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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・後
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つぐないボランティア

『どれ、これで人の子にも見えるじゃろ』


 守り神様は肩にかかる、すっかり黒く染まった髪をさらりと払い除けて言った。

 二本の足でしっかりと地を踏みしめるその姿は、いつのまにやら身に纏う装束を、村の子供達の着ているような粗末な麻の服に変えていたのも相まって、完全にただの人間の子供にしか見えなかった。


「え、え……!? どうやったんです? それ、変化の術じゃあないでしょ?」


 姿を転じる変化の術は、妖力を使う術なのだ。妖力を持たない守り神様には使えないはずなのだけれど。

 そう不思議に思って尋ねれば、守り神様はどこか誇らしげに腰に手をやり胸を張る。


『ふふん、妾は水を司る神ぞ。神力を用いて、空気に交えた水に御天道様の光をちと拝借すれば、これくらい造作もないわ』


「はぇ~、すっごい……」


 つまり、光の屈折を利用して、色が違って見えるようにしてるってこと……なんだろうか。

 この科学の無い時代にそんな理論を使った術を目にするなんて、思ってもみなかったや。






 そんなこんなでふたり揃って、村の人達に交じって復旧作業を手伝うため、俺たちは村の中枢に向かったのだった。


 人々は見事に倒壊してしまっている王の居館へあつまり、その瓦礫の撤去作業を行っていた。災禍から丸一日が経ち、村の半数近くの民がこの居館の修復作業に駆り出されていた。老いた者や女子供に自宅を任せて、家の基礎を壊してしまった者や怪我人を除いた、村の男衆のほとんどがこの居館周りに集まっていたのである。




 俺がこの村に帰ってくるときは、いつも変化の術を使って人間に化け、村人に混ざって農作業を手伝ったりなどして交流していた。一年に一度の祭りの日には絶対に帰省していたことから、村のほぼ全員と顔見知り状態で、今回の復旧作業の輪にもすんなりと混ざることが出来た。

 ちなみに村の皆とはこれまで、”どっかの山の民”という設定でやり取りをしてきた。昔、俺がまだ純粋に人間で真面目にプリンスをやっていたころ、お忍びで村に忍び込む時に使っていた設定をそのまま使っているんだけれど、これがなかなか使い勝手がいい。


 そして帰省スペシャルの今回、いつもぼっちで年に数回村にやって来る山の民の俺と共に突然現れた幼女こと守り神様のことをどう紹介しようと思っていれば、妹として向こうが勝手に設定を盛り上げてくれたものだから、それで通すことにした。


 ――謎多き山の民の青年、「ミコト」。その妹の名前は「ヒサ」といって、幼くも美しい少女だった。彼女は声を発することが出来ないが、兄であるミコトは仲の良い兄妹の以心伝心により、妹の心中を翻訳できるのだ。


 実際は、守り神様は声帯を使う音伝達の声が出せないため、神力を使った”声”で俺だけにダイレクトメッセージを送ってくるのを、俺が村の皆様に伝えることで中継してるだけなんだけども。


 俺も毎年変化姿を変えていないものだから、年配の方々は俺の正体が人でないことは薄々勘づいているだろう。そんな彼らは、きっとヒサメ様も人ならざるものであることにきっと気づいている。でも、そういう人たちも見て見ぬふりをしてくれているから、何時も助かってるのだ。




 さて、そんなミコト君とヒサちゃんは、崩れた建物の瓦礫を取っ払ったり、怪我人の手当てをしたりなどして、村の復旧にいそしんだ。ちなみにアニウエはお決まりの黒いカエル姿に化けて、俺の懐に隠れていた。低級妖怪ポチョ蛙たる彼に肉体労働は不可能である。


 守り神様が偽装しているのは外見(ガワ)だけなので、彼女は幼女の見た目に似つかわしくない怪力でもって、大いに工事現場を盛り上げていた。ひょいひょいとでっかい破片を担いで行くヒサちゃん(推定7さい)の姿に、初め「危ないから」と現場に寄せ付けないようにしていた村の男どもは、度肝を抜いて凝視していた。


 一方の俺は、変化の術によって能力値も普通の人間よりちょいと力持ち程度の筋力に落ち着いてしまっているから、あまりド派手な活躍はできない。

 とはいえ、変化のレベルを化けの皮がはがれない程度に下げれば、妖力ブーストで十分力持ちと言える程度には振舞える。力を生かして、こちらも人一倍一生懸命働いた。


 いつも通りの変化にいつも通りの術の持続。けれど、いつもよりも明らかに妖力(MP)の消費が早い。これも新システムが始まった証拠の一つかな、などと、今はミリも難じられない妖怪達ときっとあるだろう”幽世”に思いを馳せた。


