待ち構えて野良稼ぎ
「まちぼーけー、まちぼーけー、ある日せっせと野良かせぎィー……っと」
さくりさくりと田を耕す。鉄の刃先のついた木製の鍬を振り上げたなら、力を抜いて重力に従おう。さすれば鍬自身の重さで、刃先は深々と地に突き刺さるのだ。そら、さくり、さくりと。
力任せに鍬をふるっては腰を痛めてしまう。腕だけじゃなくて、膝をよく使って、全身の筋肉でもって田んぼと向き合うのだ。
「そこへ兎がとんで出てぇ、ころり転げた木の根っこ!」
「へーぇ、兎かぁ」
自然と口ずさんでいた遠い未来の歌――俺からしたら昔の歌なのだが――に反応したのは、隣で同じく鍬を握っていた、ガタイの良い農夫の青年だった。彼は、俺が今し方歌ったばかりの歌詞を口に含むと、おもしろそうに言った。
「やーやー、なんだか心わくわくな良い歌だねー。おれ、鍬、ブンブンふっちゃうよー。それ、ミコトさんの故郷の歌かい?」
「んー、そんな感じかな。”ドジっ子ウサギを棚ぼたしてラッキー☆” みたいな意味の歌だった気がします」
「へーぇ、よくわかんないけど、楽しそうだなー」
そこで話は一端切れて、俺はまた歌を最初から繰り返しながら仕事の続きを始めた。
土に空気を含ませるよう引っ掻きながら、また鍬を振り上げる。こうして大地をかき混ぜることで、奥底に詰まる栄養ある固い土を起こすのだ。
その鍬を動かす一定のリズムに合わせて、歌の兎は何度もこけてこけまくった。だってこの歌、一番の歌詞しか知らないし。なんとなく、ウェイの兄様の姿で脳内リプレイされるのはなぜだろうか。
こうやって農作業をしている時、何か歌を歌いながらやっていると、気分がノッて少し楽になるような気がするのだ。故郷の村でも、よく誰かしらがハミングを初めては、最終的に皆でどら声大合唱することがよくあった。
まあそれも、体力が残っているうちの話ではあるのだが。
一端、それなりに重量のある鍬を下ろし、ぐっと空に向かって手を突き出して伸びをすれば、背中からボキゴキバキンと不穏な音が鳴る。んー、でもこれがきっもちぃんだなあ。血流が勢いよく流れだし、全身の毛細血管を駆け巡っていくような感覚が、快ッ感ッ……! なのである。人間に変化している時の特権かな。
そうしてまた一畝分の土を耕して、田んぼの一辺をを折り返して戻ってきた時のこと。再びすれちがった農夫の青年が、少し息を弾ませて尋ねて来た。
「それにしてもミコトさんやー、あんたすっごく力持ちなんだねー。牛や馬にも負けないんじゃないかい? おれの家にはいないけど。でも、この間のこともあるし、自分の田んぼも世話した後なんだろー? 無理はしないでくれよー」
「いやいや、このくらいさせてもらえなくっちゃお礼は返せないよ。本当にあなたのところにはお世話になりっぱなしなんだから。俺、力と体力には自信があるんです。どんどん任せて下さい!」
雑談をしながらも、手元はしっかりと動かしていく。そうして遠くなってゆく青年の代わりに、この青年の母たるマダムが、また隣の畝から近づいてきた。
「それにしても助かってるのは本当さぁ。お上は分かっちゃいないのさ、あたしら下々の苦労ってやつをさ」
「ははは、そりゃ違いないです。……でもそんなに大声出しちゃって、聞かれたらまずいですよ」
「ふんぞり返ってる連中共は耳だけはいいからねぇ。自分の癇癪をあたしらにぶつけるのも気に留めないような、やや子なのさ。あいつらは」
ふんす、と鼻息荒くも堂々とお役人様の悪口を言い放つものだから、ちょっと周りを見渡してしまった。よかった、誰もいない。
ここら担当の役人の性格がちょいとアレなのは真実なので、彼女の言い分ももっともなのであるが、その気質がどうあれ、当人に聞かれでもしたら大問題である。しかしそれとなく諌めたって、世のおばちゃんたちがそれくらいで止まるようなタマではないのもまた事実。おしゃべりなあひるのように、がーがーと捲し立てる様には冷や汗しか湧かない。
そうして、いつやって来るとも知れない役人に怯えびくびくしていれば、畦道に生える木の陰で休んでいた若い女性が陽気に言った。
