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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・中
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おもしろおかし

 この業火の男神は、名をホタチノオガミといった。

 自身の懸想する女神の治むる森の、大きなる西の地域一帯を治め、その土地に住まう荒くれた性質の神々を統べて、その主として睨みを利かせていた。


 またこれらの神々は戦い好きであったことから、互いにじゃれるように争う内、土地に瘴気が溜まることも無いわけではなかった。その大部分は天上界の正常な空気の元に浄化されるものの、稀に消えずにしぶとく残るものがあった。


 そんな時、ヤトノカミがその特性を生かし、天上界の瘴気を回収してまわっているとのうわさを聞きつけたこの神は、度々彼の黒い神を呼びつけることとなる。


 そも、天上界に蔓延る瘴気と言うのは、神力に対して異常な耐性を持った厄介な淀みなのである。この雲の地に住まう者の大概は、その身をも神力で顕現させた者ばかり。そういった頑固な瘴気を落とすのには、少しばかり苦労することとなる。


 この赤き神は訳あって神力の他に妖力を有していたが、他の神より瘴気に耐性を持つばかりで、対処するには至らなかった。

 否、正しくは、力の強いこの神は、祓うことはできてもその力の大部分を消費してしまうがために、多くの神がそうであるように、また彼も浄化作業を苦手としていたのだ。


 そこでこの問題の解決に全く適任であるヤトノカミには、何か表立って言うことはあらねど、酒宴を開くなどして、それなりにもてなしするなどしていた。




 その程度の仲だった。

 縄張り意識の強い、荒くれ者の主たる業火の男神が、自身の居館に彼を招いて宴を開いてやる程度の、だ。


 業火の男神は、じろりと目の前の”顔見知り”をその鋭い眼光で射止めた。

 目の前にいる神の、常は二つにくくられている黒々とした髪の房はすっかりとほどけ、絹のように艶やかな髪がばらりと背に散り、また顔を陰に隠してもいた。


 その長い髪のとばりの隙間から、真っ赤な視線が三つ、赤き神を見据えていた。

 相変わらず不気味な蛇の威嚇音が聞こえる。その周りでくゆる黒煙は、対峙する男神の隙を伺って妖しく渦巻いている。向けられる剣は髪飾りと同じく赤の光が走り、彼の神にしては、おおよそ見ることの出来ぬ配色をしている。


 そんな、いつもの理性の見る影もない様子の彼に向け、この男神はどら声を張り上げた。


『おい、何をしてンだ。其方はこの()が認めた神であろうが。此度現れた、黒いアレと同じ化け物に成り果てる気か? アァン?』


 黒い神は応えない。しかし、その頭飾りに、ちらりと橙色の光が走った。

 その反応に首を振り振り、業火の男神は一切の躊躇なく、ずんずん大股で明らかに尋常でない様子の彼に歩み寄る。そして纏う瘴気が己の衣を焼いてもさっぱり気を乱すことなく、打ち付けにその肩に担いだ丸太を振り上げたかと思えば、目の前の黒い彼を全力でぶん殴ったのである。




 ゴッと鈍い音が響き、黒い神は前のめりに地面に伏せた。

 そのまるで害意を感じさせぬ攻撃の前には、狂った本能も騙されて、反射ですら応ずることが出来なかったのである。

 不気味な威嚇音がぱったりと消え、特徴的な輝く飾りの光共が全て消えた。雲の地を焦がし続けていた瘴気も、すうと宙に雲散してゆく。


 それを見て呆けていたウェイの神であったが、はっと正気に戻ると盛大に物言いをした。


『ちょ、ウォッヘーイ!? 何をなさるか西の男神よ!! あ奴が倒れ、倒れてしまったぞ!!』


『あぁン? 貴様……黒いのが申していたウェイとか言う神か? そんなもの、様子がおかしかったからに決まってンだろうが。それにあ奴のことだ。きっと叩けば治る』


『んな……うむ、あり得ると言えばあり得るところが……さりとて、もう少し穏便にだな、』


『左様にチンタラできる場合には無かっただろうが。それに、其方とて腰を抜かしてたンのに、物を言えた立場でもあるまいよ……。あ、言った側からであるな。直に起き出すぞ』


 指さす業火の神の腕の先、言いくるめられてぐうの音も出ぬウェイの神の前で、地に伏せていた黒い神が身じろぎをした。


『……ってぇ~~~!! なんだよこの痛みぃ……』


 頭を押さえてウンウン言いながら転がり始めたその姿に、業火の男神はしたり顔で笑った。


『ほれ見ろ、治ったであろう』


『ぐぉおぅ……、ん? あれ、貴方は……?』


 上げた顔かたちは常の具合に戻り、実に豊かな百面相をして、黒い神――ヤトノカミは、目の前の赤き神を視界に捕らえた。その目が見る見るうちに見開かれてゆく。頭飾りは動揺からか、色とりどりの光を散らせていた。


 ウェイの神は思った。いつもの弟が帰ってきたのだと。すっかりとよく知る雰囲気に戻った様子に、わずかにうるりと涙ぐむ。




『あーっ! 西のホタチさんじゃん!! うわー、暫くぶりだなぁー!』


 戻っていなかった。

 いや、この振る舞い、何時もの彼の感じではある。あるものの、こんな公衆の面前では絶対に曝さないであろう部分を、惜しげもなく開け放してしまっているというところが尋常でない。


