第3話「クーポン渡り鳥、渡りきる」
昼下がり。店のタブレットが鳴る。
「新規予約入りましたー!」とアシスタントのレン。
画面を覗き込んだ瑞希は、目を細めた。「……あ、この人、知ってる」
表示された名前は「ミホ」。
瑞希の頭の中で、過去のカルテがフラッシュバックする。3カ月前、「別の店で切ったけど、なんか違くて」と来た。1カ月前、「新規クーポンが使えるから」と別名義で来た。
そう、クーポン渡り鳥。美容室アプリを飛び回り、「初回限定」を無限ループする伝説の存在である。
当日。ミホは笑顔で入店した。
「初めてなんですけど~」
「ようこそ」と瑞希。内心で“もう3回目だよ”と唱える。
彼女の特徴は、挨拶より先にクーポンの話をすること。
「これ、半額ですよね?トリートメントも付いてるやつ」
「はい。ただ“新規限定”なので……」
「そうなんですぅ~。でもアプリでは“はじめて”って出てたんですよ」
瑞希は知っている。彼女のスマホには、メールアドレスが複数ある。
“mipo123”“miho_2023”“mihomihomiho”。名前の変奏で転生を繰り返す。
「今日はどんな感じに?」
「おまかせで。でも前回(※別の店)みたいにはならない感じで」
おまかせ+他店否定。美容師が最も深呼吸するコンボである。
施術中、ミホは美容業界への愛を語る。
「いろんなお店に行くの楽しいんですよ。雰囲気も違うし」
「そうですね」
「でも、どこも最初は丁寧なんですよね~。二回目から急に冷たくなる」
瑞希は笑顔のまま、心で反論する。それはあなたが“二回目”を別名義で予約してるからだよ。
レンが横で耳打ちする。「また“はじめての方”っすか?」
「ええ。彼女の“はじめて”は年に十二回あるの」
「多産系っすね」
「クーポン生態系の頂点よ」
仕上げの頃。ミホは鏡を見ながら満足げに頷いた。
「やっぱりここのお店、感じいい~。通おうかな!」
瑞希は柔らかく答える。「ありがとうございます。次回予約、入れましょうか?」
「でも、また新しいお店も気になってて~」
やはり風のように去るらしい。
会計の際、ミホはスマホを操作しながら言う。
「あれ?レビュー投稿って、次のクーポンもらえるんですよね?」
「はい。ただ、同一端末からの複数投稿は……」
「じゃ、娘のスマホで投稿しときます♡」
瑞希は思う。彼女の家族構成が一体何人分の端末で成り立っているのか。
閉店後。北条が数字を眺めて言う。
「今日の売上、クーポン分引いたらマイナスだぞ」
「でもレビューは増えました」
「レビューで家賃払えたらな」
瑞希は笑う。
美容師という仕事は、風をつかもうとするようなものだ。
去っていく客にも、残る香りがある。
翌日、レンがXに投稿していた。
今日の学び:クーポンは“値引き”じゃなく“旅券”である。人は安さで動くが、去り際の笑顔で思い出す。
瑞希はそのポストに「♡」を押す。
その一瞬だけ、割引も悪くないと思えた。




