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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第三章 倭京編
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古いソラマメは足のニオイがするらしい

 最近、至るところで緑が旺盛に茂るようになった。

 肺を満たす水蒸気。湿度の高く生ぬるい外気に、何もしなくてもじっとりと汗ばんでくる。


 季節は夏。都の郊外に広がる田んぼでは、瑞々しい元気な若葉が、空に向かって精一杯背伸びをしている。輝く青い空に、若々しい青い草が鮮やかに良く映えていた。


 梅雨も空けたばかりで、まだ空気は少し湿っているが、日差しはぐんと強まった。長時間田んぼで仕事をしていると、少しくらくらとしてくるくらいには。




 稲についた虫をちまちまと捕る作業を終え、俺は畦道にただ一本生えている大きな樫の木の下で、おむすびを食べながらゆったりと休憩していた。

 同じ木陰には、複数人の男女も一緒に休んでいる。それぞれ汗をぬぐいぬぐい、空を眺めたり、握り飯を頬張ったり、おしゃべりをしたりと思い思いに過ごしていた。


 つい先まで近くにいた、小学生ほどの齢の子供たちは、村に住む他の子どもたちの元へと遊びに行ってしまっていた。子供は風の子、無限の体力の持ち主なのである。






 この都に連なる村へ来てから数年が経ったわけだが、俺を拾ってくれたあの家族との関係は、今でも良好であった。お隣さんということもあり、よく集まっては皆で協力して仕事をしている。そうして迫る米の納期に、ちゃんと提出分の米の量を耳をそろえて用意するのだ。


 ちょっと前に、村の人々が正規の単位をあまり理解していないのをいいことにして、この村担当の役人くんが若干多めに()を徴収していたことが判明したからな。


 奴らにとって米は富の象徴に見えるのだろうが、その生産者にとっちゃ、普通に毎日食っては消費する生命線である。それを村の人達の学が無いのをいいことにして、ぶんどっていたというのは頂けねぇ。適度に役人を祟りつつ、ヨソモンである俺が都の法律に則って質問攻めにしてやれば、分が悪いと悟ったらしい野郎はだんまりになったが……これからは俺がいる限り、ビタ一粒も誤差は出しまへんで。


 それはさておき、今日も今日とて皆で力を合わせて仕事をし、そして念願のもぐもぐタイムがやってきた。ぺこぺこのすきっ腹に、このお宅のご婦人たちの作ったおむすびを流し込めば、なんか”生きてる”って感じがするんだ。これぞ食欲、完全擬態の変化時にしか味わえぬだいご味! 農作業の後のちょっと濃いめの塩結びって、ほんっとサイコーだ!


 ちなみに、俺の分の米は、この家族といつのまにか共同貯金になっていただけで、俺は別に人のおまんまに寄生しているわけじゃあないのだ。




 と、米粒の甘みを頬一杯に味わっていると、藪に面するあぜ道の向こうから、甲高い子供の声が聞こえて来た。見れば、小さな人影が大きく手を頭上でブンブン振って、こっちを呼んでいる。


「おーい、ミコー! あっちに虹色のトカゲいたぞ! こっちこいよー!!」


「あ、こら、マタヒコ! また目を離した隙に……! 危ないから出てらっしゃい!」


「でもかあさま。トカゲ! トカゲいた! 早くこないと逃げちゃうよ!! ミコー!!」


「もう! ミコトさんは今、お休み中なの! 自分のとこもやって、こっちの田んぼまでやってくれちゃってるんだからね、きっと疲れてるよ! いっぱい休んでもらわないとねー!」


「ああ、大丈夫ですよ。俺、体力には自信ありますから。――待ってろマタヒコー! 今そっち行くからなー!」


 大声で俺を呼びつけようと叫ぶ我が子を、諌めようとするその母に断って、手に持ったままだったまだ半分もある齧りかけのおにぎりを、一気に口に詰め込みながら立ち上がった。






「――で、何の用かな、マタヒコさんや」


「遅い。もっと早く来ぬか」


「んなっ! だっておにぎり食べてたんだからしょうがないだろ?」


 藪を掻き分け子供のもとへとたどり着き、いざ声をかけてみれば、大変不遜なお小言が返ってきた。

 くるりと振り返えったふにふにとした子供のその丸い顔には、見た目に全く似つかわしくない仏頂面が乗っている。今年、数え年で5つを迎えた無垢な幼子には到底見えない眉間のしわの具合であった。


