2話 始まり(2)
紅葉は目の前の桜色の髪の女性、接咲姫の言葉に驚き、混乱していた。
「神様……接咲姫、あなたがこの神社の神様……?」
紅葉は何度も言葉を繰り返した。
彼女のいる場所は、確かにこの辺りで神域…禁足地とされている森の中。
そして、目の前には朽ち果てた神社がある。
だが、ここが「叨盈神社」だとは思いもよらなかった。
「ええ、そうよ。ここは叨盈神社——本当の叨盈神社」
接咲姫は微笑みながら言った。その笑顔にはどこか悲しさと親しみが混じっているように見える。
「で、でも……叨盈神社なら、私は今……山の中腹の……別の場所で私…住んでるんですけど……」
紅葉が戸惑いながら答えると、接咲姫は桜の木に寄りかか答える。
「そうね。あそこは今の叨盈神社。でも、本来の叨盈神社はここ……人の来なくなった森の奥深くのこの場所なの」
「本当の……?」
紅葉は目の前の神社を改めて見た。
崩れ落ちた柱や苔むした石碑、そして倒れた鳥居——年月を経て朽ち果てているとはいえ、この場所には何か神聖な気配が漂っている……気がする。
「どうして……ここが本来の神社で、今私がいる場所が移されたものなんですか?」
接咲姫は桜の幹にそっと手を当て、目を閉じた。
「昔、この町がまだ燾栄村と呼ばれていた頃、この場所は村人たちの信仰の中心だったわ。ここには私達神々がいて、人々は私たちに供物を捧げ、恩恵を受けていたの。だけど……時代が過ぎ、人々は私達の姿を見る事が出来る者達も減り、事故が起き神社を再建されるときこの場所は禁足地とされ、人々から遠ざけられることになったの」
紅葉は接咲姫の話に耳を傾けながら、ふと胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
この森の静けさや、どこか寂しげな空気——それは、人々に忘れ去られた存在の哀しみなのかもしれない。
「でも、それならどうして今の叨盈神社があるんですか?」
「……それは、私たちを祀る祠があの場所にもあったからよ」
接咲姫は紅葉に向き直り、その瞳を真っ直ぐ見つめた。
「この森にある本来の叨盈神社は忘れられ、表向きの神社を山の中腹に移したの。村の中で最初に朝陽の当たるあの場所に新しい神社を建てた」
接咲姫は再び微笑んだ。その表情はどこか哀しげだったが、それでも紅葉にはどこか懐かしさを感じさせるものだった。
「紅葉、貴女は彼が待ち望んだ運命の子、この場所へ貴女は戻ってきた」
「……戻ってきた?」
紅葉はその言葉に引っかかりを覚えた。
「そうよ。貴女は幼い頃、この場所を訪れたことがあるわ。覚えていないでしょうけど、貴女はここで私たちのひとりと約束を交わしたの」
「私が……?」
接咲姫の声は柔らかく、しかし紅葉の心に強く響いた。
その言葉に促されるように、紅葉は目を閉じて記憶の扉を探る。
「……まだ、わからない。でも、何か大事なことをここでした気がする」
紅葉がそう呟くと、接咲姫は微笑みながら頷いた。
「大丈夫よ」
接咲姫は柔らかな笑みを浮かべ、桜の幹に寄りかかりながら続けた。
「そうね……明日、新しい叨盈神社に行って、刀を持ってきなさい。そこに祭具として残されているはずよ」
紅葉は驚いて顔を上げた。
「刀……ですか?」
接咲姫は頷く。
「ええ。その刀は叨盈神社の祭具として祀られていた物、私と同じ神の宿る『形代』よ。それが神社の場所を移したとき、その場所に元々あった祠を壊し中にあった形代は神社の中へ運ばれたの」
紅葉は神社で見たことのある祭具の一つを思い浮かべる。
確かに、社務所の奥に古びた刀が保管されていたのを記憶している。
「でも……どうして私が?」
紅葉が不安そうに尋ねると、接咲姫はふっと笑った。
「だって、貴女が今ここに来られたのは偶然ではないもの。貴女は私たちのひとりと縁を結んだ存在なの。貴女がその刀を持ってくれば私以外にも貴女に教えられることが増えるわ」
「接咲姫…様以外?」
接咲姫は紅葉の問いかけに、ゆっくりと頷いた。
「ええ。私以外にも、この叨盈神社には祀られている神がいるの」
紅葉は驚き、辺りを見渡した。
「じゃあ、ここには……他にも神様が?」
接咲姫は紅葉の動揺を察したのか、柔らかな声で続けた。
「恐れる必要はないわ、紅葉。私たちは人々の願いを受け、それに応えるの」
接咲姫は少し遠くを見るような目をして話す。
「私達はそれぞれが特別な力を持ちそれを人々に恩恵てして与えることができる。
私は土地神として村の子達を守るように。例えば——」
接咲姫は目を閉じて静かに語り始めた。
「——自らすら灼く想いに心を焚べ、歩みを止めさせない者、『羨火』。
——迷いを捨て去り、突き進ませる力をもつ、『朽縄』。
——夢と現、常世と現世の全ての門守、『幽廓』。
それぞれが形代に宿り、村人に力を貸すの。」
紅葉はその名前を胸の中で繰り返した。
どれも聞いたことのない名前……でもその力は、
この辺りの子供なら誰もが知っている昔話に出てくる"オバケ"の力と同じだった。
接咲姫は紅葉の表情をそっと見つめ、
ゆっくりと微笑むと、一拍おいて静かに告げた。
「その刀を形代とするは、『明告鳥』
——闇を切り裂き、夜明けを告げる…それが貴女に憑いている神の名よ」
紅葉は接咲姫の言葉に心を揺さぶられた。自分に憑いていた…?!