第6話「ブリーチ3回で人生も抜ける」
午前11時。店のドアが勢いよく開いた。
「すみませーん! 今日、ブリーチ3回いけます?」
声の主は、金髪の先に虹色のインナーカラーを抱いた大学生・カナ。
瑞希は反射的に時計を見た。午前11時。閉店は20時。
いけなくはない、でもいけたくもない。
「……3回、ですか?」
「はいっ、白っぽくしたくて! しかも今日の夜ライブなんです」
“今日の夜”が出た瞬間、瑞希の心拍数は2倍になる。
ブリーチ3回は、時間と体力のマラソンだ。
一度目で色素を飛ばし、二度目で残りを削り、三度目で自分の気力を削る。
「根元は1センチ空けて、毛先は前回のブリーチ部分ですね」
瑞希は確認をしながら、頭の中でタイムテーブルを組み立てる。
塗布30分+放置20分+流し15分×3回。
昼ご飯は諦めよう。
隣ではレンが別客のカラー剤を混ぜながら、にやりと笑う。
「瑞希さん、また“抜きの女神”出動っすか?」
「今日は“抜かれる側”かもね」
一度目のブリーチが終わるころ、カナが鏡越しに言った。
「すごい! 思ったより早く抜ける!」
瑞希は微笑む。
「そうですね、髪、体力ありますね」
心の声:美容師のほうはもう限界です。
二度目の塗布に入る。
漂白剤の匂いが、空調を超えて店全体を包み込む。
手袋の中で汗が滲み、指先がかすかに痺れる。
レンが横でぼやく。「ブリーチって、人生の酸化還元反応っすよね」
「どういう意味?」
「痛みと希望を同時に起こすっていう」
「……詩人だね、レン」
カナはスマホを構え、自撮りを始める。
「“ブリーチなう”ってストーリー上げとこ♡」
瑞希はその明るさに救われたような、突き放されたような気分になる。
若さとは、色を抜いても輝くものかもしれない。
三度目。
毛先はほとんど白。瑞希の指も白。
「どうですか?」
「最高ですっ! 神っ!」
その一言に、8時間分の疲労が報われる。
仕上げにオイルを塗り、瑞希はそっと告げた。
「できるだけ洗わないでくださいね。あと、強風の日は……」
「え? 飛びます?」
「……気持ちが、ですね」
二人で笑った。
閉店後。
北条がレジ締めを見ながら呟いた。
「ブリーチ3回で客単価は上がるけど、寿命は縮むな」
「色は抜けても、こっちは黒く焦げますね」
瑞希は笑いながら、手の甲を見た。
漂白剤で荒れた指先に、かすかな白粉が残っている。
それが光を反射して、少しだけ綺麗だった。
レンがXに投稿した。
今日の学び:髪の色は抜けても、自己肯定感は残せ。
瑞希はそれに♡を押す。
明日もまた、誰かの色を抜きながら、自分の色を探すのだ。




