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1話 【禁足の森の媛】


 一本の細い山道を下っていく車を、手すりにそっと指を添えて見送る人物がいた。


 星の耀きのような白銀(ぎん)の髪に、夕暮れを思わせる(あか)い瞳の少女――紅葉(くれは)である。


「……翔汰くん、大丈夫かなぁ」


 ふっと漏れた、夕暮れに溶けてしまいそうなほど頼りない声。


 そのとき――


「心配いらないだろう、紅葉」


 姿の見えない誰かが答えた。


 まるで紅葉の胸の奥から響くような、男とも女ともつかない不思議な声。


 その声に紅葉は小さく唇を尖らせ問い返した。


「むぅ、明告鳥(あけつげどり)は心配じゃないの?」


 “明告鳥”と呼ばれた、男とも女ともつかない声が続けた。


「あの少年には、“許絶(きょぜつ)”がついている」


 紅葉は小さく瞬きをするだけで、その短い返答を黙って聞いていた。


「“許絶”は祝福を――“『そこに居ていい』という許し”を絶たれた思いから生まれた、“帰属”を本質とする(カミ)


 その《恩恵(ちから)》は、“嘘を見抜く”。……だから、あの少年はただ聞けばいい。一言、『弟妹が生まれても……僕は、大事?』とな」


 真実さえ知れれば、翔汰の小さな心は――きっと、すこしだけ楽になるはず。それは理解している。


 紅葉は胸の前で指をぎゅっと結んだ。


「……翔汰くん、本当に……大丈夫かなぁ……」

 

 真実がもし、“嘘”だったのなら翔汰くんはきっと立ち直れないから。



 ――物語が動き始めたのは、今年の春のことだった。


    ◇◆◇


挿絵(By みてみん)