「幼子の振るまいを長く続けるのは苦痛だと、前々から言っておるだろう」


「それにしては完璧なおふるまいじゃないの。大変お可愛らしゅうございますよ、マタヒコ少年?」


 と、茶化したそれには返事をせず、子供――マタヒコは、すたこらさっさとどこかへ向かって歩きだした。


「あ! シカト? シカトいくない!!」


 その小さな背を追って着いて行けば、藪の中にずんずんと入ってい行く。日当たりのよい畦道とは違い、こちらは回りにぼちぼちと生える木々に光を遮られ、幾分か影が差している。

 

「あ、見てよマタヒコ。めっちゃでっかいアリがいる! お、アニウエこれ食べる?」


 人の目がなくなったことで、ひょっこりと俺の懐から顔をのぞかせた黒蛙に化けたアニウエに、でかいアリを指さして見せていると、マタヒコがため息交じりに声をかけて来た。


「おい、どうでもいいがこっちだ。早くしろ」


「んもう、5歳なんて虫さん大好きなオトシゴロでしょうが、こんなにでっかいアリなんだぞ! お前も、むかぁーしのの記憶でもまさぐってみろよ」


「生憎、私は前の身の5つより前の記憶など持ち合わせておらぬでな、何処かの万年精神五歳児と違って。おい、それよりこれを見ろ」


「俺は永遠の肉体セブンティーンだからして心もピチピチの……って、うおわ、これ妖怪さんか? こりゃまた重症だねぇ」


 マタヒコの指差す方を見れば、そこには地に倒れ伏す異形の姿があった。青い人型のガリ痩せボディに野郎の3本足。明らかに現世の生物ではないそれは、幽世に住まう妖怪が一匹である。が、しかし、その姿はすっかりと透き通っており、いまにも消えそうな儚さがあった。


「言ってる場合か。早くせぬと危ないのだろう。……まあ私はこれなる妖がどうなってもかまわんがな。お主が気になるというから今日も今日とて教えてやったのだ」


「ええ、ええ。まことにいつも助かっておりますよ、マタヒコ様。えー、アレはどこにしまっちゃったかなーっと」


 懐をごそごそとまさぐっていると、袖の方に転がって行ってしまっていたらしいそれを、アニウエが口に銜えて持ってきてくれたので、礼を言って受け取る。

 取り出したのは、手作りの兎を模して粘土で作った人形である。そのまま兎人形を青い体に添え、唱えるのはそう、あの呪文。


「よーし、いきます。ア、ソレ、ちちんぷいぷいのぷい」


 そのあっても無くても構わない掛け声と共に、兎人形の接触面から霊力を注ぎ込めば、謎の青ガリ妖怪は、ふんわりと金の光に包み込まれていった。


「おーい妖怪さーん、聞こえますかー? こちら救急隊員ですー! 聞こえますかー??」


「……ヴぅン」


 そのソラマメみたいな形をしたでっかい頭をぺちぺちと叩きながら声かけをすれば、青い妖怪は僅かに身じろぎをしうっすらと目を開けた。


「……ア……? おいらは……?」


「あ、よかった。気づいたみたいだね。この()、何本に見える?」


「……3本……?」


「オッケー、見え方に問題はないみたいだね。気分はどう?」


「悪くはないけど……アレェ……?」


 背中から妖術で生やしてみた幻の3本目の()を雲散させながら話しかければ、青い妖怪は不思議そうに首をひねりながら体のあちこちを触る。その透けていた体は、もうすっかりと実体を取り戻していた。

 そんな彼に、手に持っていた愛くるしい兎人形をそっと差し出した。


「……? これは? ……鳥……カ……? なにやら干からびて、死にかけてイルようだケド……」


「兎だよ!」


「う、兎!? も、モウシワケナイ……! す、すると、この頭に穴が空いているのは、獣に頭蓋をかみ砕かれた様を表現しているということナノカ……!」


「目と口だよ! 愛らしいだろうが!」


「愛ら、シい……?」


 何故か怯えた表情をしてこちらを見上げて来る青い妖怪に、このベリベリキュートな兎人形の魅力を伝えようとしたとき、すっとマタヒコにさえぎられた。


「はぁ……おい妖、この馬鹿のことは気にするな。兎人形(ソレ)にはこの馬鹿の霊力が豊富に含まれておるらしい。この現世にいる間は抵抗はあるだろうが、それに宿るなりなんなり……」


