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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第一章 成り代わり編
31/116

とある下手人の・前編

前回エピソード一本出して第二章に入るとか言ったうつけ者は誰ですか。作者です。


ヒィすみません……書いていたら、思ったよりも文字数が膨れ上がって前編と後編に分かれることとなってしまいました。

 その男は一の皇子の側人である。




 と言っても、生まれは村の外。とある国の貧しい村の一下民であった。

 そが国の使節団の中にこっそりと紛れ込み、男は連合国の元締めである王のあられる、こが村にやってきた。そして上手いこと居館に取り入ると、そのまま居座るようになった。


 男の誰にでも人当たりの良い外面は、その腹の中身がどうであれ、人々を信用させ好かれることとなった。他の者に濡れ衣を着せ排斥しようが、彼の作られた人となりを信じ切った周りが、その所業を疑うことはない。

 男はその器量と手腕で、時には他人を蹴落としつつのし上がり、ついには一の皇子の側人にまで至ったのである。


 男には野望があった。

 もともと貧しい出で立ちであったから、裕福に暮らすことを夢見ていた。もう、あのひもじく苦しい日々は御免だった。寒々しい雪の降りしきる曇天の下の闇の中、全てを奪われたあの冬より、無くすものものもなし。


 下々の民から税を取り、己でそれをせしめる立場になりたかった。何もない自分たちから何もかもを奪い取ったお上の住まうところの、さぞかし居心地の良いことであろう。

 それに加え、あわよくば太った馬鹿な王族共が、取るに足らない小汚い下民の己の命に動かざるを得ない状況を作り上げることが出来たならば。


 ―――嗚呼ァ、実に愉快だ。


 それには揺るがなき足場となり、かつ隠れ蓑となる存在が入用であった。

 男は一の皇子と多くの時間を過ごした。何も知らない愚直な子供に、男の存在を擦り込んでゆくのは彼にとって容易いこと。

 時に優しく、時に辛く。飴と鞭を使い分け、褒美の甘い飴の中には少しずつ毒を仕込む。この高貴なお子様にとって男を絶対的なものとするように、それなしでは居られぬように仕込んでゆく。

 気づかれぬよう、悟られぬよう。ゆっくり、ゆっくりと操り糸を絡めて。気づかぬ合間に雁字搦め。こうなっては逃げ出せまい。否、逃げ出そうとする思考さえも、もう。


 そうして出来上がった傀儡に、男は満足した。




 そんな男にとり、疎ましき存在がいた。その方こそ、生まれた順序では後ろの席に座するものの、良くも悪くも数多の目を引く一の皇子の弟である。天真爛漫な性格を宿す、列記とした王族が一人。


 その皇子は稀代の奇人変人と名が高かったが、それ以上に大きな功績を作り、人望を得ることに長けた天才でもあった。巷では神童だの、神の化身だのと根も葉もないうわさを広める愚かな使用人共もおり、男は大変頭を悩ませていた。

 ただの大うつけの阿呆ととるか、その振る舞いの向こうにこそ真の顔を隠し持っているのか。その皇子の存在にも、烏合の衆の頓馬加減にも男は辟易していた。


 その皇子は、一の皇子が王となるにはこれ以上にない邪魔だてとなるだろう。

 ひいては己が国を動かすのに、不都合極まりない。


 その皇子は、自分は王の座は欲しくないと各所で言い触れ回っているようであったが、それも彼の人の作戦の内であろうと男は思っていた。こちらを油断させたところを、足元を抄おうと虎視眈々と狙っているに違いない。


 男には、その皇子の剣術の稽古を一の皇子について見る機会が多々あった。その度ごとに暴かれる阿呆の仮面。凍てつく冬のごとき覇気を纏うあの姿を、男は一度として忘れることはなかった。普段のへらりと(たわ)んだ面影はどこにもなく、ただただ高貴なる者としてその人はそこに在った。あれこそ、あの皇子の本性に違いあるまい。


