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成り代わって蛇  作者: 馬伊世
第二章 神代編・後
103/116

とある見えざる■の・中編

あけましておめでとうございます(大遅刻)

本年も成蛇をよろしくお願いします~


お知らせ

2月、3月と更新が非常にスローリーになります。せめて一ヶ月に一回は投稿できるよう頑張りますので、ご承知願います。m(_ _)m




 ある日少年は弟に、"王"とは何たるものであろうかと尋ねた。

 聞き方が悪かったようで、父王について問われたと思ったらしい彼は、そっぽを向いて「別に、すきだけど。ソンケーとかもしてる」と答えた。


 いつもあれだけ彼の王の悩みの種をばら蒔き、胃痛の原因となっておきながら、その内心ではしっかりと慕っていたというのは意外ではあった。けれども、いま少年が聞きたいのはそんなことではない。


「私は、お前の思う”王の在り方”を聞きたいんだ」


「あ、そっち? うーん、色々あると思うけど……まさに力こそパワーな王もいるだろうし、威厳でもって引っ張るカリスマ王もいるかも。超絶賢い頭脳タイプとかもカッコイイよねぇ。でも俺はやっぱり庶民に優しい王様が好きかな。なんとなくだけど」


「では、お前は自分がその力を手にしたいとは、奮いたいとは思わないのか?」


 少年は尋ねた。

 体中の筋肉が緊張していた。

 口の中がカラカラに乾燥しているのに、何故か喉は無を飲み下した。


「え? 思わないよ。まーったく思わない」


 弟は、本当に興味なさげに首をかしげた。


「……そっか。兄上は将来王様になるんだもんね。あ、政権盗ったりとかは絶対にしないから安心してよね。俺はむしろ王様業はやりたくないんだ。政治とかよくわかんないし、俺の手には余りまくりーっていうか! あはは。……兄上が何か困ったことがあったら手伝うからさ、じゃんじゃん頼ってよね! 俺、応援してるよ!」


 そう言って屈託なく笑う彼が、輝かしく、途方もなく大きなものに見えた。


 そのあまりにも無欲な有様が、腹立たしくて憎らしくて。

 そんな感情に至ってしまう自分が、惨めで悲しくて。


「そうか。誠心誠意、努めるよ」


 無理やり言葉を紡いだこの時、自分は一体どんな顔をしていたのだろう。




 ――おいたわしき皇子様。


 弟の背中を見送っていた折り、背後から甘くとろける蜂蜜のような声がした。瞬間、火に近づけた氷が融けるがごとく、黒々とした気持ちが融解していくのが分かった。


 ああ、あの人がやって来てくれたのだ。

 背後に気配を感じる。優しく慰め、労るその態度に、ひどく安心した。

 振り返れば、想像していた通りの柔和な笑みがあった。


 彼だけは、この男だけは、己の欲しいものを全て与えてくれるのだ。

 窮屈で先の見えぬ道にある日突然現れた、美しく揺らめく我が光明。






 「はじめまして」


 少年の体格が、青年にまた一つ近づいたある日のこと。一人の男がその元に現れた。

 一声聞いただけで人を安心させるがごとく、柔らかで心地よい声音を持つ男は、この日より己の側人になったのだという。人のよさそうな、優しい面持ちが印象的だった。


 男は、不思議と少年の悩みを見透かすことができた。

 少年も、初めはそれに反発や警戒をしたものの、何時の日にも優しく労ろうとするその態度に触れ合ううち、次第にすっかりとこの男のことが好きになったのだった。


 いつしか、少年は男を一番信用するようになった。

 一番の理解者であるように思った。

 いつでも傍に、手の届く距離に置いた。


 じんわり、じんわりと。

 彼を求める心が熱を帯びて行く。

 

 じうわり、じうわりと。

 甘い毒に蝕まれつつあることも知らずに。




 ある日少年は、この側人に己の複雑な心中を吐露した。

 自分が王では役不足なのではないか。いやしかし下ろされるのは醜聞悪い。

 自分が王をやりたい。けれど何もかもがあの弟に及ばない。


 そんなすっかりとごちゃごちゃ絡まってしまっていた心に、彼は蜂蜜のようにまろい眼差しで、またぬるま湯のようにぬくもりある声色で告げるのだ。


 ――話してくださって、ありがとうございます。……今までよく耐えられましたね。皇子様は、とても良く頑張っていらっしゃいますよ。私は、皇子様をいつでもどこでも第一に思っていますから……。

