水飴姫
あえて『残酷な描写有り』には非チェックですが、『残酷な描写』の基準には個人差がある為、人によっては残酷であるとの判断があるかもしれません。
君が笑いながら、
僕を絞め殺す様に。
僕も君を吊るし上げよう。
水飴の天井から、
可愛い鎖で手首を縛って。
○ ● ○ ● ○ ● ○
臓物屋の店主で、買い物狂の三晶堂京一郎が、今日もまた変なモノを買って来た。
しかし、例え彼が蛙の干物を買って来ようと鰐の卵を買って来ようと、彼の妻、蛟は眉一つ動かさない。 毎日の事だから突っ込む気力も無いのだろう。そればかりか、
「肝臓とか腎臓とか、もっと気の利いた物を買って来れないのか?」
と言うばかりである。『気の利いた物』が臓器なのは、蛟が買い物狂の三晶堂に代わって臓物屋を取り仕切っているからに他ならない。
「そう言うなよぉ、蛟」
そしていつも、三晶堂は甘え口調で蛟に擦り寄るのだ。
「で? 今日はどんな下らない物を買って来たんだ?」
蛟は三晶堂の抱えている毒々しいピンク色の柩を指差した。
「良くぞ聞いてくれました! 蛟ちゃん」
三晶堂は柩を床に置くと、得意気に柩の蓋を開けた。
「……」
蛟の反応は薄い。いつもの事だ。
「反応薄いわねぇ蛟。あ、そっかぁ。驚きで声も出ないんだぁ」
「ちげぇよ、馬鹿!」
蛟の左拳が三晶堂の額に炸裂して、三晶堂は吹っ飛んだ。
のた打ち回る夫を他所に、蛟は柩の中にある物を睨む様に見詰めた。
そこには柩と同じピンク色の鎖で手首を束ねられ、胸に直線的な文字で奇妙な詩を刻まれた少女の乾燥死体が横たわっている。
「何? 知り合い?」
三晶堂が、赤くなった額を擦りながら起き上がった。
「んな訳無いだろ? 昔、こう言う格好にしてやった女が居たんだよ。思い出した」
「へぇ……」
三晶堂が、猫の様なつり目を見開いた。
「聞きたいな、蛟の過去」
「過去って言っても、お前と出会うちょっと前だぞ。中学の時だから。五年位前か?」
「中学出てるんだっけ……」
「中学だけな」
「良いじゃん。オレなんか小学校しか行ってないよ」
卒業したら実家で臓物屋の勉強だったもん。
「親が居るだけ良いと思えよ」
「そーだね」
蛟は猫足の椅子に腰を下ろして煙草に火を着けると、とろとろと語り始めた。
○ ● ○ ● ○ ● ○
当時、蛟は十五歳。進学と就職の分岐点に立った中学三年生だった。その時は氏名――識別番号の様な物ではあるが――があったが、今は分り易い様に蛟としておこう。
中学生の蛟は、黒い髪を一つに束ねて、黒縁の眼鏡を掛けていた。制服である白のセーラー服をきっちりと着込んで、傍から見れば『真面目っ子』だった。
夏休みを間近に控えたある日の昼休みの事。
屋上の無い校舎の最上階の物置を『本拠地』にしている蛟の元に、『学園一のお金持ち』のお嬢様が、数人の『侍女』を引き連れて現れた。
「×××××――蛟の当時の氏名――さんね? 始めまして。私、夢川朝美と申します」
そう言って差し出された手には、真っ白な絹の手袋が掛けられていて、それが気に障って蛟はその手を取らなかった。
「何のご用ですか?」
髪を解き、眼鏡を外した蛟は、薄暗い部屋の中で、不気味な空気を纏っていた。
「開けるな!」
この部屋の空気が、お嬢様の体に害を及ぼしてはいけないと、侍女達が窓を開けようとするのを蛟は制した。今にも抗議を訴え出そうな侍女達の視線。そんな彼女達に夢川は、
「従いなさい」
と目で伝えた。
「私の友達がね、街で貴女の話を聞いたんですって」
「どんな?」
「お金を払えばどんな願いも叶えてくれる、って……」
それを聞いて蛟は口元を歪めた。
「『どんな願いも』は無理ですよ、夢川嬢。私は神ではありませんから」
「じゃあ、私の願いだけでも聞いて頂戴!」
夢川の必死な姿に押されたのか、蛟は彼女に、促す様に手を差し出した。
「お聞きしましょう」
○ ● ○ ● ○ ● ○
「その願いって何だったんだ?」
三晶堂が、使用人が茶菓子に持って来た焼きプリンの表面を、スプーンの背でバリバリと割りながら上目遣いに蛟を見た。
「女特有の願いだよ。まぁ、私は願った事は無いけどね……」
○ ● ○ ● ○ ● ○
侍女達は夢川の命令で外へ出て、部屋は蛟と夢川だけになった。
