8 あなたは暗殺者〜幻の聖女とワケあり王子の出会い③~
「分かったわよ。でも、そこから自分の正体を探るのは情けないから、最後の手段にするわ。……って、誤魔化されないわよ! さりげなく話をすり替えたでしょう」
「いや……勘弁してください。こちらにも事情があるんです」
「いやよ! 賭けに勝ったし、これで遠慮なく、好きなだけあなたの家にお邪魔するわね」
「本当に……?」
「ええ、よろしくね」
「いや駄目です。男だけの家に女性が暮らせる物はありませんから。他をあたってください」
「嫌よ。アンドレが無理やり引っ張るから、足を擦りむいたもの。痛くて歩けないし」
ハッとするアンドレが、ジュディットの足の甲に目を向けると、途端に青ざめた。
アンドレが急に走ったため、ジュディットは小砂利が付いた靴底で足の甲を何度も踏んでしまったのだ。
どっちの足も小さな傷が無数にでき、じんわりと血が滲んでいる。
どうだ! これを見てもまだ言うかと、彼を睨む。
そうすれば、面目なさげにアンドレがしゅんと小さくなった。
「申し訳ありません」
「何度も止まってって言ったのに。……まあいいわ、この話はこれまでよ」
「怒っていないんですか?」
「別に、それはもういいわよ。だけどあなたの家に置かせてね! この指輪を売れば当面必要な物くらい買えるもの」
自分の右手の中指に、使い込んだ金の指輪が嵌っている。
目ぼしい石は付いていないけど、売れば多少の金になるに違いない。当面必要な物は手に入ると見込む。
それに、まずは一つ。魔力計測器なるものを使ったことで、自分が魔力なしだと、素性がはっきりした。
これから自分を探す、大きなヒントになるはずだ。
記憶を取り戻すためにちょっとだけ前進したおかげで、ホッとしたジュディットは、あっけらかんと指輪を売ると口にしたのだが――。
アンドレの反応は、彼女が思ったのとは全く違った。
「駄目です。指輪を売るのはやめておきなさい。記憶が戻れば後悔するはずですよ。必要なものなら僕が全て用意してあげるから」
「それは、甘えすぎで申し訳ないわ」
「罪のない女性に対して怪我を負わせた僕からの謝罪として受け取ってくれたらいいですよ。今後、事ある度に持ち出されるのは困りますから」
「いいの?」
「ええ。このあと、一緒に買い物に行きましょう。服が一枚もないのは流石に困るでしょうし」
「行く行く! 早く行きましょう」
「全く……。足が痛くて歩けないんじゃなかったんですか?」
「ふふっ、嬉しい事を言ってくれたから治ったわ」
「げんきんな人ですね。それより大司教のガラス玉以外に、何か入っていないんですか?」
冷めた口調の彼が、外套のポケットを見やる。
そうだった。他にも何かあるかもしれないと、再び外套のポケットへ手を入れる。
「後は――」
何かなと思うジュディットは、ガラス玉の下敷きになっている袋を、ずるずる引っ張り出す。
取り出して見れば、誰かへのプレゼントに見える袋が入っていた。
「ハンカチだわ」と言ったジュディットが袋からそれを出すと、パサリと一振りして皺を伸ばした。
すると、白い紳士向けと思われるそのハンカチの角には、青い糸で「フィリ❁&ジュディ」と刺繍が描かれている。
「名前はジュディですか。おそらく先に書いてあるのが、あなたの夫か恋人か、婚約者の名前ですね。親愛を意味するヒマワリの刺繍が、名前の後に描いてあるから間違いないですね」
「じゃあフィリって、どこにいる誰だろう……」
「そんな不安そうな顔をしなくても、ジュディがフィリという男に再会できるように、一緒に探してあげますよ。すぐに見つかるはずです」
フィリと音に出された瞬間。強張った表情を見せるジュディット。彼女はフィリという音に恐怖心を抱き、胸がざわついたのだ。
青くなるジュディットはフィリのことを何も知らない――。
それにもかかわらず探してはいけない。近づいてはいけない気がしてならないのだ。
「ぁぃ……くなぃ……。やだ。会いたくない!」
「何を言っているんですか。再会すれば、今の気持ちも変わりますよ。一刻も早くジュディはフィリを見つけましょう」
「いや! 絶対に嫌な感じは変わらない。会っちゃ駄目だわ。わたし、ずっとここにいる。フィリなんて探さない!」
その名前を聞くと鳥肌が立ち、会ってはいけないと全身で訴えてくる。
「我が儘を言うのはやめてください。ジュディがフィリを探そうと探さまいと僕には関係ないですが、この事務所からは、一か月を目途に出て行ってもらいますよ。早くアパートでも見つけてください」
「……そんなぁ酷いわ。我が儘なんて言わないから、一人にしないで」
「得体の知れない人物を、当面、受け入れると言っているのに文句を言われる筋合いはないですよ」
「わたし、ずっとアンドレと一緒にいたいの。お願いだから傍において」
ジュディットの本能。それが、彼の傍にいるべきだと、しきりに騒ぐ。
「無理です。一か月間も猶予を与えるんですから、それ以降はご自分でなんとかなさい。僕は必要以上にジュディと関わる気はありませんから」
「そ、そんなぁ~。じゃあ、わたしに仕事をくれないかしら。そうじゃないとアパートだって借りられないもの」
「ええ。当然それは考えていますよ」
即答気味に答えるアンドレが、にやりとしたものだから、ある種の不安を覚える。
何をさせられるのかとドキリとするジュディットは、娼婦まがいのことではありませんようにと、おそるおそる下手に出て訊ねてみた。
「あのうぅ……。わたしに何をさせる気でしょうか?」
「ビビらなくても大丈夫ですよ。その型遅れのワンピース。ジュディの見た目からすると、何もできないお嬢様育ちじゃないでしょう。刺繍がうまいので手先は器用そうですし、ここの兵士たちの役に立つはずです」
「へ、変なことじゃないでしょうね」
「僕はカステン辺境伯のところで世話になり、そこで雑役をこなしていますからね。ジュディも僕と一緒に軍で雑役兵として働いてもらいましょう」
「よかったぁ。それならできる気がするわ」
「よし、それなら一度事務所に寄ってから買い物に出る準備をしますか」
アンドレから笑顔で誘われ「うん!」と弾む声を出したジュディットは、服屋へ向かう。
目を輝かせ、彼との時間を大満喫するジュディット。
そして、女性と二人で過ごすのが、照れくさいアンドレは、関心のない振りをして誤魔化す。
そんな初々しい二人の姿が、カステン辺境伯では、しばしば目撃されることになる。
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