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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・中
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兄弟の語らうこと

 自らの眷属たる白兎の奏上に、月はだんまりを決め込んだまま、ただそこに在り続けていた。

 しかれども、その御手の望月のごとき御鏡は、いとど美しく煌めけど、既に暴力的なまでの荒振りは無し。


 しかして、ひしひしと続く沈黙に、ウェイの神の毬のように張っていた胸がしぼみ始めた時。その"声"は何処からともなく降り注いだのである。




 ――いい加減に遊びは止めよ、ツクヨミ。


 満場に降った”声”は、刹那一切の音を消した。

 気づけば頭を垂れていた誰もが、この場で何か”存在”を示すことを許されなくなる。


 ――ヤトノカミ。在るべき形に戻りなさい。御前の行儀を赦す。


 御言葉が紡がれきった時には、聳え立つように在った大蛇の姿は既に無く、蛇のとぐろに隠されていた太陽の御殿がにわかに現れた。

 蛇腹の退いたそこには、殿の閉ざされていたはずの門が微々と開きて、しかしてその隙間からは、眩しい日足が幾筋も覗いていた。


 ――ツクヨミ。()る稚拙、その立場に許される行為ではない。昔、真を見極めることなく、対するを切り捨てるは止めよと命じたはずぞ。


『しかし姉上殿。”歪”に呑まれた祟り神など、うち滅ぼしてしかるべきかと』


 月はその”存在”を脅かされることなど無い。この静けさの中に、いつも通りに在った。


 其れ、静かなる言の葉に泰然と応えるは、日と月の問答。

 されど、今の天上界の秩序を形作るは、専らこの日の方であった。




 ――御前も呑まれた分際で、よくもとやかく言えたこと。


『は、私は何処も不調は……』

 ――発言を赦した覚えはないぞ、弟月(おとうとづき)よ。


 はらり落つる葉の一枚に、月は釈然とせぬ心持ちにて、日に申し立てる。

 しかれども、自若(じじゃく)たる日の有様がほころぶことは無い。むしろ、月の言を遮り、荘厳に告げ(たも)うた。


 ――昼と夜が共に在ることなど、(しょう)には有りも在りもせぬ。今日の御前の振る舞い、今一度(かんが)みよ。


『……しかし、これは成し遂げるべきことと思われますが。今、この天の地に蔓延る(よこしま)共のことは知っておられるでしょう?』


 ――我が御殿と、天津の神々を薙ぎ払ってでも、なんじょう(どうして)成されるべきことやあらん(がある)


 本末転倒かくあるもの。

 言外に含まれた意味を察し、月はついにその口をつぐませた。


 ――"歪"とは()あるもの。(なに)()れもが起こりうる。見誤るな、ツクヨミ。








「ヤトォ~~!!」


 騒がしく叫び立てながら、ぴょんぴょんと跳ね来るその白い姿は視界に入ってはいるものの、どうしてか全く動くことが出来ないでいた。もふもふと柔い雲の地にへたって埋まった両足に、全く力が入らないのだ。


 そうしてただ見ているうちに、白い影が轟と音を立てて、新幹線のごとく俺の体に突き刺さった。

 その瞬間、あんまりの衝撃に脳が揺さぶられて、ぼうと霧の中にあった思考の奥から、先ほどまでの記憶が鉄砲水のごとくフラッシュバックして帰って来る。


『わ―――ッ! やっべぇ!! 死ぬかとおもったよぉ!!』


『ヴィィ、我もぞぉ!!』


 既に辺りに凄まじき神気の影は無く、いつもの穏やかな天上のうららかな春の陽気が戻って来ていた。そんなのどかな雲の地の上で、生きてふたりで抱き合えることのなんと素晴らしきことか。アッ! 世界って美しぃナーッ!!


 悲しきは、この気を彩る花の一つも無きことかな。いつもは極彩色ゲーミングカラーなテンションアゲアゲフラワーがそこかしこに生えていたってのに、今は雲の地に疎らに草が生えているだけ。さみしいったらありゃしない。


 けれども、そんなホワホワとした天上界のエアーとは裏腹に、先ほどから脳内エコーで猛然リピート再生されている”声”のせいで、俺の情緒はしっちゃかめっちゃかになっていたのだった。




 脳裏に蘇るは、有無を言わせぬ厳かな”声”。


 ――令ず。ヤトノカミ。その力を用いて、我が弟共と、天地に蔓延る(よこしま)(しず)めて来よ。


 ツクヨミをお叱り終えた最高神様が、俺に直接告げた御言葉である。


 ピェーッ!! 最高神様の直々のご命令とか絶対断れないやつ!! なんなら、失敗してもジ・エンドになるやつ!! そんでもって、まーたこの劇ヤバファンタスティックツクヨミサマとご一緒しなきゃいけないのかと、そろりそろりと伺えば、彼の御月様はふんと鼻を鳴らしたかと思えば、次の瞬間にはその場から姿をすっかりと姿を(くら)ませ、消えてしまったのである。気づけば空も元の昼間の景色に戻り、ただ常春のうららかな気ばかりが漂っていたのだった。


 どうやら、一緒に着いて回る系のクエストじゃなかったらしい。こういうのを不幸中の幸いっていうんだろうか。

 この一連の流れは心臓に悪いとか言うレベルじゃなかった。最早命に悪いわ。本当によく助かったな、俺。

 ……これも、俺の日ごろの行いが為せる業なのカナ……なんちて!




