第8話「キッズカットはバトルロイヤル」
午後2時。昼の眠気が店内に漂う頃、予約表の名前に瑞希は一瞬だけ身構えた。
「タケルくん(4歳)」。
この二文字に、ベテラン美容師ほどのけぞる。
子どものカット、それは可愛さと混沌が同居する戦場——別名「バトルロイヤル」。
「こんにちは〜!」
元気よく入ってきたのは母親の笑顔と、全力疾走のタケルくん。
「うちの子、じっとできますよ〜!」
その言葉を聞いた瞬間、瑞希は悟る。死亡フラグだ。
タケルくんはカット椅子に座るや否や、回転機能を発見。
「回るー!」と360度旋回。
瑞希がハサミを構える前に、物理的な敵対行動が始まる。
レンが隣で小声で実況する。
「敵、回転中っす。無限ループ入りました」
「止めたら泣くタイプね」
「ですね」
「タケルくん、アンパンマン見よっか!」
タブレットを差し出すと、一瞬静止。
だが五秒後、別の興味が発動する。
「これなにー?」「なんで切るのー?」「チョキチョキってなんの音ー?」
質問の嵐。瑞希は冷静に答えながら、髪を一束ずつ切る。
その間にも、タケルくんの首は左右上下に常に稼働。
「動かないでねー」
「うん!」(即動く)
母親は隣で申し訳なさそうに笑う。
「ほんとは家でもじっとしてるんですけどね〜」
瑞希は内心で“ほんとは”の定義を考える。
20分後。ついに仕上げ段階。
「もう少しだけ我慢ね」
タケルくんは頬をふくらませながら言う。
「ガマンきらいー!」
そして、見事なタイミングでくしゃみ。
前髪にハサミが触れ、予定より2ミリ短くなった。
母親の瞳が一瞬だけ泳ぐ。瑞希はすかさず笑顔で言う。
「動きのあるデザインです!」
終了後、タケルくんは鏡を見て満足げに言った。
「かっこいい! パトカーみたい!」
瑞希は笑う。「うん、スピード感あるね」
母親もほっとしたように頷く。
その瞬間、瑞希の背中を汗が伝う。
ブリーチ三回より疲れる一時間。
閉店後、レンが呟いた。
「子どもカットって、なんか人生の縮図っすね」
「どういうこと?」
「思うようにいかないけど、可愛いから許せるっていう」
瑞希は少し笑って頷いた。
「そうね。しかも、また来るのよ。泣きながらでも」
翌日、予約アプリに通知が来た。
“タケルくん・三週間後・おまかせ”
瑞希はスマホを見て、小さくつぶやいた。
「リマッチ、受けて立とう」




