社にかえろう
ぼふんぼふんと弾む雲の地を蹴り飛ばす。すると体はノミのように高く飛び、放物線を描いて宙へと浮き上がるのだ。そうして茸の国の配管工のような動きをして、弾んで跳んで向かう先には、この天上において超希少な不浄の地がある。
そう、俺の神域である。
基本的に正常な空気しかないはずの天上界にも拘らず、なぜか瘴気のたまり場と化していたこの地は、俺の天上界の別荘兼、食べ放題オプション付きスイーツパーラー的な場所だった。
災禍の後に、この地の瘴気が俺の社(天上界支店)も含めて、きれいさっぱり吹っ飛ばされてしまっていたのは、ツクヨミとの戦いの最中にこの目で見たことだ。なんならその後の戦いでお焚き上げ()まで為されてしまっている。
それでも、どうも天上界における社は概念でしかないようなので、「見かけの社本体」というオブジェクトが消し飛ばされようとも、テレポートの転移点としての機能は果たせるらしいのだった。だって、実際に戦闘中にテレポートできたんだから。
それならばなおさら、何故テレポートの術をつかってここに飛んでいかないのかと言えば、それは道中に荒ぶる祟り神があれば、ついでに討伐してしまおうという企みがあったからである。
ただ歩いているのも早々に飽きた俺たちは、地面を蹴り飛ばして、豪速で跳んでただっぴろい土地を爆走していた。空気抵抗から衝撃波がはじけ飛ぶが、文字通り何もなくなったこの天上界に、配慮すべきものもない。
そうして神域に近づくにつれ、焼け焦げてプスプスと煙を出している土地が広がって来た。同時に、巨大なクレーターや謎の縦長に焼け焦げた跡、また蛇の這ったような蛇腹の痕跡が見えるようになって来て、なんだか小っ恥ずかしい気持ちが沸き上がって来る。
それらをまじまじと見つめては、チラチラとこちらを見て来る強面の男が視界に入らないようにして、角レーダーの敏感に反応するその場所――社のあった座標地点へ向けて、黙々と跳んでゆくのだ。
それにしても、これだけ走って来て、五感でも六感でも祟り神らしき存在を未だに感知することは無い。それによく考えて見れば、タカマガハラでの一件の前、災禍の直後に灯台役を務めていた時にも、祟り神がどうのこうのという話は一切聞いていないし、俺も見ていない。
ほんと、厄介な奴らがあちこちで暴れまわってるだなんて、信じられない話だな。いないものの討伐なんて出来るわけもないじゃないか。どうやってツクヨミはターゲットを見つけたっていうんだ。奇跡のエンカウント率だろ。全然いないじゃないか。
そんなことを考えながらため息をつくと、横のスサノオが残念そうに言った。
『和魂欠けたる祟り神に、天上の空気は毒。故、瘴気のたまり場に集まってきていると思ったが……この様子では皆既に祓われてしまっているようだな』
『……えっと? どういうことですか?』
そちらを向けば、つまらなさそうな顔をしたスサノオが、下ろし髪をがしがしと掻きながら答えた。
『そのままよ。既に群れたる祟り神とやらは、この地に存在しないものとなった。ここは太陽の領域たるタカマガハラと、月の領域たるヨルノオスクニとの境界点。また、下界や黄泉とつながる道の交じり合う場所でもある。故、気の歪みが生まれやすく、清浄な気満ち満ちる天上界において、多く瘴気の溜まる稀有な土地として在るのだ。であるからして、不浄を好む奴らの集まるところと思ったが……待て、ヤトノカミ。まさか貴様、自らが如何なる地を与えられていたか、把握していなかったとは申すまいな?』
『えーっと、知ってたような、知らなかったような……?』
『貴様……』
視線を逸らして答えれば、スサノオから呆れを滲ませた気配が湧き出してきた。見れば、今までに見たことがないような、とても微妙な表情をしている。
なんだこれ。このヒトにこんな顔をさせているこの状況が嫌すぎる。
な、なんだよ。知らなかったもんは知らなかったんだもの。なんか俺にとって、パーフェクトすぎる物件くらいにしか思ってなかったよ。
というか、地名としてのヨルノオスクニは、天上界ぐらしの中で知識としては知ってたけど、別にここから近くもないじゃないの。普通に日本列島半分分くらいの距離あるじゃん。それに太陽と月の領域の境界線言われましても、まーさか、日月神様ぱうわののぶつかり合う、神力の境界線がここって言うわけでもあるまいし? それぞれが住まう地がこんな遠く離れてるってのに、空間の歪みを引き起こせちゃうほどの出力がでてるだなんて、ねぇ……?
