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3.シンクロする『彼女』

 碓井は気を取り直して進んだ。

 おぼつかない歩み。

 全身を万力で挟まれたような痛みに、歯を食いしばって耐えながら前進した。

 両脚は骨が疼き、振動ですら肋骨の数本が痛むというのに、苦行に耐える修行僧よろしく闇のかなたに向かって分け入っていった。


 すぐ気配に気づいた。

 右後方だ。碓井に負けず劣らずのはげしい息遣いがする。気になって仕方がない。

 頭を傾けてうしろをふり返った。


 ――やっぱりだ。

 やっぱり、渋い色のレインポンチョを着込んだ何者かがあとをつけてくるのだ。

 それもフードで顔は覆われ、性別や年齢の判別はつかない。

 が、線は細く、肩幅もせまい。碓井よりも小柄だ。

 直感的に女だと思った。


 フードのひさしに隠れた表情は読み取れなかった。うつむき、碓井と同じく苦役を強いられているように見えた。

 一瞬、ライトの光を当ててみたい衝動にかられた。

 かられたが、気力も湧かなかった。恐怖心もほんの一瞬のことで、なにもかも麻痺していた。このままだと、すべてがどうでもよくなってしまいそうだ。それほど追い込まれていた。




 碓井は脚をとめた。

 すると、うしろの『彼女(、、)』も、歩くのをやめ、腕を垂らし、直立不動の姿勢で佇んだ。顔はうつむいたままだ。

 しばらく見守っていたが、なにか仕掛けてくるそぶりは見せない。


 まさかハイカーか登山客かが、人気ひとけのない山道を、たまたま碓井が通りかかったものだから、寂しさをまぎらわすためこっそり追従しているわけでもあるまい。それなら登山客のマナーとして、ひと声かけて然るべきだ。

 だったら幽霊の類か? たしかにさっきは一瞬、視線をはずしたら消えていた。


 感覚が鈍くなりつつあった。どうでもよかった。

 碓井は頓着せずふたたび歩きはじめた。

 歩きながらふり返った。

 右後方で待機していた『彼女』も、マネするかのごとく動き出したから奇妙な話だ。まるで鏡を使ったショーを思わせた。


 否、鏡ごしのトリックではない。

 現にあいつ(、、、)の着たポンチョとは色ちがいだし、そもそも性別も異なるではないか。

 少なくとも登山客ではない。神出鬼没するわけがない。

 さもなくば亡霊だとしても、いまのところこちらに害をしようとする悪意は感じられなかった。わずか背後に付き従っているにすぎない。




 雪がますます烈しくなった。大粒の雪が降りしきり、北の大地を埋めていく。

 足もとが不安定だ。新雪が積もり、恐るべき速さで山道の景色を変えようとしていた。

 碓井は黙々と歩き続けた。息が荒く、白い息が顔を包む。マンガの吹き出し(、、、、)みたいな煙があがっては消えた。

 『彼女』の歩調も、碓井とシンクロしていた。おたがい前屈みになり、我が身を抱いた姿勢までいっしょだ。


 歩きながらふり返った。

 かと言って『彼女』は同じくうしろをふり向くわけではない。自身の肩を抱いた恰好で歩き続ける。

 見れば、ちゃんと白い息がフードの庇から洩れていた。どうやらこの世の法則に従い、ちゃんと呼吸する存在のようだ。

 それに、『彼女』が通った背後にも、足跡がついていた。

 碓井は自身の足跡と見くらべた。いま来た道には二人分の足跡がついていた。


 だったらまちがいなく、あいつは幻覚の産物なんかじゃない。

 登場の仕方といい、一瞬眼を離したら消えてしまう不可解な点といい、人智を超えていたが、物理的法則を踏襲してはいるようだ。


 碓井はふたたび前を向き、闇の向こうをめざして歩いた。

 『彼女』もまた、足並みをそろえ、つかず離れずの距離を保ってついてくる。

 いまのところ実害はない。放置していても問題なさそうだ。

 状況が状況だけに、ふつうであれば異常事態にちがいなかったが、どうでもいいほど疲れ果てていた。投げやりな気持ちにさせられるほど、感覚が鈍磨していた。




 『彼女』の狙いはなんなのだろう?

 『彼女』は碓井のうしろに寄り添い、なにがしたいのか?

 そんなことはどうでもよかった。

 むしろ孤独な道中で、安心感さえ沸いてきそうだった。


 そう。――自身はひとりではなく、誰かが見守ってくれている穏やかな温もり。

 だとすれば、『彼女』は碓井にとって、心安らぐパートナーなのか。

 そう解釈すると、たちまち気が緩んだ。いまさら空腹を憶えたほどだ。


 ポンチョのポケットにチョコ板があったことを思い出した。

 手に取り、ケースから取り出し、フィルムを剥いた。

 折った一片を口にねじ込んだ。

 口のなかは唾もないほど乾いていたが、しばらく香ばしいカカオの味を楽しんだら粘膜に潤いがよみがえった。


 疲れた身体にチョコレートの甘さが染みわたるようだった。かすかに気力が沸き起った。

 碓井は右後方を見やった。

 『彼女』はうつむいたまま碓井に付き従っている。


 恐れは感じられなかった。麻痺というより、慣れそうな気がしてきた。

 むしろチョコ板を折り、その破片をさし出してみた。『彼女』に。


「ほら、あんたも腹減ってんだろ。食えよ」


 足をとめ、チョコレートの欠片かけらを渡そうとした。

 『彼女』は無反応だ。フリーズしたかのように立ち尽くしている。フードを目深まぶかにかぶっているせいで、顎のラインしか見えない。


 唇のそばにはホクロがあった。印象的な口もとだった。

 年は若い。なんだか見憶えがあるが……。

 どうやら『彼女』は空腹とは無縁のようだ。チョコの一片に興味を示すそぶりをまったく見せない。

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