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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・後
106/116

とある三柱の

おまたせいたしました!!また亀更新ながらも、ぼちぼち再開していきます。

『さて。この場に呼ばれたということは、例の件について物語なさって下さると踏んでもよろしいのでしょうか。姉上』


 まばゆい光に包まれた黄金の間にて、最奥の金の御簾のかけられたる御座の前に、一点の曇りなく磨かれた丸い銅鏡が、荘厳なる朱塗りの台にうち置かれていた。

 その鏡に映るは、金の景色でなく、兎の形をした小さな紙人形である。闇を背景に、白い陰がくっきりと縁を顕す様は、さながら夜空に掛かる月のごとくあった。


『此度のアレの処置、私は全く納得致しかねますが』


 兎の紙人形の映る鏡の周囲からは、低い男の"声"がどこからともなく溢れ出していた。

 紙兎の愛らしい見目とは裏腹に、底知れぬ凄みのある墨で描かれたような黒い目は、正面の光あふるる金の御簾を、矛で突き刺すかのごとく見つめていた。


『そも、あれは下界の広大なる土地を腐らせた罪がある。それも罪に問わず、その咎を求めず、あまつさえ褒美を与えるような振る舞いをなさるなど、何をお考えになられているのです。この処遇をするに至った由をお聞かせ願いたいものですね』


 紙の兎の見つめる先、金の御簾の奥には、まるで陽光で形作られたかのような人影が、柔ら簾を突き抜けてその存在を示していた。部屋全体の光源ともなっているその御影は、衣手を口に当て、くすりと吐息を漏らした。


 ――あれはうちで飼うことにした。ただそれまでのこと。






 天上界は太陽の御殿。

 神々のなかでも、許されたる限られた者――殿上神の位を持つ者しか立ち入ることのできぬ、御禁域である。しかしてこの貴き場の中でも、さらに秘匿されたる禁裏のいづこかにその一室はあった。


『如何にぞや、姉上』


 ――あのように稀なるものは、手の内に込めたるほうが良い。


『それは、あれの魂の在り方が故に?』


 ――是とも言えよう。


 向かい合うは、眩い金色の御簾と日緋色の鏡。

 場に満ちるは圧。宙を伝う震えは、両者より漏れ出づる、満ち満ちたる気の波動にこそあれ。


『しかしあれは……外れ魂でしょう。肉の内に込められたる内は良いが、いずれは歪を引き起こす。放置して良いものとはとても思えませぬ。輪廻に戻そうにも、歪みがいささか酷すぎる。一体何をすれば、かくのごとく成るのやら……』


 ――あれの核は、異界の輪廻を元の住処とするもの。故に、こちらの輪廻に沿わぬが道理なり。


『は、異界……?』


『ははは、そういう由か。あ奴における違和は! あっはは、まっこと可笑しいなぁ!!』


 と、尊厳たる両者がやり取りするところへ、嵐のごとく豪快な"声"が一つ混じった。

 その"声"の方、闇色に金の刺繍のあしらわれた衣を纏った童子が、いつの間にか部屋の四隅の一角に座していた。少年の胸元には、紙兎が映るものと同じつくりの鏡が抱えられている。これまたよく磨かれた鏡面には、髭をぼうぼうと生やした、強面の男の顔が浮かび上がっていた。


『遅かったな。一体何をそこなる烏と密やかにしていたのだ』


『なぁに、たわいもない話よ。少々、天上界(こちら)での近頃の動きを尋ねていたまで。全く、黄泉では耳にせぬことばかりだ。まこと、近頃は面白きに溢れている』


 皮肉めく声色の紙兎の問いに、髭の男は歯を見せてにかりと笑って答えた。


『さて先の話だが兄上よ。そも、罰しようとも、討伐にしろ封印にしろ、それに至るまでの犠牲は図りしれぬとは思わぬか。攻撃すれば、勿論アレは抵抗するぞ。兄上もよくご存じだろうがな。

 核を奪取し贄に取り込もうにも、彼奴の堕ち神の性ゆえに、我らには毒となる。また肉体から核を外せば歪を生むとくれば、姉上の言うよう、飼い慣らすこそが道であろう。あれも振る舞いを見るに、こちらの下につくことに何の抵抗も示しておらぬ。触らぬ神に祟りなしと言う奴だ。……ほぅ、これほどアレに適する言葉もあるまいな』


『……ふん、お前にも犠牲という概念はあったのだな』


『今はいろいろと直すのが難しくなってしまった故、考えぬわけにもいかぬであろう。過ぎたりて、また姉上に岩戸におこもりになられてはとても敵わぬし……』


 ふてくされたような顔をした男が口をつき出し言ったその瞬間、御簾よりこほんと一つ漏るる小さな咳払い。その微かなるにさっと強面の顔を引きつらせ、また背を伸ばしたた男は、居心地悪げに腕を組みなおした。


『うぅむ、それとだ兄上、あれの力も何かと便利であると我は思うぞ。彼のもてあましたる瘴気の地をただ浄化するのも、面倒なものであったが……あれに与えて見れば、おのずと食すようになったのには、まっこと抱腹したものだ!

