6 あなたは暗殺者〜幻の聖女とワケあり王子の出会い②~
アンドレの家から追い出されたジュディットは、どこに向かうでもなく、とぼとぼと歩みを進める。
そうすれば、ジュディットの進む先に大きな湖があるではないか。
その手前には、緑のじゅうたんのように短い芝が広がっていた。
そのまま水辺まで駆け寄り、澄んだ湖を覗き込むと、女性の姿が映る。琥珀色の瞳。菫色の真っすぐストンと伸びる長い髪の美人がいる。
「綺麗な人……」
見たまんまの感想をぽつりと呟く。これが自分の姿だと、今、認識したのだ。
そして少しだけ水辺から離れ芝に腰を下ろすと、こめかみに手を当てる。
起きてから何度も同じ動作をするジュディットは、頭がドクンドクンッと脈打つように痛みを感じているようだ。
それは、目が覚めてからずっと続いており、止む気配はない。
到底動き回る元気もなく、芝の上で横たわり再び目を閉じた――。
◇◇◇
「――ねえ、聞こえていますか?」
瞼に微かに力が入るジュディット。彼女は起きなさいと言われている気がしているが、そんなことはどうでもいいやと、頬から伝わるぬくぬくとした感触に浸る。
「目を開けてくれませんか。そろそろ起きた方がいいですよ」
「これ以上、温かい布団から追い出されたくないですもの、放っておいてくださいまし」
「いい加減に起きてくてください。いつまで寝ているつもりですか! 人を寝台扱いまでして、本当に図々しいですね」
男性の大きな声が耳に届き、ハッとして目を開けた。
すると目の前には、こちらをじっと見つめるアンドレの顔がある。その上には水色の空も。
芝に寝そべっていたはずなのに、どういうわけか、目が覚めると彼の肩を枕にしている。心地良い正体。それは彼の肌触りのいいセーターである。
どういう訳か、頬にやわらかく触れるそれに、顔を乗せているではないか!
「きゃあぁ――。な、なんですの!」
握りしめていた彼のセーターを離し、慌てて起き上がる。
そうすれば、厄介者がようやく離れてくれたと安堵するアンドレも動いた。
「大きな声を出すのはやめてください」
「やだ、寝ているわたしに何をする気だったのよ! 変態! 痴漢!」
「その言い方……お宅のことを心配して損しましたね」
「心配?」
「お宅に警戒心はないんですか?」
「そりゃぁ~あるわよ」
「その割には軽率ですね。妙齢の女性がこんな所で、すやすやと眠りこけて……危ないですよ」
アンドレは周囲を気にするように見回す。
彼に続いて辺りを見れば、兵士だろうか? 隊服の男たちが、やたらと多い。
「アンドレがどうしてここに?」
「どうしても何も……黙って見ていれば、お宅がその辺で寝るからですよ。致し方なくお宅の様子を見張っていただけです。お宅……本当に仲間はいないみたいですね」
「だから言ったでしょう、詐欺師じゃないって」
アンドレが「疑ってすみませんでした」と、面目なさげに苦笑いを見せる。
「だけど――あんなに怒っていたのに、一晩中、一緒にいてくれたの?」
「あ……まあ……。拾ってきた手前、気になったので」
「ふふっ、随分と暇なのね」
「……あのねぇ。すぐに起きると思って待っていたんですよ。結局、朝まで寝続けるって……。お宅は、どういう神経をしているんですか。おかげで僕の体が痛くて仕方ない」
そう言うと、ジュディットからふいっと顔を背ける。
「頼んでもいないのに、ご親切にありがとう。だけど今は何時ですの?」
「朝の八時ですが、お宅のその言い方……。僕に少しも感謝していませんね。全く呆れた方です」
「別に感謝はしているけど……。お宅って……酷い呼び方をするからですわ」
「だったら何て呼べばいいんですか?」
「う〜ん、おかしいわね。今だにちっとも思い出せないわ。あはは」
「笑い事じゃないでしょう。名前も名乗らないくせに、要求だけは偉そうにして。そういえば、何か名前の分かる物を持っていないんですか?」
少しイライラしているアンドレは、外套のポケットへチラリと視線を向ける。
「確かにそうよね。何か入ってないかなぁ――」
と言いながら、ジュディットは浮かれ気味に外套に付いている左右のポケットへ、同時に手を突っ込んだ。
すると、手に触れるのは、硬くて丸い小さい何か。
ポケットの口を広げて覗き込むジュディットにとって、全くもって期待ハズレのものだ。
見せたところで意味はないだろうと思いながら、とりあえず一つ摘まんでアンドレに見せる。
「何だろうこれ?」
「大司教のガラス玉……ですね」
「大司教のガラス玉って……何?」
「この国の道具は全て、魔力を通して動かすのは知っていますか?」
「ええ、もちろん。それくらい知らずにどうやって暮らしてきたって言うのよ」
「その言い方……。名前は知らないのに本当、偉そうな方ですね」
「偉そうね……なんでだろう」
「それに、おたくのその記憶。随分と都合よく忘れていますね」
「何よ。このビー玉と道具の話は関係ないでしょう」
「関係あるからお伝えしたんですけどね」
「このビー玉が⁉」
「ええ。この国では、魔力がないと生活がままならないでしょう。そういう人たちを救うために、大司教が魔力を固めて無償で配布しているんですよ。それがそのビー玉みたいな『大司教のガラス玉』ってことです。お宅がガラス玉を持っているってことは、魔力が元々ないんでしょうね」
「ねぇねぇ見て。両方のポケットにぎっしりと入っているわ」
両方のポケットのふくらみを強調させて、「ほらっ」と、アンドレに見せる。
すると彼が顔を引きつらせ、急に冷めた視線でジュディットを見つめる。
「……何者ですか? 仮に魔力なしでも、そのガラス玉が一つあれば、上級魔法でさえ余裕で発動できるんですよ。魔道具を動かすだけなら、一か月は困らない魔力の塊をそんなに持っているって……」
「えっ! そうなの! すごいわね」
宝の山に違いないと察したジュディットが、喜んだ声を上げる。
だが、そんな浮かれた空気が一変。またしても彼がピリピリとした空気を放つ。
「ふっ、とんだお馬鹿な人物ですね。お宅は呑気に言っていますが『大司教のガラス玉』を闇で売って、犯罪まがいのことをしていたんでしょう」
さえざえとした口ぶりで告げた。
アンドレはまたしても、犯罪者説を唱え始めたのか。
しつこいなと感じた様子のジュディットも、冷めた口調で返す。
「何を言っているのよ。きっと違うわ」
「記憶がないのに何故違うと言い切れるんですか? どうみても、個人の所有量を越えていますよ、それは……」
「ちょっとぉ、怖い顔をしないでよ。どうしてか分からないけど、いっぱい入っているんだもの……。だけど多分、そんな悪いことはしていないわ」
「そこまで言うなら、さっさと立ちなさい。お宅の魔力を確認する」
「急に何よ!」
突如として声が大きくなったアンドレが、ジュディットを無理やり立ち上がらせると、ぐいぐいと腕を引いて歩き始めた。
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