無の証明は難しい
「ヴァアアア! で、出たァ!?」
吃驚しすぎて、思わず寝そべったまま腕で地を押せば、力加減をミスして数メートルも後ろに吹っ飛んでしまった。もみくちゃになっって全身を強打する心地は普通に痛い。
「いっつぅ~……って、エッ!? 何で鏡から? ……ハッ、まさか、ヒサメ様は鏡の精だったの……?」
『違うわ馬鹿者。もともと妾はお主の言う”省えね”とやらをするために、下界の器物であるこの鏡に宿っておったのじゃ。下界に住まわれる神々のほとんどは、このように宿るための御神体とする、特別な器を持っておられるはずじゃぞ。お主のような例外を除いての』
「あ、そうだったんだ。確かに信仰心エネルギーだけよりも、より安定して存在を保てるもんね」
起き上がりつつ、ガッテン手を打ち合わせて見たが。
「それで、あのぉ……その足は、どうしたんです?」
思わず、守り神様の二本に分裂した足を指して問いかけた。
前は蛇の下半身をしていたってのに、急にどうしたことだろう。兄様しかりスサノオしかり、最近の神々のトレンドは大幅なイメチェンだとでも言うのか。
そう気になるポイントを指摘してみれば、守り神様はふふんと胸を張るようにして言った。
『うむ。今は元は人であったお主から吸い上げた霊力で姿を維持しておる故、より下界の存在である人間に近しくなったのかもしれぬの。妾は社を持ち、人の子の信仰を力に変えてこの地を治めて居る故、姿形が人間に寄ったとしても何らおかしいことはあるまい』
「ふーん、そういうもんなのか」
『と、言うのは半分冗談で、妾の方が寄せてみたのじゃ。まぁ、要は気分じゃ。足を得るのも久しく無かったことじゃからの。しばらく、地を踏みしめるを味わうのも悪くない』
「やっぱイメチェンなんじゃん」
ヒトガタってのは、文字通り神力持ちが人の形をとった姿のことだが、これは別に人間の姿を模したものというわけではなく、元から二本の足を生やした”そういうもん”だったらしい。ヒトガタこそがオリジンであり、人間という生き物の姿がなんかそれに似ていたというだけのことで。
そして、このヒトガタ形態の他に別の姿を持つ者は、正体たる姿の一部がヒトガタ形態に混じることが多いのだが、その配合を弄ることも可能ではあるのだ。俺はなんか窮屈に感じるのでやらないが。妖術を使えば、より安定した状態で姿を変えることも出来るし。
「ところでヒサメ様、下界でもやっぱり何かが起きたのは間違いないみたいだね。何があったか教えてくれません?」
気になるポイントが解決したところで本当に聞きたかった本題に移れば、守り神様は眉根を寄せて、思案気な面持ちになった。
『下界でも、ということは天上界でも何かしらあったのじゃな』
「うん。スサノオ様がやったくらいのすっごい嵐みたいなのが吹いてね、みーんな吹っ飛ばしちゃって、天上界のほとんどが更地になっちゃったんだ。下界はそこまで酷いことになってなかったから、ちょっと安心したよ」
『……更地、じゃと……? よほどの災難に見舞われたようじゃの、其方は。……うむ。下界では途轍もない大地震が発生しての、まぁそれくらいならばよくある話なのじゃが、今回のものはどうもおかしかったのじゃ。揺れを感じた直後から、何故か姿が保てなくなってしもうて、この鏡に宿ることで精いっぱいじゃった』
揺れの規模ついては櫓の崩壊具合を見てれば、その凄まじさも想像できるってもんだよ。俺たちの社も、ものの見事に倒壊しちゃってるからねぇ。
でも、この現世側が思ったよりは無事みたいで、本当に良かった。天上界の災害にみまわれるよりはよほどましだ。あんな世界の崩壊みたいなこと、とても耐えられないだろう。
ほっと息をつきつつも、もう一つ、大いに気になるところを問う。
「ねぇヒサメ様。妖たちが何処へ行ったか、知りません?」
『妖……? そんなモノ共、どこにでもおるじゃろ……なんと!』
怪訝な顔をし守り神様は、刹那の内に事態の異常性に気が付いたか、金の双眼を大きく見開いた。
守り神様もまた蛇系神様だから、気配を読むのには長けていた。その優れた感知能力で悟ったのだろう。――ここら一帯に妖力がかけらも感知できないことを。
息を呑んで驚く彼女に、結果を自ずと知り得てしまった。
なんとなく、何度もやったように辺りに感覚を研ぎ澄ませてみるが、やはり妖力の欠片も感じなかった。異様な空気感だった。日の昇る時間帯でも、単に夜行性なだけである彼らの気が失われることは無かったのだ。意識を向ければ、木々の陰に、茂みに、山の奥地に、その気配を感じ取ることができた。――けれど、今は。
『ひとつとして無い……じゃと? これは一体どうしたことなのだ……』
「俺も降りてきてびっくりしたよ。現世に住んでるヒサメ様なら、何か見たんじゃないかと思ったんだけど……その様子じゃあ知らないみたいだね」
『うむ……すまぬの』
守り神様は眉を八の字に下げて言うが、そんな気持ちになる必要は欠片も無いのだ。
さっきのアニウエを見るに、世界枠組みのの適正外に入ってしまった時の負担が、前の比じゃなくなってしまっていることは容易に想像がつく。低級妖怪たるアニウエではあるが、瞬間的に姿が保てなくなるレベルというのは、正直なところ尋常でない。適正外の世界下でのデバフは今や、とんでもない強烈さを誇っているようだ。
