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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・中
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夜の到来

家のWi-Fiがご臨終するなどいろいろありましたが、なんやかんやあって何とかなりました(事後報告)

 どうにもつっけんどんな振る舞いをして、風のように戦いの場へと向かっていった末弟を見送って、ウェイの神はポリポリと頬を掻いた。


 いやはや。これだけの数の神々に向けて、目前に起こったことを無かったことにせよと暗に命じるなど、奴も言うようになったものである。

 どうも自己評価の低いらしい本神(ほんにん)に言えば、飛び上がって地に頭を打ち付け平伏しかねない故、伝えはしないが。


 しかし、よくよく思い起こしてみるに、彼と同格程の位を持つ貴き方々は、それこそ瞬きの如く自然に(めい)を周囲に下されているのであろう。存在が尊いのだから。

 しかれども、あれほどの格を持ちながら日ごろそれをひた隠しにした挙句、その地力を他に忘れさせるとはなんと面白きことか。奴も貴き位ではあるからして、己がままにに許舞うことを咎められることはないであろうに、頑なに隠そうとするのだ


 常付き添う”ふさわしき眷族”に取り巻かれることもなく、こうして八百万の神々とさも親しげに振る舞っているのをみるに、どうやら"ヤトノカミ"は祟り神としてだけでなく、ただ神としても異質なのであった。


 話に聞くと、あ奴は下界にそれなりに高位な眷族を配下に持つらしいが、それらをこの天上界に連れて来たことはない。何でも、常に付き従われるのが”重い”らしい。確かに、身軽に飄々と各地を廻っている方が、彼らしいといえばそうである。


 しみじみと、結界の中で瞬く間に黒いどろどろの首を撥ね飛ばしてしまった弟を見て思う。すると、腕の中の塊がモゾと動いた。


 彼の神に渡されたこのアニウエとか言うみょうちきりんな黒蛙は、どう見ても低級妖怪にしか見えない。全くもってあ奴に”ふさわしく”ないのだ。

 こんなのが"兄"と呼ばれて、自分のことは頑なに称されぬというのは、なんとも腹立たしきことである。いったいコレは、あ奴の何だと言うのだ。まっことけしからん。


 そうしてウェイの神は、腹いせに蛙の真ん丸の腹を強めにつついてやるのだった。実に無反応であった。




 さて、そのように戦いを眺めていれば、末弟は戦いつかれた武神共を結界の外に出し、化物と一騎討ちに対峙した。

 武神共は皆、此度の災禍にて力を失っていたのだろうか。顔ぶれは名のある神々であるというのに、音に聞くほどの活躍はできていなかったように思えた。


 その頃までには再び形を取り戻した黒いどろどろが、幾度目かの不快な奇声を上げた。首を取られても、対して弱った様子にも無いところが、祟り神の化け物たる所以である。


 太陽の御殿の目の前にて、このような卑しき輩が暴れ狂うというのは如何なることか。常には決してありえぬ事態である。

 ウェイの神はぷりぷりと頬を膨らませてどろどろを睨めつけた。すると、そんな彼のとなりで、ぼそりと呟かれた"声"があった。


『……あれァ、まさか……』


『? 如何したか、業火殿』


 向けば、難しい顔をした業火の男神が、鋭い眼光をどろどろに向けていた。


『……ああ、少しばかり気になることがあってなァ……あン化け物が出てきた瞬間を、貴様は捉えたか?』


『いいや。気がつけば黒霞がこう、ぶわーっとな。それが晴れてみれば、既にヤトがどろどろと向き合っておったわ』


 そう否定すれば、男神は視線をこちらにちらりとやって、その目をゆうるりと細めた。


『……吾は見た。奴が何もない宙を引き裂き、汚汁を滴らせ這い出で来るその瞬間をな』


 彼の神は、朱の瞳に揺らめく炎を灯して言う。

 化け物が、突如としてこの雲の地に降り立ったその様は、社を持つ神々の使うという、社間を転移移動する術を用いた様に、甚だ似ていたのだと。


 それを聞いたウェイの神は、今一度黒いどろどろをじっと見た。


 ここはタカマガハラ。今はその全ての町並みが消え去れども、つい先までは、高位の神々の住まう大都市であったのだ。この場所自体が、高位の神々の神域の集合体となり、それぞれの区画が各神の住まいとされていた。


