疑惑の坊主
「破ァッ!」
掛け声と共に繰り出される錫杖の突き。それを半身を仰け反らせて避けつつ、長い柄に沿うようにじり寄ってお返しに蹴りを繰り出せば、くるりと軽いフットワークの元に躱された。
蹴りの体制からの起き上がり様に、こちらも剣でもって薙ぎ払うも、軽々と柄に防御される。きいん、と高く打ちならされる金属音。それを中心としてぶわりと力の乗った風が巻き起こり、周囲の草木がざぁと円形にざわめいた。
激しくぶつかる剣と柄。力比べに持ち込まれた。
目の前に現れた坊主の光る錫杖は、まばゆい金色に輝いている。よく見れば地は黒鉄。その獲物の回りを、金に輝くもやが渦を巻きながら纏わりついていた。あまりにも高密度に込められた奴の霊力が可視化して、目に映るようになっていたのだ。
低級の妖怪ならば、この錫杖から発せられる力の余波だけで吹き飛んでいくことだろう。それほどにこの坊主の力は規格外であった。バケモノ級である。とても人の技とは思えない。
力の均衡が崩れ、生まれた爆発に十数メートルも吹っ飛ばされる間に、そんなことをうんざり思った。
だってこれ、明らかに人間のフィジカルが発揮できる火力じゃないやん。数十キロの肉のカタマリを数十メートルも宙に放り出せるなんて、それ人間やない。ダンプカーや。
何らかの身体強化術は使っているのだろうが、それにしたってこの強さは人外じみている。俺は今までこんな動きが出来る人間を、下界で見たことが無いのだ。
しっかし、ここまで強さ指数が狂っているところを見ると、もしかしたらコイツ、原作の登場人物なのかもしれない。
だけど、平安時代にもなっていない今の時系列で、そんな重要人物なんて果たして登場していただろうか……
そうして記憶の貯蔵ファイルをまさぐり始めれば、ふと思い立った。
待てよ。今日って、ジャジャマルの強制お引越し騒動の一件から、一体何年経ってるんだ……?
原作において、ラスボス君の命運を左右するターニングポイントの中でも、一、二を争う盛大な転換点があった。――本体の封印である。この事件を通して、ラスボス君は意識のみしか地上に顕現できなくなり、大幅に自由を縛られることとなる。
それは原作において、祟り神として顕現したラスボス君が、スサノオにフルボッコされてから暫くのこと。ラスボス君が逃げるようにして隠れ住んだ土地の近くには、人間の暮らす村もあった。その人間との縄張り争いの末に、彼は東のとある山に閉じ込められてしまう。そして、その事件の「百年くらい後」に、件の出来事は起こるはずなのだ。
この、原作における「ラスボス君が山に閉じ込められる事件」が、この世界ではジャジャマルの件に置き換わっているようなのだ。そう考えれば、それから「百年くらい後」に、この世界にも次の事件――「ヤトノカミ封印事件」が訪れると考えるのが妥当だ。「修正力」の存在をひしひしと感じる、この世界においても。
……百年は、確実に経っているといえる。
例の災禍から百年を称して、数年前にイヅモのパーティーをいつも以上に盛大に行ったばかりだ。あの災禍は、ジャジャマルの件よりも後に発生していたはず。
ああ、もういつ来てもおかしくないじゃないか。このラスボス君の封印に相当する事件が、この世界でも。
原作での封印事件の契機は、確か……ラスボス君が西の都に襲撃したことだったか。
そうだ! 縄張り争いの末に、人間との間に不可侵条約をたてたはずのラスボス君のテリトリーを、百年後の人間が破ってしまったせいで、ラスボス君がブチギレたんだ。
……だけれど、怒りパワーをMAX充填した状態で西の都まで突撃したラスボス君は、そこで都の凄腕退魔師に返り討ちにされて、最終的に封印される結末が待っているのだ。
そこで、ひじょーに考えたくないのだが。もしも、もしもだ。
「ジャジャマル事件」から「百年ほど」経った今、俺が現時点で「アスカの都」周辺にいる時点で、「西の都への襲撃」という条件を、図らずも満たしちゃったりしてるんじゃ……
待って♡
これってだいぶマズイ状況なのでは?
もしかして今俺、マジで封印5秒前だったりする???
いやいやいーやいや。待て待て。まだこの目の前のダンプカー坊主が原作キャラだと決まったわけでもないし、ジャジャマルのほうからも、最近何か変わったことがあっただとかそういう連絡も受けていないのだ。
よしよしだいじょうぶ、キットダイジョブダヨ!!