 馴れ馴れしさ全開で、彼は無邪気に彼の荒くれ者の西の業火の男神に相対する。その常の貴なる外面とは全く異なる内側を、初めてまともに目にしたであろう彼の男神は、ぽかんと呆けた顔をして、薄紅の帯をすっかりと狂気の抜けた様子で嬉しげにはためかせている目の前の神を見ていた。


『あ! パイセンだ! ウェイのパイセンチーッス! てかまた出たなこのヒト、なんっか今日はよく会うなぁ。パイセン運でも高まってるのかな?』


 いや、やはり何時もの彼では絶対に無い。常よりも、こう、また数段遠慮が無い感じがある。

 大分打ち解けたと思っていたものの、さらにその先があったとは。ウェイの神はしみじみ感慨深く思った。


 それに、なんぞ"ぱいせん"とは。名の後に付くを見るに、敬称だろうか。実にゆかしき響きぞなる。

 面白き言葉の響きに、この神は興味深々となるのであった。


『……ん? そういえば、いつの間にお二方はここに? それに、何故私はこんなところで転がっているのでしょう?』


 はっとしたように首を振って言うその口調は、先のものより丁寧になっている。

 おお、これぞ。この感じぞ。正しくヤトノカミ、我が末弟なり。

 兄神は思わず前のめりになって、雲の地に座り込んだままの弟の黒い鱗に覆われた手を取った。


『おおヤトよ、とりあえずは無事でよかったぞ。だが、あー、其方。その様子であると、まさか今までのことを覚えてはおらぬのか?』


『今まで、ですか……? うーん、何か変な黒いのが現れたような……って、ちょっと待ってくださいウェイの方。その言われ方ですと、何か私が粗相をしたかのように見受けられるのですが、まさか……』


『うーむ、若干闇堕ちしていた感じよな。若干』


『は? 闇堕ち? 闇堕ちってまさか祟り神的な意味だったりしないだろうな……うっそだマジかよ!? 何やらかしたんだよ俺ぇ!?』


 ふむ、"まじ"とな。常の使い方ではあるまじ(・・)。かような使い方、実に斬新。

 ――ではない。そうではない。あやし。やはりまだあやしきことなるぞ。




 現在進行形で”やらかし”をしていることにどうやら気づいていない様子の末弟をどうするか決めあぐね、ウェイの神は、小声で隣で立ち呆けたままの業火の神に話しかけた。


『……西の。やはりこ奴、どう見てもおかしくなってしまっているぞ。少し強く叩きすぎたのではあるまいか?』


『……ああ、()もそう思う。……今一度叩いて見るか?』


『え? 何? 叩くって何? それにもう一度って? ……はっ! まさか、さっきの後頭部の尋常じゃない痛み、原因はホタチさんだったのか??』


 とたん、顔を嫌そうに歪める彼の顔の変化は、少し親しくなりさえすれば直ぐに見ることのできるものではある。

 が、その面の下で、かくのごとき反応をしていたとは。


 こんな時ではあるが、面白いもの好きのウェイの神の興味は、存分に掻き立てられていたのだった。

 その横で、業火の男神は戸惑いがちに尋ねる。


『あー、其方。その、前からそンな話し方であったか……?』


『? 話し方、とは……? 常と同じであると私は認識しておりますが、何か気に障ることを言ってしまったならば謝りましょう』


 そう言う末弟からは、直後、『は? 何言ってんだこのヒト』などと粗野な言葉が飛び出した。しかし、その表情は困惑のまま一切動かず、まるで取り繕うということをしない。

 西の男神はいつになく珍妙な表情をし、そしてウェイの神は、次第にこの状況を理解し始めていた。


 男神の言葉を引き継ぎ、彼は言う。


『あー、気に障るというか……その……ヤトよ。先ほど起こったことであるがな、其方はちょっと前までちぃとばかりおかしくなっていてな、それで西の男神が其方の頭を叩いて直そうとしたわけだ』


『なになになになに、こわいこわい。おかしくなったってなんぞ!? それに叩いて直そうとか、俺はいつの時代の古テレビかな??』


 そう”声”が聞こえた傍から『そう、でしたか……』、と曇り顔にまともな受け答えが返って来る。

 そうしてここまで来れば、聡い兄神は、この状況を完全に把握したのであった。


『……それでだヤトよ。非常に言いにくいことなのではあるがな、それでちぃとばかり失敗してしまったかもしれなくてだな』


『失敗!? 何? 失敗!?!? こわ、こわいよ……何が起きてるってんだよぉ……』


 この時、ヤトノカミは真剣たる真顔であった。

 その表情に全く釣り合わぬ焦りに満ちた反応に、最早ウェイの神は普通に状況を楽しみつつあった。どうにかこうにか神妙な顔を作り出し、まめ顔に言う。


『その、恐らくなのではあるがな、其方の内に秘めたる声がな……どうも、漏れ出ているようなのだ……』


『ちょっと何言ってるか分かんない』


 間髪入れずに奇妙な”声”――ヤトノカミの心の声がさく裂する。

 するとその横から、まるで燻る炭のごとく消沈した声が、するりと割り込んだのである。


『……今、”ちょっと何言ってるか分かんない”と其方が申したことが、この場の神々全員に聞こえているということだ……』


 顔を片手で覆った業火の男神が、どこか疲れたように言い放ったのだった。

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