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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・中
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誰ぞ真の彼

 この神、周りからはウェイの方と呼ばれるそのヒトは、突如として巻き起こった黒煙騒ぎの中心に、自らが弟と認める神がいることを見留めた。


 彼の麗しき機織りの君と相まみえてから、その実を知って萎びているうちに、いつのまにやら天上界の景色は元の秩序の有り様に戻り、また何やら末弟が騒動に巻き込まれているようである。ちょっと呆けているうちにこの動きよう。災禍が起きてより、時の流れが目まぐるしく感じてならない。




 周りの神々は、ざわざわと恐怖にどよめいている。口々に騒ぐは、この煙の何たるか。何処より来たるか。

 そしてその疑いは、ある者の名を個として吊り上げる。聞こえ来るそれは、己が末弟の名――


 近くでそれを口にした者の足を、騒動に乗じて思い切り踏みつけにしてやったウェイの神は、よく聞こえる耳を一帯にそば立てる。

 と、再び聞こえ来るその五音(・・・・)


 名の零された方へとギッと振り返れば、瞬間、ギャッと短き悲鳴が上がった。

 見れば、”常面”の一柱が、愚意のままに名を口にした不躾の神の背後に、何食わぬ顔で立ちている。

 それがふいとこちらに気づくと、彼は不躾の死角から、握りこぶしに親指を天に突き上げて見せる。


『……ウェーイ』


 ウェイの神もまた、同じ仕草でもってそれに応えた。すると両者は、にかっと同時に笑う。

 まっこと、頼りがいのある友である。いやはや、彼の神もまた、おもしろきあの神のことを大層気に入っていたということよ。




 さて、その丸い瞳をきょろと走らせ、ウェイの神は周囲をうかがった。

 この酷い臭いのけぶり――瘴気を間近で浴びた者は皆、その表皮を火傷を負ったように爛れさせていた。

 そして彼には、それと似た感覚に覚えがあった。稀に末弟が感情を昂らせた時に発する黒霧に触れた時、僅かに触れた箇所が焦げたようになることがあったのだ。




 ――で、あるからして、この神は此度の黒煙の発生源が末弟であるとは、微塵も思っていないのである。


 ウェイの神はひた、とその丸い目を目前の異質な黒い塊に据えた。

 ヒトビトが捌けたその空間に、2つの影が対峙していた。一つは己が末弟――ヤトノカミであり、もう片方は瞭然と異常を訴える黒い化け物である。


 ほれ見ろ。やはりあ奴ではあるまい。明らかに、黒い方が咎者であろうぞ。

 そうふふん、と得意げに腕を組んでみたものの、末弟の方も黒いことに気づいた彼の神は、怪しき方を”どろどろの方の黒いの”とすることにした。


 末弟は自分の瘴気を恥じているのだ。その恥を、外聞を取り繕うことに神経を使うあ奴が、こうして公におっ広げることなど、全くもってあり得ない話である。仮にその様なことがあろうものならば、今頃その頭飾りのひらひらが牡丹色に染まり切っているに違いない。今、あれのひらひらの色は、こうして公の表に立つときによく見せる、外面の色に染まっていることだろう。そうそう、滅多に見ないような綺麗な紅に染まって――


 ……紅?




 弟の飾りが普段見慣れた紫の色でなかったことに対し、兄神は目の玉を飛び出させんとばかりにひん剥いた。


 ……? ……?? 末弟の様子が、おかしい……??


 ウェイの神は、思わずその視線を飾りに釘付けにする。

 今、末弟の方からは、蛇が威嚇するかのごとく、シューシューと不気味な音が漏れ出てきていた。ちろちろと盛んに舌を出し入れし、淀んだ空気をじっとりと味わい、またその鼻腔に取り込んでいるようにも見える。


 隙無く化け物を伺うその姿勢は、蛇が鎌首を上げて、獲物の喉彦に食らいついてやろうとするそのものであり、付近には熱されたようなチリチリとした殺気が迸っている。また視線は飢えた獣のごとくギラついて、紅に色づくひらひらは、歓喜に染まる彼の内面を雄弁に語っていた。


 ――まるで内を抑えきれていないのである。




 これは異常事態であった。

 ウェイの神は思わずあたふたと”常面”共と顔を突き合わせた。


 ――あやし。皆々もそう思うであろう?

 ――しかり~。まっことあやし~。神かけてあやし~~。

 ――さりさり。あれはあやし。いみじゅう(わろ)しかるぞや??


 全員の意見が”異常(あやし)”であると決定したところで、彼らは今も殺気立ちている黒い神の方を見遣った。――やはり、あやしきこと限りなし。


 気になって(ゆかしがりて)見ていると、なんと、末弟がわき目もふらず、真の蛇のごとく黒いどろどろに飛び掛かって行くではないか。そこには常の刃を扱う優美さのかけらもない。ただ、修羅のごとき荒々しさのみがあった。

 これには”常面”共々、思わず低いウェイの句が落つる。



 ウェイの神は呆然とその光景を眺めながら、過去を思い馳せた。

 あれの内面はまっことをかしき限りであったが、その外面を取り繕うのが非常に(いみじう)上手かった。

 がしかし、気を許した者には、その愉快な内側を見せてくれるようにもなるのだが、多くがいる前でさらけ出すことはそうそう無いはずであった。――そう、常ならば(・・・・)



