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メガネ先生との出会いと僕の世界 ~てんかん

 初めての場所に行くのは、とてもドキドキする。

 そこに行くのはママも初めてで緊張していたみたいだった。


 ママは病院の地図を書いておいて、見ながら行ったんだけれど、人に聞いたりして着いたんだよ。

 2回目からは「信号を左に曲がるのよね。大きな看板のとなりのビルだったわね」なんて声に出して確かめていた。

 もしかしたら、自分にも言い聞かせてたし僕にも教えていたのかもしれない。


 診察室に入ると僕は先生の前に座る。ママはドア近くの椅子だ。

 メガネ先生は、にっこり笑って、そして、とてもゆっくり僕に、


「こんにちは。メガネ です。こうちゃん、ですか?」

「こんにちは。こう です。」


 会う時はいつも、そんな風に話しかけてくれた。

 ママと話す時は笑わないで、もっと速く話していたけれど、ママもこの先生が好きみたいだった。


 ***


 小学校の前に、僕は暗算が出来ていた。

 1人で「1+1は、2」「2+2は、4」と言っていたら、ママが気がついてお兄ちゃん達に「誰か、計算おしえたの?」と聞いた。


 でも、誰も教えてなくて、

「3+2は?」

「5」

「4+5は?」

「9」

 皆、とても驚いたみたいだった。3けたの暗算も出来ていた。


 ママはその時にやっぱり「この子の世界が、個性がある」って確信したんだと思う。僕にはお兄ちゃん達と違う個性があるって。


 診断されることで、それまで感じてた不安が本当になるって、少し怖かったみたいだけれど。診てもらうことの安心や、良くしていくことの方が欲しかったみたいだよ。

 ママはメガネ先生に会うことにしたんだ。


 実は、僕も「お兄ちゃんたちと違う」って前から思ってたからね。



 僕は数字や図形のようなものを考えたり想像することは得意だったけど、読み書きは苦手だった。

 他にも個性はあったよ、それは紙の検査でジグザグにあらわれてきたらしい。

 ママが答える紙の検査もあったし、母子手帳や幼稚園の時の連絡帳も見せていたみたいだ。


 それから、メガネ先生は僕が作ったレゴブロックの写真を見て、

「おおきな ロボット を つくったね。すごいね。」

 って言ってくれた。


 それはね、ロボットなんだけど、ひっくりかえすと車になるんだ。家でママに見せた時にとてもビックリしていて写真を撮っていたけど、写真を見てメガネ先生も驚いていたよ。


 僕は、この先生のことが好きだった。

 早く会いたくて、話したくて、

「次は?」

 いつ会えるのか、何度もママに聞いていた。


 ***


 ママは本を読んだり、自閉症スペクトラムについて電話で聞くことが多くなった。僕のためにそうしてるのは、わかった。


 でも、電話する時に、

「アスペルガーについて聞きたいのですが・・・。」

 僕は、いつ位からか、その言葉を聞くのが嫌になってた。


「障害」も「しょうがい」も「障碍」も僕にとっては、何も関係がないんだ。う~ん、文字は何でもいいっていうのかな。


 それは感じ方だから、別の自閉症スペクトラムやハンディ持ってる人だと「嫌な言葉」って思う人もいるかもしれないよ。

 その人が「しょうがい」の文字の使い方で嫌だと思ったんだったら、それは周りの人は気をつけてあげた方がいいと思う。


 僕は何が嫌だというとね、「僕はどんな僕でも僕」なのに「ほかの沢山の人と違って少数側に属する」って見られること。

 その枠っていうのかな、しかも、良くない少数派という目でみられることが嫌だったんだ。甘やかされてるとか、怠けてると思われるとかにしてもね。


 誓って言うけれど、怠けじゃない。本当に疲れやすいんだ。


 僕はママに、「自分の前ではアスペルガ―って言わないで」と言うと僕の気持ちがわかったみたい。

 その後は僕の前で電話したり言葉を使うことはなかった。


 ***


 小学校1年生の、ちょうど学校が休みだった時、僕は救急車で運ばれた。

 身体がガクリとなって、座ったまま目を開けて動かなかったらしい。

 皆が心配して何度も呼んだらしいんだけど、全然動かなくて、救急車で病院に運ばれた。


 てんかんだとわかって、薬を飲むことになったよ。


 次にメガネ先生に会う時に救急車のことを話していいか、って聞かれたから「あの先生ならいいよ」って返事した。


 ママはすでに、てんかんとアスペルガーの関係を知っていたようだし、メガネ先生は「てんかん、きましたか」と言っていた。

 てんかんの人がアスペルガーというわけじゃないけれど、反対に、アスペルガーの人にはてんかん持つことが何10%かあるんだって。


 てんかんは頭の中の神経がショートして爆発するようなものらしい。アスペルガーも、脳が生まれつき、他の人と違う。


 だから、疲れてると、てんかんの発作が起こりやすいし、起こるとどんな風に影響があるのかわからない。なるべく発作はない方がいいって。


 ***


 薬を飲んでるから、もう救急車に乗ることはなかった。だけど、太陽がギラギラしたり、疲れてる時には小さな発作があったみたいだ。


 外でママが心配して小さな声で「こうちゃん。すわりましょう」って言うことがあった。

 数秒や1~2分間、ボーとなることはあったらしい。そんなことが続いたり、3分以上の発作だと、すぐに診察を受けるってことになっていた。


 メガネ先生に会った時に、小さな発作のことが話された。

 自閉症スペクトラムもてんかんも、その人によって全然違うよ。だから、これは僕の発作だから、それに合う応援が大事だったみたいだよ。


