第4話:断罪の晩餐
「エドアルド様、これをご覧になって」
私は震える手で――武者震いと、勝利への興奮で――桐箱からあの黒い宝石を取り出した。
温室のガラス越しに差し込む陽光を受けて、偽造された魔石が鈍く光る。
「これが証拠です。ミリア様はこの『洗脳の魔石』を使って、貴方様の心を縛り付けていたのです! 彼女は病弱などではありません。貴方の魔力を吸い取り、操るための演技だったのです!」
言い切った。完璧な告発だ。
これでエドアルド様は洗脳から解き放たれ、感謝の言葉と共に私を抱きしめるはず。
私は期待に胸を膨らませ、彼の反応を待った。
エドアルド様は、テーブルの上に置かれた魔石を優雅な指先でつまみ上げた。
そして、しげしげと眺め――ふっ、と鼻で笑った。
「……随分と、安っぽい玩具だね」
「え?」
予想外の言葉に、私の思考が止まる。
エドアルド様の瞳から、先ほどまでの「助けを求めるような儚さ」が消え失せていた。そこに在るのは、氷点下の絶対零度。ゴミを見るような、冷徹で無機質な瞳。
「こ、困りますわエドアルド様! それは強力な呪いのアイテムで……」
「呪い? これが?」
パリン。
乾いた音が響いた。
エドアルド様が指先に少し力を込めただけで、私が大金をはたいて用意した魔石は粉々に砕け散り、砂となってテーブルに零れ落ちた。
「あ……」
「こんなガラス玉で僕を操れると思ったのかい? ……それとも、君の『想像の中の僕』は、随分と無能な男なのかな」
空気が変わった。
温室の中の気温が急激に下がった気がした。周囲の植物たちが、ザワザワと不吉な葉擦れの音を立てる。
後ずさりしようとした私の足が、何かに躓いた。
い、いいえ。躓いたのではない。
床を這う蔦が、私の足首に絡みついているのだ。
「な、何これ……離して……!」
「うふふ。可哀想なエリーゼ様。せっかくの『プレゼント』を壊されてしまったのね」
その声に、心臓が跳ね上がった。
聞き間違えるはずがない。あの陰気で、弱々しいミリアの声。
けれど、その響きは以前とはまるで違っていた。鈴を転がすような、楽しげで、そして粘着質な甘さを孕んだ声。
茂みの奥から、ゆっくりと人影が現れる。
ミリアだ。
しかし、青白い顔をして震えていた彼女はどこにもいない。
頬は薔薇色に輝き、その瞳は恍惚と狂気でギラギラと潤んでいる。彼女はエドアルド様の背後からその首に腕を回すと、私の目の前で彼の頬に濃厚な口づけを落とした。
「ミ、ミリア……どうしてここに……!?」
「どうして? ここは私の家よ。それに、エド様から『面白いショーがあるから特等席で見ていてくれ』と頼まれたのですもの」
「ショー……?」
私は混乱した頭でエドアルド様を見る。彼は、ミリアの手を愛おしそうに撫でながら、私を見下ろしていた。
「紹介しよう、エリーゼ嬢。彼女が僕の心臓であり、僕の支配者であり、僕の唯一の神だ。……君ごときが『救う』必要など、欠片もない」
その瞬間、世界が反転した。
虐げられた公爵と、悪女のミリア。
正義の救済者である私と、断罪される悪役。
その全てが、私の都合の良い妄想だったと突きつけられる。
「そ、そんな……。で、でも、彼女は貴方を束縛して……!」
「束縛? ああ、最高だね。彼女の嫉妬深さは世界一だ。僕以外の人間が僕に触れるだけで、その人間を消したくなるほどにね」
「そ、それに、貴方は私に『助けてくれ』という目を……!」
「ああ、あの時か。……僕はミリアにアイコンタクトを送っていたんだよ。『あの五月蝿いハエを、今日の晩餐にしていいかい?』とね」
ヒュッ、と喉が鳴った。
足元の蔦が、じりじりと這い上がってくる。膝まで、太ももまで。締め付けられる痛みで、逃げることもできない。
「わ、私を……どうするつもり……?」
ミリアがクスクスと笑いながら、私のほうへ歩み寄ってくる。
その手には、銀色のナイフ――いいえ、それは彫刻刀のように見えた。
「ねえ、エリーゼ様。貴女、以前おっしゃいましたわよね。『彼のような方には、もっとふさわしい翼が必要だ』と」
「ひっ……!」
「私もそう思うの。だから貴女に、その役割をあげる。……この屋敷を彩る、永遠に枯れない『装飾品』としての役割をね」
ミリアの瞳孔が開いている。
美しい顔が、愉悦で歪んでいる。
それは、ワインをかけられた時に見た「怯え」ではない。あれは、獲物を前にした捕食者の「武者震い」だったのだ。
「い、嫌……嫌あああああっ! 誰か! 誰か助けて!!」
私は悲鳴を上げた。けれど、温室のガラスは分厚く、外には誰もいない。
エドアルド様が指をパチンと鳴らすと、周囲の植物が一斉に襲いかかってきた。私の口を塞ぎ、四肢を拘束し、まるで磔のように空中に持ち上げる。
「騒がないでくれたまえ。製作の邪魔だ」
「さあ、始めましょうエド様。彼女の声帯は残しておいてね? とても綺麗な悲鳴だもの。歌わせるにはちょうどいいわ」
迫りくる二人。
美しい悪魔たちの笑顔が、私の視界を埋め尽くす。
薄れゆく意識の中で、私はようやく理解した。
私が開けたのは、地獄の釜の蓋ですらなかった。
私は最初から、彼らの胃袋の中に飛び込んでいたのだと。