    ◇◆◇


 春休みも終わり頃。


 まだ肌寒い朝の空気の中、バス停の前で、星ノ宮 紅葉は深く息をついた。


 隣町へ引っ越して八年ぶりに——


 生まれ育った村へ、再び戻ってきたのだ。


 といっても、この村は十年以上前に隣町と合併し、今は同じ市の一区画になっている。


 それでも私を含めて地元の人たちは昔の呼び名のまま“村”と言い続けていた。



 「ああ……なんか、変わってない」




 小学校に上がる前に家族で村を出て、夏祭りの時に戻って来るくらいでずっと隣町で暮らしてきた。


 私の家は星ノ宮家といって、“星見屋(ほしみや)家”から枝分かれした分家の一つと呼ばれている。


 ……とはいえ、実際はどこにでもある普通の一般家庭だ。


 けれど紅葉は、同年代というだけで本家の……優秀な親戚の星見屋 結禍(ゆいか)と比べられ続け、息苦しさを抱えていた。


——たとえば、親戚の集まりで聞いた


 「結禍ちゃんはスポーツで○○位だったのよ。紅葉ちゃんは……まあ、もう少し頑張りなさい」

 という声。


 その“頑張りなさい”が、いつも胸の奥で重く響いた。


 だから——逃げた。


 星見屋のおばさんに逃げ場所として、村の“空き神社に管理人代わりに住めばいい”と言われたから。


 高校は隣町のまま、通い続ければいい。




 村の人達は、紅葉を覚えていた。


「もしかして星ノ宮さん所の()かい?  大きくなってねぇ……ごめんね、こんなこと言って」や、


 「神社に住むのかい? ありがたいねえ、掃除も誰もしてなかったからさ」など。


「どうしたんだいその髪、ずいぶん色抜けちゃって……綺麗な黒髪だったのに……」


「あはは……染めてる訳じゃないんです。5年くらい前からなぜかこんな色になってしまって、染めるのもめんどうで」


 五鈴(いすず)のお婆ちゃんには髪の事を聞かれたくらいで、他の人は昔と変わらず、私を普通に迎え入れてくれた。


 余所者扱いも、特別扱いもされない。


 ただ“昔いた子が帰ってきた”程度の距離。


 その普通さが、紅葉には少しだけ救いだった。




 神社は、山裾の道を五分ほど歩いた先にある。


 社務所は古く、長年誰も住んでいなかったが、掃除をすればすぐ住めるはず。


 今日からここが、紅葉の一人暮らしの場所だ。


    ◇


 社務所の戸を開けると、乾いた木の匂いが鼻をくすぐった。


「うわ……思ったよりホコリだらけ」


 箒を手に取り、床を掃く。


 ざっ、ざっ、と音が広がる。人の気配が消えて久しい場所に、自分の動作だけが響く。


 棚の上に積まれてた古びた木箱へ雑巾を伸ばすと――


 「……なに、これ」


 木箱は時代がかった造りで、表面には“朝日と鶏”の絵が描かれ文字が刻まれている。


 そこに見覚えのある歌が刻まれていた。


【ふたつ にわとり あけをつげ】


【ゆめはたちきれ ははとおく】


【あすをうしない とらわれて】


【あけないよるに てをのばし】


「あれ……? これお祭りの歌だ」


 木箱を開くと、中には身の丈ほどの長さの刀が入っていた。


 細く、艶やかな──まるで夜明け前の“紫天の空”ような、深く濃い紫色の鞘。


 興味本意で鞘から抜こうとするが、錆び付いてるのかびくともしない。


 だが、無意識にでもこの時、紅葉は思ってしまっていた。


 これは――自分の物だと。


 意味も根拠もない、ただそう“感じてしまった”。


 無意識に手を伸ばしてしまうような奇妙な確信。理由のない懐かしさ。


 しばらく刀を触っていた紅葉は掃除の途中だった事を思い直し、刀を木箱にしまう。


 とりあえず生活できるくらいまで社務所の掃除を終えるころには、夕方になっていた。



「今日はもう寝よう……あとは明日でいいや」


 そう思い、紅葉は電気を消して布団に入った──。


    ◇


数日かけて社務所の掃除がひと段落した頃、


 紅葉は外の掃除も始めたた。


「……そろそろ、本殿の掃除もしなきゃだよね」


 朝の山はまだ少し肌寒い。


 神社の境内には落ち葉が積もり、誰もいなかった時間の長さをしんみりと感じさせた。


 箒を持って階段を上がり、拝殿の前を掃く。


 古い木のきしむ音と、ざっ、ざっ、と落ち葉を集める音だけが、静かな境内に響く。


 やがて掃除に夢中になっていると、社の裏手へと続く細い獣道がふと目に入った。


「……あれ? こんな道、あったっけ」


 幼いころ、ここで遊んだ記憶はある。


 だが、この奥に足を踏み入れた覚えは一度もない。


 理由は一つ。


 “あの森だけは入っちゃいけないよ。オバケ連れていってしまうからねえ”


