかもしれない。


 するめが選んだルートは、三つの条件を満たしていた。


 一、罠が少ない。

 二、補給ポイントを通る。

 三、酒場街を迂回できる——つまり、酒場街が戦場にならない。


 三番目が本題だが、結果として一番と二番が勇者一行にとって最適解になっている。


「……こっちのほうが早く終わるので」


 するめはそう呟いて、信号を送った。



   ◆



「ねえ、セレス」


 リュシアが、手の中の方位磁石を見つめていた。


「この磁石、おかしくありませんか?」

「どのように?」


 セレスが近づいて覗き込む。


「ずっと北東を指しているんです。でも、私たちが進もうとしていたのは北西で——」

「磁場の乱れでしょう。古代遺跡の近くではよくあることです」

「……でも」


 リュシアは磁石を胸に当てて、少し黙った。


「前回も、磁石が少しおかしかった気がするんです。そして、私たちは助かった」


 ガルナが横から覗き込む。


「何の話だ?」

「前回、私たちが窮地を脱したとき——磁石が、普段と違う方向を指していた気がして」

「気のせいだろ」

「……そうでしょうか」


 リュシアは少し考えて、言った。


「北東に行ってみませんか」


 セレスが目を細める。


「根拠が薄いですが」

「いいじゃねえか」ガルナが大きく伸びをした。「どうせ北西は罠だらけだ。違う道を試すくらい——」


 リュシアの目が、静かに光った。


「もし、誰かが導いてくれているのだとしたら——私はそれを信じたいんです」


 セレスはしばらく黙ってから、小さくため息をついた。


「……わかりました。ただし、一つ目の分岐で異常があれば引き返します」


 三人は、北東に向かった。



   ◆



 するめが設計したルートは、完璧に機能した。


 勇者一行は罠を一つも踏まず、三つの補給ポイントを経由し、結界の穴を安全に通り抜けた。ヴァルガンの哨戒部隊とすれ違いすらしなかった。


 そして——酒場街は、戦場にならなかった。


 するめは省力化支援室で遺晶板を眺めながら、小さくうなずいた。


「……まぁ、良かったです」


 梅酒の問屋は無事だ。酒場街も無事だ。ついでに勇者一行も無事だ。


 するめは携帯酒瓶を傾けて、一口飲んだ。


「酒場街が焼かれたら終わりなので。それだけです」


 ただ——問題が一つだけ発生していた。



   ◆



 北東ルートの途中。

 古代遺跡の通路を抜ける直前で、リュシアは振り返っていた。


 通路の奥——暗がりの中に、一瞬だけ、人影が見えた気がした。


 黒い外套。

 フードを深くかぶった、小柄な影。

 手に細い杖のようなものを持っていた。


 リュシアが目を凝らした瞬間、影はもう消えていた。


「リュシア? どうした?」


 ガルナの声に、リュシアは振り返る。


「……いえ、何でも」


 だが、リュシアは確かに見た。

 影が消える直前——外套の裾に、ほんの一瞬、淡い光が走ったのを。


 古代文字の光だ。


 リュシアは胸の中で、確信を固めていた。


「——敵陣に、私たちを導いてくれる人がいる」


 焚き火の前で、リュシアはセレスとガルナにそう告げた。


「今日のルート、完璧でした。罠もなく、補給もあり、敵とも遭遇しなかった。こんなことが偶然で起きるでしょうか」

「確かに異常なほど順調でしたが……」

セレスが眉をひそめる。

「だからといって、誰かが意図的に導いたと断定するのは——」

「見たんです」


 リュシアの声が、静かに震えた。


「通路の奥に、黒い外套の人影が。古代文字が光っていました」

「それは——」

「あの人は、私たちの敵ではありません」


 ガルナが腕を組む。


「まぁ、結果的に助かったのは事実だしな」

「ガルナ!」

「いや、別にリュシアの肩を持つわけじゃないけどよ。少なくとも、今日は全員無傷で来られた。それは誰かのおかげかもしれないし、ただの運かもしれない」


 セレスはしばらく考え込んでいた。


「……私は、まだ判断しません。ですが——記録は残しておきます」


 セレスは手帳を開き、今日の行程を詳細に書き留め始めた。

 罠の配置。補給の位置。結界の死角。全部が、あまりにも「最適」だったと。


「もし本当に誰かが導いたのだとすれば——」


 セレスは呟いた。


「その存在は、この地域の地形、罠、結界、哨戒ルートのすべてを把握していることになります」


 リュシアは、暗い森の奥を見つめて呟いた。


「敵陣の中に——私たちを想ってくれる人がいるんです」


 セレスは何も言わなかった。ただ、手帳に一行だけ書き足した。


 ——要検証。黒衣の存在について、次回以降の行程と合わせて精密分析を行うこと。


 ガルナは干し肉を齧りながら、大きく欠伸をした。


「まぁ、誰だろうが何だろうが、助かったなら感謝だな」



   ◆



 そのころ。

 するめは、省力化支援室でマドロームに仕事を押しつけられていた。


「あと、北東遺跡区画の保守ログも更新しておいて」

「……わたし今日、北東で保守点検してたんですけど、そのログのことですか」

「そうだよ。ログの書式が新しくなったんだ。遡って全部書き直してくれるかな」

「……はぁ」


 するめは酒瓶を傾けて、残りを飲み干した。


「酒場街は無事でしたけどね……」


 小さくそう呟いて、するめは机に突っ伏した。


 誰にも気づかれず、誰にも感謝されず。

 ただ——酒場街が焼かれなかった。


 するめにとっては、それだけで十分だった。


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