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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・後
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とある見えざる■の・中中編

はっは、まーた悪い癖がでちまったな。

次回は必ずや終わって見せます……!

 じっとりと重い、鈍色の分厚い雲が空を覆っていた。まだ昼間だというのに、日の光は殆ど遮られ、辺りは日暮を迎えたようにどんよりと暗い。


 館の敷地の片隅に、その池はひっそりとあった。

 乾いて宙に広がる髪を垂らした幽鬼のように、枯れた葉を揺らす枇杷の下。その不気味にざわめく大きな葉の群れの影に隠れるようにして、その池はあった。


 淀んだ池だった。

 腐った水草の浮く黒い水面には、ねばついたあぶくが幾重にも積もっている。どろりと濁った水の中に、生き物の気配は無い。その池を、遠くからじっと見つめる影があった。


「汚らわしい」


 大柄なその影は、池をまるで汚物を見るように睨めつけた。その目であたりをぎょろりと睥睨すると、そのままぐるりと踵を返したのだった。






 ――その男は傀儡(ぐくつ)であった。


 七穴(しちけつ)をふさがれ、進む道は最早失われた。

 それはそれは臆病で、醜悪な王だった。




 この年、今やすっかりと背丈を前王をしのぐ程に伸ばした少年――否、青年は、獣の皮の幾重にも敷かれた王座に君臨していた。傍らには数人の美女を侍らせ、手に持つ盃の中身が絶やされることは無く、また周囲の器は常に食べ物で満たされている。位を譲渡された後にありったけの贅を尽くして、でっぷりと大量の肉を全身に纏い、また贅肉に押しつぶされた小さな目で女たちを卑しくしゃぶるように見つめていた。


 そんな折、部屋の外から声がして、一人の細身の男が入室した。青年は煩わしそうな顔をしてその者を見た。女にべたべたと寄ったままの青年の姿にかまわず、男は彼の前に頭を下げ奏した。


「失礼。山を五つほど越えた先の集落にて、上の取り立てに対し、下賤の者らが村ぐるみで反抗している模様でして」


「あー、よい。全てお前に任せる」


「はは。常のごとく手配いたしましょう」


「よいよい。下がれ」


「は」


 部屋を退室した男は、室外でもう一礼をした。

 低い位置で結ばれたみずらの束が、彼の動きに合わせてゆうらりと動く。


 この男は、青年の側人にして、現在唯一直接謁見して奏することのできる存在だった。

 青年にとって、いつしか、この側人の言うことは絶対になっていた。全ての言葉を、ただの一度も咀嚼をせずに鵜吞みにしてみせる。ひたすらに信用が置かれているのだった。


 今や、彼の言葉が無ければ、青年はまともな思考すらできなくなっていたのだった。

 側人にとって、青年は実に莫迦で扱いやすい王だった。


 ――マァ、己がその思考力を奪ってやったからなのだが。

 深々と直角に礼をする側人の影になった顔には、獣のごとき弓なりの笑みが浮かんでいた。




 ”彼”を噂するものは、片やうつけ者の奇行と称し、片や慧眼を持つ奇才と称す。

 一方己に対して、横暴で醜悪な暴君だと宣った者がいるらしい。……じつにけしからん。なんと不敬な。必ずやその腹立たしき無礼者をひっ捕らえて、その首切り離してやろうぞ。


 歯ぎしりをして、膝を小刻みに揺らした青年は、分厚い肉の覆う眼窩の中に納まる目玉をぎょろぎょろと動かし、周囲をせわしなく見渡していた。

 

 王は己だ。父王が己を選んだのだから。


 即位を巡って、前王と己の間に何かあったと噂する者は館にも多く存在するようだが……その真実を知るものは、側人の他に今はこの世にはいない。いずれも、己が君臨するようになって直ぐに、”病に見舞われて”この世を去ったからだ。


 父王は、前王は、”痴呆”になったのだ。

 今は正しき判断が出来なくなったと見越されて、奥の館にて母上と、幼き者と共に過ごされている。多くの孫に囲まれて、幸せな余生を送っている。そう、側人が申していた。


 現王は私だ。あの弟ではない。既に退位した前王でもない。


 前の王より仕えていた、口の多い煩わしき者共は、皆不敬罪として一蹴した。

 直ぐに抵抗をする下賤の者共は、迅速に力で押しつぶして黙らせた。

 奴のもたらした例の忌々しき祭りも、己の権威の元に新しく式目を組み立て、高貴なるものの間でのみ執り行わせることとした。


 側人が、それが一番良いと申すからそうしたのだ。

 だから、きっと何もかもすべてが恙ないのだ。




 もっと国を大きくせねば。もっとたくさん富を得るために。

 だから小国に攻め入り、その財を奪うのだ。


 こが国は戦に負けなしだった。馬も剣も弓矢も兵も、持てる力が違うのだ。

 忌々しいことに、消したくてたまらないあの弟もまた、その力の一部だった。


 どれだけ戦地に送っても、送る物資を止めても、無理な移動をさせても、あの弟は必ず生きて戻って来た。あり得ぬことに、部隊の戦力を一つもかけさせること無く、またそれなりの戦果すら携えて。


 はらわたが煮えくり返るような気分だった。訳が分からなかった。……恐ろしかった。

 けれども、側人が言ったのだ。ならばそれで良いではないかと。少ない物資でもあれは成果を出す。そしてこちらとしては手放したいもの。ならば、いつか擦り切れて千切れるまで、使い潰すのがよかろうと。


 だから、今も生かしてやっているのだ。

 側人が、それが良いと言ったから。


 目をつむれば今でも思い出す。あの剣をかまえた奴の冷酷な目が忘れられなかった。自らが剣となったかのような、眼差しの切っ先の鋭さを忘れることは無いだろう。あの恐怖を、心の底から震え上がらせたあの冷気を。本当は、今すぐにでもこの世から消してしまいたいあの化け物。