二人は会議等でお馴染みの長机を挟んで、お互い灰色のパイプ椅子に座って向き合った。
「さて……。貴女の願いとは何です? 夢川嬢」
蛟の黒い冷徹な瞳に見詰められて、パイプ椅子に浅く腰掛けた夢川は、絹に包まれた自分の手を握り締め、ぽそりと呟いた。
「私は今が一番美しいと思うの……」
蛟は、ふ、と溜息を吐いて、
「それで?」
夢川に話を続けるように促した。
「これからどんどん年を取って行くわ。私の体が老いて行くのよ。シミが出来て皴も増えて行くの。時間は待ってくれないから、こうしている内にもお婆さんに近づいて行くの。私、そんなの耐えられない!」
思わず語尾を強めてしまった事に、「ごめんなさい……」と夢川は詫びた。
「それで……?」
蛟は頬杖をついて、やや興奮気味の夢川を見下ろした。
「それで私に何をしろと?」
その問いに、夢川は潔く答えた。
「私に永遠の美しさを頂戴」
○ ● ○ ● ○ ● ○
「『永遠の美しさ』って」
分かんねぇな、と三晶堂は半分呆れ気味だった。
「言っただろ? 女特有の願いだって」
「じゃぁ、お前は願った事無いんだ?」
夫の問いに、蛟は口元に皮肉染みた微笑を浮かべた。
「無いね」
○ ● ○ ● ○ ● ○
「無理かしら?」
そう言って首を傾げた夢川に、蛟は背を向けて椅子を立った。
「無理ではありませんよ。でも、」
「お金なら何十万でも何百万でも。何億だって払うわ。だから」
私の願いを叶えて。
「少々手荒になりますが、宜しいですか?」
「美しくいられるなら!」
どうやら、夢川の決意は堅いらしい。
「分かりました。では次の物を全て用意してください」
○ ● ○ ● ○ ● ○
「ジャストサイズの洋物の柩と大量の水飴と人の来ない静かな場所って。お前の考えていた事、ちょっと分かって来たぞ」
三晶堂はちょっと得意気に蛟を指差した。
「だろうな」
私の行動パターンは理解しているだろう?
「でも、何で水飴なんだ?」
夫が首を傾げると、蛟は夫の頭を子供をあやす様に撫でた。
「それは後で話すから待ってろ」
○ ● ○ ● ○ ● ○
夏休みに入ってすぐの日。翠の萌える夢川家の私有地の森で、それは行われた。
森と言うより『樹海』の方が正しいだろうそこの、ほぼ中心に位置する湖の畔。
午前三時。七月と言えどもまだ肌寒いその時間。
夢川は白いワンピースとショールに白いサンダルと言う出で立ちで現れた。
「お早うございます、夢川嬢」
湖の畔の低い木の陰に、死神の様な黒装束の蛟が立っていた。
足元には、昨日夢川が自分で用意した洋物の黒い柩と大きな水飴の缶が幾つも並んでいる。そして夜の内に掘ったのだろう。柩が入りそうな穴が空いていた。
「私が、ここに入るの?」
覗いてみると、それは中々深かった。これを蛟が一人で掘ったとは考え難かったが、蛟は力持ちなのだろう、と夢川は簡単に考えて、勝手に納得した。
「私、殺してとは言ってないわ!」
「私は殺されるんだわ!」と思ったのだろう。夢川は後ず去った。
「ご安心を。夢川嬢」
蛟は顔色を悪くした夢川を宥める様な、優しい口調で言った。
「貴女は眠るだけですよ」
「眠る?」
「えぇ」
蛟はそのままの口調で説明を始めた。
「以前申し上げた通り、私は神ではありません。だから残念ながら貴女に永遠の美しさを差し上げる事は出来ないのです。しかし、私の『技術』で貴女を他人よりも長く、その若い姿で居させられることが出来るのです」
「本当に?」
訝しがる夢川に、蛟は『営業スマイル』を見せた。
「お金を頂いている以上、顧客に嘘はつけません。私も生活がかかっていますから」
詐欺の手口とはこう言った物なのだろう。蛟の話術に、夢川はすっかり安心してしまった様だった。お嬢様は案外簡単な性格らしい。
「私は、何をすれば良いのかしら?」
「では、これを飲んで頂けますか?」
蛟は夢川に小瓶に入った瑠璃色の液体を手渡した。
「眠り薬ですよ。分かり易く言うと」
「眠り薬?」
「分量は丁度十年分。つまり貴女は十年間この柩の中で眠るのです。そうすると、目が覚めた時、私や同級生達は二十五歳になっている訳ですよ。十年が厭でしたら、半分の五年分でも構いませんが」
「十年で良いわ」
