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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第一章 成り代わり編
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激おこぷんぷん丸

 初めに回復したのは聴覚だった。だんだんとノイズが処理できるようになってくる。

 続いて緩やかに全身の感覚が戻ってきた。体表をビリビリと電流が走っているみたいだ。痛い。体中を巡り巡る、のたくるひりつき。

 ぼんやりと視界も戻り始めて、霞みがかっていたそれが白黒の輪郭を持ち始め、次第に色を取り戻してゆく。


 もしかしたら、頭が吹っ飛ばされていたのかもしれないなぁ。

 イマイチはっきりしない意識の中で首をもたげれば、頚椎(けいつい)に痛みが走り顔が歪む。その時の引き攣った頬肉の感覚に、今まで嚙み合わされた歯が外気にむき出しになっていたことを悟る。筋繊維が粘着質な音を立てて再生してゆく。新しく頭部が形作られ、新たに作られた肉に覆われてゆく気持ちの悪い感覚を味わう。

 やがては眼球も完全に修復され、クリアになった視界にて辺りを窺い見たその光景に、全ての言葉を失った。




 何も、ないのだ。見渡す限り、何も。


 罠を仕掛けて走り回った山も、おいしい木の実の取れるずうっと奥まで続いていた森も、深い底に流れる川に小石を投げ入れ遊んだあの谷も、すべて、すべて―――




 まっさらだった。






 喉が痙攣して、空気の塊を勝手に飲み下した。


 遠く、奴の気配を感じる。見えなくとも分かる。こちらを見ている。その鋭い眼光で見ている、見られている! ぎょろりとあの目が、目が目が、じっと。あぁ、こちらを―――




 体が震え始めた。ぶるぶると見てわかるほどに、哀れにも震えているだろう。ひらりと再生して伸びゆく触手は、光を失い色は無く、震える体を腕の代わりに抱いて抑えようと試みる。

 だって、そうでもしないと崩れ落ちてしまいそうだったから。ああ、でもだめだ。もう、抑えきれそうにないよ。だって、だって―――


 完全に修復しきった触手が、根元から鮮やかな色で満たされてゆく。


 だって、そうでもしないと―――




 先の先まで、真紅に満たされた。






 相対する蛇の形をした化け物が、おどろおどろしい咆哮を上げた。

 それは何重にも重なった不協和音。耳をつんざく金切り声。地を震わす重低音。背筋も凍るさざめき。


 入り乱れる不快な音に、スサノオは思わずといった体で耳をふさいだ。

 轟々と体を突き抜け吹き荒び行く、瘴気交じの波動に悪酔いし、腹の底から吐き気が込み上げる。


 化け物より送られる思念波は、”怒り”ただ一色に染め上げられていて。

 その豹変ぶりは、今までの態度とは打って変わったもの。理性を失い、本能のままにどろりとした瘴気を容赦なく散らしては、世界を死の世界へと作り変えてゆく。


 ―――ソレは正に、祟り神。


 そのあまりの怨嗟より、彼の神は思わず口元に歯をむき出し、笑みの形に歪めた。






 三つの目玉の焦点は、ただ一点に集まり睨めつける。視線は片時も逸らさない。あちらの闘気は相も変わらずすさまじいもので。

 正直怖くてたまらない。それでも震える心を叱咤して、見つめれば見つめるほどに怒りが湧いてくるのだ。


 こんのジジイイイ!! 何してくれとんだオドレァ!! ホントにやりやがったなゴルアアァア!! 村の皆のいる方に向かってぶっ放すとか、何考えとんじゃボケエエェエ!! どちらがラスボスか分かったもんじゃねぇな!! このぉ……バカヤローコノヤロー!!




 ―――あっ。


 ……まってまって、やっちゃった。思わずブチ切れてしもうた。

 慌てて辺りの様子を見渡せば、スサノオの一撃に更地になった一帯が、さらにグズグズに融けて真っ黒な焦土と化していた。


 嫌な予感に、触手の赤がサッと色を失ってゆく。ぐるぐると色が入り乱れて、それにつられて気持ちの方ももっと焦りだす。

 ねえまって、腹の下にも瘴気が出ちゃってたらどうしよう。せっかく向こうの攻撃を防ぎ切ったってんのに、俺が皆をどろどろに融かしちゃってたらどうしよう。


 恐る恐るとぐろの中を覗き込めば、予想に反し、村は丸ごとキレイな状態で残っていた。

 ……あれ、守りきれた、のか……? なんだかよく分かんないけど、怒り状態でもスキルコントロールが出来るようになったってことなのか? この土壇場で……?

 

 訳が分からなくて、思考が停止しかけていたその時である。低い”声”が響いた。


『……おい、蛇よ』


 即座、警戒を最大レベルまで引き上げる。朱色に発光した触手を横ばいに広げて威嚇、警戒音付きで奴を全力で睨みつけた。だって威勢這ってないと今にもちびっちゃいそうだもんね! 


『……何だ』


『貴様、何時生まれた?』


 ハァン? 何故今それを聞く?

 それに、今世のマイバースデーは、皆一斉に一年の初めに年を取る、数え年方式だから分かんないよ? それとも年齢の話か? その場合、前世を足した分と、紺瀬からの分、祟り神歴と三パターンあるわけだけど。


『……それを聞いて如何(いかん)とする』


 必殺、質問返し! 質問内容が分からないときには、質問で返して誤魔化してみよう!

