8話【神様は孤独に憑く】
朝。紅葉は社務所の戸を閉め、桜子と共に石段を下りた。
靴音が、一定の間隔で並ぶ。
朝の空気は澄んでいて、まだ少し寒い。
村の道を抜け、駅へ向かう。
――角を曲がったところで。
「あら……紅葉ちゃん? 桜子ちゃんも」
声に振り向くと、そこには小柄な老婦人がいた。
背は低いのに、背筋はしゃんとしている。目もよく利く。
五鈴家の――五鈴のお婆ちゃんだ。
「おはようございます、五鈴ばあちゃん」
「おはよう。桜子ちゃんも一緒かい。ふふ、二人とも早いねえ」
「えへへ……もう慣れました」
紅葉が曖昧に笑うと、五鈴ばあちゃんはふっと表情を和らげ、それから話しはじめた。
「今年の……祭りの準備、始まったんだろう?」
紅葉は頷く。
「はい。管理人ですし……桜子ちゃんも手伝ってくれて」
「そうかい。……ありがたいねえ」
五鈴ばあちゃんは歩幅を変えずに、しかし言葉だけは慎重に選ぶように続けた。
「昔はね。夏祭りのときになると、村の古い家の子達で集まってやったんだよ」
紅葉の足が、ほんの少しだけ遅れる。
「……古い家の子が?」
「そうそう。今で言う“お手伝い”だねえ。男の子も女の子も」
五鈴ばあちゃんは目を細めた。
「祭りの夜、拝殿の前で歌をうたってさ。一人が母親役をしてねえ……」
桜子が小さく息を呑み、
紅葉も思い出す。五年前の――十の絵札。輪。火。語り。
「その歌、桜子も知っているかい? ――家ごとにある“続き”」
「ええ。祖母から聴かされてます……」
五鈴ばあちゃんは頷く。
「うちは“五番目”の歌の家だ。……名字の意味は、そういう意味なんだ」
「……はい」
五鈴ばあちゃんは、声を落として言った。
「昔は祭りのとき、“形代”も持ち寄ったんだ。家に伝わるものをね」
紅葉は唾を飲み込んだ。
「……形代を持ち寄った……」
「ああ。詳しいことは、私は知らない。けど、昔の人は“それがないと祭りにならない”って言ってな」
五鈴ばあちゃんは、そこで一度、紅葉の横顔を覗き込んだ。
「紅葉ちゃん。あんた、今……神社にいるんだろ」
「はい」
「じゃあ、余計に覚えておきな。――形代は、神様が宿るものだ。
家々が持ち寄って、家に入れたものだ」
桜子が、小さく頷く。
「……うちも、だよね」
「そうだよ。鴇食の家も、失くなった家も……みんな、持ってた」
五鈴ばあちゃんは、思い出したみたいに話題を切り替える。
「……そうだ、紅葉ちゃん」
「はい」
「前の祭り……五年前だね。うちは孫を行かせた」
紅葉の胸が、きゅ、と鳴る。
「……そのときね。うちの形代を、持たせたんだ」
「え……」
「小さな根付だよ。鈴のついたものさ」
その言葉に、紅葉の頭の奥で、どこか別の場面が瞬いた。
髪飾りと鈴が描かれた絵札を持つ少年の姿。
五鈴ばあちゃんは続ける。
「けどねえ……息子夫婦の家へ帰るとき、翔汰は寝てたもんだから忘れていってしまってな」
「忘れて……」
「ああ。失くすとまずいからしまってある。
次の祭りまでには探して、孫に持って行かせるから」
五鈴ばあちゃんは、まっすぐ紅葉を見た。
「紅葉ちゃん。祭りをやるなら、頭に入れときな。
神様は寂しがりやで、孤独な子に憑く。
独りになった子は神様に魅せられて、連れていってしまうんだ」
紅葉は、反射的に頷いた。
「はい」
「ふふ。いい子だ」
五鈴ばあちゃんは少しだけ安心したように笑い、そこで立ち止まった。
「……そろそろ行かないとまずいんじゃないのか? 二人とも、遅刻するんじゃないよ」
「……ありがとうございました、五鈴ばあちゃん」
「いいから、いっておいで」
背中を見送る声が、やけに優しかった。
◇
二人は学校へ走る。校門が見えて時計を見ると、かなりギリギリだ。
「やば……!」
胸が痛い。足音が跳ねる。
「間に合え……!」
校舎の廊下を駆け、二年三組の扉の前で急ブレーキ。
チャイムが――鳴る直前。
紅葉が肩で息をしながら教室に駆け込むと、教室の視線が一斉にこちらを向いた。
「セーフ……!」
誰かが小さく笑って、担任が「ギリギリだな」とだけ言って教室に入ってくる。
紅葉と桜子は、そそくさと席についた。
心臓がまだ早く打って、くらくらする。
――そのとき、後ろの席のクラスメイトが紅葉の肩をつついた。
「ねえ、星ノ宮さん」
「ん?」
「さっきさ、隣のクラスの弔鐘さん……未充さん? が来てたよ」
紅葉の鼓動が、一瞬だけ跳ねた。
「……未充ちゃんが?」
「うん。『星ノ宮さんに用事がある』って。ホームルームが始まるから、惑華さんが連れて帰ったの」
クラスメイトは首をかしげる。
「何の用事かは言ってなかったけど。……なんか、急ぎっぽかったよ」
紅葉は小さく頷き、クラスメイトに言った。
「……教えてくれてありがとう」
チャイムが鳴る。
授業が始まる。
一日はまだ、始まったばかり。




