1-3 関係
目を覚ましたの受付開始時刻から40分前。
自転車で40分ぐらいかかる場所でもある。
つまりピンチだ。
一度冷静になり、準備の最短コースを思い描く。
ハンガーから着ていく予定だった服を風呂場に向かって投げ捨て、服が宙を舞っている間にカバンを掴み必要な備品を一ヵ所にまとめ始めた。
そこまでして、成人式に持ち合わせるものの少なさに安堵した。
後はどれだけ見た目を繕えるか。
シャワーで髪の毛をシャンプーで洗い流す。
天井を仰ぎ、ヘッドから漏れ出る繊維質なお湯を正面から浴びる。
大き目のフェイスタオルで拭き終わると、全裸のまま鏡に向き合い手入れをする。
ひりひり痛む口周りなど気にする暇などなく、霧ポンプからひと吹きオイルを出す。
両手で伸ばし顔に抑え込むと、自分がCMにでてくるようなモデル顔になった気になるが、鏡を見て落胆する。
雄々しい顔のクレーターだけファンデーションでごまかした。
柄シャツにスーツを羽織りもう一度鏡の前に立つ。
後コンタクトコンタクトとヘアセット...やることが多すぎる!
コンタクトは落とさないように慎重に、ジェル状のワックスを多めに手に取りサイドの髪を後ろに流すために念入りに触る。
残りのワックスで前髪と後頭部を軽く触ると、すべては使い切らずお湯と石鹸で洗い流した。
準備完了。固めておいた備品をポケットに入れ込み、家を飛び出す。
懐かしの道のりに感極まる余裕もなく、猛スピードで車道を駆け抜ける。
今日はメーデー(万国労働者団結の日)なのだが、やたらと車通りが多い。
同じく会場に向かう人間、メーデーに関わらず働かされている労働者か。
いずれにせよ、皆急いだ様子だ。
だからか車道を走っていると、スレスレを容赦なく駆け抜けていく人間ばかりだ。
きっとこちらを視界に入れた瞬間、邪魔だの、鬱陶しいだの思うのだろう。
法律上、自転車は車道を走るのが正しいが、歩道に人間は見当たらないのでそちらに逸れることは可能だ。
しかし舗装されたアスファルトは自転車には滑りやすいため、これは譲らない。
こちらもリスクを負いながら若干の追い風を帯び進んでいく。
成人式の会場近くの信号まで来た。
交差点の向かい側、細い道からママチャリに出てきた黒髪のショートボブの女性。
前にうつむいた角度と垂れ下がった前髪が目線を隠していた。
2つの信号が赤になっていた。
すぐに折れとは垂直方向の信号が青色に切り替わる。
彼女は顔を上げ、進み始めると遠くを見るような目線で俺の目の前を通り過ぎた。
そっちはやはり成人式の会場であり、風で開かれた顔から、彼女が高橋あいりだとすぐわかった。
彼女もまた、俺の元恋人である。
とは言え、中学に上がりたてで勢いで付き合ったのは良いもののわずか2ヶ月間で自然消滅した関係だ。
昔の肩まで伸ばしていた髪型とは違うが、赤いリップは当時のままだった。
というより気になるのが、なぜ、袴ではなくスーツ姿なのかということだ。
自転車置き場は昔と変わらない場所にあった。
ほとんど錆びた放置自転車で埋め尽くされている。
成人式に自転車で来るやつは珍しいらしい。
すでにママチャリを停め、会場に向かう高橋の姿が見えた。
遥のようにこちらから話しかけることはしない。
さっき曲がり角から出てきた彼女はこちらには気がついていなかったはずだから、無視されると決まっているわけでもない。
単純に積もらせる話がなかった。
変に踏み込んで、亀裂を作ることもないだろうとすでに迷いはなかった。
それより、ガラの悪い男たちがこちらを見ていた。
全員スーツ姿で話し込んでいたそうだ。
事前にLINEのグループの写真を見漁っていたので、この連中がつるんでいることも、それぞれが誰なのかも見当がついていた。
