3 『幻の聖女』ジュディットの追放②
「わたしの代わりは、あなたには無理よ」
本来であれば。結界を張るのは現筆頭聖女の王妃殿下の仕事である。
けれどこの際だ。王妃様の庇い建てを止めて、はっきり事実を言うなら。光魔法の加護が枯れた王妃様は、結界を張れないのである。
それを知られると筆頭聖女の立場がなくなるため、大司教と陛下夫妻とジュディットだけの秘密にしているだけ。
何も知らないリナは自分もできる気でいるが、無理だ。
それこそ、この国全体に結界を張れば、リナの魔力が底をつくくらい消耗するのだから。
日ごろから、魔力の枯渇を嫌うリナにできるわけがない。
「無理ではない! 本来すべき義務を妹に押し付けるようなお前と違って、リナは優秀な聖女だからな!」
「リナは筆頭聖女の仕事を、何も分かっていないからですわ。これまでわたしが公式の場に出られなかったのは、理由があるんです」
国が行う形式的な式典の数々。
ジュディットが出席するつもりで準備をしていても、式典の日は決まって瘴気から生まれる魔物騒動が各地で起き、その対処に追われるのだ。何故か毎回決まって。
式典をどうすべきかと困っていれば、「リナに任せて」と妹のリナが率先的に引き受けてくれた。ことある度に。
こうなった今にして思えば、全部、意図的に仕組まれていたのかと思い当たり、ジュディットは疑いの眼差しでリナと義母を見やる。
しかし冷静になったジュディットは、そんな事を詮索するより、今は逃げる準備をしなくてはと考え、ソファーに置いた外套を手に取る。
そうすればポケットがやたらと重い。
幼い頃から魔力の大きいジュディット。
その多すぎる魔力は、誰にも推し測れないくらいだ。
万人向けの魔力計測器では、器械が壊れたみたいに反応しないのだから。
そんな膨大な魔力を持て余すジュディット。彼女の魔力を魔力なしの者たちへ分け与えるために編み出したのが、魔力の結晶化。通称『ガラス玉』である。
今だって、作り終えたばかりのガラス玉が、ポケットに入っている。正式名称は『大司教のガラス玉』だが。
何故、制作者が違うかというと、――王妃殿下の手前、ジュディットの名前を出したくないからだ。
「何も分かっていないのはお前の方だろう。冷酷なお前の妹なのに、リナはとても愛らしくて可愛いからな。きっと将来素晴らしい国母になるだろう」
ここで初めて嬉しそうに笑うフィリベールが、リナの肩をすっと抱き寄せる。
そうすると、王太子を「フィリ」と呼ぶリナが、彼の肩にこてんと頭を寄せた。
「そう。フィリベール様とリナは……以前から関係があったのね……」
「ふんっ。王太子の婚約者が果たすべき式典を、お前が何年も放棄し続け、私の横にいたのは常にリナだったからな」
「ですから、わたしは――」
「今さら何を言おうがもう遅い。私は彼女と真実の愛に目覚めたんだ。お前が黒魔術を使っていると知って、鬱積した気持ちを晴らしてくれたのは、この可愛いリナだ」
「フィリったら、ふふっ。そんなにはっきり言ったから、お姉様が驚いた顔をしているわよ」
「いいんだよリナ。私たちは真実の愛で深く結びついているからね。もう我慢せずに、あの女に教える時がきたんだよ。何度も愛し合ったんだ。既にリナが私の子どもを宿していても、おかしくないんだから」
フィリベールが、リナの肩を抱く手とは反対の腕を、リナのお腹の辺りへ伸ばし、慈しむようになでている。
「それは……世間では不貞というものです。誇らし気に語るのは、おかしいですわ」
「何が不貞だ! 私はリナを側室として迎えるつもりだったが、婚約者のお前が禁術に手を出しているとなれば、話は変わる。お前は罪人だ」
「これでフィリはリナだけの旦那様になるのね♡」
「ああ、そうだよ」
二人の世界を作り、うっとりと見つめ合っている。
「信じられない……。リナ……。あなた、初めからわたしから立場を奪うつもりだったんでしょう。わたしが犯罪者だと言いがかりをつけて」
「酷いわ――……。リナを疑うなんて……」
リナが泣きそうな声を出すため、盲目気味のフィリベールがみるみるうちに、怒りに染まる。
「おい! ジュディット、お前よくもリナを泣かせて」
あんな芝居じみた声に騙されて、馬鹿なのか? この男は何も見えていないと察知したジュディットは、身の危険を感じ、扉までの距離を確認する。
本音では逃げるために魔法を使いたいところだが、攻撃魔法の使用を禁じられている王宮で彼らに何かすれば、それこそ言い逃れができなくなる。無難な選択を選び、急いでコートに袖を通す。
――全力で走ればなんとかなりそうだ。
「お前はこの国の重要危険人物だ。お前のその力を封印させてもらう」
「他人の魔力は干渉できないことくらいご存じでしょう。そんなこと……できる訳がないわ」
「ふん。王族の血には闇属性という特別な力があるんだ。魔力を封じる事もできれば、記憶も封じる事もできる」
「それなら、陛下が気づいて解呪なさるわ」
「くくっ、愚かだな。所詮禁術に頼るしか能がないからその程度の知識なのか? 魔法契約は同じ血の人間しか解呪できないだろう」
「――何ですって」
一時的な魔法じゃなくて、魔法契約。
それはまずい。魔法契約なんて結ばれたら一生消えない。
ジュディットが意を決して立ち上がった時だ。
ぐぅわぁんっと頭の中が渦を巻き、足に力が入らなくなった。そのまま倒れるジュディットの目に留まる白いティーカップ。
フィリベールが淹れたお茶に……何か仕込まれていたのか……と。彼女の中で確信を抱く。
もし……このまま死ぬなら……。彼の婚約者のまま、死んでたまるか……。そんな汚名は、ご免だと最後の力を振り絞る。
ローテーブルの上に乗る白い紙へ、ジュディットは必死に手を伸ばす――。
紙の角に僅かに触れた瞬間、一気に自分の魔力を通した。
その数秒後、紙の中央に魔法陣が光ったのをガラスの天板越し……彼女は床から見上げた。
既に限界を超えていたジュディットは、にやにやと彼女を見下ろすリナとフィリベールの目の前で、意識を手放してしまう。
そして次に目が覚めたときは、全く知らない男の元だった。
◇◇◇
引き続きよろしくお願いします。