『それにしても、本当に良かった。良く無事で……、』


『そ、其方もぞ、我は、我は……! ……ッシャ、オシェー、ウェーイ!!』


 興奮冷めやらぬとばかりに、この神は武者震いをして歓喜の声を上げた。その見た目はいつもの平々凡々神としたものではなく、白髪に兎の耳の飛び出た、人外感増し増したる姿となっており、何となくいつもの十倍は神々しく見える。

 しかして、その涙のとめどなく溢れる柘榴色の――俺よりもずっと綺麗な赤い瞳が、俺のものと重なった時、思わず聞いてしまった。


『あの、ウェイの方は……貴方は、本当に私の兄になりたいのですか……?』


 それを問いかけた時、彼はきょとりと首をかしげて言う。


『? 日ごろそう言っているだろう、ヤトよ。我が弟とな』


『あ、いや……私が言いたいのは、こんな私――いや、”俺”なんかが、貴方みたいな素敵な神様の弟になってもいいのかってこと、です」


『む?』


「……だって、俺はもとはただの人間で、今は得体のしれない祟り神(バケモノ)で、まだまだ若輩者で、身の丈に合ってない力はあるけど、世の中の事も何もわかってなくて、そんな俺を……」


 ――言い連ねる口が、ふわりと塞がれた。



 

『良い良い。我は其方がいい』


 片手で俺の掌を握り、優しく諭すように彼は言う。そうして、俺の口をふさいでいた手で頭をなでて来たかと思えば、その手を耳の後ろに伝わせ、かつて初めて会った日のように、そっと触手を手に取った。


『其方がいいのだ』


 何かを込めるような声色で、彼は言葉を紡いだ。

 やわやわと触手を撫でる温かな手つき。橙だったその色が、薄紅の色にふわふわと変わっていく。


『それにもう話してしまったことだが、其方が我が一族に加わること、我が弟妹(はらから)も喜んでいたのだぞ。故にな、安心して来い。ヤトノカミ』


 それを聞いて、俺は迷わず応えた。


「……ウン、ありがとう――ギョクト兄様」






『うむ。実に素晴らしきことかな。我は感動したり!』


 そう、ふいに降って来た雄々しい”声”に、思わずじとりとした目を向けてしまう。


『ちょっと、今感動の兄弟物語やってるところじゃないですか。ここは兄弟水入らずにして置くところでしょうよ』


『ふはは! よいではないか。嗚呼、まこと面白き神だな、貴様は。少し見ぬ間に、今度は何を仕出かした?』


『な、今度の災禍は私のせいじゃありませんからね!?』


『そんなことは心得ておるわ。はて……貴様。少し見ぬうちに少したくましくなったのではあるまいか。どれ、我とも一戦交えぬか?』


『アンタそれが目当てで来たな!? 結構! 結構です!! こちとら、すでに一戦やり合った直後ですよ!! もう無理です! 勘弁してください!!』


『むぅ……兄上とは戦り合ったそうなのに、我とはしないのだな』


『そうじゃないでしょうが! 貴方、御自分の立場分かっておられます? 三貴子ですよ? 私みたいなそこら辺の祟り神と同じにしてもらっては困ります!!』


『貴様のようなモノがそこら中にいては、世はたちどころに滅びてしまうだろうな。わっはっは!』


『とにかく、今日はもう無理ですからね! 戦ってもぷちっと潰されておしまいですよ。超絶雑魚です。何にも楽しくないですよ!』


『やれやれ、仕方のない奴め……』


『貴方には言われたくないですねぇ』


 にこにこと朗らかに会話していると、傍の俺の魂のパイセンことギョクト兄様が、震え声に俺の体に縋りついて尋ねてきた。


『ちょ、ヤト。ヤトよ。この方、この方……!』


『あ、ギョクト兄様、紹介しますね。こちらネノクニの王のスサノオ様です。黄泉の国にいる時にお世話になりました』


『スサノオである』


『ウェ、ウェッヘーイ!! わ、わ、わ、我は……!』


『良い。お前の姿を見れば分かる。兄上の所の眷属だな?』


『さ、左様にございます!』


『そんでもって、私の兄様なんです! すーっごいんですよ!』


『ウィイ!? ヤト……!?』


 未だ出たままになっている耳をぴんと立てて、緊張している様子の兄上。その横から付けたしたくなってしまったのは、今俺の気分がかつてない程上がっているからだろうか。


『ふーむ、貴様が。弱そうだな』


『よわ……』


『そんなこと無いです!! 兄様は物凄く強いんですから! なんせ、私をあのツクヨミ様から守ってくれたんですよ!!』


『ヤト……やめよ、やめよ……!』


 むっとして言い返せば、スサノオは面白げににやりと笑った。

 バトルジャンキーの闘気溢れる、キラッキラの明るい笑顔でもって。


『ほーお、見かけによらず、なかなかやり居るな……』


『あっあっ我は、われ……あなや……』


『ちょ、兄様!?』


 ふらりとゆれた兄様のその体が、ぷしゅうと白煙に包まれた。唐突にもくもくと立ち上った煙に驚いて駆け寄るも、兄様の体があるべき場所をすかした腕は、何も感触を得なかった。

 慌てふためくうちにその煙が晴れて見れば、ぐるぐると目を回した小さな白兎が、黄金の雲の地に倒れ込んでいたのであった。

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