そのうちの1人は、実家が目の前の幼馴染だったりする。
「よう、たつき。って、何だよその格好」
村山という男が話しかけてくる。
それにしても、一瞬で見抜かれた俺の見た目はそんなに変わっていないのだろう。
最近髪を伸ばし始めた俺だが、当時もこれぐらいの長さだったはずだ。
やはり最初に目があったのは、幼馴染の日々だった。
「ひさしぶり」
「おう」
俺はまっすぐ全員を見た。
その目線は、昔のままとは思えない。
信用をされていない、仲間じゃないというような雰囲気で、少しバカにされている感じもした。
何かがあったわけじゃない。
彼らが、都市部で薬物に関与しているをという噂は聞いていた。
だからこそ俺は彼らに対する興味を秘めて向き合った。
森西は小学校まで学年一の高身長だった。一時期仲良くしていたこともある。背の高さは今でも健在で、スタイリッシュな都会のホストのような風貌だ。
藤原は中学から知り合い、金子という生徒と学年1位2位を競い合っていた。知力を表す大きな頭からは、ドレッドの束が後ろに流れていた。
村山は、小学校の頃からムードメーカー。同窓会のグループを作った張本人でもある。
中学の頃から急にガリ勉になったはずだが、高校からもとに戻ったのか。
俺にとってはこの学校のオールスターを見ている気分だ。
「随分イキってんな。山岸」
村山が言う。
スーツの下に来た柄シャツに対してだろう。
俺は軽く笑顔で答える。
「白シャツを持ってないからだよ」
本当のことだ。成人式のために貴重な貯金を出すつもりはなかった。
何ならこれで自分の現在を伝えることができるので一石二鳥だ。
藤原は俺に見向きもしないというような様子だ。
過保護でスパルタで議員の母親とはどうなったのだろうと少しだけ気になる。
自転車の鍵は確実に閉めておこう。
入口前は話し込む人がそれぞれ輪を作っている。
あまりの情報量の多さに、記憶が一致する生徒にも意識は向いていなかった。
自動ドアの付近、見たことのあるような大人たちがカウンターに並んでいた。
その中には小学校の時の他クラスの担任の姿もあった。
会場の受付役をやっているようだ。
俺はポケットから独立型イヤホンを取り出し、耳の穴に押し入れた。
受付の脇に置かれた、おそらく事前に書類で送られているであろう用紙を手に取り、個人情報を雑に書いた。
そのままこちらに視線を合わせようとしてくるおばさんたちに肩を見せたまま用紙を提出し、館内に進んだ。
一方通行の置き看板はヘロスト対策なのだろうが、この敷き詰められた状況では何の効果もなしていないだろう。
隣の友人と興奮を紛らわすように話す女子二人組。
表情を浮かべずただ淡々と歩く男一人。
例えばそういう奴らを6パターンぐらい用意して、それらをまとめて選択。
コピー・アンド・ペーストして会場の通路を人で埋めた用に思えた。
さっきのフロアもそんな感じだったのかもしれない。
いや、さっき見た違和感。
袴を着た女子たちとは違い、スーツ姿の高橋はどこで何をしているだろうか。
後ろを振り向くと、派手な女子と目があった。
3人組で井原と井内と市山。特に関わりのない吹奏楽の連中だ。
奥を見ても彼女の姿は見えない。
戻ることもできない状況にストレスを感じた。
まずは何も考えずに人混みを抜け出そうと、人混みをすり抜けていく。
音楽の音を大きくした。誰とも目を合わせないよう死んだ目を意識する。
多少ぶつかりながらも進んできたが、追い越せない壁に当たると、歩幅を合わせるしか無い。
一際目立つ騒がしい6人組が横一列に並んでいる。
すでに混んでいるし、そこまで急いだ人間はいないから周りは不満を持っていないようだ。
それでも俺は、一番左の空いた隙間から押し入って前を目指す。
やけに広い施設の通路を抜け、ようやく会場の門をくぐる。