 やはり、此度の災禍にて、少々異質な嫌いのある末弟といえども、何かしらの影響を受けていたのだろうか。


 ウェイの神は、黒いどろどろの方を見遣った。

 ぼたぼたと、有害な瘴気をまき散らすソレの正体は、真性の祟り神である。本来の祟り神のあるべき姿こそが、あちらなのであった。


 ソレは、ただ存在を保つことも出来ずにその体を崩れさせ、天上界の清らなる空気に身を焼かれて、理解を拒む不気味な”声”で喚いている。


 対する末弟の方は、不気味なシューシューという威嚇音を発しながら、常の無駄なく美しい太刀筋ではなく、力任せに振られる刃で、どろどろの表面を打ち払っては撫で削いで行く。


 粘こいどろどろがぱっと飛び散り、宙を汚く汚した。

 彼は片手を一振りすることで、ソレを操り一点に集める。そして、一塊になったモノを、大きく口を開いてぱくりと喰ってしまった。


 白く鋭い牙が陽光に鈍く光り、蛇腹の喉が嚥下する。ぺろりと口元を二股に割れた下で拭う様は、妙になまめかしいものがある。

 にぃ、顔を歪ませて哂えば、ぞぞと妖しの気が漏れ出る。それは、おおよそ天上界にはそぐわぬ有り様。物の怪の様である。




 襲い掛かる黒い神に対し、黒いどろどろは神経の翻るような悲鳴を上げて防御する。黒い神が刺せども刺せども、どろどろは直ぐにボコボコと表面を沸騰させて体を修復すると、その嵩を元に戻してゆく。


 二つの影が荒々しくぶつかり合う。まるで獣のごとき様だ。

 今や、黒い神は剣をふるうことも忘れ、シャーシャーと張り詰めた音を発しながら、どろどろへと直に喰らいつきに行っていた。

 その容姿は、次第に本性である蛇のものへと近づいて行く。肌を覆う鱗の範囲が広がり、口はかっと喉元まで裂けて、自身の牙でもって、相手の喉彦へと飛び掛かるのだ。




 ――これでは、化け物同士の戦いではあるまいか。


 絶句だ。言葉も出ない。

 ウェイの神は、どうすることも出来ずに、ただその場に立ちていた。いや、この神だけではない。周りに在る八百万の神々は上から下まで、この目の前で繰り広げられるおぞましき惨状を見ているのみ。


 動かないのではない。動けないのである。

 皆、この野蛮で醜くい戦いに目をくぎ付けにされていた。堕ちた神の発する、狂気じみた異様な気迫の前において、完全に気圧されてしまっていた。祟り神という異常なモノの荒ぶる様に、心底恐怖を感じていた。




 と、幾度目かのぶつかり合いの後、片方の影がウェイの神のいる方へと吹っ飛ばされて来た。

 濛々と立ち込める、雲の地より舞い上がる金粉が晴れて見れば、そこに蠢いていたのは、見知った黒い神の方であった。


 間近で見る彼は、つい先にみた時とはまるで違う有様と成っていた。

 獲物を見据える三つの蛇の目を爛々と光らせ、聞く者を恐怖に陥れる威嚇音を発し、帯の髭をはたはたと波打たせて、異様な雰囲気に包まれている。


 飛ばされたことに対する苛立ちか、飾り帯にしゅるりと赤の光が走った。

 すると、その全身からどろりとした黒煙が溢れ出て来た。――対峙する化け物(どろどろ)と、全く同じソレを。






 ――ふと、ウェイの神の脳裏に、青い光がちらと走った。寂しげなる竜胆の青。深い悲しみの色。


 そういえば、前にもこのようなことがあった。ふわりふわりと記憶が浮かぶ。

 瘴気を放った彼の自虐するような痛々しい笑み、そしてその周りを縁取っていた悲しき青。


 己に問う。

 果たして、今の彼が何であるのかと。

 今の彼は、己の弟なのかと。

 今の彼は、彼であるかと。

 

 己に問う。

 真の彼は、誰だ。

 真の末弟は、誰なのだ。

 真のヤトノカミとは、誰であるか。

 

 ――ともかく、今のあれが、己の知る”をかしき奴”ではないことは確かである。




 ぶるりと顔を振ったウェイの神は、ぱんと頬を叩いて己を奮い立たせた。


 少々おいたの過ぎる弟を懲らしめるのは、兄の役目。

 そして弟が苦しんでいる時に寄り添うのもまた、兄の役目である。


 今にも再び獲物に飛び掛かって行かんとするその背に向かって、彼は一歩前に歩み出し、大きく”声”を張り上げようと神威を高め、そして――




『待てやオラ! ヤトノカミ、引っ張られンな! 貴様は何たる神ぞ!!』


 真横からの唐突などら声に、ひっくり返って尻で餅をつきて転げた。




 びりびりと空気が震え、黒い神の動きがぴた、と止まった。

 警戒を表に滲ませ、獣のごとく、注意深くこちらを伺う。


 一方、せっかくの心立ちに水を差されたウェイの神は、爆つく己の核を鎮まらせようと抑えつつ、じっとりとした目線を其方へ送り――そして刮目した。


 目に飛び込んできたのは、五寸釘を幾百も生やした太い丸太を担ぎ、燃えるようなざんばら髪を背に下ろし仁王立ちする巨漢である。背後に配下十数柱を連れた、力ある主の風格。


 それは、木の葉の御髪の女神が鎮守する森の、その西を治める業火の神。

 かつて、茄子のごときみづらを額にそそり立たせていた、彼の男神が座わしたのであった。

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