 信じられぬことに、初陣の時、あの弟は戦が嫌だと泣いたらしい。人を殺すことが耐え兼ねられぬと。あの何にも動じぬ鉄面皮が、真の涙を流すなど想像も出来ぬ。仮に見たとして、そら涙としか写らぬだろう。現に、今日も戦地でのすさまじき成果の報告を受けた。一人で何十もの敵兵の頭を貫ぬき、破壊せしめたと。


 あれは、今までに幾百もの命を刈り取った鬼だ。

 ケガレを色濃く纏い、全身を血の海に浸らせた鬼なのだ。


 彼の垣間みせる人間らしさ、それこそが仮面であると疑わず。

 目の曇り切った青年は、化け物の素顔を明かしてやろうと息巻いた。






 そんなある日のことだった。

 側人が、あの弟の殺害計画を持ち出してきたのは。


 気に入らぬものは、全て黄泉送りにしてきた。それで全てが滞りなく流れるようになった。

 前王を始末するのは体裁が悪いと側人に止められたが……あの弟はむしろ武功になるそうだ。国を転覆させようと目論む国賊の討伐を行うのだから。白昼の元に真実を晒そう。そうすれば、いまよりももっと権力を(ほしいまま)にできる。


 戦でくたびれ切ったあの弟を、夕闇のモノノ森におびき出すのだ。夜には狂暴な妖であふれかえるというあの森に。

 流石に護衛無しでは後で我らが事前に計画していたことを疑われるやも。ならば一人まではつけても良いこととしよう。どうせそれも始末するのだ。真実が持ち出されることもない。

 後はそう、とっておきの毒を仕込んだ酒をぐいっと……その骸は、妖共に食われて、全てが無に還るというわけよ。


 ぐふぐふと、(はかりごと)を聞きながら、自然と喉から下卑た笑い声が漏れていた。

 気づけば、目の前の側人も目を細めてくつくつと喉を鳴らしている。


 ――と。

 不意に、ほの暗い感情に飲み込まれる脳裏の奥の先、微かな面影が浮かびあがった。


 小さなころから、妖によく狙われる子だった。

 あれを一口で食ってしまおうと、夜ごとに腹をすかせた妖が村の外をうろついた。

 ある夜、怯えた顔をしたあの子が、廊下の隅に蹲っているところを見つけた。

 何だか寒そうだったから、部屋に招き入れてやることにした。

 時折、温かい布団の中に、二人でくるまるようになった。

 夜が近づく度におびえた顔をする弟が憐れだった。

 己は、そんな彼を人ならざるモノにすら求められるのかと憐れみ、されど僅かに羨み――はて。


 朧気に浮かぶ幼き日の思い出は、脳髄に並々と注がれた毒が、じゅわりと溶かしてしまった。


 ああ、そうだろう。ヒト一人あの世に送ってやることくらい、最早なんてことはない。

 化け物のようにしぶといあれも、弱らせたところを夜の森に捨て置けば、ひとたまりもなかろうと。万が一毒から逃れたとしても、妖に食われてお陀仏だ。


 醜悪な男は、じつに愉快気に腹を抱えて大笑いした。

 今や、悍ましき背徳の喜びだけが、彼の胸を焼いていた。






 ――如何(いか)でかな。

 毒酒を飲む彼の、その真っ赤に塗られた瓢箪を、弾き飛ばしてやりたくて。


 己を見つめる怒りでもなく困惑した、いつかの幼き日に見たのと全く変わらぬ丸い目が、脳裏にじりりと焼き付いた。






 その晩、とある大きなる国が滅びた。

 大国、および周辺小国一帯は、一夜にして灰燼に帰した。


 一帯は更地となり、元の山河の有様の見る影も無し。

 民に恐れられた暴君の行方もまた、夜の闇に葬り去られた。


 その光景を見た誰もが口をつぐんだ。畏ろしき神の祟りに触れぬよう。

 そうして年月が経ち、その日の出来事の何もかもが、遠き時の中に人の世から忘れ去られた。

 いつしか真実は、飛沫となって消え去ったのである。









 ■は呪われた。


 全ての縁は引き千切られ、また新たな縁を弾くようになった。

 誰の心の内からも弾き出される恐怖。おぞましきかな。


 確かに存在しているのに、誰の目にも映るのに、刹那の後には誰にも忘れられている。

 恐怖から錯乱した■は夜の森に走り込み、腹をすかせた妖に食われて呆気なく死んだ。


 しかして呪われた魂の行く先の、どの道もが断ち切られていた。

 肉体を失い、体から魂がはがれても、ハグレ魂の逝く宛先は何処にもなかった。


 輪廻の輪に還ることも最早叶わなかった。ただ消滅を待つのみぞ。

 ■の往く道の先に待ち受けるは、永劫の闇。”真の死”であった。


 ただ終焉を迎えるのを本能で恐怖した■は、妖の糞に宿り、肉体を得て新しき生命となった。

 昔の記憶の何もかもを妖の体内に置きざりにすれど、生まれ落ちた命には、「それら(カゾク)」の存在が刻み込まれていた。本能で”識る”気配の元へと、■は駆け出した。


 しかれども、妖と成り果てても呪われた■は、何もかもの縁を弾いた。

 新しく生まれたあわれな生命は、人には疎まれ、誰に”誰ぞ”を認識されることなく、世界に存在を認められることもなく、孤独に毎日を”死んで”いた。


 やがて世を呪った■は、瘴気を生み出し、怨の海に堕ちていった。

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