天井が広く座席は映画館のように並ぶ。
ここに来るのは初めてだが、たまに著名人がここで講演などを開いているのをテレビで見たことがあった。
入り口から一番近い、最前列左側の席を陣取っていたのは我がグループのメンバーだった。
優、そして久しぶりに顔を合わせる空也と純平も居る。
目の前に立つと、ようやくメンバーの意識がこちらに向いた。
それよりも俺はその奥に目線が行った。
後ろの席に腰掛けていたのは、高橋だったからだ。
今度はしっかりと目があってしまった。
「おい後ろの娘ってたつきの元カノじゃね?」
「そうじゃない?多分高橋だろ」
前の席に座る優と空也がヒソヒソと話している。
一つ後ろの俺の席まで聞こえるような声量で話すな、とにらみつけるが、気がついていないようだ。
聞こえているのかを確認するにも真後ろなので、見たらもう一度目があってしまう。
隣に座る純平は、普段おとなしいくせにこういう時になると興味津々に顔を覗き込んでくる。
「なあ、一番前の席は入ってきたやつの目線が気になるし、上に移動しようぜ」
俺は今の状況を逃れようと提案する。
「無理。ここがいい」
なぜここがいいのか問いただしても無駄であることはわかりきっていたので割愛する。
高橋を会場で見つけ、俺の座る場所が彼女の前、もしくは隣しか残されていないことを知り早くから諦めがついている。
ここでこのグループから離れて座ったとしても、意識しすぎな上、一人で成人式に向かうことになるのだ。
目があってしまったあとこちらからお辞儀をして、彼女がそれに答えてくれたのかも確認せずに目を伏せてしまった。
同様し過ぎではないだろうか。
気持ちをリセットし、コイツラと懐かし話に没頭することに決めた。
「じゃあ、この会場の奴ら一人づつ復習しようか」
どうせすることもないから、勝手に話を進める。
目に入る人間一人一人、スマホと記憶を頼りに照らし合わせていく。
俺はこういうのは全然ダメで、教えてもらうばかりになった。
中でも純平は人の顔を覚えるのが得意なようで、意外な特技を発揮した。
特に変化の大きい女性陣の顔をすぐに見分けられるのだ。
事前にグループへ送っていた、卒業アルバムの写真が随分と役に立った。
それには前の二人も驚いていて、度々笑いがこみ上げた。
途中、優が耳打ちで「後ろ見てみろ」と言ってきたが、そんな事はできなかった。
どうやら彼女も笑っていたらしい。
振り向かせるためについた嘘だと思った。
真相は定かではないが、少し嬉しく思った。
中学時代につけたあだ名が次々と出てくる。
上からメガネと言われた山田は当時から可愛かったが、俺と空也はショッカクの上からメガネをかぶせていることで裏でそう呼んでいた。
もしかしたらお互い照れ隠しだったのかもしれない。
今ではコンタクトをしているのか顔がよく見え、文句の言いようのない美女だった。
同じテニス部で一番小柄でリスみたいな上久保は、身長こそ変わっていなかったが、見るからにエリートのような風防をしている。
昔から実家が金持ちで、よくテニス部はゲームをしに招かれたものだ。
空也は高校の頃までつるんでいたようだが、彼の東京行きをきっかけに疎遠になったそうだ。
隣には同じくテニス部であり、成績トップの座を藤原と競っていた金子、通称博士もいる。
サラサラとした黒髪は昔と変わらず、飾らない万人受けするイケメンだ。
そして会場のステージから一番近い場所を陣取るグループは、村山たちだ。
相変わらず賑やかにしており、全体から場所で随分と目立っていた。
俺らは主役で他が脇役だと主張しているように見える。
終いには女が藤原の膝にまたがり、疑似セックスまで始めた。
クラブじゃねーよと突っ込みたくなった。