 するとスサノオは、その手に握る剣を下ろしたままに、こちらに向かって凄まじい勢いで跳んで来た。咄嗟に触手を構えるも、山の形を描いて跳んだスサノオは、朱色のそれの上に降り立った。


 ひぇ、もう少しで跳ね除けるところだったわ。だってなんかノミみたいだったんだもん……

 もしそんなことしようもんなら、殺されそうだったもんだから寸でのところで抑えたけど。ヒィ、でもちょっとさぶいぼ立った。




 この位置ならば、このヒトの顔もよく見える。相変わらずの強面だ。でも眼球の前へはもっていかない。それをやってちょっと前に眼球刺されたばっかだもん。二度も。

 このヒトにやられた場合、その時点で頭消し飛ぶでしょ。コワー!


『この辺りが荒らされ始めたのは、つい数刻ほど前の話なのだ……そして貴様は祟り神と名乗ったな。だがこのように対話のできる祟り神は、常ならば、人に祀り上げられておるモノより他は未だ見たことなし。しかし、もし先の騒動の折に生まれし神ならば、この短時間で儀式を執り行えるわけも無いのである。

 よって、貴様はいつ祟り神と成り、そしていかなる理由をしてかように暴れ始めたのだ?』


 おお、出会って初めてまともにこのヒトの落ち着いてしゃべってるところを見たかも。今まで超一方的だったし。口上なんか論外だ。

 うーん? でも内容というか、疑問点は守り神様と似てるな。やっぱ俺って祟り神として、相当イレギュラーな存在なんだろうな。まぁホントは、この世界自体のイレギュラーなわけですけどもね。俺の魂は、この世界から見れば異世界産なワケですから。


『いいや、私が祟り神と成ったのはつい先刻のことで間違いない。しかし、森を壊したのは私の意図してのことではない。感情が高ぶるとどうも、勝手に瘴気が溢れ出てしまうようなのだ。だがもう大方、制御は出来るようになってきている。現に、今も瘴気は生み出されておらぬだろう』


 ”対話”を始めたということは、向こうの攻撃意欲が少し薄れているということなのだろうか。となると、ここで頑張れば無事に生き残れる可能性が高い。

 ……この一面まっさら状態で最早”無事”と呼べるのかは定かじゃないけどね。


 とにかく、会話は死ぬほど慎重にやらなきゃだ。またあんな攻撃食らったらたまったもんじゃない。


 俺の返答に対し、スサノオは何も返さず腕組みをしたまま、どこか虚空を見つめて黙っている。

 ねぇそれどこ見てんの? 焦点会ってないよコワイんですけど。やかましい人が急に黙るとめっちゃ怖いってのは本当の話だ。なんつーの、嵐の前の静けさ? このヒト本当に嵐を操れる神様だからシャレにならねぇぞ……


 相手の出方を注意深く伺っていれば、急にその体が高速バイブレーションを始めた。

 なになになになに怖いんですけど? ホントに台風召喚しようとしてます? やめてもらってもよろしいです??


 スサノオの乗っている触手の先端をなるべく遠くの方へ遠ざけようとすると、奴は勝手にぴょいとそこから飛び降りて地面に降り立った。そして何をするかと思えば、いきなり雷鳴のごとく笑いだしたのだ。


『ぶわっはっはっはっは! 貴様、面白いぞぉ!』


 え……何このヒト……急に笑い出したよ、一体どういうことなんだってばよ。


『おい貴様、ヒトガタをとれ! 面と向かって話がしたい!』


『……そんなことを言うて、ヒトガタをとりし瞬間に、私を消し飛ばせんと試みておるのではあるまいな……?』


『せぬわ、そんな卑怯な真似。もう戦うのは飽きた! いいから早ようとらぬか!』


 出会いがしら不意打ち首狙いは、卑怯の内に入らないのですかな……? とは思ったが言わない。

 俺は空気読める子。ここにはイエッサー! 以外の選択肢はないのだ。従わなくとも、どのみち消されるだけだろうしさ。


 渋々ヒトガタをとって村の囲いの外へ降り立った。まだ外の方が何か起きても守れる確率が高いからね。内に入られて自爆されたら、それまでなのだ。






 いつの間にか空は白み始めており、未だ太陽の姿を拝むのには程遠いものの、朝の気配が夜の闇の中にゆったりと現れ始めていた。


 距離を詰めてこちらにやって来たスサノオを改めて眺めれば、剣は既に帯刀されており、敵意のないことを示すように腕も組まれていた。本当にこれ以上戦う気はないのだろう。


 でもこちとら、怖いもんは怖いんだ。

 腕をだらりと力無く下げて、表面上は警戒を解いたように見せる。でも、さりげなく触手の片方は剣の柄に巻き付けてある。

 これくらいいいでしょうよ、あっちが何もしなかったら、コレを抜くことはないんだからさ。


 ひとつ、息を吐いて気を引き締める。すると、触手の色が紫に染め上がった。


『……それで、話とは何だ』


『貴様、我と共にタカマガハラに来い!』


『は?』




 ……は?

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