鳥援助人
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うわっ、きったねー! カラスの野郎、また盛大にぶちまけやがったな……。
ちょっとよけていこうぜ。誰がかんだかわかんねーちり紙とか、近寄りたくないし。
ここんところ、またカラスが増えてきた気がしないか? 聞いたところによると、これからカラスって卵を産む時期に入るらしいな。それから5月、6月のあたりまで子育てにいそしむ。その間、エサを探すのに血まなこになるようだ。
あんな風にゴミは漁られるし、家庭によっちゃもっとひどい被害を受けることもある。
ひとつ、カラスをめぐる奇妙な話を聞いてみないか?
今から、もう何年も前のこと。
公園近くのゴミ捨て場のわきに、そのオカメインコは「ピイ〜、ピイ〜」と力なく鳴いていた。その右足は付け根に至るまでがぶりと噛まれていて、羽や肉が壊死して、ひどい有様だったという。
それを見かねたひとりの子供が、インコを連れて帰ったんだ。
だが持って帰るのは家じゃない。彼が少し前に作った、自分だけの秘密基地だ。
ここから少し離れた某企業の工場の裏手。うっそうと生えた背の高い茂みの中に、段ボールで囲った「城」があるんだ。
河原や茂みの中で拾ったガラクタをいっぱい集めた、空き時間のたまり場。そこの地面に新聞紙で軽くインコを包み込むと、家へ取って返した。
さほど時間をおかず、戻ってきた彼は鳥かごを携えていた。前に自分の家でインコを飼っていた時に、使っていたものだ。
かつて彼が飼っていたインコも、カラスにやられた。日光浴が必要ときいて、庭先にかごをぶらさげて、少し目を離した隙にだ。
カゴのふたが乱暴に開かれていて、カゴの底と、近くの地面に血と緑がかった羽がこびりついていた。つい先ほどまでカゴの中の止まり木にとまっていたインコの姿は、形も残っていなかったんだ。
遺体のない葬式を終えた後で、親はその子に告げる。「もっと責任をもって面倒を見られるようになるまで、ペットを飼うのは禁止」と。
飼い始める時にも約束したことだった。でも、その子はまだインコをあきらめきれない。
――「もっと責任をもって」なんて、いつのことか分からないじゃんか。どうやって判断するんだ?
いつだって、いま責任を持つしかない、とも思った。
同時に、初めから手負いだったなら、もし命が絶えてしまっても、自分の責任とはいいがたいし……とも考えていたらしい。
その子に獣医としての知識はないし、病院に行かせるだけのお金もなかった。
ガーゼで止血はしたものの、えぐられた肉まではどうにもならない。学校から帰ってからの数十分間だけ、カゴごと外に出し、あとはエサをやりながら面倒を見ていたらしいんだ。
当初は正直、「何日もつかな?」という不安が勝っていたとか。下校際にカゴの中で「わしゃしゃしゃ……」と、鳥らしからぬガラの悪い声を聞くと、本当に大丈夫なのかなと不安になりかける。
秘密基地にかくまってから、ひと月あまりが過ぎる。
その間、彼は飼っていたインコがひどい目に遭ったと、言いふらしてまわった。以前のインコ、いまのインコの状態をごちゃまぜにして、同情を引くよう大げさに。
聞いたところ、どうもカラスの害はここにきて極端に増えているらしかった。鳥が食べられ、ゴミが荒らされ、三丁目の吉田さんなどは後ろから頭をつつかれて、病院で診てもらったとのことだった。
法がどうのといっていられない。私的に、強引に駆除するべきじゃないかと、お年寄りの間じゃ話がされている、とも。
――カラスなんて、いなくなればいい。
その子自身も強く思うようになっていた。
帰りがてら、再び秘密基地へ足を向ける彼は、妙な鳴き声を耳にする。
「アオー、アオー、アオー……」
アオバトの声だ、とその子は思う。以前、バードウォッチングに行った時に、付き添いの大人の人が教えてくれた。
ハトの中では珍しい黄緑色の体色を持っている。全国の森に分布していて、海水などの塩分が含まれた水を飲むという、レアな鳥。その名も、あの「アオー、アオー」と叫ぶところから来ている。
でも妙だ。ここは街中でさほど木も多くない。これまでアオバトがいたことは、自分が知る限りではなかったはずだ。それも、自分が進んでいくたび、声が大きくなっていくような気がする。
そして秘密基地の茂みが見える角を曲がったとき。その茂みの中から身をかがめつつ、出てくる人影をその子は目にする。この時にはもう、アオバトの声は聞こえなくなっていた。
真っ黒いトレンチコートに身をつつみ、ソフト帽をかぶったその人は、友達とは反対方向へ足早に去っていく。
――秘密基地を荒らされたんじゃ?