 しかして、あれほど莫大な穢れを体に溜めこむのは、流石に悪しき事が起こらぬという保証はない。故に時折、溜まった力を抜いてやっているのだが……うむ。何時手合わせしても、実に良い手ごたえ。未だ飽きる気はせぬな!』


『建前がどうあれ、お前の気が奴に向いているうちは、三世界が安泰であろうよ』


 紙兎は、ため息をつきそう吐き捨てた。鏡の方は、愉快そうに笑い声など立てた。

 そうしているうちに、しずしずと前に進み出た童子は、抱えた鏡を金の御簾の前にて、朱塗りの台に静かに乗せ置くと、優雅な所作で一礼し、再び四隅へと帰ると、霞のように雲散して姿を眩ませた。




『しかれど、何の咎めの素振りも見せぬというのは如何なものですか。他の神々の前にも、示しがつかぬことかと』


 そう、未だ納得のいかぬ様子で宣う紙兎に向けて、しめやかに”御声”は降った。


 ――何も無いなどということは無い。


 金の帳の向こう、一層燃えるように輝く日輪の双眼が、紙兎の漆黒の目を捉えた。


 ――故に、あれのもう一つの"真名"でもってここに縛り付けた。


『もう一つ?』


『ふむ、ありしころの名であろうな。あれは元は地上の王の子。姉上は、それを国の名に冠して場に縛られたのだろう。文位をやったのも、多くの神に彼奴の名を認知させるに好都合というわけか。いやはや、今や、ニつ真名を天上中の神々が握っていることとなるのだな。これ程強固な楔もあるまいて』


 返す紙兎に、鏡の男が答えた。

 すると、それに付すようにして御影は言う。


 ――飼い蛇は、その毒牙に主を刺さぬよう縛らねばならぬ。しかして楔は幾重に打たれた。何ぞ滞りやある。


 その言葉に、紙兎は言の次を全て察し、ぴんとその耳を伸ばすのだった。


 これを破れば、知らず結ばれた神々の契約に反することの報いを受け、また害たるとて、全天に追討令が下される。そうなりし時は、多く犠牲が生じることともなろうが――この天上において、下しきれぬことは"あり得ぬ"こと。


 見遣る御影には、ただ笑みだけが浮かび在った。

 



『……ふ。調べさせたのですか?』


 ――誰ぞが口に出すものを、自然と耳にすることもあろう。


『わはは。あ奴は少々不用心であるからな。それにしても、一つ名に(かがち)の響き。数奇なものよな。まるで、”在るべく”してそう成ったかのようだ!』


 三つ。わらう声が響いた。






 ――さて、それでは題目に移ろうか。此度、お前たちを呼んだのもこのためぞ。


『は、件の祟り神の件はもうケリをつけたでしょう』


 切り出すがごとく、金の御簾の奥から発せられた”声”に、紙兎は疑問を全面に呈した調子で尋ねた。


 ――それはお前が持ち出したもの。我の意図したものにあらず。今日は、遠き古の世より伝えられし”約束”が御物話を伝うべき日なり。


『”約束”……? 何をまた唐突に……』


 ――時は満ちたり。昔、御隠れになられた、天地開闢(てんちかいびゃく)の御方々の間に交わされし、とある古の”約束”が故実を伝えるべき時が来たのだ。


 威圧するがごとき”声色”のそれに、紙兎は思わずと言ったように口をつぐんだ。かわりに、鏡の男がおもむろに口を開く。


『ほう、”約束”とな。思い返せば古より、これに関する禁忌のみが神々の間に口伝されていた。ただただ「破ることなかれ」と、その言ばかりが。破りたところで、契約の内の者のみが報いを受ければそれでしまい。歪の報いは当の者に害はあれど、世界の有り様に支障を来すような大事になることも無し。

 何をそう、禁忌としてまで警戒することがあるかと思えば……やはり、御開闢様方の代に何かあったのだな。”約束”の反故の、禁忌となるべく何かが』


『して、その古に結ばれた”約束”とは何なのです?』


 次いで発せられた紙兎の声に、御影は応える。


 ――それは伝えられず。




『……話を始めておいて、いきなり教えて下さらぬことはないでしょう。我ら三貴子の間にこそ』


 吐息を漏らすがごとく、呆れたように紙兎は言う。


 ――否。我にも、その実を教えられることは終ぞ無かった。今となっては、御父上にも御母上にも、誰にも知れぬ沙汰となりし御事なり。我がお前たちに伝えるべくは、ただ古にとある”約束”があったという事実それのみ。


『ふむ、御開闢様方に破棄されたとあらば致し方なし。後世に残らぬ方が良きことなのであろう。もしや、識るだけで秩序に関わるが故のことかもしれぬな』


 告げられる御影の言葉に、腕を組み組み、目を瞑ってしみじみと肯いた鏡の男は言った。


『――して、此度の災禍、その古の”約束”の反故のものであるのだな、姉上』


 ぎょろりとどんぐり目玉を見開き、その眼にて睨むように見据えられる視線の先、金の御簾の奥のその陰は、荘厳にも告げた。


 ――そのように伝えられてゐる。




 歪。すなわち矛盾の解消に伴う世界のうねり。この世の摂理に反する事に対し出づ、世界が矛盾より生じるもの。小さければ、契約者の犠牲により調うが、大きければ身の丈を越えて世界をも喰らい始める。