 網膜に焼き付いた、真剣の切っ先そのものなる眼差しを思い出しては、それが自分に向けられたものではないことを知りながらも、背筋に走る悪寒を拭いきることはついぞできなかったのである。


 得体の知れぬ、気持ちの悪い人。


 男には、王の座が目の前にあるというのに、それを取らぬ選択肢をとることの理解が出来なかった。奇怪な皇子の動きを作戦と捉えるのは、至極当然のことであった。 


 あな、憎らし、憎らしや。

 どこまでも鼻に付くような行動ばかりをや。






 時は流れ、一の皇子は無事に王座に就いた。

 傀儡となった現王には操り人が不可欠。政策のなにもかもを相談の体を取り、逐一側人の己に伺いを立ててくる。最終決定権は己にこそあり。


 もたらされる美しい財宝、富の数々。膝まづく人々。他の王族らも、現王の命には従わざるを得ず。疎ましき例の皇子は遠く戦地へ追いやり、かつてこの座に君臨した先王をもや。

 椀に溢れんばかりにうず高く盛り付けられた米は、毎日欠かさず食事の中に鎮座する。温かい寝床。かつてはなかったもの。なんと裕福な暮らし。


 しかし、一見全てを手中に収めたはずの男が、安堵することはなかった。


 忌まわしきは、戦地に追いやったはずの皇子である。

 厭わしき彼の人は、成長するにつれその人望を更に高めていった。男は知っている。この館に住まうものだけにあらず、数多の村、連合国の隅々に至るまで、あの皇子と接点のあった者は全て彼の人に取り込まれてゆくことを。


 戦場にて命を散らすことを期待し、遠く追いやっては数多の戦功を打ち立て目覚ましき活躍をとげる化け物。

 その存在が、恐ろしくてならなかった。


 逆に、現王には人望のかけらもなかった。

 それもそうであろう。操り人である男は、一下民の出。政が何たるかなど分かる由もない。ただかつて己がされたように税と称してか弱き人民の蓄えを徴収し、さらなる富を得るために隣国に戦を仕掛け、巻き起こる暴動は叩き潰してもみ消す以外に消火の術を持たぬ。


 何時、この暴君の首が取られてもおかしくはなかった。


 男は怯えた。一度富を味わった己には、最早元の暮らしに戻ることなど不可能であった。そればかりか、自らの作り上げた暴虐の王と共に打倒されることをも。

 そしてついに、その恐怖から居ても立っても居られなくなった。




 ―――あの皇子、弑せん(殺そう)


 赤瓢箪の宴の折に小耳に囁けば、でっぷりと太った腹をさすって現王は愉しそうに笑う。愚直にも優しきかつての若人(わこうど)の面影は既に無い。

 現王は激しく例の皇子を目の敵にしていた。王の座を奪わんとする愚かしき我が弟。傀儡の王は、それを自らの根底より自然に湧き出した感情であると疑うことはない。


 乾いた木くずに火花を振りかければ、それは自然と全てを呑み込む炎となる。轟々と燃ゆる炎に全てを焼き尽くされ、初めの火種は跡形も残らない。


 げに、恐ろしきは―――






 実に愉快。これでようやく目の上のたん瘤がなくなるというものよ。

 男は始終機嫌がよかった。現王の機嫌取りをする傍ら、その口元を歪に吊り上げる。


 まんまと戦帰りの彼の人を夜の森へと誘い込み、その心の臓に己が剣を突き立てた。完全に葬ったのである。もう二度と目の前をちらつくことも無い。

 他の者には、夜のモノノ森での兄弟の宴の最中、突如現れた怪異に襲われ彼の皇子は現王を守り、儚くも散ったとでも報告すればよかろう。


 おまけに、毒でも死ななかった奴は真に妖の類であったに違いない。ならばこれは武功であり、罪ともならないのだ。王族の中に巣食う、悪しき化け物を退治した英雄ともとれるであろう。

 共にあった向こうの側人も、毒にてこと切れたはず。死者に口無し。

 真実は闇の中に葬られた―――そのはずであった。




 だというのに、これは一体どうしたことなのだ。

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