「ねね、そういえばミコトさんは東から来たんだったよね。あっちは何かと物騒だって聞くからね」
「そうですね。奥の方にはまだ朝廷の手の入ってない地域がありますから、紛争ばっかりだって話です」
「いやー、大変そうだなー。でも物騒さでいえば、こっちもあんまり変わらないかもだけどなー」
「それもそうね。近頃は都の方がキナ臭くてたまんないよね」
少女の話題に答えれば、まだそう遠くへは行っていなかった青年が、のんびりと相づちを打った。この二人、夫婦であるのだが、ほわほわとした雰囲気がなかなか似た者同士のカップルである。
「そいやさー、ミコトさん。おれたち、出会ってからもう一月がたつわけだけどさー、東と比べてここはどうだい?」
「んー、なかなか住み良くていいなぁ。ここの方があったかいし、お天道様も昼間に長くいらっしゃる気がするし」
青年がほんわりと尋ねて来たので、当たり障り無いように笑顔でもって答えておく。
まぁ、どれだけ寒かろうがうず高く雪が積もろうが、故郷の村が一番ってことには変わり無いんだけど。
青年の言葉通り、俺がこの家族と出会ってから一か月が経っていた。
人間に化けてこの家族と接触し、東から移住してきた移民として、集落に潜り込んだのである。
何故って、奴の縁を百年ぶりに見つけたからには、これはもう誕生の瞬間からこの目に焼き付けてやるしかないだろう。なんかおもしろいし。
それに、万が一にでも生まれる前に命を落としてもらうようなことになっては困るのだ。また百年も誕生の瞬間を待たなきゃなのはねぇ。
わざわざ人間に化けたのはあれだ。マタヒコが生まれてきてから、交流を持ちやすいようにである。それにずーっと幽霊モードか【遁影術】で誰かしらに張り付いているのは、モラル的にアレだし、事故も起きやすいし……。
このままこの家族のご近所さんとして、目に見える形で張り付いて、どんなトラブルが彼らに近づいて来ようとも、俺がけちょんけちょんのギッタギタにして追い返してやる腹積もりである。
あとこういったでかい都市圏には、必ずと言っていい程、退魔師とかいう妖怪退治を生業とする集団がいるのである。奴らにとって、妖怪と来れば問答無用で駆除対象。幽霊モードでいるところを奴らに見つかって、なんだかんだと騒がれば大変面倒だ。
きっとあの出合い頭バイオレンス坊主も、こうした集団に所属する退魔師だったに違いない。俺の存在が認知されて、奴にお来しになられてはたまったものではない。二度と会いたくないので、奴の寿命が尽きるまでは大人しくしている所存である。
そんなわけで当の一か月前、俺は幽霊モードをスパッと切り止め、ドロンと人間に化けて、さくっと村に侵入したのだ。
装束は、この時代の平民によくある、麻生地で無地な地味色装束だ。新品織りたての服ではなく、少しくたびれさせて、裾などを毛羽立たせておくところが自然な化け方のコツであり、俺のこだわりである。
このコーディネート自体は、実は俺の生まれた古墳時代のころからほとんど変わっていなかった。
しかし、ただ一つだけ大きく変わった点がある。それは、既にみずらが流行遅れになってしまっていることだった。
最近の下々の民のヘアスタイルのトレンドは特にはない。なので、今回はそこそこ良く見る、頭頂部で一つにくくるお団子スタイルを採用した。
完璧にルックスが仕上がったところで、次に決めたのは、この人間の人生の設定であった。
~~はるか東国の奥からやってきし、旅人の俺。実家がなんだかツラいもんで、都の方なら良い暮らしが出来るかな~なんて、即決のフッ軽で遠路はるばるやって来たぞ☆
ン十日もかけて歩けば、ようやく都のお出ましだ。ところがどっこい、目的地を目と鼻の先にして、突然動けなくなっちまったぁ! 疲れきってお腹はぺこぺこ。お弁当の乾燥ご飯も水も、とうの昔に底を尽きた。家もなければ田んぼもねぇ。無い無いづくしの野垂れ死にRTA野郎ここに降臨。そんな俺の名はミコト! よろしくな!
