二度目のエマージェンシーコール
第二章後半です。
それはカエル形態になったアニウエをテキトーに池の中に放流して、お偉いさま方の屋敷をすり抜けては戯れにポルターガイストを引き起こして遊んでいたある日のことだった。突然、何やら焦ったような感情がテレパシーで送り込まれてきたのである。このビービーけたたましく脳内で鳴り響く尋常でない感じ、エマージェンシーコールで間違いない。
発信地の座標はこの都からは大分離れたところだったが、この位置は……故郷の村からそうも離れていない地域で眷属にした、妖怪の首領からだろうか。
『でーもさぁー……』
『ドウシタ、ヤトノカミ。ソンナ丸メタチリ紙ノヨウナ顔ヲシテ』
小首をかしげて考えこんでいれば、今まで一緒に屋敷の主の寝室で小物をサイコキネシスの要領で飛び回らせて遊んでいた付喪神のひとりが、不思議そうに問いかけて来た。付喪神は作られてから年月の経った物に宿った思念体みたいな存在なのだが、ある程度ならば本体から離れて、幽霊モードとして活動することが出来るのである。
これは余談だが、大陸からやって来たという剣の付喪神である彼は、今日この部屋の主の尻に敷かれた恨みから、わざわざ水たまりに落ちて腐りかけていた松ぼっくりをセレクトした挙句、外に落ちていたそれを、執拗に男の頭に当てて抗議を示していた。割とえげつない攻撃である。
そんな彼らにちょっとね、と断ってまで考え込んだのには理由があった。
だって正直、デジャブを感じざるを得ないんだもの。
いやだってだよ。前に唐突に送ってこられたエマージェンシーコールに驚いて、発信源の村まですっ飛んで行ったら、ただの祭りのお知らせだっていうじゃない。ギャグマンガよろしく、”ズコーッ!”の効果音を添えて、盛大にズッコケたくなったよ。
そんなことがあったもんだから、今回もなんとなーく疑ってしまうのもしょうがないことだと思う。
けど、一応コールを寄こしてきた発信者が違うしなぁ……流石にあんな使い方するヒトはそうそういないだろうし……ウーン、やっぱり何かあったのかもしれない。行くだけ行ってみるか。
「行くだけならば直ぐに行けるんだし、何もなかったらならそれで良し」ということで自分の中に踏ん切りをつけ、今まで一緒に遊んでいた付喪神の皆様と別れを告げて天上界にテレポートした。
そして神域経由で、天上界から緊急エマージェンシーコールのあった位置を目掛けて跳べば、降り立った先は黒々とした木々立ち並ぶ、海の近い東の地の山の麓であった。
不気味に薄暗い森の広がるその場所は、ひやりと背筋の凍るような冷たい風の吹く妖怪たちの住処である。しかし、いつもはただ静けさの広がっているそこには、今日はビリビリとした殺気のようなものが、加えて立ち込められていた。何やらいざこざの繰り広げられている最中である。
おっ修羅場か? 修羅場だなコレは。
目の前では、双角の生えた蛇の集団と武装した人間の集団とが、バチバチににらみ合って硬直していた。
この角蛇の集団はもともとここらに住んでいた蛇の妖怪で、俺とフュージョンした蛇さんと同じ種族なのらしかった。というのも、神使契約のオプションに関係なく、もともと二本の角が頭から生えていたのである。
なんで人間とこの角蛇軍団がメンチ切り合ってるのかは知らないがしっかし、俺こそはこの修羅場のKY野郎。なんてったってこの騒動には全く関係のない完全な部外者である。眷属だけにしか姿が見えないのをいいことにして、幽霊モードで堂々火花散るにらみ合いの境界線を突っ切り、真っすぐここに呼び出した張本人の元へと向かって飛んで行った。
『久しぶり~、どったのこの状況。超修羅場じゃん』
ハーイ、と片手を上げてあいさつした先に居たのは、角蛇軍団の大将たる隻角の大蛇、ジャジャマルである。ざっと全長十メートルは下らない全長に、鎌首をもたげたその高さでも人の身長を超すような巨体が、敵陣を鋭く睨め付けている様子は、前だったらビビり倒して全力で逃走していたであろう程には迫力がある。真っ赤に染まった巨大な角を見れば、一目でブチギレているのが分かった。
ちなみに、村の外だというのに素の態度全開で絡みに行ったわけとしては、祟り神生活も始まって数十年経った今、もう俺を叱り飛ばすパッパもいなくなったもんだから、村の外でも基本自然体でいるようになったのだ。堅苦しいのはやっぱり疲れるもんね。
最近では、王子モードは神様稼業やってるときくらいしか発動してない。天上界で瘴気回収業の、よろず掃除屋を営業してる時とかさ。
流石にお仕事してる時くらいは俺もケジメつけてるよ。天津神の皆様にフランクにからめるほど俺の肝は据わってないんだ。それに神様稼業って、威厳で結果に左右するところあるし。
それはそうとして、幽霊モードそのままに”声”を掛けたリーダーたるジャジャマルは、俺だけに向かって”声”を飛ばし応答してきた。眷属契約によって結ばれた縁回線を使えば、指定した相手のみと念話することが可能になるのである。
『ああっ我が主よ! 大変なのでございます!』
返す”声色”は焦りに満ち満ちていたが、応対する表面上ではそうと悟らせず、全く動じないで変わらず人間たちを睨めつけ続けていた。腹芸マスターだなこいつ。
だがしかしこのリーダー、かつて自分の限界を知ろうとして、地面を掘り進んで海まで出ようとした挙句に片方の角をへし折ったドアホでもある。何かすごい過去があって片角を失ったのかと思って聞けばコレだよ。
何故にそんなことをしたし。住処からから海までさほど離れていないとはいえ、地下を進もうとしたらどんだけ労力かかると思ってんだ。
恥ずかし気に身をくねらせながら話すジャジャマルに向かってツッコミを放ったのは記憶に新しい。蛇はモグラじゃないんだ、そりゃあ角も折れるだろうよ。
結局、その角は神使い契約をしても中ほどで折れたまま復活することは無く、その代わり残ったもう片方の角がビッグに育って戦国武将の兜の飾りのように成長していた。
そんな残念な性格であるリーダー君ではあるが、この地域の妖怪としてはかなりの強さを誇っていたはずだ。そんな存在が群れの全員を率いて総攻撃を仕掛けてるってのに、エマジェンシーコールが飛んで来たってことはつまり、この状況が劣勢だってことだよね。
ジャジャマル自体も血まみれだし。ってアレ、なんかよく見たらお前重傷じゃね? 大丈夫か……?