そう思うと、いてもたってもいられなくなる。すぐ茂みに飛び込んで、段ボールの向こうを改めた。
ほとんどがゴミ同然の代物だけど、盗られたものはなさそうだった。カゴの中のインコも無事。元気に止まり木の上を跳ねまわっていて……。
その子は目を丸くする。ことによると、これは「無事」じゃなく「有事」かもしれない。
昨日までえぐれたままだった、インコの足の肉がすっかり元通りになっているのだから。血は止まったものの、ずっとむき出しのままだった足の根元が、肉の中にかくれて見えなくなっている。インコ自身も、苦しむ様子を見せない。
あのコートの男のせいだ。いや、おかげというべきか。
そう直感した彼は、お礼のために連日、件のコートの男を探した。秘密基地で待ち伏せした日もあったらしい。
でも、間近で鉢合わせることはなかった。よくて遠目に確認するだけで、追いかけても追いつけず、声をかけても反応してくれず、見失ってしまうんだ。
ただ男を見かけるときには、決まって「アオー、アオー」というアオバトの鳴き声が聞こえるときだったとか。
一方で、カラスの害はいよいよ見過ごせないレベルにまでなっていく。
特に、このごろ見かけるようになった大型の一羽はすさまじかった。ゴミ捨て場にかけられたネットを破る。
人さまの家のガラスを突っついてひびを入れたり、穴を開けさせたりする。
後ろから突っつかれて、ケガをする者の報告が、ほぼ毎日のようにあがったとか。
そして、ある日の午後。授業中の彼のクラスは、遠くで響く銃声に身を震わせることになる。一時間の間、断続的に響いたその音は、年寄りたちの案が現実のものとなったことを表していた。
帰り際。その子たちは通学路のあちらこちらに広がる血だまりと、散らばる黒い羽たちを見かけたんだ。
かつて、自分が飼っていたインコの最期にそっくりだった。
友達と別れた直後。彼はまたあの「アオー、アオー」という鳴き声を耳にする。
上から降ってくる声に見上げてみると、何度か見たことのあるあの図体の大きいカラスの姿が目に入った。他に飛ぶ鳥はおらず、声の主は明らかだ。
カラスがこんな鳴き方をするのか、と疑問を抱けたのもわずかな間だけ。カラスはまっすぐ秘密基地の方へ向かっており、彼はぴんと背筋を伸ばしてしまう。
――あのインコが狙われるかもしれない。
駆け出す彼だったけど、邪魔もののいない空に比べて地上は不便だ。ひっきりなしに車が通る交差点で、嫌でも足を止められる。足踏みしながら遠ざかるカラスをいまいましげににらむ彼だったけど、少しおかしなところが。
「アオー、アオー」と離れていくカラスの身体から、はがれ落ちていくものがある。いっぺんにではなく、足元から点々とだ。
フンにしては大きすぎる。しかもそれらが落ちるたび、カラスの身体は明らかに小さくなっていく。ただ遠のいているのとは別にだ。
ようやく横断歩道を渡り、彼は秘密基地へ急行する。そして例の角を曲がると、件のしげみの上に立つカラスと、向き合うトレンチコートの男がいたんだ。
思わず彼は息を呑む。
その鳥がカラスであるのは、首から上だけだった。それより下は、自分がかごの中で飼っていたインコのものだったのさ。
コートの男が、カラスの頭をつまむ。ずるりと外れた後には、インコの頭が出てきたんだ。「アオー、アオー」とお礼を告げるかのように、何度も鳴くインコ。それに小さくうなずき、きびすを返しかけた男とその子は、初めて顔を合わせる。
「やあ、すまないね。あのインコ君の依頼で、君には内緒ということになっていてね。無視していて済まなかった」
男はさっとコートの中に、カラスの頭を隠す。あっけにとられてまともに返答できないその子に、男は言葉を続ける。
「『カラス』にどうしても復讐したいって、譲らなくてね。私もそれにうたれて傷を治し、変装グッズを貸してあげたんだ。
彼の暴れっぷり、たいした評判になっただろう? カラスたちにも、いい見せしめができたんじゃないかな。これほど、大胆に駆除されてはね」
男はそのまま去っていき、インコはというと空きっぱなしだったカゴの中に自分から戻り、鳴き声も元通りにしていた。
帰りにその子が、「カラス」が落とし物をしたあたりを見ると、足とか羽根とか、細かく分かれたカラスの部分が転がっていたとか。