 ねぇ皇子様。こうして私とあなた様が出会ったのも何かのご縁だとは思いませぬか。よろしければ、これからは私にあなたの重石を少しばかり担がせてほしいのです。一人で背負うよりも、二人で話し合った方がよりよい政にもできるでしょう。大丈夫ですよ、辛いことは全て、私も共に背負いますから。

 ……さぁ、こちらに。


 心地よい声だった。優しい顔をしていた。

 欲しかった言葉を、全てかけてもらった。


 少年は、側人の進言を受け入れた。

 信頼する彼の言うことは、すべて正しいものだと思っていた。

 彼の言う温かい言葉の全てが本物だと思っていた。

 彼の吐く言葉の全てを信じていた。

 信じて、疑わなかった。

 

 片や、甘い顔の男のその面の下は、政を乗っ取ろうという魂胆が轟々と燃やされていた。

 己の私欲のあれとこれとを如何にもそれらしく筋道立てて話してみせれば、真面目で素直な性格の少年は面白いように鵜呑みをする。己によく懐いたこの少年は、こちらを疑うということを知らないのだ。男の少年に与えるもの全てが私利私欲の内から出たものであり、少年に向ける思いのおしなべてが虚構だったというのに。全く、莫迦な子供だ。


 ――マァ、それも私がそう仕向けたのだが。


 ゆうらりと、男は目を細めた。






 今日も剣を吹っ飛ばされた。


 カラリカラリと乾いた音を立てて転がって行く、己の手を離れた木剣。いつものことだった。

 周りで共に鍛錬を積む兄弟や若い兵たちが歓声を上げる。またいつものこと。

 彼らは誰が打ち倒されようとも猿真似のように手を叩いて喜ぶ。あれらの中でのあの弟は、最強無敵の神話の英雄なのである。その像はただ人にあらず。現人神などと騒ぎ立てる者もあったくらいなのだ。


 しかしてそれは事実であった。彼は鬼だった。物の怪の類だった。

 ……そう、思ってしまいたくなるほどに、まるで理解の及ばぬほどに、彼の生まれ持った才は異様だった。


 剣をとったとき、あれは変わる。

 普段の陽気さは鳴りを潜め、ただ温度の無い冷気ばかりをしんしんと纏うのだ。一度彼が剣を握れば、その場はたちまち霜が降りたつがごとき真冬の夜半となる。風も無い闇夜を覆いつくす、凍てつく夜の化身だった。――それはまるで、物の怪に憑かれているかのごとき豹変ぶりである。


 そして、異常な腕を持っていた。奴の剣は、全てが的確に急所に向けて突き出される。一撃に気配はない。蛇のようにぬるりと忍び寄り、気づけば急所に刃が這っている。迷いない剣筋なのだ。あれは、どこに刃を運べばよいか、確信を持って”識っている”。


 手合わせの後、少年の矜持はいつもずたずたに引き裂かれた。

 しかれども、それ以上に恐怖が勝るのだ。どうにもあの気配の前では、正気でいるのが難しかった。


 手合わせが終わればすっかりと冷気を消して何時もの通りになる。温かい態度で朗らかに笑って見せる。滑稽な行動をとり、道化のように周りを笑わせて見せる。

 不気味なほどに普段通りに振舞って見せる弟の様は、はっきり言って異様だ。


 ふと、幼き頃の人形のような彼を思い出した。"人間になる"前の彼を。

 また、稀に見せる、どうしても皇子として振舞わねばならぬ折に見せる気配を。

 あれらは、剣を持つ時の彼の雰囲気と、実によく似ていた。


 彼のみせる"人間らしさ"は、果たして仮面か素顔か。

 そんな奇妙な疑念が沸き上がるも、すぐに自分のそんな考えが馬鹿らしくなって首を振る。




 ――いいえ。貴方こそが正しい。あの冷徹な振る舞い……あれこそが奴の本性に違いありません。


 男が言った。

 己の観覧席にもどった少年は、男の顔をまじまじと見た。彼は目を限界まで見開き、右手の爪を噛み、ブツブツと何かをつぶやいていた。どうも様子がおかしい。


 そういえば、この男が剣の稽古に同席するのは初めてだったか。

 そう思い至った時、どこかいつもと様相の違う男は、声を震わせて少年に耳打ちをする。その内容を聞いて、少年は目を見開いた。困惑を顔全面に打ち出して、ここ数年で突き出た喉仏を上下させた。