 現在の下界は春。気候は穏やかでとても働きやすかった。

 どこからか吹いて来た穏やかな風に心をくすぐられて、気分のままに村に伝わる野良仕事ソングを口ずさんでいれば、いつのまにやら周りの男衆の大合唱の中に閉じ込められていた。

 屈強な男どもの大コーラスが壮大に巻き起こるなか、モリモリと工事は進んでいったのである。




 そうして働き続けるうち、日がだんだんと暮れて辺りが薄暗くなり始める。相変わらず、幽世の気配のかけらも感じることもできないうちに、空に朱が差し始めていた。


 どこからか米の煮えるいい香りが漂ってくる。直に労働の対価として、この場の皆に粥が振舞われることだろう。こんな日には、王族の倉にたんまりしまい込んである取っておきの米を使って、王族専属の厨房メンバーが、美味しく水で嵩増しした粥を振舞うことになっているのだ。


 困った時には助け合うこと。そこに権力者層も下民も関係ない。

 皆皆巻き込んで、気持ちよく暮らせるようになってるんだ。そういう仕組みはしっかりしてるからな、なかなか最先端なのよ(この)の村は。




 腹をくすぐるいい香りに仕事もそろそろ解散ムードに入り、男どもはそこらに適当に腰かけて、飯が煮えるのを今か今かと待っていた。


 俺と守り神様も、少し人から離れた位置にある、枝を広く伸ばした広葉樹の根本に腰かけて座り込んだ。

 暫くそのまま無言で、段々と赤く色づいて行く空を眺めていたが、何と無しに”声”を使って呟いた。


『ねぇヒサメ様。昔、”俺は有事の時にさえ戻ってこれば、後は何をしててもいい”って言ってくれたの、覚えてますか?』


『……うむ』


『俺、今回戻って来れなかったね。”有事”だったのに。酷い奴でしょ……いや、酷い奴なんてもんじゃないか。だって俺、そもそも皆の”願い”にすら気づけなかったんだから』


『ミコ……?』


 ヒサメ様曰く、下界の災害も相当なものだったらしいが、それでもこの村の死人はゼロ。怪我人は十数人出たがそれも擦り傷程度で、一番の重傷被害が、左腕の骨折という有様なのだからこれは何という奇跡だろう。俺も守り神様も瘴気を祓うことができるから、怪我から来る体調不良も緩和させることができる。だからこれからもこのイベントからの死者が出ることは無いだろう。今回も無事に解決、クエストクリアで万々歳……なんて、喜べるかよ。


 もし、下界の災害がもっとひどいもので、何か間違って大きな土砂災害が発生したり、大嵐になにもかもを吹き飛ばされてしまっていたのだとしたら?

 ――そしたら今、ここに村と呼べるものは無くなっていたかもしれない。なんせ、”天変地異”の体現のような災禍だったのだ。ありえない話ではない。


 気づきもしないうちに、何もできないでいるうちに、大切なものの何もかもがなくなっていたかもしれないのだ。




『俺さ、天上界でいろいろあった後、神域に行ったんだ。そしたらやっぱりそこも吹き飛ばされちゃっててさ、なーんもなかった。で、そこの社を再生させたときに受けたんだ。たっくさんのエマージェンシーコールをさ。……全身に刺さったよ、ぐちゃぐちゃに。でもさ、いろいろ災難に巻き込まれてたとはいえ、そこまで気づかなかったんだよ、皆の”願い”がそんなにも送られて来てたたこと。

 はは、それだけじゃない。ねぇヒサメ様。俺、この村の皆との縁がちぎれてたんだよ。で、社を見るまでそれに気づかなかった。今の”俺”をこんなにも助けてくれてる、皆の”あったかい気持ち”がごっそり身体の中から消えてたってのに、俺、気づきもしなかったんだ……!』


『ミコ』


『俺、祟り神だ。皆の”信仰(キモチ)”がなきゃ、正気すら保ってられないくらい不安定で、ガッタガタの生き物のはずなんだ。……なのに、何も感じなかった。自分を構成する大事なものが欠けてたってのに、何にも、気づきさえしなかった。

 俺、怖いよ。何も感じないのが怖い。自分が嫌だよ。あったかい気持ちがなくなっても、何も感じない自分が怖いよ。』


『ミコ』


『ずっと昔から、俺、いつかやらかしちゃうんじゃないかって、いっつも思ってたんだ。何かが間違って、たくさん命を奪うことになるかもしれないって。たくさん恨みを受けることになるかもしれないって。だって、今の俺ならそれが出来ちゃうから。

 今回で思っちゃったんだ。もしも、何か間違って俺が大きな罪を犯したとき、何も感じないんじゃないかって。大事な人たちを、瘴気の毒に(とろ)かしちゃったんだとしても、何も思わないんじゃないかって!