 金の御影の宣うよう、此度の災禍こそ、太古の”約束”の反故に生ぜし歪なれ。世界を喰らいし、真禁忌(まこときんき)の”大歪(おおいびつ)”なれ。


『……ならば、姉上は事前にこの事態を予測していたとおっしゃられているのか。何故、何故開示しなかったのです。古の"約束"の中身こそ開かれねど、災禍の有無は知らせるべきであったと思います。下々とは言わねども、この我らにさえ……!』


 激昂する紙兎を制し、御影は無情に告げた。


 ――それもまた、”約束”故に。




『……此度の災禍。否、大歪(おおいびつ)。歪といえど、おしなべてに非ず。大きなるものとすら言うにもおこがましき大きさ……ただの”約束”の放棄のされ方ではあるまいな。もしや、御開闢様方がお隠れになったのも……否、これ以上は触れるべきでは無いな、わはは』


伝えられざりけることは、途絶えるべきものに他ならぬ。そこに詮索を加えるは理の外。

 常は雷鳴のごとく轟く笑い声も、此度ばかりは少しばかり力無く。


 ――摂理は、一度、正される必要があった。それまでのこと。そこに我らの意思もまた、関わるべからず。……今や神代は、終わったのだ。






 場は、しばしの間静寂に覆われた。

 重厚な圧が降る中、いつまでも続くかに思われたその間は、意外にも金色の御影の主によって破られることとなる。


 ――歪と言えば。あれは歪を抑え込む力を持ってゐる。


 何の脈絡もなく、零るるがごとく告げられたその言葉に、紙兎はいぶかし気に御簾を見遣った。


 ――嗚呼、まこと。捨て置くには惜しい子よ。


『姉上、何をおっしゃられて……』


 ――あれの核は、異界の輪廻を元の住処とするもの。故に、無意識にも世界を知覚したり。意識の外に、秩序に触れおった。


『……姉上。何をお識り(・・・)になられている』


 見開かれたどんぐり目玉を、しっかと御簾に定むる鏡の男は、確証で持ってそう問うた。

 しかして、詠うようにして、御影は伸びやかに告げる。


 ――歪がある。二つあるぞ。(はん)もある。二つとまた半なるぞ。

 二つ歪が肉に閉じ込められてある。”歪の歪”ぞ。半は縁に繋ぎ止められてゐる。”半の歪”ぞ。このようなものは後にも先にも見ず。

 嗚呼、まこと稀なり。離さぬぞ。離れれば壊す。其れなむ理。


 光に導きて、世の”秩序”司る神は歌の内に予言する。

 終わるや否や、彼の御神は多く布地の重なる衣手を大きく広げ、しゃらんと宙に一振りした。


 ――こちらへ。


『は』


 応える声と共に、部屋の四隅の一つが暗がりの内より、小さな人影が浮かび上がった。

 帳のように降ろされし、黒地に厚く金の刺繍の施された衣の袖が開かれると、顔を伏せ拝礼する年の瀬十余ばかりの童子の白い顔が現れる。


 ――輪廻場(りんねば)ぞ。支度せよ。


『は』


 応答。とたん、ひとつ羽音がうち響き、童子の立っていた場に突如として三本足の烏が現れる。黒翼を広げたそれは、金の風切り羽を翻し、矢のごとく一点に向かい飛び出した。


 その方、壁にありし金の扉が自然と開き、烏のたちまちのうちに宙に遠のき黒き点と成りしを通して、再びぴしゃりと閉じた。後に残るは静寂。刹那その静寂を小さな響きの連続が破り、次第に大きくなりて雷鳴のごとくして轟いた。


『くく、はは、わっはっはっは! 嗚呼、面白かろう。面白かろうとも!! まさか姉上が動かれる事態になるとはな。まだあれは何かやらかしていたのか!? 教えたもうぞ、姉上!!』


 ――飼い蛇を持ったのならば、その粗相の世話をするのも主の仕事にあろう。


『はぁ……姉上が全て対処して下さるというのならば、私が何か言うことも無いですよ』


 場は、今や目も白み眩むばかりの光に包み込まれていた。

 その光源たる金色の御影は、音もなく軽やかに御簾の奥に立ち上がると、一段とその姿縁(すがたぶち)を強く瞬かせた。


 ――さて、アレを"下ろす"は何時(なんとき)にせん……。




 はらり言の葉をひとつ置きて、全て色を燃え尽くさんとすばかりの輝きは、瞬きの間に収まった。

 後にはただ、光源の見当たらずとも、不思議に明るい黄金の間のみが残されていた。


 間に置かれたる二つ鏡に映る影もまた、数舜のうちに揺らいで消えた。

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