丘、コボルド、RPG
人の集まる場所を求めて、ひたすら道を歩いていたが、なかなか人のいるところにたどり着かない。
街道を歩いているのは俺一人だけ。カバ車に遭遇して以降、誰とも出会っていない。
すこしばかり焦り始めていた頃、さほど高くはないが景色を見渡すのに良さそうな丘にさしかかったので、ちょっと登ってみることにした。
丘の頂上へは、わずか十分ほどで到達する。
四方に見えるのは、鬱蒼とした森、広大な平原、そして遠くの山の稜線だけだ。
見上げると月が浮かぶ雲ひとつない青空。
昼間なのに赤い星が見える。夜にはさぞかし明るく輝くだろう。
「なにもないな……」
人家のたぐいはどこにも見当たらない。期待していただけに意気消沈する。
仕方なく道に戻るために丘を降りようとした時、視界の端になにかが動くのを捉えた。
登ってきたのとは反対側のふもとを歩く人影……。
いや人間には見えない。それは、あまりに奇怪な人型生物だった。
子供の頃からゲームや海外ファンタジー小説に親しんできた俺には、あまりにおなじみのモンスター。
その人間とはまったく違う人型生物の姿に驚くともに、危険を感じて反射的に姿勢を低くした。
「コボルドだね」
そう、そいつはまさしくコボルドだった。
俺が抱いていたイメージのままのコボルド。誰もが思い抱くであろうコボルド。
姿かたちの説明は不要だろう。
あのコボルドなのだから。
コボルドは鈍い光沢のある褐色の鱗におおわれた全身を小刻みに震わせながら、先端が二股に分かれた舌を頻繁に出し入れしている。楕円形の眼窩から突き出るように膨らんだ眼球は、あたりを警戒するかのように忙しなく左右に動いている。防具などはつけていないようだが、自分たちで作ったのだろうか、木の棒の先に尖った石を括りつけただけの、粗末な石槍を手にしていた。
ファンタジー系の作品で、まるで共通認識であるかのように当たり前に登場し、ろくな描写も説明すらもされないモンスター。
しかし、そうした作品の作者の認識と読者の認識ははたして同じなのだろうか? イメージに齟齬が生じていることも少なくないのではないだろうか?
俺の中のコボルドはトカゲ人間のイメージだ。
子供のころに従兄弟たちと遊んだテーブルトークロールプレイングゲーム「ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)」では、ドラゴンの眷属的な存在だったからだ。
もともと西洋の民間伝承においてコボルドは家や船に取り憑く霊だったり、人形に宿る精霊だったりといろいろだが、初期の「ダンジョンズ&ドラゴンズ」では、角があり、毛のない鱗のある皮膚の「犬のような」人型生物として登場した。
鱗があるのに犬みたいって時点で、もはや意味不明だが、習性的な部分で「犬のような」と記述された部分のイメージが膨らんで、外見にまで影響を及ぼしたように思える。
その後「ダンジョンズ&ドラゴンズ」では犬要素よりもトカゲ要素が強くなり、ドラゴンの眷属的な存在になっていき、海外のファンタジーではそのイメージで描かれることもあるが、日本ではなぜか犬要素だけが抽出されて独り歩きし、いまやモフモフモンスターとして描かれている。
まあ、権利関係とかを考えれば、それはそれでよかったのかもしれないが。
例えばゴブリンのイメージは、ずる賢くて、悪巧みをする、小さくて乱暴な種族だ。
しかし、昨今のウェブ小説では、ずる賢いというよりは残忍で、人間の女性をさらってきては孕ませて子孫を作るという、登場するだけで十八禁的な、わけのわからないモンスターとして描かれることが多い。
それはもう、うんざりするくらいに多い。
どの作品が最初にゴブリンを性豪として描いたのかは知らないし興味もないが、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」や、むかし読み漁った海外ファンタジーが原点な俺としては、まったくもって違和感しかない。
オークもそうだ。なぜか人間の女性が大好き(性的に)という、不名誉な役回りをさせられていることが多い。
モンスターが人間の女性と子をなすなんて、遺伝子どうなってるんだよと思わないでもないが、オークに関しては「ダンジョンズ&ドラゴンズ」にハーフオークなんていう種族が登場するし、それが誕生する理由も不幸な出来事なのだと示唆されているから、まあファンタジー世界ではそういうこともあるのだろう。
それよりもオークに関しては、かならずといっていいほど、食肉扱いされるほうが気になる。
たしかに「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の初期に豚のような顔であるとされたように、海外でも豚系の人型生物として描かれることもあるが、そうではなく単に邪悪で屈強な種族として描かれた作品も多いので、いまの日本ほど豚イメージと直結するわけではないと思う。「ダンジョンズ&ドラゴンズ」でも豚みたいな顔ではあっても、豚そのものではないし。
おそらく日本の場合は「ドラゴンクエスト」において、イノシシのような顔の人型生物として描かれた影響が大きいのだろう。
