第10話
今日は少し早く着いた。
そのせいで、入口の自動ドアがまだ半分しか開いていない。
肩が当たる。
痛くはない。
気分が削れる。
(急ぐ理由はなかった)
ロビーは静かだ。
ポスターの人物が、全員、座っている。
座る。
歩く。
食べる。
そういう顔をしている。
女はまだ来ていない。
売店で水を買う。
キャップが固い。
力を入れる。
少しこぼれる。
床はすぐ拭かれる。
俺の靴は乾かない。
チケット。
今日は通路側。
前回、中央で動けなかった。
今回は自由。
代わりに、肘掛けが無い。
女が来る。
遅れ気味。
「混んでました?」
「いいえ、道が静かすぎて」
「静かすぎる?」
「はい」
なるほど。
これが駆け引きというやつか。
場内。
客は少ない。
全員、同じ方向を向いている。
同じ姿勢。
映画が始まる。
音楽が、ゆっくりすぎる。
人が歩く。
鍋を洗う。
窓を開ける。
「事件、起きませんね」
女が小声で言う。
「起きないことが売りです」
「売り?」
「日常は、無料だと誰も見ません」
女は少し笑う。
俺は前を向く。
主人公が料理を食べる。
よく噛む。
(噛む回数が多い)
十分後。
まだ朝。
二十分後。
まだ午前。
俺の水はもう無い。
トイレに行くほどではない。
行かない。
判断は遅れて正しい。
女が姿勢を変える。
椅子が鳴る。
「眠くなりますね」
「狙い通りです」
「狙いなんですか?」
「たぶん」
映画の中で、季節が変わる。
理由はない。
誰も説明しない。
誰も困らない。
(これはサスペンスだ。逃げ場がない)
終盤。
何も起きないまま、夕方。
夕日がきれい。
音楽が止まる。
エンドロール。
拍手はない。
女が言う。
「優しかったです」
「優しさは、体力を使います」
外に出る。
少し寒い。
上着は持ってきた。
着るのが遅れる。
結局、寒い。
「何も残らない感じですね」
「残らないのが、残ります」
少し歩く。
別れ際。
「この映画、家で観たら途中で洗濯しますね」
女は考えて、
「それ、正しい気がします」と言う。
《これは、誰も生き残る必要のない話である。》
――何も進まなかった。
ただ、靴の中が少し冷たかった。