「……ん? オマエは……? って、ミギャァ!! なんだオマエ! いや、なンだ……ウワ、寄るな! おいら、喰ってモうまくナイ!!」


 そのマタヒコの声も遮って、妖怪は突然恐慌しだした。マタヒコの存在に気づくや否や、その瞳は恐怖に見開かれ涙を流し、がくがくと足を震わせて泣き叫びはじめた。ただでさえ存在が消えかかっているのもあって、その姿は酷くあわれな状態になってしまっている。




 何故この妖怪がこうも酷い状態になってしまったかというのには、見当がついていた。アレだ。(ヤトノカミ)の加護のせいである。マタヒコにそれはもう丁寧にべっちょりと塗りつけてある、最大級の妖怪除けの効果を持つ加護の効果は、定期的に妖怪と対面することで、こうして知ることができるのだ。


「ああ、その口を閉じろ。私はなにもせぬから騒いでも無駄だ。いいからとっとと兎人形(ソレ)に宿らんか! 夜を迎える前に消滅したくなければな!」

 

「ヒィッ! スル、スル――ッ!!」


 マタヒコに脅されて泣き叫ぶや否や、青い妖怪の体は、すいっと人形の内へと吸い込まれて行く。煙のような姿になった彼が、すっかりと10㎝ほどの大きさの器に収まり切り、コトリと一瞬揺れたかと思えば静かになった。

 と、その兎の手足がギギギと音を立てて動き出す。関節が動くたび粘土の欠片が散ったが、それもその内治まり、だんだんと動きが滑らかになっていく。


「は、ハイ、入った!! タスケテクレー!!」


「あーはいはいちょっとおちついて。ねえ、お前。体の具合はどうかな?」


「ウ、グスン。お、オマ? カラダ、カラダァ……?」


 青い妖怪は、丸い魚のような目いっぱいに涙をためて首を傾げた。


「あー……ねぇマタヒコさんや。ちょっとあっちの方に行っててくれないかな、ほらそこの木陰とか。ちょっとコイツ、怯え切っちゃってて話になんないよ」


「お主はいたいけな稚児を藪に頬り捨てて放置するのか。見下げ果てた非道だな」


「あーもう! その加護さえあれば、獣だろうが妖怪だろうが皆シッポ舞いて逃げるから大丈夫だっていっつもいってるでショ! 聞き分け良くしなさい!」


「……山鳥(やまどり)だ。あとで寄こせ」


「あーはいはい、鳥くらいいつでも撃ち落として差し上げますからお願い致しますよ」


「……香草をまぶし、すてぇきにせよ。目玉焼きも添えてな」


「なんでも致しますからもう許してください!」


「仕方のない」


 そこまで言えば、ようやく満足げに口角をあげたマタヒコは、木の幹の後ろに移動してくれた。最近、事あるごとに、奴はこうして俺に何らかの飯をつくらせることを約束させるのである。

 ちくしょう、あのグルメ幼児め! でもそういえば昔もこんなもんだったかもしれない。俺が故郷の村で料理革命を起こそうとしている時も、奴はいつも毒見係と称してどんぶりを差し出して来やがったものだった。

 ……うーむ、いつかロシアンルーレットでも仕掛けてやらねば気がすまんな。よしいつかやろうそうしよう。たっぷりと仕込んでやろうなァ、あれもこれも……ヒヒヒ。




 さて、そんなことを考えながらも青い妖怪の精神分析をしながら治療をしていると、彼も段々とまともに対応できるようになってきたのであった。


「――アア、ホントだ! 体から力が抜けていくのガ、すっかり治まっテルヨ!」


「それはよかった。全く、気を付けろよなー特にこの時期はさぁ。一年で一番日が長い時期なんだから、現世(こっち)に取り残されたら、まず助かんないよ?」


「ウゥ……反省。でも、助けてくれてありがとうヨ!」


「まーいいってことよ。お前、夜の内に現世に迷い込んで、朝になって帰り損ねちゃったんだろ? なんでこっち来ちゃったかは知らないけどさ。わざとにしろ偶然だったにしろ、これからは気をつけろよ」