 その手合わせの日から、側人の男は過剰にあの弟を憎むようになった。どこからか情報を仕入れてくる男に、少年はあの弟の知らなかった一面を教わった。


 曰く、夜に頻繁に襲い来る妖怪は、あの弟こそが国を混乱に陥れるために招き入れているのだと。また山へ入っては何か持ち帰ってくるのは、なんだかんだと嘘をついているが、実はあれは下賎な山賊どもを配下においており、そ奴らに集めさせたものを持ち帰っているのだと。少し前に、秘密裏にこの国に攻め込んだ敵兵をまるごと引っ捕らえたことがあったが、あれらこそがその山賊どもなのだ。用済みになったので、まるごと王兵に引っ捕らえさせたのだと、側人は大真面目に言いきった。


 またあの弟は(まじな)い事が得意だったのらしい。日々自らを煮込むなどの怪しい儀式をし、また豆を使った怪しい儀式を普及させたのは、国を内部から瓦解させるため。数年前、腹痛で館の人々が貴賤とわず倒れたのも、それが原因である。その証拠に、奴は倒れること無く動き回っていた。つい先日など、器作りの衆の部屋で、怪しい呪具を手ずから大量に作っている決定的瞬間を見たのだとか。


 ――あの衆はもうだめだ。既に呪いに操られ、揃って例の呪具を囲んで称賛している。


 男はまるでおぞましいものを見たというように、顔色を真っ青にして言った。

 そういえば、少年にも覚えがあった。数年ほど前に弟が失踪した時、父王の墳墓に何やら呪い絵を施したとの話を聞いたことがある。実物は見なかったが、見た者はしばらく半ば魂が抜けたようになり、現場はそれはそれはひどい有り様だったという話を聞いた。




 ――ずぷりずぷりと。

 注がれる甘い毒に、意識の外から蝕まれて行く。

 

 男は少年に、あの弟にまつわるあることないことを吹き込み続けた。その上で少年の思考力を奪い、何でも自分に話させるようにした。全ての行動に、自分の許可を求めさせるようにした。


 この頃になると、少年は外に行くにも、男の許可を求めるようになった。あの池に足を向けることも、すっかりなくなっていた。


 ――ずぶりずぶりと。

 毒は、その形をくるくると変えて、五臓六腑に染み込んで行く。


 次第に薄くなり行く自我には、憧れと畏怖と憎しみと家族愛が詰め込まれていた。ぼんやりと霧がかった思考の底で、少年の心はぐちゃぐちゃだった。


 ――ずぶりずぶりと。

 気づいたときには、脳髄はすっかりと浸け込まれていた。


 それでも少年は弟が好きだった。

 複雑な心のままに、されど家族を愛していた。

 そんな心も、風化するように薄れ、掠れ去ってゆく。


 少年は、この世には心の醜いところに漬け込む悪が存在することを知っていた。中には、上手く化けて、人の心に潜り込むことのできる妖のような人間がいることも、その知識は持っていた。


 けれど、それがこんなにもすぐそばまで入り込んでいることを知らなかった。まさか、己の一番信用する人がそれだったとは、思っても――否、疑いたくなかったのだ。本当は気づいていたのかもしれない。けれども、心に封をして、綻びに気づかぬふりをして。自ら目をふさいだのだ。


 少年にとって、側人の男は絶対になった。全てになった。彼を慕う心は次第に執着にとって代わり、いつしか癒着した。思考能力も完全に奪われて、ついぞ木偶人形と化した。刷り込まれた弟への憎悪を仮初の感情にして動くその内側は、まるで空っぽのがらんどうだった。






 そうして、傀儡の王が生まれた。


 ――とぷりと。

 溺れ果てたのだ。

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