いま――かつてウィキペディアを見たら、週刊少年ジャンプで連載されていた『BASTARD!! 暗黒の破壊神』で、オークが性豪イメージで描かれている、ということが書かれているのを、いま思い出した。
なるほど、週刊少年ジャンプの発行部数がとんでもなく多かったころに連載されていた人気作ならば、日本人のイメージ形成に多大な影響を与えただろうことは想像に難くない。
ストーリーすらほぼ忘れている『バスタード』で、オークについて描かれていたことはまったく記憶にないのだが、だいぶ昔に読んだときには、出てくる単語などがやたらと「ダンジョンズ&ドラゴンズ」っぽいマンガだなと思った記憶がある。
なんでも、D&Dのオリジナルモンスターである「ビホルダー」を作中に登場させたことが、無断使用で問題になったことがあるそうで、大人の世界はいろいろと厄介なことが多いものだ(一方で「アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ」からモンスターなどを盛大に借用しまくった日本ファルコムのアクションRPG「ザナドゥ」はスルーされていて、釈然としないものがある)。
モンスターのイメージも『バスタード』というちょっとエッチなマンガのフィルターを通して歪んで定着したということだろうか。なぜかそこだけ鮮明に記憶に残っている、スライムが女の子の服を溶かすシーンとかね。
異世界ものの小説で、主人公が最初に出会うモンスターのベストスリーはというと、ゴブリン、角のあるウサギ、オーク、スライムだろう。次点を加えるなら、モフモフコボルドが入るだろうか。
角のあるウサギというのも実によく登場する。またウサギかって、うんざりするほど頻繁に見かける。
物語の序盤、まだ経験の少ない主人公が遭遇する弱そうなモンスターとして、ひっぱりだこだ。単なるウサギでは物語として面白みがないから、強すぎないイメージで魔物っぽさもある角ウサギは使いやすいのだろう。しばしばホーンラビットなどと呼ばれることもある。魔法の呪文などもそうだが、異世界なのになぜ英語の名称なのだろう?
兎角亀毛(実在しないもののたとえ)なんてことばに真正面から頭突きをくらわすような角ウサギだが、近代まではわりと本気で存在が信じられていた。有名なのが北米のクリプティッド(未確認生物)、日本でいうところのUMAであるジャッカロープやドイツのラッセルボック、ヨーロッパでかつては実在すると考えられていたホーンド・ヘアだ(ヘアはノウサギと訳されることが多いが、ラビットに野ラビットがいないわけでは、当然ない)。
ファンタジー作品で日本人に馴染みがある名称といえば、「ドラゴンクエスト」に登場した、いっかくうさぎや、アルミラージだろう。インド洋にある架空の島に生息するというアルミラージは「ドラクエ」によって知名度を上げた。やはり、このあたりのモンスターのイメージが、現在のネットファンタジーでの角のあるウサギ人気の原点かもしれない。
ちなみに国民的ゲームともいわれる「ドラゴンクエスト」は、海外では人気に火がつかなかったし、アルミラージが「アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ」に登場するモンスターだからか、海外移植版ではスパイクド・ヘアに改名されている(Spiked Hareの初出はNES〈海外で発売されたファミコン〉版の「Dragon Warrior III」だが、後年の作品では一時期Almirajが使用されていたこともある)。
スライムの最弱モンスターイメージは、日本では「ドラゴンクエスト」が大きな影響を及ぼしていることは、誰しもが納得することだろう。ってか、なんでもかんでもドラクエだよね。日本人の一般層にRPG人気を定着させた作品なので、仕方がないんだけど。
初めて「ドラクエ」をプレイした時、スライムがやたらと可愛らしく描かれていて、なんか違うんだよな、という印象を持った記憶がある。それまでスライムというと、地下のじめっとしたところに潜んでいる、不定形で不気味な、戦うとやっかいなモンスターというイメージだったから。
そもそも「ダンジョンズ&ドラゴンズ」では特に弱いモンスターというわけではなかったが、八十年代初頭の米国のコンピューター用RPG「ウィザードリィ」では、地下一階に登場する最弱モンスターとして描かれた。最弱イメージの原点はおそらくこのあたりだろうか。その後、日本でもアーケードゲームの「ドルアーガの塔」やアクションRPG「ハイドライド」、さらに「ドラクエ」と類似点が比較されることも多いRPG「夢幻の心臓II」で、ゲーム序盤に登場するザコモンスターとして最弱の系譜は受け継がれ、その後に発売される「ドラゴンクエスト」で確固たる地位を確立し、以降多くの作品で最弱モンスターの定番となっていく。
最初から強いモンスターを出すわけにはいかないというRPG的ヒエラルキーにおいて、一度最下層に落とされた存在が、その地位を取り戻すのは難しい。
