9.山や海上での幻視体験について
「人間は、英語で言うところの、スピリット、マインド、ボディーの、この三つの要素から成り立っている。スピリットとは霊的な魂のこと、ボディーは肉体、マインドは理知的な心である。この三つの要素の調和がとれていることこそ、人間の理想的な姿だと私は思う。スピリットやマインドがいかに高くても、ボディーを疎かにすると、人間はその肉体の弱さにとらわれてしまう。人間は、自分が持っているいちばん弱い要素を基準に生きざるを得ないのである。(中略)したがって、肉体を鍛えることなくして精神力は強化されないのだ」
――ラインホルト・メスナー
登山家は、山でふしぎな誰かと出会う体験を多くしている。古来より、それは暗黙の了解としてひそかに伝えられてきた。
以下は三つ、端的にまとめたものだ。歴史的な登山家のエピソードばかりである。
さらに四つ目に付け加えておくが、これは日本人ヨットマンの事例だ。
先に順を追ってかんたんに紹介しておこう。
① ラインホルト・メスナー……イタリア出身。一九八六年に史上初の八〇〇〇メートル峰全十四座を、無酸素で完全登頂した登山界の偉人。
② 長谷川 恒男……一九七七~七九年にかけて、アルプス三大北壁の冬期単独登攀における、世界初の成功者。
③ ヘルマン・ブール……オーストリア出身。一九五三年、世界第九位の高峰、ナンガパルバットを無酸素で初登頂を果たす。
④ 佐野 三治……ヨットマン。一九九一年十二月二十九日、外洋ヨットレース『トーヨコカップ ジャパン~グアムヨットレース’92』に参加するも転覆。救命いかだで二十七日間漂流のすえ、たった一人生還した人物。
① 一九八〇年、ラインホルト・メスナーは人類初のエベレスト単独登攀のときに、ふしぎな体験をしたと語る。
以下はインタビューの言葉。
「あのとき、クタクタに疲れていた。雪の上に横たわっていたとき、突然私の横に少女が座っていることに気づいた。話しかけてみた。その少女はハッキリとした声で返事をしたのだ。幻覚などではない。もちろん、私自身と会話しているわけでもない。実体のある少女が、私の隣に座っていたのはまちがいない。わずかに残った理性で否定しようとするのだが、少女は語りかけてくるのだ。――そのうち私がやるべきことは、なんでも彼女に相談するようになった。もし彼女がいなかったら、あの遠征は失敗に終わっていただろう」
頂上への最後のアタックを開始するとき、メスナーはいつもその『少女』と話し合い、プランを立てた。
濃い霧で進むべき道を見失った際や、クレバスからの脱出ルートを探すときでさえ、その『少女』は、いつもメスナーのそばに現れたという。
酸素ボンベどころか無線機も持たず、単独で登るメスナーにとって、そのふしぎな『少女』だけが、唯一のパートナーだった。
② 一九八一年、長谷川 恒男の講演『自然と人と――私の山登り』より。
「つらいのをすぎますと、心身離脱の状態に入ります。身体と意識が別々の行動を起こすんです。もう心と身体がバラバラ。確実に手と足は氷壁を登っているんですよ。でも、空中でもう一人の自分が自分を見ているような感じになるわけです。客観的に見おろしているというか」
「――で、後日談なんです。あるとき、禅のお坊さんとお話したら、『それを体験するには、三十年かかるかもしれない」と、おっしゃってました。『下界でそれをやったら、悪霊が入って、君はおかしくなっちゃったかもね』だって」
「これってハッキリ言って、かなり精神的にも肉体的にも、限界に近づいていることなんです。ですからビバークするにも、もうなにもしたくないって感じになるんです」
「その夜はとても賑やかな夜でしたよ。グランド・ジョラスはじまって以来、賑やかな夜。友だちがいっせいに僕のツェルト(簡易式のテント)のなかに入ってきたんです。じつはその人たち、みんな前に死んだ人たちなんですけどね」
「僕は毎年、一人や二人、山で友だちを亡くして、その救助のお手伝いをしてたんです。その死んだ友だちが遊びに来たんですよ。おかしなもので遺体を収容したとき、僕の顔を見て笑ったんですから。そういう友だちがやってきて、表で宴会をはじめたんです。こんな寒い、凍えるようなテントのなかにいるんですけど、外はまるで花園みたいなんです」
