5 あなたは暗殺者~幻の聖女とワケあり王子の出会い~①
「あ、良かった……目が覚めましたか?」
「……」
言葉に詰まるジュディットが体を起こすのと、ほぼ同時。見知らぬ好青年が、赤い瞳……いや、黒い瞳を細め、にこりと笑う。
随分と見た目が良い。
一度見たら目の奥に焼きつく容姿にもかかわらず、「この顔に見覚えは……ないわよね」と、ジュディットは心の中で自問自答した。
ここはどこかしらと、首を左右に動かし周囲を見渡すけれど、全くもって見覚えがないようだ。ジュディットの表情はぼんやりしたまま。
……呆ける彼女はどうしてここにいるのかと、こてりと首を傾げる。
その一方。上質ではあるものの、ブランドとは無縁のセーターを着る男性は、笑顔を保ったままだ。
しばらく黙りこくっていれば、見知らぬ男性が読みかけの本をパタンと閉じ、椅子から立ち上がる。
そうして彼は、ジュディットの瞳を覗き込む。
「ここはカステン軍の事務所で、そこを僕が家として借りしているんです。へぇ〜。琥珀色の瞳ですか……珍しいですね。あなたの名前は?」
ジュディットは彼を見つめながら、困惑気味に答えた。
「さ、さあね――」
「ふふっ。何もしませんから、そんなに警戒しないでください。僕はアンドレです。……家族に捨てられた身なので、家名はありませんけどね」
「ぁ…。ええ、アンドレね……」
「あなたの名前くらい教えてくれませんか。なんて呼んでいいか分からないですしね」
「それが……自分が誰なのか分からないのよ」
するとその途端。それまで見せていた穏やかな表情から一変。アンドレは顔をしかめた。
「あ〜。僕としたことが、とんでもない失敗をしたようですね。よりによって、面倒なものを拾ってきたのか……」
と言いながら扉を一瞥する。
「ねぇ! 拾ってきたって、どこから? わたし……最後に何をしていたのかも思い出せないわ」
ジュディットが必死に告げる。
そんなことにはお構いなしのアンドレは、ジュディットを追い出そうと考えたのだろう。
扉に向かい離れていこうとする。それに気づいたジュディットは、彼の腕を慌てて引き止めた。
「ま、待って! わたしはどこにいたの?」
「君……。本当に自分のことが分からないんですか?」
「ええ、自分のことはさっぱり分からないの。ここがどこか教えて欲しいわ」
「ここはカステン辺境伯領だけど、君は馬で三十分離れた森の中の道沿いで眠っていたんだ。あんな所で寝ていてよく狼に襲われなかったね」
平坦な口調が部屋に響く。
「どうして、そんなところで寝ていたのかしら。だけど、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
アンドレは当然のことをしたまでですと、微笑みを返す。
優しくそう言ってくれるなら、穏やかな彼に甘えたいところだ。
この部屋。どう見ても余っている客間だろう。
それならこのまま居候したいと目論んだジュディットは、彼の人となりを探る。
「ねえアンドレの年齢は? 仕事は?」
そうすれば、はぁ~っと深いため息が返ってくる。
「君ねぇ……。記憶がないわりに、随分と踏み込んだことを聞いてきますね。図々しいですよ」
「だって、わたし……。行く当てがなくて。しばらくここに置いてもらいたいもの。それに、年齢くらいは普通でしょう」
「やれやれ。後で『俺の女に手を出したやつは誰だ』と訪ねてくる、新手の詐欺師ですか。本当に、とんでもないものを家に入れたみたいですね」
「詐欺師じゃないわよ」
「まあ大抵の詐欺師はそう言うでしょう」
「だから違うってば」
「さあさあ、目が覚めたのなら出て行ってください」
「えぇぇ~。そんな冷たいことを言わないでよ」
「冷たいも何もないでしょう。森から拾ってきて、目が覚めるまでここに置いてあげたんですよ。それも、名前さえ知らないと言う変な女性を。それだけでも十分親切だと思いますよ」
「変な女って酷いわ。……自分の方が、何者なのか知りたいのよ」
「どうせ、その辺にお仲間でもいるんでしょう。その方に聞くといいですよ。本気で迷惑なので立ち去ってください」
怒りを露わにするアンドレに、バッと布団をはがされた。
青ざめるジュディットには、一体、何がアンドレの地雷だったのか分からない。
年齢、はたまた仕事かと考えた結果、こんなたわいもない質問で憤慨するわけがないと否定する。
やはり厚かましいお願いを、前置きもなしに頼んだのがまずかったのだろうと反省した。
そんなジュディットが困惑しきりに、まごついていれば。彼から、ほら動けと急かされ家を追い出されてしまった。
アンドレが会いたいと願っていたジュディット。その張本人とも気づかずに……。
◇◇◇