ちなみに日本のコンピューターRPGでスライムが登場した最初の作品である「ザ・ブラックオニキス」や、テーブルトークRPGの影響を色濃く受けた「ファンタジアン」のような日本RPG黎明期の作品では、スライムはそれなりに強いモンスターとして描かれていて興味深い。
とまあ、どうでもいいことを考えてきたが、そろそろ結論だ。
結局なにが言いたいのかというと、モンスターの名前を一つ登場させるにしても、そのイメージに「共通認識」があると思って説明すらしないのはとても危険だということだ。同じモンスターであっても「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のスライムと「ドラゴンクエスト」のスライムでは、その外見や性質が大きく異なるように、有名なモンスターだからといって誰しも同じイメージを持っているとは限らないのだから。
俺は強くそれを主張したい。
そして、できることならば、日本人の間で歪められたイメージによって不名誉な扱いを受けているモンスターたちを、いつの日にか復権させてやりたい。そう願うのである。
ふと気がつくと、いつのまにかコボルドはいなくなっていた。
いかんいかん。ついつい思考の海にどっぷりと沈んでいたぜ。
いったい何分くらい考え事をしていたのだろうか。さっさと丘を降りて、街を探さなければ。
俺は腰を上げて、ずっとかがんでいて痛くなってきた足の筋肉を伸ばす。
少し背伸びをして息を吐いた後、さて引き返そうかと思って振り向くと、さっきまで丘のふもとにいたコボルドが目の前に立っていた。
えっ。
俺は声も上げることができずに、その場に硬直する。
まるで甲冑のような鱗におおわれた体躯はごつくて大きい。身長は俺より四十センチは高いだろう。
コボルドはゆっくりと石槍を構える。
表情のうかがい知れないトカゲ顔が、ニヤリと笑ったように思えた。
そういえば、コボルドはコボルトとも表記されるんだよね。なんだろう、言語による綴りや発音の違いかなにかだろうか。でも俺はコボルドで慣れ親しんできたから、ちょっと違和感があるんだよな。あれだよ、ずっとゴックだと思ってたら、いつのまにか公式ではゴッグと呼んでました、みたいな。でも、おかしいだろう。ズゴックはずっとクなんだぜ――。
こんな状況だというのに、俺の脳はどうでもいいことを思考し始めていた。
これはまずい、現実逃避だ。ストレスフルでオーバーヒートしそうになった頭脳が、自らを守ろうとする防衛反応だ。
コボルドは真っ赤な舌を出し入れしながら、威嚇しているのだろうか、低く唸るような噴気音を出している。
どうすればいい?
頭が真っ白になって、なにをするべきか、まったくわからない。
当然だろう、現代人がこんなモンスターと対峙することなどありえないのだから。
というか、古代人でもありえないだろうけどさ。いや、そうでもないか。恐竜の生息していた時代の地層から人骨やヒトの足跡が発見される。なんていうのは論外だが、サーベルタイガーやマンモスあたりは、普通に人類と出会っているだろう。七メートルにも達したと言われる大トカゲのメガラニアは、一説には人類と出会ったことで絶滅したともいわれている。モアと呼ばれる、巨大なダチョウのような鳥類は一五世紀半ばに絶滅した。人間の乱獲が大きな原因だった――。
やばい、また思考が脱線していた。俺はあわてて頭を切り替える。
戦うか? 武器もないのにどうやって?
なら逃げるか?
こんなモンスターと追いかけっこをして逃げ切れる自信なんかないが、もしかしたら足が遅いかもしれないし、持久力がないかもしれない。
そういえば「トカゲ走り」なんていうのがあったっけ。あれはアスリートの体の動きを表したものだけど。海外の有力選手の動きが「トカゲ走り」だというので真似してみたことがあるが、真似してできるものじゃないんだよな。つうか、トカゲって足が速いんだろうか? バシリスクやエリマキトカゲが立ち上がって、後肢だけのコミカルな二足歩行で走っているのをテレビで見たことがあるけど、普通のトカゲは――。
やだもう!
とにかく振り返って全力疾走だ。少し急勾配だが、道へ行くのとは反対側の斜面を駆け降りる。運が良ければ逃げられるかもしれない。
俺は軽く深呼吸する。
覚悟は決まった。あとはなにも考えずに、全力で走るだけ。
その時、左後方から物音が聞こえた。
前のコボルドから目を離さないようにしながら、顔を傾けて視界の端で後方をチラ見する。
もう一匹いた。
後ろからもコボルドが迫ってきていた。
コボルドが複数いるなんて、考えもしなかった。
詰んだ。
完全に詰んだ。
俺の細く短い人生は、これで幕を閉じるのだ。
神さま、こんな世界に転生させられたことを恨みます。
できるなら、今度は女の子だらけの世界へ転生させてください。
さようなら。
(完)
『お手伝いしましょうか?』
どこからか声が聞こえた。
いまの状況とは不似合いな、ずいぶんと軽い口調だった。
それが、生涯をともにするパートナーとの出会いだとは、この時の俺には思いもよらなかった。
RPGについての知識はわりと適当です。間違ったことを書いている認識はありませんが、「主人公はそう思っている」程度に見ていただければ……。
本作では傍点として「○」を使っています。
次回、「戦闘、ユニット、街へ」。