 五鈴ばあちゃんをはじめ、村中の大人たちからそう言われていた神社の“禁足地”が、この裏に広がっているのだ。


「……一応、管理人だし何があるかはしらないとだよね……」


 紅葉は箒を置き、吸い寄せられるように獣道へと歩き出した。


 入ってはいけない、と言われていた場所なのに、胸の奥が妙にざわつく。


 呼ばれてるるような感覚すらあった。


 背の高い木々が日差しを遮り、森は薄暗い。


 足元の枯葉を踏みしめながら、紅葉は奥へと進む。


 そして、開けた場所に出た瞬間。


「……えっ」


 森の奥、ぽっかりと空間が生まれたようにして──


 朽ち果てた神社がひっそりと佇んでいた。


 屋根は崩れ、柱は苔むし、形だけがかろうじて残っている。


 その前には、――倒れた古い鳥居。


 かすれた朱色が残るだけの、もう誰もくぐらない入口。


「こんな所……昔あったっけ……?」


 記憶にはない。


 けれど胸の奥がきゅ、と締め付けられるように痛む。


 まるでここを“知っている”と身体のどこかが訴えているようだった。


 倒れて傾いた鳥居の下に近づくと、さすがに怖くなった紅葉の足がふと止まる。


 「そろそろ戻ろう」


 元々掃除の途中だ、自分で管理人をすると言って家を出たのだから掃除くらいはしないといけない。


 もと来た道に戻ろうと――。


「戻るって、どこへ?」


「――え?」


 背中から聞こえたありえない声に、紅葉は反射的に振り返る。


「な……?!」


 女性が、そこにいた。


 倒れて傾いた鳥居の上。


 そこにゆったりと腰を掛けて紅葉を見下ろしている。


 年の頃は二十代半ばほどだろうか、桜を思わせる淡い髪の女性だ。


 彼女は誰なのか、どうしてこんな場所にいるのか。


 どうして紅葉に声をかけたのか。


 もっと聞かなくてはいけないものがあるはずなのに、とっさに出た言葉はこうだった。


「いつから……そこに?」


 だってその場所、その鳥居はついさっきまで紅葉が見上げていた場所だ。


 目を離したのは十数秒ほど。


 そのわずかな間に、音も気配もなく彼女は現れた。


 それも、オバケが出ると言われてる森の奥で。


 それはまるで――。


「ふふ、どうしたの? オバケでも見たような顔をして」


 女性は可笑しそうにクスクスと笑っている。


 紅葉は悲鳴こそ上げなかったが、言われた通りオバケを見たような驚愕に彼女を見上げることしかできない。


「ふふ……」


 紅葉だってオバケの存在を頭から否定はしないが信じてるわけでもない。


 けれど――倒れて傾いた鳥居に腰掛ける突然現れた彼女はオバケというに相応しい異質な存在感と美しさを放っていた。


「それで、戻るってどこへ? さっき言ってたでしょう? 『そろそろ戻ろう』って」


「それは……」


 紅葉は口を開きかけて躊躇した。


 こんな得体のしれない女性の質問に答えていいものか?


 彼女を無視して逃げるべきではないかと、


 頭では思っているのに、足は一歩も動かない。


「それは?」


 女性が紅葉の言葉を繰り返す。


「っ……そ、その前に、貴女はいったい誰なの? いつからそこにいた? 私がどこに行くか聞いて、 どうするつもりなの?」


 紅葉の質問に女性はほんの一拍だけ、楽しむように目を細めた。


 そして。


「……駄目よ。今は私が貴女に聞いているの。


 質問を質問で返すなんて、はしたないわ」


 やわらかい声音なのに、逆らえない圧を含んだ鋭い一言に、紅葉は思わず背筋を伸ばす。


「ぅ……っ」


 視線を逸らせない。


「ふふっ……いじわるだったわね。『私は誰か』それは答えてあげる」


 女性は表情を崩し、鳥居の上で軽く足を組み替え――。


「私は……接咲姫(つぎさきひめ)器物(きぶつ)(いま)す影の御霊(みたま)のひとつ」


 そう名乗った彼女を前に、紅葉は瞬きを繰り返すしかなかった。


「……え、えっと……?」


 言葉にならない困惑が、喉の奥でひゅっと鳴る。


 接咲姫はそれを見ると、小さく肩を揺らして微笑んだ。


「ふふっ……ごめんなさい難しかったかしら?」


 接咲姫は鳥居の上で足をぶらりと揺らし、今度はゆっくり、言葉を選ぶように口を開いた。


「私の名前は接咲姫。ここの土地神……神様」


「……接咲姫……ここの神様」


 神様――


 そのあまりに突拍子のない単語に、頭が一瞬真っ白になり、


 紅葉は、ほとんど反射的に彼女の言葉を繰り返した。


「ええ、そうよ。それで、私の質問には答えてくれないの?」


 接咲姫の言葉に紅葉は息を吸い、恐る恐る答える。


「戻らないと……村の神社……家に……」


 接咲姫は、紅葉の返した言葉をゆっくり噛みしめるように繰り返した。


「……村の神社。家に、ね」


 空気が――ひやり、と固まったようだった。


 接咲姫はどこか遠くを見るように紅葉を見つめると。


「そう、なら、いいわ」


「え……?」


 思わぬ答えに紅葉は思わず眉をひそめた。


「だって貴女の帰る場所は、あの遠くの町じゃない。この村。そうでしょう――()()


「なっ……?!」


 ぞわりと鳥肌が全身にたつ。


 名乗った覚えもない、


 なのに彼女は紅葉を“星ノ宮 紅葉”と認識している事実に得体の知れない恐怖が襲ってくる。


「接咲姫、貴女は、どうして……私の事を知っているの?」


 接咲姫は鳥居の上で少し身を前に傾け、紅葉を覗き込む。


「ええ、紅葉。もちろん知っているわ――とっても良く」


それは悪戯っ子のような笑みだった。


 接咲姫は鳥居からそっと飛び降りる。


 音もなく、重力を感じさせない軽やかさで地面に立った。


 距離は近いわけではない。


 それでも紅葉は、思わず一歩後ずさった。


「怖がらなくていいわ。


 貴女には明告鳥がついている、


 私は貴女をどうこうするつもりはないの。


 でも……“貴女は、村の子。私の子”」


 接咲姫の表情は慈愛に満ちた聖母のよう。


 最後の言葉の意味はわからない。


 でも、胸が苦しくなるほどその言葉が刺さる。


 接咲姫は優しく微笑んだ。


「お願い。


 私たち“家族”を集めてほしい。


 私たち十の御霊と、その依代を……。


 貴女たちが戻ってくるのを、


 私たちは、ずっと待ち続けてきた。


 だから――また全員でお祭りをしましょう」


 ――その瞬間。


 視界が一瞬、乱れ、


 紅葉がはっと目を開けたとき。

 