「そうですか」
夢川は、小瓶の中身を一気に飲み干した。
「すぐに効かないのね」
「即効性ではありませんから」
蛟は夢川の手首にピンク色の鎖を巻いた。鎖と言っても、プラスチック製の玩具の鎖だ。
「目印、の様なものです。十年後目覚めた貴女を、貴女だと分かるように」
そして来るべき夢川の『眠り』の為に柩を穴の中に入れる。
「夢川嬢。どうぞ此方へ」
蛟の声に頷いて、夢川はよろよろと少しよろめきながら柩に入って横になった。
「薬が効いて来たみたい」
狂の様に笑いながら、夢川は胸の前で手を組んだ。
蛟は缶を開けて、中身を柩の中に注いでいる。夢川の足元が、水飴で濡れた。
「教えてくれる?」
段々水飴に濡れながら、夢川は蛟に問う。
「どうして柩だったの?」
「埋めても、貴女が目覚めるまで壊れないからですよ。特に洋物は、土葬用に作られていますから」
「じゃあ……。どう、して。水飴なの?」
「水だと、例え生きていても腐敗してしまうからですよ」
童話『赤ずきん』の赤ずきんと狼の会話のようなものが続いて、暫くすると夢川は眠った。柩が水飴で満たされると、蛟は柩の蓋を閉じ、穴を土で埋めるとその場を立ち去った。
○ ● ○ ● ○ ● ○
「それで終わり?」
「終わり」
「死んじゃったの?その人」
「薬飲んだ時点で死んでる」
「えぇ?!!!」
妻の反応の薄さとは逆に、夫のリアクションは若干大き目である。
「だよな。十年分の睡眠薬なんて無いもんな」
「って言うかアレ睡眠薬じゃないし」
「マジ?!!!!」
「リアクションが大きい!」と三晶堂は妻に殴られた。
「アレ実は『アコニチン』なんだよ。鳥兜の毒」
それを食紅で着色しただけなんだ。
「じゃあ蛟は詐欺師で殺人鬼なんだ」
「人聞きが悪いな。望み通り『永遠の美しさ』をくれてやったんだ。ちゃんと『幸せ配達人』をやったんだよ」
本日五本目の煙草に火を着けながら、蛟は右手で夫の頭を突付いた。
「じゃぁ、お前はさぁ、何で『幸せ配達人』なんかやってたの? 評判になる位にさぁ」
三晶堂はテーブルの上に身を乗り出して、子供の様な間延びした口調で尋ねた。
「分かんないだろうね、お坊ちゃまには」
猫でも扱う様に夫の喉を撫で付けながらの、溜息混じりのその言葉。
「私みたいな人間はね、自分の身は自分で守らなくちゃいけないんだ。自分の食扶持は自分で稼ぐ、それが基本なんだよ。皆あの手この手で小銭を稼ごうとするのさ」
「だから蛟は『幸せ配達人』だったんだ」
「医学と精神学は齧ってたからね。友人の女を自分の物にしたいって依頼があったら、その女に催眠術かけて依頼主の女にしてやったし。人を殺してくれって依頼があったら、」
蛟はそこで言葉を詰らせた。しかし、好奇心に満ち溢れた夫の視線に促されて、また、口を開いた。
「標的の酒に毒盛って殺した」
左手の煙草から、硝子の灰皿に灰が音も無く崩れた。
三晶堂は、もはやテーブルの上に上半身を乗っけて、仰向けになって、下から蛟を覗き込んでいる。
「他の連中には夜鷹とか娼婦とかやっている奴もいたが、私にはどうも合わなくてね。そう言う仕事をやっていたんだ」
お前に出会うまではね。
二十歳でありながら頭の中は十歳児の夫の頭を撫でながら、蛟は目を細めた。
「で、さぁ。蛟」
「何だ?」
「何で水飴だったの?」
アレって本当の意味じゃないんでしょ?
「あぁ」
そんな事もあったな、と蛟は呟いた。
「意味なんか無いんだよな。本当は」
ただ当時水飴が高価だっただけで……。
「良いじゃないか。ただの水より水飴の方が甘いんだから。ホルマリンより夢があって良いだろ?」
「どうだろうねぇ」
蛟が珍しく『夢』なんて言葉を口にしたのがのが嬉しかったのか、三晶堂は子供みたいな笑顔を見せた。
蛟の左手が、煙草を灰皿の底に擦り付ける。
微かに立ち昇る紫煙の姿はまるで、盂蘭盆会の香の煙の様だった。
○ ● ○ ● ○ ● ○
白いドレスの可愛い君を、
甘くて柔らかな水飴の泉に眠らせて。
小さな胸に薔薇を飾ろう
真っ赤な真っ赤な、綺麗な薔薇を。
もう、目覚めない可愛い君。
もう、喋らない綺麗な君。
もう、歌わない可憐な君。
君はもうこの泉で、
永遠に眠り続けるんだ。
あぁ、
僕の愛しい水飴姫。