僕たちの宝物
僕はママが好きだった。
「ママのことは忘れないよ」って言ったら、ママは僕の頬に触れた。
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僕の宝物は、ママがくれた「おまもり」だ。
神社や教会で買ったものじゃないよ。
ママが紙で作ってひもをつけた手作りの、僕だけのおまもり。
ママの宝物の1つは、僕。
誕生日のプレゼントをくれる時にいつも
「わたし の ところ に うまれて きて くれて ありがとう」
って、手紙に書いてくれていたから。
お兄ちゃん達にも書いていたと思うから、ママには宝物が一杯だったんだね。
それから思い出したよ。
緑色のノートもママの宝物だと思う。
僕が学校ですごしやすいように、担任の先生にわたすための連絡帳のようなものかな。毎日、持って行ったわけじゃないけれど。
家での出来事、病院の先生の話しを学校に伝えるためにママが考えたらしい。
ノートのことをすっかり僕は忘れてしまっていたけれど、ママの宝物でもあるし、僕の宝物でもあるんだな。
ママが言うには「ノートも大切。でも、この中には『私の気持ちが入ってるの』」
なんとなく、どういう意味だか、わかってたよ。ノートそのものじゃなくてってことがね。
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「おまもり」は小学校2年生の時の遠足の時にもらった。
2年生全員で歩いて行くけれど、僕には、それがとても大変なんだ。
僕は人から見るとなんでもない、おとなしい子だけど、アスペルガー症候群と学習障害だとメガネ先生に言われた。
本当の名前はメガネじゃないけれど、僕には先生のメガネが大きく見えたからニックネームっていうものかな。
おまもりは、B5位の大きさの紙に絵文字や色えんぴつを使って「つかれたら やすもう」や、担任の先生へのお願いを書いて、小さく折って首からかけられるように出来ていた。
ママは緑のノートに書いて、先生に教えてたみたいだ。遠足の時に時々先生が見てくれたから。
そして、日陰で休んで歩く。絵文字入りのおまもりは助かったよ。絵文字の顔の表情は文字より簡単だ。
だから子供用の携帯電話もすぐに出来るようになったよ。顔文字で読めたり伝えることが出来たからね。
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自閉症スペクトラム、発達障害、広汎性発達障害、色々言い方はあるみたいだ。
今は沢山の人が名前は聞いたことがあると思うよ。だけど、アスペルガー、サヴァン、学習障害・・・その詳しいことは興味を持ってもらえていない。
それに、同じアスペルガーと言っても、個性は人によって全然違うし僕みたいに別の何かと何かが重なったり、だんだん個性が変わっていくことがあるんだ。
知らない人たちからは誤解されてると思うよ。
僕の個性のことは、おすわりが出来るころからママは気がついていたみたいだ。
お兄ちゃん達が園や学校に行っていない時に僕はレゴブロックでよく遊んでいた。
黄、赤、緑、青色のプラスティック製のもので、下に穴があいている。
上にボコっと突き出てる。それを組み合わせて家や飛行機、車、自分の好きなものが作れた。
1時間でも、それ以上でもカチャカチャ遊ぶ。すごい集中力なんだよ、そんなに長い時間、遊んでるんだから。
時々、ママが「こうちゃん」と呼びかけるけれど僕は返事をしない。わざとじゃないんだ。
しないというより、出来ないんだ、聞こえないんだ。
1つのことに集中してると、周りのことが目に入らないし聞こえない。
そんな時にママは僕の肩をたたいて呼びかけるんだけど、急に体を触れられると身体に何か飛んできた感覚でビクッと怖くて手を振り払ったこともあった。
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抱っこもそうなんだよ。
ママは僕が可愛いと思って抱っこする。それが突然だと、体に隕石がぶつかったみたいな恐怖と違和感が出て、泣いて手足をバタバタさせた。
ママは困ってしまっていたと思う。まだ僕がアスペルガーの個性があると知らなかったから。わけがわからずに、抱っこされるのが嫌いな子って不思議だと思ってたんじゃないかな。