時刻は逢魔が時。太陽も沈み、東の地からの残り火だけでは薄暗く、角蛇達の鱗の色が暗いのもあって怪我の状態がよく分っていなかったのである。しかし、一度気づいてしまえば、闇を見通せるこの目ははっきりとその惨状を捉えることが出来た。
そうして見て見れば、地にも多くの蛇達の亡骸が転がっていることに気づく。木々に力なく引っかかって重力にひかれるままに脱力しているもの、首を切り落とされて完全に絶命しているもの、未だ虫の息で体を痙攣させているもの……。
朝と夜の境界線にて、くるりと瞳の感度が切り替わった。
ジャジャマルをここまで追い込んだという気になる対戦相手は、ガチガチに武装した人間の集団だった。
先頭に立つ矛を持った奴が向こうさんのリーダーかな? ムッキムキの肉体をお持ちで、なかなか強そうな感じだ。
ジャジャマルは体勢そのままに、”声”だけで泣き付いてきた。
『聞いてくだされ我が主ぃ! 我らの住みかがニンゲンめに奪われてしもうたのですぁ!』
『あ、そういえば確かに、お前ら湿原に住んでたよね』
降り立ったこの戦場は、元々の蛇達の住処だった葦がボーボーに生えた湿原とは少し離れた位置にある。彼らの本来の住処は、この山から下りてちょっと行ったところに広がっているのだ。
聞けば、ある日湿原の近くにある村の人間たちが、許可なく葦原を切り開いて田を作り出したらしい。ナワバリを勝手に侵されて腹の立った角蛇達は、揃ってちょっとした呪を飛ばすなどして妨害していたら、今日突然武装した集団がカチコミにやって来て、そのまま眷族諸共ここまで追いやられてきてしまったのだとか。
ほぉーん、領地巡っての全面対決だったってわけね。それにしてもこれは完全に人間側が悪いような気がするよね。だって、話聞く限り、角蛇達はやられたからやり返してるだけじゃん。正当防衛の範疇に収まるはずだ。
『今日の争いにて、幾匹も首を切り裂かれ、頭を突かれて殺されてしもうたのです。我も我が眷属を守るため、あらん限りの力を用いて戦いましたが、向こうの頭領の技量には敵わず……』
『ジャジャマル……』
『突然の奇襲攻撃に、我ら一同訳も分からないままに。あな、憎らしやニンゲン!!』
ジャジャマルは傷だらけの血に濡れた体を起こして、憎々し気に人間の集団を凝視していた。鱗は所々剥げて、切り傷に全身を覆われたまま。その周囲には、自分で流した血が溜まりつつあった。
その有様ははた目から見ても痛々しく、正直見ていられない。倒れていないのが不思議な有様である。
……お前、頑張ったんだなぁ。
そりゃあ怒るのも仕方ないよね。これは「憎しみの心を忘れよ……」、とか茶化せる段階じゃない。というか、それは祟り神である俺には何時だろうが言えたセリフじゃないけども!
ちら、と人間の方を見て見れば、おっさんの集団は追い詰められた角蛇達を見やってニタニタと笑っていた。何だか嫌な感じだ。
元人間の身としては多少色眼鏡で見てしまうところはあるが、ジャジャマルの話が本当ならばこれは言い逃れできない。
全く、向こうさんは一体どんな神経してらっしゃるのかしらねぇ。ちょっと常識疑いますわよねぇ。妖怪だったら何してもいいとか思ってるんじゃないですかねぇ、いやそうだろうな多分。ソースは過去の俺!
あの時は、山に住む妖怪たちにはごめんだったよね! でも当時は奴らのこと”安眠妨害糞野郎共”くらいにしか考えてなかったからさ……いや、ごめんて。
いやでもあの時はあっちからも襲ってこられたワケだし、つーか命狙われてたわけだし……ん? あれに関しては俺、全面的に悪くないのでは? 正当防衛じゃんよっしゃオレワルクナーイ!
『で、お前は俺に助けを求めて連絡遣してきた、ってことでいいんだな?』
『そうでございますぅ! お願いします。お助け下され、ヤトノカミ様!!』
『よーし、任せとけ。その願い叶えてやろうぞ』
余計な雑念から首を振ることで気持ちを切り替え、ジャジャマルに最終確認を取れば、即座に肯定された。それならば俺も覚悟を決めよう。たった今からは、神様営業の開幕だ。――と、その前に。
『よくここまで堪えたな、ジャジャマル』
『……ッはい!』
振り返り、その頭を撫でて今までの奮闘を労ってやれば、表情の乏しいはずの蛇の面が、安心したように笑みの形に緩められたように思えた。そうして頭領たる大蛇は、ふっと力を抜いたかと思えば、どさりと地に崩れ落ちた。