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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・後
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幽世は、あります!

『会いたかったヨォ、主ィ~~!』


 全身の目をガン開きにして、頭頂部の大角をピンクに染め上げたナメクジのような見た目の妖怪は、実に嬉し気に叫びながらその巨体を押し付けて来る。


「んぶ、ぶぶぶ……!!」


 一方の俺はどんどんと妖怪の肉の海の呑み込まれ、最早体のほとんどがこれに取り込まれてしまっていた。抗議の声を上げようすれど、そのスライムのような体に鼻口を覆われては呼吸すらままならない。助けを求めて視線を彷徨わせれば、生温かい守り神様の眼差しと交差した。

 このヒトは、妖怪の突然の突撃の最中にも俺に掛けた術を解くことなく、俺のみをその場に取り残して軽やかに退避してしまったのだ。なんて無情な! せめて拘束はといて欲しかったかな、現在進行形で!


 そうこうするうちにも、ついには顔面の全てを流動体の体に押しつぶされて、身体の9割を肉の中に取り込まれてしまった。呼吸の必要ないこの体だけれど、なんとなく息苦しさを覚えて芋虫のように蠢いていれば、くぐもった聴覚の向こうに新たな気配が続々と現れ始めた。


『ナンダナンダ、どうなっているンダ』

『あ、あのキラキラなピラピラ、ヤトさんじゃない?』

『何だと……誠だ!? オイ貴様! 我が主に何たる無礼かそこをのけ!!』


 気配がゲート(仮)を乗り越えるたび、宙ぶらりんになっていた縁が今一度しっかりと結び直されていく。それと同時に、声の主が誰であるかというのも、視界にこそ映らないが順次分かって来た。


 こちらに気づくなり、彼らはわちゃわちゃとそれぞれの全力で駆け寄ってくる。こうしてスライムオバケの裾肉の外に、かろうじて出ていた部分すらも飲み込まれ、俺の身体の10割全てが妖怪団子に押しつぶされることと相なったのである。




『おい、この汚泥に飽き足らず、貴様らまでもが我が主の上に乗り上げるとは何たる不敬か。今すぐに降りよ! 我が主よ、暫しお待ちください! この我が、これらの不届き物共を罰して見せましょう!』


 わんわんとやかましい魑魅魍魎の騒乱のなかに、いっそうけたたましい大声がひとつ。

 ああ~、このテンションは角蛇のリーダー、ジャジャマルで間違いないだろう。割と離れたところに住んでる上に自分のテリトリー内から動きたがらないこいつと、こんなところで出会うのは初めてなんじゃないかな。


 この場で群を抜いた強者の妖気溢れる一言に、小さな妖怪たちはそそくさと捌けて行く。ただ一体を除いて。


『うるさイナァ。オデは主に会えて嬉しいンダヨォ! 邪魔スンナ!』


 その一体とは、最初に飛びかかってきたでっかい目玉まみれスライムオバケこと、スラである。ネーミングセンスなんて知らない。本人が気に入ってるからいいのだ。


『なッ! 汚泥貴様ァ、退かぬかこのぉ……! 我が主に何たる無礼……』


『オメェこそ我が主我が主、ことあるごとに言ってるケドヨォ、主はオメェのだけじゃないんダヨ! クどィぞ角折レ、こノ間抜け!』


『シューッ……言ってくれるな粘着ヘドロ……成敗してくれるわ!』


『かかってこいヨ、ポッキリ片角! どちらが強イか、身をもっテ分からせてヤンヨ!』


『俺のために争うのはやめてぇーッ!』


 バッチバチの火花飛び交う修羅場に思わず”声”を張り上げれば、ふたりは本性むき出しでいがみ合っていたのが嘘のように態度を変える。


『我が主ィ~! 我は心配しておりましたのですぞぉ~!』


『主、あるじっ! オデ、もう主と会えなくなるかと思っタンダヨォ!』


 大した猫の被り方である。ジャジャマルは瞳をまあるく膨らませ、スラは百目をぴっちりと閉じて甘えた”声”を出す。

 お前ら、今まで俺の真上でやり取りしてたのもう忘れたのか? 中身のモロバレもいいとこだぞ。揃ってうねうね同じような動きで身をくねらせているところなど、一周回ってソウルメイトを勘ぐるほどのシンクロ率である。


『全く、ケンカもほどほどにしろよ。お前たちが暴れると普通に被害がでかいんだから。ふたりとも、俺の眷属の中でも、一位二位を争う実力なの自覚してよね。

 あといい加減に俺の上から退いてくれないかな。ジャジャマル、お前もだぞ』


『ぬわっ! こ、これは失敬致しました……!』


『はァーイ、ごメンネ、主ィ』


 睨み合ううちに俺を踏みつぶし始めてていた二匹に退いてもらい、ヒサメにも呪縛を解いてもらってやっとのことで自由を得ることができた。こっちも力で対抗しても良かったけれど、折角再開に喜んでくれている様子の彼らをぶっ飛ばすのは、流石に心が痛んだのだ。




 気を取り直して軽く首を回してからその場に座り込めば、俺を中心として自然と車座が出来上がった。数多の視線が遣されている。獣の形をしたもの、見るだけでSAN値を削られるような見た目をしているもの、大きいもの、小さいもの……小さな妖怪たちは、辺りに生い茂る木々の上にも上ってこちらを見下ろしている。いつの間にか、一帯は魑魅魍魎の巣窟と化していた。