そうしてさっそく、このできたてほやほやの物像でもって、例の家族がちょうどお昼休憩をとって団欒している前で、これ見よがしにぶっ倒れて接触を試みようとしたわけだが……この選択は、あとから俺の良心を滅多刺しに切り刻んでくれることと相成った。
この家族、有史以来稀にみるお人好し一家であった。
俺の故郷の村の連中と比べても引けを取らないほどの、宇宙のように広い4次元の懐持ちである。
目の前でわざと倒れた俺に、彼らは揃って驚き大騒ぎをして……そこからは怒涛の展開だった。
日陰に運ばれた俺は、丁寧に解放され水を飲まされ、お昼ご飯もごちそうになり、優しく声がけをしてもらった挙句、根掘り葉掘り(設定上の)過去を聞き出されて、暫く彼らの家に当分の宿として、自分達の家に招き入れてくれた上、気づいた時には、新婚夫婦が移り住む予定だった隣の新居に、俺が住まわせてもらうことになっていた。新婚夫婦の愛の巣GETだぜ! ――出会って三日目の出来事である。
その上彼らは、役人が巡回に回ってきたときに、新しい住人としてこの村への人口登録する手伝いまでしてくれた。それからしばらくして、都から俺用の田んぼの敷地の支給がされて、俺は無事に一農民としての人間生活をスタートさせたのである。食い扶持GETだぜ!
冷や汗を垂らしながら何故ここまでしてくれるのかと問えば、曰く、「家はまた建てりゃいい」「困った時はお互い様」「気にするな」「何かあったら気軽に相談しな」とのことだそうで。
俺のちっぽけな良心はもうズタボロだった。
彼らも毎日の仕事をこなさねばならない身。税はかなり重い。何処の馬の骨だかも知れねぇ、怪しい余所者なんぞの相手をしてやる義理なんて無いのである。だから、このプランが上手くいかなければ、また別の計画でも捻り出そうと思っていたのだが……結果は仏が出て地獄を見ることとなった。
だから、痛む良心を癒すため、俺のエゴから家族メンバー全員に、それはもう分厚く【加護】を掛けさせていただくこととした。
【加護】というのは、縁を通じて神気を送りつけ、対象を力で包み込む神術のことである。出会い頭にオートで繋がったか細い縁から使用OKの、お手頃神術だ。大人から子供まで、それはそれは分厚く丁寧に塗りつけましたとも。
この術によって、神力の性質によって効果の異なる、常時発動型のパッシブスキルを対象に付与することができる。
また、「この人たちは自分のお気に入りなんだぞっ!」というマーキングの効果を兼ねるものだから、【加護】の力の主よりも弱い存在は、基本寄り付かなくなるのである。「ちょっかい=ケンカを売る」ことと同義だからだ。妖怪版の虫よけみたいなもんである。
ちなみに俺の場合、【加護】の効果は、「対象の、他者からの呪い無効」+「呪いをかけられた場合、術者へ呪10倍返し」という、大変お得なセットとなっている。
ここに妖怪避けの効果がプラスされるのだが、俺よりも強い妖怪なんぞ早々いないので、最早何処をうろついても襲われることのない、完璧なシールド効果を果たすのだ。
さらに無料のオプション機能で、万が一【加護】の対象者がピンチになったときも、縁を通じて俺に通知がくるものだから、直接助けに行くことも可能である。これはもう、防御機能では右に出るものなんて無いんじゃないかなと我ながら思う。
とはいえ、【加護】なんてものは普通の人には見えも感じもしないものであり、そんなもの無いのと同義だ。だから見える面でも誠意をとことん尽くそうと、こうして俺に配布された田んぼの管理の他にも、隣家の土地の耕作も手伝うことにしたのである。
季節は田起こしのころ。それこそ小さな子供たちからよぼよぼのジジババの分まで、家族の分だけ割り振られた農地を、彼ら家族は協力して毎日少しずつ耕していた。
トラクターなど存在しない。牛馬を飼育する余裕もない。動力は人力のみ。一度耕しただけではまだまだ固い。広い敷地に何日もかけて、何度も鍬を入れていた。
俺に割り振られた田んぼの方はと言えば、ちょっくら全力を出して、朝晩ノンストップでフルスロットルに働いた結果、田起こしから畦塗り、代掻きまで全て終わらせてしまっていた。俺がトラクターになるんだよ。
けれど、ここまで進んでも、気候的にまだ田植えには早かった。というか、まだ稲の苗が育っていないのだ。
だから、実際、暇になったのだ。
その暇を理由に、隣の家族のところに押しかけお手伝いにやって来たというわけだ。
毎朝、自分の田んぼの方もちょびっと管理をした後、昼近くになってから彼ら家族の野良仕事を手伝うのが、ここのところの日課になっていた。今はほとんどの田んぼが畦塗り段階に入っており、今日耕した田んぼが、田起こし未完の最後の一枚だったのだ。
もうそろそろ気候も良くなってきたから、苗づくりを始めようか。
そういって談笑する彼ら家族の姿を見ていると、今でもたまに野良仕事を手伝いに戻る故郷の村のことが、少し恋しく思えるのだった。
そうして、俺がこの都郊外の村に住み着いてから、数年の時が経過する。