「こうちゃん、メガネをかけるのは いやですか? いいですか?」

「先生のメガネですか?」

「先生のじゃないよ。こうちゃんのための 別のメガネだよ。」

「目はみえます。」

「太陽の光から こうちゃんを まもるための メガネだよ。」

「外でするの?」

「いつも かけてていいよ。外では かけてね。」

「わかりました。」


 僕は光過敏性のてんかんじゃなくて、アスペルガーの特徴のために、光に過敏だったみたいだ。

 ただ、どっちにしても脳の中で連鎖するから光の刺激は良くはないらしい。


 先生は、出来れば色つきのサングラスをするといい、とママと話していた。

 だけど、小学生だから「違う目でみられる」のも本人にはよくない。透明なだてメガネはどうかと言っていた。だてでも、かけると違うからって。


 僕のメガネが出来て、かけることになった。


 僕は光にも音、肌感覚にも個性があったんだ。「弱い」個性だ。

 プールが嫌いだったのも、水そのものがこわいからじゃないんだ。家のシャワーは大丈夫だった。

 水面は太陽の光があたると地面とはまぶしさが違うし、水の感触が肌に触った時に、なんだか変な感じで気持ち悪いんだ。だから入れない。

 学校の先生は「水を恐れてるみたいです」と言っていたけれど、違うんだな。


 ***


「2年生になる前に、学校に連絡して担任の先生に会うといいですよ。そんな配慮してきてる学校は増えてきました。

 こうちゃんは、初めてすることは緊張します。それは大きなストレスになるんです。」


 メガネ先生はママに話していた。

 でも、学校に連絡すると、不公平になるから無理だと言われたみたいだ。


 ママは考えた。

 校長先生に診断書のコピーやメガネ先生の意見や僕の個性を書いて送ったみたい。

 何日かして、校長と教頭先生が家に来た。新しい担任を教えることは出来ないけれど、僕にあいさつに来たって言っていた。

 「お母さんの気持ちが、とても伝わって来ました。」

 校長先生が言っていたから、僕の知らないところでママが動いてくれてたんだと嬉しかったよ。



 新学期が始まると、僕はとても疲れてきていた。


 席順で並ぶと窓側だったし、授業で何をしてるか、よくわからなかった。

 担任の先生は中学から来た先生で話し方が早いし、書くことが増えてきた。


 僕は暗算は出来るけれど読み書きがとても苦手だった。文字そのものを覚えることもだし意味がわからないこともあった。

 だから、算数で文章問題があると答えることが出来ないんだ。ほかの科目も同じ。


 ママが先生に、窓側じゃなくて廊下側にして欲しいとお願いしたみたいだ。だけど、先生からみて僕が困ってると思えないし、席順は名簿で決まってるので他の子への説明がつかないんだって。


 1年生の時は1階で、窓側には植物があったから何とも思わなかった。

 2年生では上の階になったからか身体と感じ方が変だったんだ。

 光のせいと視覚への情報が一杯はいってきてしまうみたいで、脳が落ち着かないらしい。


 ママはメガネ先生に相談に行くと、学校あての手紙を貰った。

 担任の先生じゃなくて、校長先生に会ってお願いしてみると言っていた。

 そのことは僕からママに聞いた。僕のためにメガネ先生の所に行って、今度、学校の先生に会うんだから。


 僕はママには嫌なことは嫌と言うけど、例えば、アスペルガーという言葉を僕の前では言わないでとかね。

 でも、聞きたいと思う時もあって、そんな時には聞いていたよ。

 ママの方でも僕に話したくないことや話せないことは、きっと、あったと思うけど。


 ***


 校長室に行くと、校長、教頭、担任、支援アシスタントの4人の先生達がいたみたいだ。


 担任の先生とママのやりとりのことは、校長先生は知らなくて謝ったんだって。命に関わることかもしれないのに、って。

 もしも、てんかんで倒れて頭を打ったりしたら危ないもんね・・・。


 席順も変えるし、今度からメガネ先生の所に行った時には、校長室に来てほしいと言われたようだった。

 メガネ先生のアイデアを学校でも同じようにしたいからって。


 それから、自閉症スペクトラムの生徒4~5人に1人の支援アシスタントの人が見に来るようになった。ずっと教室についていてくれるものじゃなかったけれど、助かることはあったんだよ。


 校長先生に会うことで学校が変わってくれた。

 ママが考えて、メガネ先生と会って、僕がすごしやすいようにしたんだ。


 それまでは、緑のノートに僕の家での様子やメガネ先生と会った時のことを書いても「りょうかい」しか書かれてなかった。

 だんだん、担任の先生は学校での僕の様子を書くようになったらしい。


 それはメガネ先生にとっても助かる。家と学校での僕の様子がわかると応援の方法を考えやすいからだ。


 ***


 ママは学校に呼びかけた。動かしたよ。

 だけどね、学校と闘うとか負けないで頑張るとか、医師がこう言ってるんだから当然に学校も協力するべきっていうような対立的な態度じゃなかった。


 学校には僕への応援はしてもらいたいけど、当たり前だってんじゃなくて「してもらう」という気持ちでいたいんだって。

 だから、きちんとお礼を言っていたし、力関係なんかじゃなくて、協力し合っていきたかったんだって。


 それは僕もそう思ったよ。自閉症スペクトラムじゃなくても、誰かが誰かのために助けるとか優しくすることってあるね。

 それは嬉しいことだから、ありがとうって言いたいよ。


 だからなのかな、僕は「『ありがとう』って、よく言うね」って言われてたんだ。

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