はは。……効力範囲広すぎ……こわ……。
『ご、ごほん。えっと、つまりスサノオ様は、ここにたくさん祟り神が来てるって思ってらしたけど、それは既に殲滅されてしまったと考えてらっしゃるんですね?』
『そうだ。ここは、ヨルノオスクニを出てタカマガハラへ向かうその道中。兄上が何を見たかは知らぬが、あの方がああも取り乱していたことを見れば、この地を通るとき、なにか悍ましいものを見たのかもしれぬ。ま、それもご自身と貴様で燃やし尽くしてしまったようだがな! 何やら、興味深げな跡も至る所に残って居るようであるし。わっはっは!』
おーっと、これはつまり、俺とツクヨミで無意識に祟り神の軍団をお焚き上げしてしまったってことでFA? うっそん。
『えっじゃあもしかして天上界での任務、図らずとも終わらしてしまっていたんじゃ……?』
『否。そう甘くは行かぬ。この地以外にも、天上の瘴気のある場所は点在している故、そこには未だ祟り神も取り残されているやも知れぬ。――が、それは兄上や他の者にお任せしようではないか。いざ我らは下界へ行かん。他、二界に向かえる神は、限られている』
それもそうか。もとより、俺たちの本任務は、下界での情報収集なのだ。
知らないうちに問題の大部分が解決していたようだが、やっぱりここでサボっちゃダメだろう。せめて、「俺の方が抹殺対象に入るかもしれない疑惑」が完全に晴れるまでは。成果は多ければ多いほどいいのだ。
『――と、目標がここにいないってんなら、別に経路を短縮してもいいわけですよね。スサノオ様、ここから社まで転移して行きますか?』
ふと気がついて提案してみれば、スサノオはにやりと笑って言う。
『否、いらぬ。これほど力を開放して良い時も滅多にあるまい。このまま走って行くぞ。嗚呼、残念かな。この雲の地へ来た時のように、雲を突き破って行ければ、もっと愉快であったのだがなァ……』
『でもそれだと問題があるんでしょう? ……俺の社転移術も、ちゃんと下界に繋がっていればいいんですけどね……』
『うむ……』
何の話をしているかというと、今となってはきっとおそらく多く封じられてしまっているであろう、移動手段諸々の話である。
この災禍というクソイベントが発生した今、「新しいシステム」が始まってしまっているだろうことは、「原作」の流れを考えれば、ほぼほぼ確定事項だ。
今までの行き来が容易であった状況から、三界がパッキリと別れて、下界もまた二つに裂かれた「物語の舞台」の有り様へと。
かつて三界を行き来するのには、それぞれの世界に繋がる”道”を使うのが一般的であった。
このスサノオはそんな”一般”におさまる器ではなかったので、天上界にやってくるときはいつもそんなものは丸無視して、自らの馬鹿力で直通ルートをブチ開けてやってきていたが、(そんなだから、緊急時を除いて天上界の立ち入りを禁止されるのだと思ったことは今は言わない)そんな規格外の彼をもってして、今回の世界の移動は大きな負担がかかったらしい。
『もう少しで、もっていかれるところだったのだ。このスサノオが』
曰く、三貴子たる自らがこうも堪えたのだから、三界の間に何か起きていることは間違いないとのことで、再び地上へ降りるこの時は、いつものダイレクトブチ抜け法は控え、俺の社から下界にワープして行くルートを通ることを了承してくれたのだ。
けれども、スサノオがこの「新システム」の身をもった体験報告をするする前に、どうも太陽の御殿ではあらかじめ情報を得ていたらしい。
例の三貴子会議にて、御殿はこの世界を繋ぐ”道”同士が、遮断されてしまっているらしいことを断言した。
曰く、それで下界の管理を任せられている国津神との連絡がほとんど取れなくなっているとのことで、今回俺たちが下界へ直接使者として派遣されることとなったのだ。