 こんなんじゃ、俺、まるでほんとうに、化け――『カガチノミコト』――ッ、』




 はしりと顔を掴まれて我に返る。ただでさえ新システム下で乱れやすくなっていた妖力が、今やぐるぐると渦巻き、入りみだれる濃淡を体にまとわりつかせていた。変化の術は均等な力の配分がミソなのだ。きっと今の俺の外見は、人のものとは呼べなくなっている。


 慌てて妖力を練り直し気を静めて術を補強する。血の気の引くような心地でちらりと周りを伺ってみれば、幸いなことに誰もこちらを見ているものはいなかった。守り神様が、咄嗟に俺の目の前に立って、壁になってくれていたのも助かった。


『ご、ごめんなさい』


『全く……まこと、お主の頭は碌な思考をせぬようじゃの。在りも有りもしない空虚な妄想に溺れかけるなど、はなはだ馬鹿らしい』


 咄嗟に謝れば、守り神様は、赤く染まり行く西の空をバックに仁王立ちで凄んだ。これ見よがしに大きなため息をついて見せる、逆光の中に浮かぶ彼女の冷ややかな金眼には、心の底からちぢこまる。


『何を一丁前にしょげ返っておる。自尊ばかり肥大させおって。驕慢(きょうまん)じゃの。

 そも聞くに、此度の”有事”にお主が来れなかったことは仕方のないことじゃろう。来れるものならお主は何もかもをほっぽり出して(ここ)へ来ているはずじゃ。安心せい、常の社より出づるお主の痴態を、妾もこの眼でしっかりと見て居る』


『そ、そりゃエマージェンシーコール来たら気も動転するし、』


『それにミコよ、先から怖い怖いと何におびえて居るかは知らぬがの、お主が手ずから意味も無く人の子を大量に屠ろうなど大それた悪事を出来るわけがなかろうて。ああ、そうじゃ昔っからべそっかきの(はな)垂れ小心小僧のお主に出来るはずがない。加うるに、お主のその体質――人の子の祈りの力無くとも理性保てるよく分らぬ体質(それ)は、むしろ誇るべきことじゃぞ。それを聞いてみればぐだぐだひんひん泣き言ばかり。笑止千万じゃの。もっと持てるものを(たっと)びぬか』


『でも、だって、あれは、うぐぅ……。えーと他にも、普段俺、何もしてないのもあるし』


『あー、全く仕方のない子じゃのお主は。そのことは前々から気にするでないと言っておろう。はーあ、もう知らん知らん。この際じゃから口を滑らせて言ってしまうが、お主の父と母、それからあの時代の巫女が妾の眷属として、普段この水蛇社の手伝いをしているのじゃ。まあ、今は……その縁の行方も分からなくなっておるが……。ともかく、妾は本当に常の村の管理には困っておらぬから、お主がそのない頭を悩ませる必要など微塵もないと言っているのじゃ。あーあー、いらんいらん、お主の気づかいなど。これが”でじゃぶ”とかいうやつじゃの。お主の眷属連中も同じようなぬるい気遣いを差し出しおって、本当に似た者同士じゃの、お主らは』


『でもさ、だって』


『”でも”も”だって”も無い。疾く、その素っ頓狂の頭によくよく浸み込ませて反省せぬか!』


『はいぃ……』




 びりびりと神力を震わせながら、俺だけにピンポイントで降り注ぐド叱りを甘んじて受け入れていれば、気づけば空がオレンジにこんがりと焼けて、時刻はいつの間にか黄昏時を迎えていた。


 西に傾く日はすっかりと熟して、その大方が地平線にどっぷりと沈んでいた。天地の境界線に引っかかるようにして残る、一日の最後の輝きに照らされた空が未だ赤々と色づいてはいるが、それも時を移さず闇に塗り潰されていくことだろう。


 見る間に火の玉の最後の欠片さえもが地の底に沈み、時刻はついにぞ逢魔が時を迎える。

 ガラリと様相を変えた空気に、声も無く北の山の方角を振り返ったのは同時のことだった。

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