抱っこするのは僕のことが好きで一緒に外に出たかっただけなんだけど、僕にはそれがわからなかった。
お兄ちゃん達が抱っこされてニコニコしてるのを見ると「いいな」と思ったし、抱っこが嫌いということじゃないんだ。
急に身体に触れられるのが苦手だった。だけど、それをママに伝えることが出来なかった。
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園に行くようになって、僕もママもとても困ったよ。
連絡帳にはどうやら僕の悪いことばかりが書かれてあって、ママは読むと怒った顔というより、しょぼんという悲しい顔をしていたし、それが10日くらい続いてたから園に行ったみたいだ。
園長先生だけは僕に優しかったから、個性に気がついていたんだと思う。
こんなことがあった。
僕は粘土の時間には好きだったからずっと遊びたくて「外に行って体操しましょう」と言われても聞こえなかったし、粘土を最後まで作ることにこだわっていた。
気がつくと、担任の先生は手を引っ張って連れて行こうとする。僕はわけがわからないし、粘土が大切だ。最後まで作りたいんだ。途中でやめられない。
だから、大声で泣く。そうすると担任の先生も大きな声で叱るんだ。鬼のようにわめく先生に僕は疲れてしまって廊下に寝ころんで泣き続けた。
園長先生が来て、僕の横にゴロンと寝ころんだ。僕と同じ格好をして。
「ろうか、つめたくて きもちいいね。」
「うん。」
「ねんど したかった?」
「うん。」
「そとで たいそう するよ。おなか すいて つぎは きゅうしょく。
せんせいと そと いきたい?」
「うん。」
そうだ、園長先生は時々、園の中をあるいている。誰かが困ってる時や泣いてると声をかけるんだ。
あの先生は僕の個性に気がついていたと思う。
担任の先生は、なりたての先生で色んな子供の個性のことをよく知らなかったみたいだ。
ママが園に行ってからは、連絡帳には僕のことで「良かった出来事」も書いてくれるようになったみたいだし、園長先生は前よりも僕のクラスに来るようになった。
ママは僕にわからないようにコッソリと園を覗きにくることもあったけれど、僕は見つけてしまったよ。
どうして来たのかは理由がわかってた。
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よくアスペルガーの人は空気が読めないって言われる。それは当たってるかもしれないけれど、僕には人の表情や声のトーンで、人の気持ちや空気はわかることもあった。
えっとね、「気持ち、空気」は、わかる。
自分の気持ちや考え、人の気持ちを言語化するのが苦手なだけなんだ。
人から何か言われると、それを頭の中で整理するのにとても時間がかかってしまうし、時には整理が上手くいかなくて迷路に入りこんでしまって言葉が出てこない。
そうしてると、別のことが頭に浮かんで、検討違いのことを言ってしまったりね。
違うことを答えるから、「空気よめない」と誤解される。
だけど、人の気持ちには、どっちかというと僕は敏感な方だと思ってた。
苦手な人には僕は話しかけなかったし、好きな人には上手く言えなくても話しかけていたから、空気感や気持ちっていうのはわかっていた。「感じとることが出来る」というのかな。
僕は僕のことを受け入れない人と、受け入れてくれようとする人をとても分けていた。
それが悪いか良いかはわからないけれど。個性かもしれないし、性格かもしれない。
たぶん自分を守るためだったのかな。
これは、僕の話しだよ。
他のアスペルガーの人には、その人の個性や困ってることがあると思うからね。
それからね。「普通の人」でも人の気持ちがわからない人って、沢山いると思うよ。
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ママは僕のために考えたり、園長先生に話をしに行ったりしてくれていた。
でも、正直、時々いらいらしたオーラが出ていたな。
栗って美味しいけれど、まわりには針のようなもので囲まれていて触りたくないよね。
とげとげしてて、触ると痛い。
僕もそんな時があったしママもそんな時があった。
小学校1年生の終わりにメガネ先生に会ってから、僕のいらいらと疲れ方は、ずいぶんと減ったんだ。会えて、とても良かったと思ってる。