おそらく中学の時柔道部の武田と付き合っていた、庄野という女が森西の左腕に抱きついている。
すぐに武田の姿を探してみると、中列の後方で頬杖をついて式の開演を待っていた。
まともな人間に育ったようなので、何故か安心する。
一つ気がかりだったのが、野田あやか。
きっと彼女は元気で純粋な人間だった。
専門学生時代に何度か見かけたこともあり、状況は変わっていないはずだ。
それでも今では、日々の隣で談笑している。
特に見た目に変化があるわけではないが、その光景を見てショックを受けたのは事実だ。
と、自分の彼女でもない相手に嫉妬をするのは我ながら気持ちの悪いクセだな。
役員らしき大人が入ってくる。
すでに配置についていたカメラマンの中に、一人若い人間も混じっていた。
同級生で、中3で同じクラスになった時の委員長、坂田がカメラマンの見習いとして業務にあたっているという話を前の2人から小耳に挟んだ。
開演が間近になり空気が変わり始めると、その男は最前列の席に腰掛けたので、噂は本当なのだろう。
おそらく、村山グループとは深い関わりはないようだ。
彼らからの絡みを笑顔で軽く受け流しているように見えたので、勝手に流石だなと思った。
純粋で人気者の彼は今でも変わらずといったところだろう。
どうにも俺は人気者の姿ばかりを追っているように思えてきた。
そういえば、藤見大河はこの場にいないようだ。
小学生の頃、彼にテニスに誘われクラブに通った。
鬼コーチの指導は辛かったが、あそこまで本気になって何かに取り組むことを教えてくれたのは大河だった。
その中でも頭角を表し、全国でベスト8に入る彼に俺は憧れていた。
中学に入り、俺はソフトテニスに移行してからは、そこまで深い関わりはない。
高校生の頃、県内のトップ選手を見ても大河の名前はなかった。
そして俺の憧れの存在だったはずの彼は、大学受験に落ちた。
それを知ったのは専門学校の入学式、同じ駅のホームでばったりと再開したのだ。
中途半端な大学には行きたくないとのことで、英単語を片手に駅でも勉強をしていた。
3ヶ月もすぎると、会っても話をすることはなくなっていた。
優と馬鹿な話をしているときに、冷たい目が合ったのを覚えている。
失望なんかしてはいけない、勝手に彼を過大評価していただけなのだから。
純粋故に、道が狭い人間を俺は知っている。
俺がそうじゃないからこそ、生きやすい選択ができていると自覚している。
住む世界が違うのだから、俺には応援することしか出来ない。
マイクの前に経ったのは市山春。
俺からしたら関わりのない優等生が、開会式のコールを発する。
イヤホンを付け音楽をつけた。
それからまもなくガラガラという音に驚かされ慌てて立ち上がり、誰に向けてかわからずに頭を下げる。
少し音量を下げ、声が聞こえる程度には進行に意識を向けた。
連絡が入っている。
専門学校時代から仲良くしているデザイン科の沢田広士先生からだ。
来年上京することもあり、相談事をいくつか提示していた。
『今のままではいけません。山岸くんが東京でやっていくには変えないといけない心構えがいくつもあります。一方、山岸くん以外の生徒では成し得ないことでもあります。期待しています。まずは私が与える試練に挑戦し、来年の夏に東京を目指しましょう。詳細は追って連絡いたします。良い成人式を。』
この人も、決まって親切な対応をしてくれる。
つくづくあの専門学校で、いい先生二人に出会えたことが幸運だったと感じる。
この文章には、まるで武闘派アニメの師匠に習っていけば、物語のラスボスを倒せるような想像ができてしまうが、ここはリアルなので俺の取り組み次第でバットエンドにもなる。
自分が変わらなきゃいけないことを自覚しなければ。
俺に足りないものはなんだろうか?