どうしてこの機関が、こんな突然の新システム稼働切り替えの折も、状況を割と細かくつぶつぶ把握しているのかと思えば、どうも災禍の直後、俺たち平平凡凡の神たちが、突然の出来事に天上界で右往左往している時から既に、太陽の御殿ホワイトハウスでは、情報収集が開始されていたからであるようだ。最高神様の結界によって守られた、御殿勤めの高位の神々が、タカマガハラの近場から天上界を調べて回ったのだとか。
御殿前で祟り神が暴れていた時に高位の神々が出てこなかったのは、そもそも自由に動けるヒトの絶対数が少ないのもあったのだろう。最高神様に「お願い」されれば、いくら気まぐれな高位野良神とて、御殿の駒として動かざるを得ない。
事前知識ゼロの状態で、よくもこう迅速に対応できるものだ。俺は原作を知っているからこそ、新システムのことが何となく分かっているのであって、もしも完全にゼロ知識の状態だったとしたら、こんなにも早く状況を把握できる自信はない。
はえぇ、やっぱり神がかってんな。いや、ガチの神だもんな。なんなら、最高神様の属する機関たるゴッドオブゴッドだもんな。……何言ってんだろ、俺。
さて、そんな訳の分からない思考を散らしているうちにも爆走はつづく。そうしてついに、スサノオに転移を申し出たからそうもしないうちに、俺の社のあった地点にまでたどり着いたのだった。……着いた、はずだったのだが。
――うん。なんにもないな。
周りを見渡せば、相変わらずのまっさら空間である。
今まで走ってきた空間がそのまま続いているだけ。まぁ、災禍直後のまっしろ状態に対して、こちらは先の戦いで焼け焦げて、一面真っ黒になっちゃってるわけだけど。
今、俺が立つ場所の、その目の前だ。
かつて社があった”地点”があるのは。
けれども、角に伝わる感覚こそあれ、その本体はそこに無い。
なんだったら、社はおろか、周りに茂る捻じれ節くれだったちょっと不気味な木々や、黒々と日光を遮るおどろおどろしい山々も何もない。十年くらい前からこっそりと始めていたガーデニング用に耕した畑も、辺りにふわふわ飛び散るとびきり美味しい瘴気も、もちろん全部なくなっている。
『何もないな、ここは』
『そうですね。無くなっちゃいました。全部』
後ろに立ったスサノオに、前を向いたまま答えた。
初めて見た時も、知らないうちに生えてたようなものだけど、知らないうちに無くなっちゃってるとはね。土台の見る影もないや。どーこに吹き飛ばされちゃったんだか。気に入ってただけにちょいとショックだよ。
『でも、今から作り直しますよ』
なんてったって、ここにあった”社”は概念なのだ。
だから、念じれば、社はきっと、復活するはずなんだ。
さぁて。一仕事始めますか。
頬を叩いて気持ちを切り替える。ここからは真剣にならなくちゃだな。
下界にあるはずの社を心に思い浮かべ、意識を集中させる。
すると、前に手を翳したその先。何もない空間に突如として現れたのは、自ら輝く無数の金の光の粒。どこともなく現れては、キラキラ瞬いた。
それが融けるようにして集まって眩い球をつくったかと思えば、その中心から立派な柱が生み出された。
立派な太い杉の柱が幾本か天に向かって伸びると、途中から横に枝分かれする。軒が、次いで茅葺の屋根が傘のように広がり、見る間に立派な社が、記憶にある通りの美しい姿で再生した。
何だかありのままの自分でいることを、ミュージカル調に宣言したくなってきたところで、いつの間にか極彩色に変わっていた変化の中央の輝きが、光の粒子を散らして七色にはじけた。
立派なエフェクトがキラキラと荘厳に景色を飾り立て、どこかから吹き抜けた暖かい風が、ふと思い出とともに訪れた時――不意に世界が弾けた。
――それは、切れてしまっていた下界とのパスを、神力で練り直して再びつなぎ直した瞬間のこと。
突如押し寄せた数多の”願い”に、「俺の世界」が爆ぜたのだ。