まだ切り抜けられるチャンスはあるはず。でももしも、万が一コイツが原作キャラの凄腕術師だったのだとしたら、ガチのマジでクソヤバだ。
戦闘を長引かせるのは悪手にちがいないだろう。だが今、俺はコイツを一発K.Oできるコンディションではないのだ。
だったら三十六計逃げるに如かず、コレに決まり。さっさとドロンしちゃおうホントマジで。
さて突然だが、俺は霊力の扱いがそこまでうまくない。
理由は簡単だ。俺は今まで、霊力を使った術をまともに習ったことが無いからである。
俺が術を学んだ場は、基本的に黄泉の国である。神術はスサノオとのの交流()を通した結果の自力習得であり、また妖術は妖怪たちとの交流を通して学んできた。
しかし、霊術は未だ詳しいことはよくわかっていなかった。俺と親密度の高いスペシャリストとの出会いが無かったのに加えて、天上界やスサノオの御殿にある書物を読んでも、霊力を使った術について、実践方法まで丁寧に載った参考文献が見つからなかったのだ。
故郷の村で俺と同時代に生きていた巫女頭こと、オババならば知っているだろうかと、ある時尋ねてみたものの、彼女は完全なフィーリングかつ独学派であったために、「キェーッっとなされよ」「おお違う違う、キェ――ッッ!! でございますぞ!」「ウゥムなっちゃおりませぬぞ皇子様!! ギエェエ―――ッッッ!!! ですぞぉオ!!!」などと、威嚇をするオオアリクイのポーズで凄まれつつしごかれたものの、結局は簡単な結界の展開や、武器に霊力を纏わせるなどの、基礎的な術の習得までに留まっていた。
だから俺にとって、妖力と霊力、使いやすさで言えば妖力の方が上なのだ。(神力は現世においては論外である)
要は、こんなトンデモ人間を相手取るのに、俺の霊力の扱いでは心もとないのだ。
実際に、最大級に霊力を込めたこちらの剣は、あちらの錫杖に一歩劣る輝きを放っていた。悔しいけど、俺の霊力練度はあちらよりも低いようだった。
――けれど、俺の強みは霊力のゴリ押しなんかじゃない。
体の中に、霊力とは別種の力を巡らせれば、体の両脇をはためく触手が銀の光を放つ。
刹那、赤い爆炎の幕が目前に広がり、目をこれまで以上にカッ開いた坊主の顔面が覆い隠された。
妖力は便利だ。何か媒体を経由させることが無くとも、自前の力でかなり高度な現象として実現することが出来る上、術の種類も多岐にわたる。西の方では”魔力”とも称されているらしいこの力は、適性と想像力を兼ね揃えれば、いくらでも術の種類を増やすこともできるそうだ。
この炎を扱う【火遁の術】だって、俺のイメージ一つで、自分の身が隠れるほど広範囲に炎をまき散らすように繰り出すことができる。
……だけれど、手ごたえは無し。
熱によって生じた上昇気流に乗って、ふわりと後方に距離を取りつつ絶望する。
知ってた。
こんな小手先の妖術なんかでやられるようにはとても見えなかったし。悲しいかな、今は現世の真昼間。ベストコンディションより、術の威力は数段劣る。……だけどさぁ、いくらなんでもこれはないんじゃないの。俺、これでもラスボススペックなんだよ。この世界で最強の妖怪って言っても過言じゃないんだよ。
炎幕の晴れた先には、着物の端を少し焦がした、けれど、その生身には一切の傷も負っていない坊主が、目を野獣のようにぎらつかせてこちらを見ていた。歪んだように吊り上がる口元からは、涎を垂らしていても変に思わぬほどの形相である。
いやぁーッ!! 何で俺こんなんに絡まれてんだよぉっ!! 戦闘狂のお知り合いなんて、ひとりで十分なんだよ!! 俺最近ヤベェのにエンカウントしすぎじゃない? 運命が憎くてしょうがないや、誰がこんな運命に糸引きやがったんだアッ自称神のあん畜生か知ってた天誅。
ていうかコイツ、普通にものすごく強い。純粋な霊力勝負じゃ、ちょっとでなく完全に押し負けている。
なんならこの状況、もしもスサノオと(強制的に)やりあって戦闘経験を積んでなかったら、もしかしたら敗けていたんじゃないかってくらいには強い。最初に下界でスサノオとドンパチやった時位にヒヤヒヤとしたものを感じるのだ。流石に攻撃の余波の規模はもうちょっと小さいが、それでも大した自然破壊が発生してるし。
いや、ホントどうすんのよコレ。山とか大分削れちゃってるんですけど。木ぃ剥げちゃってるんですけど。これ、まさか俺に器物損害の請求されるオチとかないよね? 天上界の皆さんに問い詰められたらどうしよう……
でも先に攻撃してきたのはあっちだし、一応正当防衛が成り立ってるとは思うんだけどな。え、なってるよね? 大丈夫だよね? 多分この辺りの国津神の皆さんが目撃者になってくれていると思うから、大丈夫だとは思うんだけど……
そりゃあ強さ的には坊主よりもスサノオが段違いだけども、ここは下界なのである。黄泉の国よりも神々の力が及ばない分、とってもデリケートなのだ。あちらならば瘴気撒き散らし放題の地形変え放題の本性戻り放題だが、こちらじゃそうはいかない。そんなことをしてみろ。タカマガハラの最高神様に目をつけられ、天上界中から大顰蹙のフルボッコ定期。
ここは黄泉みたく、何やっても自己責任で許されるところじゃない。現世は、神々に丁寧にお手入れされて大切にかわいがられている箱庭だ。あんな規律なしの無法地帯と一緒にしてはいけないのだ。
ひとつ、大きく剣を振れば斬撃が飛び、その空気の刃が掠った木の枝が、切り飛ばされては宙に舞う。
どちらかが自分の得物をふるう度、その余波が地を穿ち天を切り裂いた。それは高密度の力の応酬、並大抵の諍いには見られぬ光景。それはすなわち、両者共にこの下界において最高位の力を持つことを表す。
しかし、何度も打ち合う内、だんだんと優勢と劣勢の別が浮き立ってくる。
劣勢の側は、優勢側の猛攻に次第に耐えられなくなり、ただ己の得物で防御するばかりとなる。そこに攻撃に転じる余裕はない。
激しい攻防の末、上空に移っていた戦闘の場から地に叩き落されたのは――俺の方だった。