「みんな楽しそうにしゃべっていて、『長谷川さんも、こっちにおいでよ!』とか言ってるんです。『たっぷり、お酒ご馳走してあげるからさ!』って。僕もついフラフラと行きたくなるわけです。『――いやいや、待て。ここはジョラスの北壁じゃないか』。ふつう、我に返りますよね? 『なに言ってるんだ、みんな死んだはずじゃないか』って、どうにか思いとどまる」
「まさに幻聴との闘いなんですね。言い忘れてましたけど、その六日間、僕はほとんど寝ていないんですから。マイナス二〇度のなかで、満足に寝られるわけがないですよ」
③ ヘルマン・ブールが、『魔の山』として恐れられたナンガパルバットに命からがら登頂したあと、下山途中のことである。
ブールは幻覚を見た。誰かが、自分のそばにいると感じた。
魔の山に夜の帳がおりて、あたりは漆黒の闇に閉ざされる。一歩でも足を踏み出せば、そこは虚空。墜落して命を落とすだろう。そんなさなか、体験した出来事である。
ブールは手袋をはめようとしたが、なくなっていたことに気づく。ギョッとし、あのふしぎな同伴者に尋ねる。
「おい、僕の手袋を見なかったか?」
「おまえはなくしてしまったじゃないか」
こういうやり取りをしたことをはっきり憶えている。後ろをふり返った。――だが、誰もいない。正気を失ってしまったのか?
それとも得体の知れない妖怪が自分を誑かすつもりか? とにかく聞き慣れた声をはっきりと耳にしたのだと、ブールはのちに述懐した。
④ 一九九一年十二月二十九日、日本からグアムに向けてレース中に遭難したヨット『たか号』の乗組員、佐野 三治が一月二十五日、小笠原・父島、南南東の太平洋上を救命ボートで漂流していたところを、イギリス貨物船に救助された。
漂流二十八日目の奇蹟の生還だった。佐野以外の乗組員六人は死亡していた。
のちの手記で興味深いことを記している。
ライフラフトで漂うなか、乗組員たちが次々命を落とし、ついに生存者が佐野だけになった。幾日か経過していた。
一人になってからというもの、幻覚幻聴の症状が頻発するようになった。
寝ていると、子供たちが遊んでいる声が聞こえた。そして子供たちが岸壁で遊んでいる姿まで見えた。
佐野は太平洋の真っ只中にラフトで浮いているにもかかわらず、舟から幻の岸壁で、「キャッキャッ」と言いながら、年端もいかない子供たちが遊ぶのを目撃したという。
別の幻覚では、漁船がやってくるケース。
演歌を垂れ流しながら、大漁旗をかかげ、佐野を助けにかけつけてくれる。
聴こえてくる歌は決まって、美空 ひばりの『川の流れのように』。特別美空 ひばりが好きなわけでもなく、ましてや『川の流れのように』の歌詞すら、ちゃんと知らないのである。それがはっきりと、サビの部分を大音量で流しながらくり返し聴こえてくるのだと。
はてはこんな現象にも襲われた。
突然ラフトが浮きあがったのである。エレベーターのように垂直に上空へサーッと音を立てて、一気にあがった。一〇〇メートルぐらいの高さまで上昇し、その場に静止。ふしぎなことに、ラフトの床を透かして真下の海が見えた。波が行き交う様子まではっきりと見て取れたという。
今度は大音量のクラッシックの曲が聴こえてきた。
どうやらベートーベンの第九交響曲、『喜びの歌』のようであった。クライマックスの合唱が、佐野の耳にこだましていた。眼下には果てしもなく続く大海原が、どこまでも広がっていた。圧巻の光景であった。
ほんの一瞬の出来事だったという。十五秒か前後のことだった。美空 ひばり同様、佐野は日ごろからクラッシック音楽を好んで聴いているわけではない。ベートーベンの第九にしても、意識して旋律を思い出したりしたことなど、これまでまったくなかった。どうしてあのとき、第九が聴こえてきたのか、いまもってわからない。
佐野はいまでもその光景を鮮烈に思い出すことができる。
幻覚ではなく、ほんとうにあんな状態になったとしか思えない。太平洋の真っ只中で漂流する佐野自身を、UFOに乗った宇宙人が見つ出し、なんとか助けてやろうと持ちあげてくれたのではないかと苦笑する。