レオナルド・ダ・ヴィンチも僕も、”考える 感じる”
研究してる人達の間では、推測らしいんだけれど、エジソンも自閉症スペクトラムで学校には行かなかったみたいだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチも推測されている。兵法や絵画、数学、鏡文字、たくさんのことが出来る天才。
3000人に1人のIQの高いアスペルガーだってね。
天才は天才でも、努力はしたんだよね。
皆が、そんな時だけ「アスペルガーのおかげで、何でも出来るんだ」って言うのは、おかしいって思うんだ。
たまたま才能があって、でも、好きなことや関心のあることに、とても努力してきたんだと思うよ。
それに、きっと生活のことでは困ったことがあったと思うから、どうしていたんだろうね。
アスペルガーは、それを広めた医者の名前らしいけれど、日本でも研究されるようになって30年経っているかいないかじゃないかな。
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メガネ先生からの応援やアイデアは沢山あるけれど、字の読み書きが苦手だから考えようとしてくれた。
大きな字と小さな字では、どちらが読みやすいか。
たて書きと横書きでは、どちらが読みやすいか。
透明なセロファンの青、赤、黄、緑もだったかな。それを文章にあてた時に読みやすいか。
僕は、横書きの方が読みやすくて、何もないよりも透明な黄色のセロファンが文章の上にあると読みやすかった。
文字は大きくなくて平気だけど、単語と単語の隙間があいてると読みやすい。
人と違うから「変わってる」なんて言われる人は、エジソン達のような有名な人だけじゃないよね。
僕が生きてる今、100人に2~3人は発達障害の人がいると推測されてるから、昔も同じくらいなんだろうね。
昔の人達は、どうやって困ったことをクリアしていったんだろうな。
セロファンを使うと文章が読みやすくなる。
質問するときは選択肢でするとわかりやすい。
サングラスをかけると良い。
会話が苦手な人はメモやメールを使って、やり取りするといい・・・ほかにも沢山あるだろうね。
どうやって調べられたんだろう。
それから、自閉症スペクトラムを検査する内容も、どうやって研究されてきたんだろう。
これからも新しい応援のアイデアは、たくさん出てくると思う。スマホやパソコンの音声機能は便利そうだ。
メガネ先生が言ってたな。学校によっては、パソコンを持って行って、使っても良い学校があるって。
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フリースクールは毎日行く所じゃなかった。
毎日行くコースもあったけれど、クラスみたいに教えられる。僕は1人の先生が見てくれるコース。
メガネ先生の考え方は「今の時期は、得意なことをのばしていく。苦手なことの負担は少なくする」ってことだった。
これをしてると楽しい、好きだ、そんなことを増やしていって自信をつけることを優先するって考え方。
フリースクールの代表の先生も知っていて、僕には勉強じゃないことを教えてくれてたんだね。
行かない日には図書館で借りた絵本や漫画を読んだり、時々、自分で文字の練習をしていたよ。
文章や単語だけだと、意味がわかるのに時間がかかる。絵本や漫画だと、見ただけでわかったから1人で大丈夫だった。
ママがずっとつきっきりじゃないから、よく1人で公園や散歩に行っていた。
公園の近くには交番があって、そこのおまわりさんと仲良くなったよ。
どうして学校に行ってないか聞かれて、学校のことを話した。
でも、別に何も言われなくて何度か会って話してるうちに、僕のことは「こうちゃん」から「こう」になって、話し相手になってくれてね。仲良しになったんだよ。
僕の個性のことは知らないけれど、どうして上手く話せたのか自分でもわからない。
きっと、おまわりさんは「偏見」っていうのがない人なんだろうな。学校に行ってなくてもしつこく聞かないし「行かなきゃだめだ」とも言わなかった。1人で公園で遊んでる時は見守っていてくれたんだろうし。
仕事をしてる時には「今は話せないよ」と言われた。でも、僕も、おまわりさんが仕事してるって理解が出来たし不満に思わなくて。
遠くから、おまわりさんが真剣な顔で仕事するのを見ていたよ。
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1度、本当にびっくりしたことがあったんだ。
大きな通りを歩いてる時に、刑事さんのパトロールがあって車にのせられた。
「君、どうしたの?」
そう聞かれても、急に刑事さんが車から出てきて僕は何も言えない。学校に行っていないことは答えた。
車に乗せられてパニックで全然、覚えてない。
警察署でジュースやパンやお菓子を出してもらったけれど、本当に困ってしまった。疲れて椅子に横になったんだ。
ママが着いた時に刑事さんは、
「不登校ということはわかりました。でも、平日に小さな子が1人で外にいると危ないんです。」
怒ったわけじゃないけど、これからはママと一緒にでかけるようにって言われた。
刑事さんは、僕をつかまえるというより誘拐や事件から守るために車に乗せたんだとわかったよ。
そうなると、僕は1人で出かけることが出来なくなる。
また刑事さんに見られたら、ママが叱られてしまうかもしれないからね。
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ママは疲れた時には昼間に眠っていた。
僕と一緒にすごすと、自分の仕事ができなくなるよね。
そんな時はタオルケットをかけてあげたよ。
だけど夕方に一緒に散歩したり絵本を読んでくれたりして、とても楽しかった。
散歩してる時に猫を見つけたんだけど、植物がうえてあって暗い所に猫が入っていく。どこに行ったんだろうって探したのを覚えてる。猫は僕たちを見てる時は動かずにジッとしてる。
「あそこだ!」って指をさすと逃げていく。追いかけっこみたいだね。
お兄ちゃん達には悪かったんだけど、僕はあの頃はママをひとりじめしていた。
僕は言っていいのかどうかは、わからなかったけれど、
「小さな時から、僕は『拾われた子』だと思っていた。でも、今は、そう思っていないよ。」
ママが、どう感じて何を思ったのか、わからない。
悪い意味じゃなかったんだ。言えない人には言わない、言えないから。「安心したから」打ち明けることが出来た。
僕は、学校に行かなくても笑うことが多くなっていたし「拾われた子じゃない」って、ハッキリ思ったから言えたんだ。
自分でも「お兄ちゃん達と、何かが違う」って感じてきた。僕には僕の世界があるけれど「違う」ことで自分をダメだと思っていたんだろう。
そして、出来ないことを出来ないって言語化することが無理で。
困ってるのに、それを出せない辛さは、僕を悩ませ孤独にしていたから。
だから、ママが僕の小さい時からの気持ちを聞いてくれて。
「拾われた子」って嫌な言い方だったけれど、受け入れてくれて良かった。
僕の、小さい時からの苦しみが消えたみたいだったよ。ちょっと、楽になったんだ。