 そこはもう、禁足地の森の入り口だった。


    ◇


 境内に戻ったとき、紅葉は息を荒げていた。


「あ、あれ……何だったの……?」


 もう一度、接咲姫のいた場所へ行こうとしたが、


 ずいぶん奥まで進んでも、あの朽ちた社には辿り着かなかった。


(でも、夢じゃない。間違いなく、目の前で起きたことだ)


 胸の鼓動が、さっきまでとは違う意味で早くなる。


 怖かった。足も震えている。


 それなのに――それ以上に、胸の奥のどこかが、じん、と熱くなっていた。


(……接咲姫……土地神様、か)


 胸ににそっと手をを当てる。


(私たち“家族”を集めてほしい、って……お願い、されたんだよね。私が)


 その言葉を思い出した瞬間、

 胸の奥で、ちいさな火花がぱちん、と弾けた。


(――私が、だ)


 結禍姉さんの顔が、ふっと脳裏に浮かぶ。


 親戚の集まりで、いつも真ん中にいた従姉。


 できて当たり前みたいに褒められて、比べられて、


 その度に「もう少し頑張りなさい」と言われ続けた相手。


 あの結禍姉さんですら――きっと、聞いたことない。


 “神様からのお願い”なんて。


(……ふ、ふふっ)


 紅葉は思わず、ひとりで笑いそうになって、慌てて口を押さえた。


 境内には誰もいない。


 けれど、顔が熱くなるのが自分でもわかる。


(どうしよう、私……ちょっと、嬉しいって思ってる)


 怖かったはずなのに。


 普通なら「関わりたくない」って町にある実家へ逃げるべきなのに。


 なのに今は、胸の奥で別の声がささやいている。


(“特別”だって……思ってる)


 結禍姉さんにはできないこと。


 結禍姉さんには頼まれていないこと。


 ――“私だけができる”ことが、ここにある。


 今まで、「どこに居てもいい顔をしなさい」「もっと頑張りなさい」と言われ続けた自分にとって――

 

 それはあまりにも甘くて、危険な響きを持っていた。


(私、やってみようかな……)


 接咲姫が言っていた“十の御霊”と“依代”。


 なにをどうすればいいか、まだ何もわからない。


 でも――


 “お祭り”はもともと神社の管理をする関係で私がする事になっている。


 そこまで考えたところで、紅葉ははっと顔を上げた。


(……そうだ。元々、私の役目なんだ)


 星見屋のおばさんに言われたことを思い出す。


『どうせなら、夏祭りの準備も手伝ってくれると助かるわ。


 あの空き神社、もう祭りのときくらいしか人も来ないし』


 あのときは、ただの雑用だと思っていた。


 でも――


()()、全員でお祭りをしましょう、って……)


 接咲姫の声が、耳の奥で蘇る。


 村の夏祭り。


 紅葉の知っているそれは、提灯とお神輿と――


 他とは違うのは最後に、


 拝殿の前で子ども達が母親役の女性と儀式をするくらいで、どこにでもある行事だったはずだ。


 だけど“十の御霊とその依代”なんて言葉は、聞いたことがない。


(もしかして、昔は“ちゃんとした神様のお祭り”だった……とか?)


 そんな、子どもみたいな想像がふっと浮かぶ。


 そして同時に――


(だったら、私がやる意味……あるのかも)


 胸の奥で、さっきよりも少し大きな“火”が灯る。


 雑用係じゃなくて、“神様に頼まれた人”。


 新入りの管理人じゃなくて、“神様の家族を集める役目の誰か”。


(……うん)


 紅葉は小さく頷いた。


(まずは――)


 思考が自然と、現実的なところへ降りてくる。


(お祭りのこと、ちゃんと知らないと。


 接咲姫が言ってた“御霊”とか“依代”とか……昔の話、誰か知ってるかな)


 思い浮かんだのは、一人の同級生の顔だ。


 ――桜子ちゃん。


 彼女はこの村でも古い家、鴇食(ときはみ)家の娘。


(明日から新学期だし。ちょうど良い。


 聞いてみよう。昔のお祭りのことを聞くだけなら、変じゃないよね。管理人だし)


 まだ心臓は少し早く打っている自分に、そう言い訳をして、紅葉は深く息を吸い込んだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読ませていただきました! いい感じに物語が広がってきましたね! 刀と灰桜とどんな契約を結んだのかが楽しみです! [気になる点]  非常に読みづらい。台詞と地の文の書き方はわかっていますか?…
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