表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/15

2.雪が降る、そして幻

 どれほど暗い道を進んだだろうか?

 夜目よめに慣れたはずなのに、あたりが黒一色に閉ざされた。唯一フラッシュライトの光芒だけが頼りだ。アルカリ単3電池が二本尽きれば、その希望は絶たれる。が、軍用のそれだ。かなりの衝撃にも耐えられ、連続使用時間は一〇時間は()つ。


 光を頭上に向けてみた。

 ついに空が雪雲に覆われたのだった。

 すぐにちらつきはじめた。

 このままではまずい。碓井は周囲を見まわした。

 路肩になにかゴミのようなものはないか探した。ビニールシートの類でもあれば、それを巻き付けて暖を取れるのだが……。


 ふらつく足どりでしばらく進んでいると、短い橋の前にさしかかった。

 碓井は眼を見開いた。

 塩化カルシウム――融雪剤の二十五キログラムの袋が三つ、積まれているではないか。


 国土交通省だか道路管理者に感謝したい気持ちだった。たまにダム管理施設へ通う作業員のために設置されたものだろう。

 碓井はそばにかけ寄り、しゃがんだ。鞘からモーラナイフを抜いた。


 袋の端を切り、その場に中身を捨てた。たちまち真っ白な小山ができた。

 融雪剤の三つとも開け、袋だけ奪った。素手で塩化カルシウムに触れるのは皮膚炎になりかねないが、この際かまっていられなかった。

 極地でせっかく手に入れた素材だ。ここからは丁重に扱わないといけない。


 ナイフで袋を展開図のように切り開いた。三枚とも同じように作る。

 さらにそれぞれを四等分に切り分けた。細長い短冊のようなものができあがった。

 いったんポンチョを脱ぎ、十二枚もの短冊を腕や太もも、脚に巻き付け縛った。

 露出して寒かった首の部分にも、裏返しにしたそれをマフラーのように巻く。一重ながら胴体にも身につけることができた。


 身体がごわごわして動きづらかったが、四の五の言っている場合ではない。刻一刻と、北国の峻烈な寒さが体温を奪っていくのだ。

 すぐにまたポンチョに袖を通した。フードまでかぶる。身体をさすって温めた。闇のなかでガサガサとナイロンのこすれる音が神経質にこだました。

 これでさっきより暖かくなった。とっさのサバイバルテクニックだった。




 碓井はダム湖に沈んだ故郷、北奈裳尻ほくなもしりをめざして歩き続けた。

 途方もない道のりだった。血中に放出されたアドレナリンが切れたらしく、いまごろになって身体の節々が抗議の叫びをあげはじめた。くわえて、右肩の傷口が開いたようだ。熱い体液が腕を伝って流れているのがわかる。


 残っていた短冊で脇のあたりの腕を巻き、木の枝を使ってきつく縛りあげた。即席の止血帯だ。うまくとまってくれればいいが……。

 音もない世界。さっきより雪が大粒になったような気がする。羽毛のように舞いおりてくる。このまま夜半にさしかかかれば、本格的な荒天になるのが予想された。


 前へ進んだ選択はまちがいではなかったか。

 やはり引き返すべきではあるまいか――碓井の脳裏に迷いがよぎった。

 かぶりをふり、強行した。

 いったい、おれは生まれ故郷になにを求めているのか。碓井はおぼろげな意識のなかで思った。


 手足の末端がかじかむ。我が身を抱いた手を離し、両手をこすり合わせて温めた。手にひらに熱い息を吹きかけた。

 雪が斜めに降りしきる。

 一過性の天気ではない。今夜から続く恐れがあった。これが北海道の自然の過酷さなのだ。


 ポンチョをテントがわりにし、野営ビバークする案も浮かんだ。ジッポーライターもあることだし、焚火をおこすことも可能だ。

 だが、踏破することをゆずらなかった。

 なにがなんでも北奈裳尻にたどり着くんだと、心に誓った。




 山の奥へ入るにしたがい、雪ははげしく降りしきった。

 道にうっすらと積もりはじめていた。今年初の積雪ながら、あまりにも急な降り方だ。こんな日に外出し、ましてや事故を起こし、怪我の身体を押して山道を歩く羽目になるなんてツキに見放されていた。

 見放されているものか。まだくたばっていない。――碓井は反発した。

 景色は変わらない。左右にエゾマツが屹立し、奥は見透かせない。ひたすら単調な道を進むだけ。


 背後をふり返った。

 白いキャンパスに碓井のジャングルブーツで捺印なついんした足跡がついている。酩酊めいていした人のそれのように、森の奥から蛇行しながら続いていた。


 と、そのときだった。

 視界の端に、なにかがかすめた。反射的にふり向いた。

 眼をみはらずにはいられない。

 五メートルばかり離れた斜め向こうに、碓井と似たようなレインポンチョをすっぽりかぶった人間が佇んでいたからだ。色はカーキ色。驚くなという方が土台無理な話だ。


 一撃されたパンチングボールのように心臓サンベが踊った。

 すぐに手をまぶたにやり、目頭を押さえた。低体温症のせいで幻覚を見ているのではないか。

 かすんだ眼でもう一度見た。

 その人間はいなかった。――消えた。


 なんてことはない。幻だったのだ。――しかしながら、受け流すのは早計だ。

 あまりの寒気にさらされ、ついに脳が変調をきたしたのだ。このままだと遠からず命にかかわるだろう。急いだほうがよさそうだ。なおさら、この場でビバークするには適当ではあるまい。いささかげんが悪すぎる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