以前自分の将来図を聞かれて、金持ちになりたいと答えたからだろうか。
金を稼ぐために何かをすることは限界があるということを言ってくれるのだろうか。
今のうちから考えても無駄だけど。
実力のある人物だとはおもっているが、言うことが全て正しいとは思っていない。
すでに知っていることを教わることもあれば、逸れたアドバイスを聞くことだってある。
とはいえ、他の大人よりは格段に俺に理解できるアドバイスをくれから信用しているわけで、それ以上を求めるのは、人間相手には不可能だろう。
自分で築き上げたマインドが教育に適しているとは限らない。
だからこそ俺は将来、人に何かを教える気なんてサラサラ無い。
自分のことで精一杯な、将来の自分の姿が見えている俺には。
と、はたまたこういうところかもしれないな。
議員の小林泰史が言葉を並べる。
小林粒楽の父親だ。
さっぱりとした清潔そうな髪型でスーツをスタイリッシュに着こなしている。
娘の粒楽も整った顔立ちをしていた。
常に変わった行動をする彼女は、普通が嫌いなようだ。
気取らず、ハイスペック、ちょいワルの可愛い女の子は当然、学年の人気ものになった。
ところがなぜだか、俺に対してだけは警戒心があるように思えた。
目が合えば笑みがなくなるし、落としたシャープペンシルが地面に突き刺さった時、大笑いした後俺を確認するやいなややはり笑みがなくなるのだ。
そんなに俺の顔が受け付けないか、とショックを受けた。
そんな彼女は内側最前列に、役目を終えた市山春と隣同士で座っている。
最前列だから座っているといった感じで、村山グループとは関わりはないのかもしれない。
遅刻常習犯だった彼女も、今ではそんなキャラにはこだわっていないのだろう。
今日の夜頃に開かられる村山主催の同窓会にグループメッセージで参加を表明していた。
匿名で投票だったので俺たちもしれっと参加投票している。
そう言えば、それには遅れてくるんだっけか。
やっぱり、未だにこだわりがあるようだ。
小林泰史の話が終わり、10分の休憩を与えられた。
「同窓会までの間、どうすんの?」
疲れた手足を伸ばし、3人に尋ねる。
同窓会の開始時刻は18時。
会場から県庁まで、公共機関で40分程度といった距離だ。
俺が住まう商店街もそっち方面なので、来た道を引き返すことになる。
優はすでに東京の物件を見つけているが、3月一杯はこの街に居るらしい。
他の二人も実家ぐらしなので、こちらで居座る形になるだろうか。
「そうだな。とりあえず、成人式が終わった後、昼飯食いながら考えるか」
優の提案に他の二人も同意したようだ。
「久しぶりにあの豚丼の店に行こうぜ」
ボリューム満点でパンチのある見た目を思い出し、食欲が増した。
それのその店には懐かしみがある。
「俺らはひさしぶりじゃね〜よ。な?」
「それな」
空也はそれに相槌をうつが、純平は微妙な反応を示した。
「ずんも久しぶりみたいだしいいだろ?どうせ他に宛もないだろ」
「しかたないな」
渋々と承諾され、今日の昼飯が決まった。
「よし、決まり」
そういって前に伸ばしていた手を、後ろに回した。
組んだ手の片手を掴まれるような感覚がした。
とっさに振り向いた。
当たらないよう配慮していたつもりが、思いの外驚かせてしまったようだ。
高橋はガードするように片手を伸ばしていた。
「わ、わるい」
その目は若干鋭く見えたが、怒っているわけではなさそうだ。
一瞬の間があった後、俺の手を投げ捨てるようにはなす。
その後はスマホの画面を目線の高さに持っていった。
やっぱり怒っているのか?
