小説家になろうは路上パフォーマンスに近い
エッセイに限らず、創作活動で『小説家になろう』などの『無料で公開』する場合、私はその行為は『路上パフォーマンス』に近いものだと考えています。
違いがあるとすれば、貰えるものがお金なのか、それともポイントなのか、の違いだけ。感想・レビューと言ったものは人によって後者に類するかもしれませんが、路上パフォーマンスでも拍手や喝采はあるので私にとってはどちらかというとそちらのような感覚で受け取っています。
正直言うと、私はポイントも感想もレビューも全部欲しいです。
さて、作品を投稿するユーザーは、少なくとも規約やガイドラインの尊守することを了承してユーザーIDを作り投稿している”筈”です。
ときたまに『小説家になろう』のエッセイで
『読者は積極的にポイントを入れよう、ブクマしよう、具体的な感想を書こう、無料で読んでるんだからそんくらいやろうよ! それが”皆”のためだよ!』
という感じの内容で投稿されますが、
『それ、作者の立場で言えるのは凄いですね!』
と私はいつも思って読んでます。
私が『無料投稿サイト・ブログ・HPなどで投稿することは路上パフォーマンスに似ている』という意味はここに有ります。
路上パフォーマンス、大道芸でも音楽でも構いません、彼らはパフォーマンスに対して『見て良かったと思ったらオヒネリ貰えると嬉しいです』というスタンスでしかないのでは、と。
憶測と言われればそれまでですが、オヒネリで暮らしているとはとてもじゃないですが一部の人を除いてそうとは思えません。
オヒネリ(ポイント・感想・レビュー)を出す人も出さない人も居ます。
ユーザー登録をしない読み専門なんていくらでも居ます。
その人たち、それまでオヒネリを出さなかった人たちにとって『どうしても感想を書きたい作品』を、そして『私がおもしろいと思える作品』を書け
たら幸せだな、と思います。悲しいことに必ずしも両立出来る訳ではないですが。
そもそも『もっと作者は、読者は、○○すべき』論など、決着が付くはずがないのです。それぞれに正解が存在するのですから宗教戦争なみに不毛です。
ポイントが貰えなくて落ち込むことも有るでしょう。
期待していた展開ではなく苛つく場合も有るでしょう。
ただ、作者も読者も同じ一ユーザーでしかありません。少なくとも、規約上は。対等な筈です。
『そういう考えなんだ』
くらいで受け流すのが平和なんじゃないかな、とよく思います。
少なくとも私にとってはどちらが上でも下でも有りません。
まぁ、何かの間違いで私の作品が書籍化したら仕事として割り切ってオリンピックレベルの手の平く~るくるを披露し、皆さんに命がけで媚びますけどね。
まぁそういう考えも有ると思いますよ、ということで。