「オウ!」


 ぴょんこぴょんこと見た目の姿のまま、兎のように跳ねる彼を微笑ましく思って笑っていれば、木陰のマタヒコが、なにやら腕をさすっているのに気づいた。

 夏とは言え、この辺りは日陰になっているからな、小さな体が冷えてもおかしくはない。もうそろそろここを離れようか。


 兎に宿った妖怪に向け、もういつものお決まりとなった、状況の説明をすることにした。


「さっきお前、ここでぶっ倒れてたんだけどさ、復活させるために俺の霊力を渡したんだよ。だけど、その時に”式神契約”として、俺とお前は今、その兎人形を媒介として仮契約させてもらっちゃってるんだ。

 あ、大丈夫。まだ仮契約だからすぐに解除できるよ。助命のための契約だから、堪忍してな。……ま、そんなわけで、夜になって向こうへ帰るのにゲート……異界門を越える時、その兎人形は自動的に破壊されるような術を仕込んでます。そうすると、勝手に契約が切れて、残りの霊力も抜けるようになってるからよろしくね。そんなに可愛らしい兎さんの体が消えるのは心が痛いだろうけどさ」


「かく故にて、その呪物の体は自然にこの世から消滅するから安心しろ。まあ、夜になるまではその体で耐え忍ぶ以外に道はないのだがな。あわれな。屈辱であろう。私は貴様の蠢く様を見て、肌が鳥の羽をむしりたるがごとくなった。これに懲りたら、もうこちらの世界に来るなよ、妖」


「ギャア! ワ、ワカッタ! ワカッタからこちらにクルナ! 姿を見せるナ!」


 木の後ろから湧いた声に、妖怪は再び怯え声に叫んだ。

 どっちもどっちのボロクソの言いようである。マタヒコの口撃対象は俺なわけだが。何故だ。


 悲しいことに、俺の作るマスコットたちは、この世界の大半の人には受け入れられないようなのである。芸術系の職人さん達みたいな一部の人には、絶大な人気を誇るんだがなァ……あれか。ちょっと時代が1000年以上早かったって感じなんだろうな。ごめんな、流行の最先端を駆け抜けちゃってて。

 ひとりしみじみと肯いていれば、おずおずと言ったように妖怪が言う。


「……ア、アノアノ、助けてもらってありがたいのは山々なんだがな? お、お、おいら、返せる礼なんて、ナンニモ持ってねぇぞ……?」


 どこか怯えるように数歩下がった彼に対し、またこのパターンかと内心天を仰ぎながらも、努めて優しい顔と声色を作るように心がける。


「いいんだよ、礼なんて。お前の返したいときに返してくれればいいさ」


「ほ、本当か……!?」


 妖怪は、驚いたように兎の節穴の目を見開いて言った。


「あ、ありがとヨ、エト……お二人さん! こんな見ず知らずのおいらヲ助けてくれて……えっト、せめて名前だけでも聞かせてくれヨ!」


 その言葉にひょっこりと木から顔をのぞかせたマタヒコと顔を見合わせれば(瞬間、妖怪は悲鳴を上げて俺の後ろに逃げ込んだ)奴の眉間のしわの深々と刻まれた様が目に入って、思わず吹き出してしまった。それをなんとか咳払いで収め、改めて妖怪の方へ改めて向き合って、現世で使っている名を名乗ることにした。


「んゲフンゲフン……俺、ミコト!」


「…………マタヒコだ……」


 暗い木陰にぼうと浮かび上がる白い子供の顔。そのあまりに5歳児の顔に張り付くには似合わない形相をなるべく視界に入れないよう、虚空を見つめながら頬の肉を噛んで耐えていると、妖怪は嬉しそうに返事をした。


「ミコト様に、ま、マタヒコ様、かぁ。……アノ、い、いつか絶対に恩は返しに行くからな! 本当にありがとうよ。じゃ、じゃあなあ」


 兎の器に身を宿した妖怪は、そういうなり身をひるがえして薄暗い藪の中へと入って行く。その小さな体はうっそうと茂る草木に阻まれて、すぐに視界からは消えてしまったのだった。

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