 そこに社間転移術で"帰ってきた"モノ。それ、すなわち――


『まさか、アレは元はこの地に住まわれていた、本地祟り神だとでもいうのか……?』


 瞬間、腐った口を溶け落ちんばかりに大きく開きて、ソレは咆哮を上げた。




 ――闍ヲ縺励>諞弱>蜉ゥ縺代※


 叩きつけられる思念波は、ギリギリと金切り声、低く擦れる金属、また重なり合って蠢く虫のごとし。まるで意味をなさぬおぞましき悲鳴は、心の底から嫌悪を呼ぶ。


 音の一切を塞いでしまいたい有り様であるのに、しかしてヤトノカミはまるで動じていなかった。

 彼の神は、ちょいと首をかしげて何やらどろどろをじぃと見つめていた。よく見れば、ソレから発せられる声に耳を傾けているふしすらある。


 まさか、奴と同質のモノであるからか。彼の”声”の意味成すことを、狂気の思考を、"解して"いるというのだろうか。

 ウェイの神が固唾を飲んで見守る前で、黒き神は尚も”分かっている”ようなそぶりを見せる。


 ――縺薙m縺励※


『相分かった、すぐに終わらせよう』


 腐りきった"声"にそう告げるや否や、刹那の内に肉薄して、末弟はソレの首を居合いに撥ね飛ばした。相変わらず見事な太刀筋である。しかし、どろどろの汚泥の体は、またもとのように戻っていってしまうのだった。


 そんな中、同じ戦うものとして末弟に何か感じたか、結界の外からひとりの武神が問うた。


『どうされたのだ、黒き神よ』


『――おかしいのです』


 末弟は、玉の光沢を得る己の剣をまじまじと見つめて、驚いたように言った。


『力が、出ない』


 その時である。にわかに一帯が薄暗くなり、眉を潜めたヒトビトは互いに視線を交わした。天を仰げば、太陽の御座す空に月が臨していた。天の半分が夜となっていたのだ。それを理解する刹那、重圧に身体が縛り付けられると同時に破裂音が――目も白くなる衝撃波に――




 視力に止まった思考を取り戻せば、ふたつの黒き影が互いの剣を押し当て膠着していた。耳障りな金属音が響いている。刃の接する所から火花が散っている。

 重い重い圧にウェイの神の膝は崩れ落ちて、脛で雲の地を踏みしめていた。麻痺がかった霞けぶる思考の縁に、誰が対峙しているのかを捉える。一方はヤトノカミ、そしてもう一方は――


 ”それ”を理解するや否や、ウェイの神の丸い目は、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。




 末弟の首を狙って、無慈悲な剣が急所の程近くに据えられている。その紙一重に、末弟は己の剣を差し込み切断を凌いでいた。いまも続く力の攻防戦。ぎちぎちと刃が小刻みに震え、その足元はひび割れ、沈み込まんとしている。


 相手は黒き装束をしている。黒色は天上世界に珍しい色合いであるというのに、この短期間に何度目の登場で在ろうか。常には珍し事としばらくは語り草にもなったかもしれない。しかし、この新しき神の登場には、膝は笑えど笑い事では済まされない。


 その墨黒の装束に銀の刺繍を施し、冠をこうぶった頭に、濡れ羽の黒髪をみづら髪にきちんと整えた有様は、並みの神の風格には収まらぬ。黒い眦に夜の闇を称え、絶対零度の視線を末弟にむけるその神こそは、かのツクヨミノミコトであった。

 夜を治むる月の化身。あの太陽の御神を姉に、また嵐の御神を弟に持つ、三貴子が一柱。――天津神の内、最も貴いとされる神々が一柱である。


 そしてこの神は、ウェイの神が先祖代々一族上げて仕え奉る主神にして、彼の古郷たるヨルノオスクニを統べる王でもあったのだ。

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