俺には適正外の世界なんてものはないから、その苦しみは分からないけれど、自分が消えそうになるってのが恐ろしいことだってのは分かる。よかった、俺に三種の力があって。クソパッシブスキル付きラスボスぼでぇではあるが、基本スペックが純粋に高いって部分は純粋に助かる。
それに、悲しむ必要もまだないのだ。この妖力だけが全てこの世界から失われている現状、”幽世”の存在がより濃厚になって来たってことを表しているも同義なのだから。
「……あれ、そういえば神使の皆さんはご無事?」
唐突に、そんな疑問がふと湧いた。
アニウエだけでなく、この守り神様でさえも姿が保てなくなってしまったというのに、その眷属の皆さんは一体どうなってしまったのだろう。
もしやと最悪の結果が思い浮かび、聞いてしまってからしまったと後悔したが、その心配もどうやら気鬱だったようだった。
『ああ、あ奴らならば、妾と共に鏡に引き込んだ故無事じゃ。今も鏡の中で眠って居るよ。ただ……』
初めにこりと笑みをたたえたヒサメであったが、急に表情を曇らせ言葉も尻すぼみになってゆく。
『お主の眷属がどうなったかまでは……』
「うーん、俺の神使たち、皆妖怪からのスカウトだったからねぇ。他の妖怪達と一緒に元気してるといいんだけど……」
『力になれず、重ね重ねすまないの……』
「いやいや、ヒサメ様のせいなんかじゃないんだから、気に病まないでくださいよ。貴女が無事だったことが分かっただけでも、俺はすっごく嬉しいよ』
努めて明るく言えば、守り神様も眉を下げたままではあったが、こくりと肯いた。
しっかしまぁ、俺の眷属たち含め、妖怪たちはちゃんと幽世の方に行けてるんだろうか。行き損ねて、存在が掻き消えてしまってたりしたらと思うと心配だ。ちゃんとたどり着けてるといいんだけどな。
俺が黙り込んだことで、嫌な沈黙が辺りを漂う。うーん、気まずいなあ。
どう次の話を切り出そうかと迷っていた時、ヒサメがひらめいたとばかりに言った。
『これ、ミコよ。お主、下界の蛇らとも契約をしておらなんだか。あ奴らならば、何か知って居るかもしれぬぞ』
「ああッ確かに!! ありがとうヒサメ様、直ぐ確かめてみるよ!」
これは盲点だった。完全にあいつらの存在を忘れていた。
下界の動物の中で、同族であるからか、俺と蛇との縁テレパシー回線の相性がとても良かったのだ。それだから下界の蛇達とは、たまに日雇いで手伝ってもらうことがあり、その度に霊力をおすそ分けしてやるような一日式神としてバイト契約していたのだ。バイトシステム的に、彼らは正式な眷属じゃなかったものだから、すっかり勘定に入れるのを忘れていた。
すぐさま縁の糸を伝って、最近式神バイトに参加してくれた蛇たちをその場で捜索してみれば、何匹か俺の問いかけに応えが帰って来た。
すると、蛇達が皆一様に口をそろえて言うのである。なんでも、下界に激震が走ったのち、世界が二重にダブって見える用な奇妙な感覚に襲われたのだとか。そしてその直後、一帯の妖怪という妖怪が消えてしまったのだという。
これはすごい情報だ。情報のお礼に、縁の糸に伝わせ、少量の霊力を渡しながら考える。
今のところの最有力情報である。天上界と黄泉の国で災禍が発生した瞬間、下界が二つに裂けたのだったとしたら、世界がダブる感覚が発生するのもおかしいことじゃないだろう。
今はその存在の欠片も感じ取れない”幽世”ではあるが、原作通りにイベントが進んでいるならば、どっかにはきっと出来たはずなんだ。
妖怪と言ったら、普遍的なイメージとして、夜に悪さをすることが挙げられる。
それは今まではただ単に、奴らが夜行性だって話だったんだけれど、後世にも残ってるイメージなんだから、夜になったらもしかしたら何か状況が変わることがあるのかもしれない。
『そんなことが……』
聞いた蛇達の話を伝えて見れば、守り神様は驚いたように呟いた。
「とりあえず、夜になるまで待ってみることにするよ。あいつらって、夜に動き回るじゃないですか。もしかしたら夜になってぽっと現れるかもしれないし……世界の仕組みが変わったことは間違いないんだから、夜の間しかあいつ等のことを認識できなくなった、とかありえなくもないと思うんだ」
『……そうじゃの』
心配そうにこちらを見やる守り神様が何を言いたいかは分かってる。
だけれど、何かしていないと落ち着かなくって変化の術で人の姿に化けた。みずらはもう時代遅れのこの世の中で最近多用するのは、頭巾をかぶって質素な麻の服をまとった庶民姿だ。
「とにかく、夜まで暇なんだし、俺は村の人達を手伝ってくるよ!」
『待て、妾も行く』
予想外の声を聞いて、村へ向かって踏み出した足を止めて振り返れば、守り神様は自身の胸に手を置いて目を閉じていた。
すると、一度陽炎がその体に纏わりついたかのように、小さな姿が揺らめいたかと思えば、その髪の色が一度瞬いて黒く変わる。服装も布がたっぷりと使われたデザインのものから、村の子供が纏う粗末なものに変わってしまった。
そうして、彼女が再び目を見開いた時には、その瞳の色さえも黒く様変わりしていたのである。