彼女との関係は、俺から切り出した。
中学一年の時、同小から上がって来る人間がほとんどの中で、見慣れない顔を廊下で目にした。
くるくるとパーマの掛かった茶色い髪型に、身長の小ささが可愛く見えた。
掃除の時間に隣のクラスの高橋に一目惚れしたのだ。
中学の部活動が始まり、1年はグラウンドでラリーをさせられる。
そこから目に入る陸上部に彼女は所属していたのだ。
思い切って声をかければ、気安く話せた。
話せるようになった夜、彼女と付き合う夢を見た。
気がつけば次の日、突き動かされるように告白していた。
あっけない俺の初交際が始まった。
小学校から硬式テニスを習っていた俺は、1ヶ月後にはコートでの練習に抜擢された。
それがきっかけで、彼女は俺に興味を持っていってくれた気がする。
ただ、恋愛文化が広まっていない中1初期の段階では、周りに言いふらすことはしないほうが良いと察していたのだろう。
俺たちの関係は、秘密にすることとなった。
ある日、体育で怪我をしたので、授業終わりに保健室に寄ってから教室に戻った。
いつもより入口付近から騒がしく、教室に入ると多くの視線が俺に集まった。
流れるように目線は高橋を追う。
彼女は机に突っ伏していた。
顔をしているようだ。
状況をすぐに察する。
以前クラスメイトの竹内との話を思い出す。
陸上部の竹内とサシで恋愛話をしていた時、俺に彼女が居るのかを聞いてきた。
いないと答えれば良いものを、その時の俺はどっちつかずな状態で返事を渋ってしまった。
それが竹内の好奇心を逆なでしてしまい、あいつはクラスメイトの一人ひとり名前述べていく。
今度こそは返事を曖昧にしてはいけないと、俺は違うと言い切ることにした。
赤松、井上、庄野。
7人ぐらい続いた後で、高橋の名前を呼ばれた。
俺は嘘を付くのが苦手のようだ。
思わず黙り込んでしまう。
すると竹内は満足したようで、大きく反応を示さなかった。
今思えばあいつは、俺に釘を刺されないようにしれっとしていた気がする。
きっと最初から言いふらすつもりだったのだろう。
気まずい空気から逃げるように、俺は授業が始まるまで間と男子トイレに逃げた。
すぐに高橋に『ごめん。竹内に付き合ってること話した』と正直にメールを送る。
既読はつかない。
気を紛らわせるようにポケットに詰め込んだぐちゃぐちゃのイヤホンで耳を塞いだ。
そんなにしょうもないことで罪悪感を感じるぐらいなら、恋愛なんてするもんじゃないと心底思った。
チャイムが鳴り、遅刻の印がつけられるだろうと憂鬱になりながらも、教室を出る。
同じ方向に向かう生徒と出くわす。
野田あやかは高橋と仲が良い。
前を歩く彼女は振り返り足を止める。
「愛理に何をしたの?泣いてたよ」
「別に何も」
感情をトイレに流してきたので、冷めた声で答える。
教室に入ってもこのままをキープしよう。
「何もない分けないじゃん!あんなに泣いてたんだから」
野田の目は本気で怒っていた。
友達思いなんだな、と筋違いな考えが頭をよぎる。
「別に俺は悪い子としたと思っていない。少し約束は破ったけど、どうしようもなかったんだから仕方がない。文句なら竹内に言ってくれ」
「なに訳の分かんないこと言ってんの。竹内になんの関係があるわけ?」
うるさいな。勝手に真相に気がついて、自分こそ筋違いなこと言ってる事に気付いてろ。
別に嫌いでもない相手にそんなことを思っている自分は、今内心穏やかではないのは確かだった。
今はどうしようもない感情をそのままに、頭を空にすることだけを考えた。
教室に付く前に、もう一度スマホを確認する。
高橋から『無理。』とだけメッセージが送られていた。
それから二度と彼女に連絡を入れることはなかった。