『うーん、こんなに見つめられると緊張しちゃうな。それじゃえーっとまず初めに、皆、俺も会えて嬉しいよ! 元気そうで安心した~。下界に来てみたらお前たちの気配が全く感じられないんだから、一時は本当にどうなることかと思っちゃったよ、縁は分断されちゃうしさ……』


 そう零せば、我も我もと妖怪たちが同意して各々声を上げた。ちなみに今この場に集まっているのは、俺の眷属たちとこの付近にすんでいた妖怪たちだ。彼らもご近所さんと言うことで、その全員と顔見知りだった。


『俺、あのビックリ事件の時ちょうど天上界にいてさ、向こうでいろいろトラブっちゃって、来るのが遅くなっちゃったんだ。ごめんな。……それで、上から下界を調べてくるように仰せつかったんだけど、こっちで何があったか全然知らないもんだからさ……お前たちの方で何があったか、俺に教えてもらえないかな』


『――それは、ワシがお答えしてもよろしいじゃろうか』


 問えば、暫したのは三尾の狐の妖怪だった。この化け狐は、めちゃくちゃ力ある妖怪というわけもなかったが、古くから生きているということで他の妖怪たちから便りにされているのだった。




 その狐の爺さんの話によると、災禍――天変地異の揺れが発生した時までは、確かにいつも通りの日常があったようなのだ。しかし、件の揺れが収まった時には、既に世界は変貌してしまっていたのだとか――えも言われぬ世界の変化。「何か」が決定的に「違う」ことを、本能で感じとったそうだ。


 その「何か」を確かめるために、爺さんは老体に鞭打ち、付近を確かめに奔走した。しかし、住処の山を巡っても山の獣たちの姿はなく、麓の村へ下りても人間達の姿もない。木々は不気味に揺らめき、ただ妖怪だけがそこかしこに点在していて、最終的に妖力持ち以外の生物の一切がいなくなってしまったということに気が付いたんだとか。


 狐の爺さんはただの獣から妖怪に進化したタイプだ。つまり、霊力も同時に保有しているのである。

 見たところ、後天的に妖力が宿ったパターンでも、「妖力持ち」が残さず根こそぎゲートの向こうの幽世(仮)に、運び去られてしまったように見受けられる。


 そして爺さん曰く、俺の眷属たちが村に集結して大騒動を引き起こしていたらしい。全国から集まって俺の壊れた社の周りで暴れまわっていたのだとか。


 どうも、普段縁を感じ取る力のないものでも、眷属たちは自らと主をつなげる契約の縁だけは肌身に染みて感じるものらしい。その縁の群れの宗主である俺が契約先の居所を見失ったというのならば、彼らもまた同じようであったのだ。とつぜんあやふやになってしまった俺との縁を探して、彼らは奔走していた。

 眷属たちの会う顔のどれもが再会の喜びを全面に出しているのだから、暴れまわっていたことを咎めようにも、どうにもはばかられる。


 そんな混乱の極みに合った折、妖力しか感じ取れなくなっていた世界のどこからか、日暮れと共に霊力が流れ込んできたのを感じ取ったジャジャマルに続いて、妖怪たちは皆で山に突入した。すると、気配察知に優れる俺の神使たちが、霊力の漏れだす妙な地点を見つけたのだとか。


 彼らは警戒してその地点を囲んでいたものの、突如虚空から現れた小石がピンポイントでスラに当たったことで事態は一変する。憤慨した彼女が妙な地点に突っ込んで消えてしまったのを見て、しばらくは全員が周りで警戒していたらしいのだけれども、ゲートの向こうから聞こえて来たスラの嬉しそうな声……というより、”主”の一言につられて眷属連中が突撃し、最後に知り合いの妖怪の皆様も恐る恐る地点の先を覗いてみたということらしい。




『――それで我らもこの妙な地点を越えて見れば、こちら側にたどり着いたというわけです』


 そう狐の爺さんが締めくくった。

 ふーん、なーる。これはやっぱりどう考えても「現世・幽世システム」稼働済みってわけだ。――幽世は、あります!


「ねぇヒサメ様、聞きまして? ”あちら”には妖怪たちの世界があるようですの。もうこれは俺も突撃するしかないと思いましてよ」


『……かってにせい。妾は行かぬからの』


 興奮のままにお嬢様言葉で語り掛ければ、守り神様は再び蛇の縄を出すことも無く、つんとそっぽを向いた。これは説得できたも同意。思わずガッツポーズをする。


「ありがとヒサメ様! よっしゃ、許可頂きましたァ! それじゃ誰か案内してくれよ!」


『ハーイ! オデオデ! オデに任せてヨ!』


『馬鹿者、誰が貴様などに任せるか!

 我が主よ、案内(あない)はこの我にお任せください。あちらは妖気に溢れておりまして、我が住処も一層心地よいものとなったのです。それに、前々から根城にお見せしたいものもございましたのですよ。是非とも一度お越しになってみてくだされ』


『アー! オマエ、ズルいゾぉ!! 主主、オデの住処にも来てくれるよネ?』


「ははは、もっちろん! 時間はたっぷりあるんだから、是非ともそっちの世界をじっくり見させてもらうよ! 皆で一緒に回ろうな!」


 瞬間、歓声が上がった。ぞろぞろと全体が動き出す気配に、守り神様の傍らにいたアニウエがぴょいと俺の肩に乗る。

 いつの間にか空には夜のとばりが下ろされて、日の影は既に無し。ただ星くずの散りばめられた月明かりのみが、木々の隙間から一団に降り注いでいた。


 守り神様の現世からの見送りを受け取って、狂喜乱舞する眷属連中と和気藹々と笑い合いながら、かくして俺たちは”境界”に一歩を踏み出した。

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