甘酸っぱ(本カノは! 仮カノは……)7
「え?! キスした?!」
何だか散々な中間テストが終わり、返ってき始めた答案がやっぱり散々な結果だったみのりを捕まえて、昼休みに屋上近くの階段に連れて行った加奈は、意を決した様にみのりに言った。
曰く、中間テストが終わって、またいつもの様に部活帰りに寄ってくれた柏木が、公園で、帰り際に。
「ど、ど、どうだった⁈」
「……むにょんとしてた……」
うわあああとみのりは叫び上げそうになった。
むにょんてなに?
むにょんって!!
聞いてるこっちが恥ずかしいわーーっ!!
「み、みのりちゃん、みのりちゃんが聞いたのに、倒れないでぇ」
「……ご、ごめん……ちょっと、すごすぎて……」
「恥ずかしいよ……」
「う、ごめん、でも、おめでとう」
「うん、ありがとう」
顔を真っ赤にしてふわっと笑う加奈が、本当に幸せそうで、みのりは心の奥からうわぁと嬉しさがこみ上げてきた。
「よかったねぇ」
「うん」
「幸せだ」
「……うん」
その加奈の顔にまた倒れ伏した。
もーどーしてこんな可愛くなっちゃうの?
柏木くん、罪だよ! 罪!!
お目めうるうるで、とろけるような顔で……こんなん振りまいたらダメだって!
みのりはふーーと長いため息をつき、階段に座って居住まいを正した。
「加奈」
「はい」
「なるべく、キスの事、思い出さない事」
「な、何で?」
「思い出してる顔が可愛すぎて惚れる男子が出るとダメだから」
「そ、そんなことならな」
「なるっ! そしてそんな事になったら困るでしょう?」
「……はい」
「そうゆう顔は、柏木くんの前でする事」
「ど、どうゆう顔」
「でれでれあまあまの顔!!」
加奈はかあぁと顔を真っ赤にして情けない顔をする。両頬を手にそえて、そんなに顔に出てる? と聞いてくるので大きく頷く。
「頑張って考えないようにします……」
「それがいいと思います」
両手をまだそえながらみのりにぺこりとお辞儀するので、みのりもぺこりと返した。
「さ、お昼ご飯食べよ! 時間なくなっちゃう!」
「うん!」
急いでお弁当を膝の上に広げながら、その後どうしたの、とか、今度も出来るといいね、とか、キスって毎回するもの? とか最後に逆に聞かれながらお昼を食べた。
加奈、そんなの分かるはずないよ……。
加奈は時々ずれていて、みのりがまだ付き合った事がないのをすっかり忘れてしまうのだ。
いいんだけど、いいんだけど、答えられないよ。
お昼休みを加奈の報告とお弁当で使ってしまったみのりは、溝口にまだ連絡出来ないでいた。そっとラインを確認するのだが、今日は向こうからもまだ何も入ってきていない。柏木から溝口に連絡が言ったら真っ先にこちらにラインが入るだろうから、まだ言ってないんだろうと思う。男同士はそんなに大っぴらじゃないかもしれない。
それに。
加奈と柏木がキスしたって事は、溝口との仮カレ仮カノ契約も解消しなきゃいけない。
溝口からラインが来ていない事をみのりはほっとしてもいた。
そんな話になったら否応なく、じゃ、うちらどうする? て話になる。そんな話になったら。
まだ、告白する勇気がない。
この間の勉強会で溝口が手を握ってくれて、舞い上がるぐらい嬉しかった。お部屋に入った時、少しだけ溝口の事を知れて、ああ、やっぱり溝口ってすごい、と思ったのに。
溝口の一言がみのりを暗くする。
自分でまいた種だけど、どれをどうもっていけば仮じゃなくなるのか、見当もつかない。
みのりは加奈に見えないように横を向いて、ため息をついた。
****
野球部の掛け声が聞こえる。
みのりは部活を終えていつものように職員室に鍵を返し、ゆっくりとグラウンドを見ながら歩く。
みのりが帰る時間、野球部はいつもノックをしていて、もうだいぶ日は暮れ、野球部の為に付けられたライトが部員たちを照らしている。
部員たちの影が薄く四方にあって、その短い影が綺麗で、みのりはいつもその影達が俊敏に動いていくのが好きで見ていた。
そして、夏の時には分からなかったけれど、秋も半ばになった今ではどの位置にいても溝口が分かる。
グラウンドを通り過ぎてテニスコートとグラウンドの少し坂になっている脇の道を下って、角を右手に折れてフェンス越しに溝口を見た。
ショートのノック。
右へ左へ走らされても、倒れても、すぐに身体を起こす。
昨日のラインで、返されてたテスト良かったみたいですごいね、と送ると、俺は柏木みたいに野球の才能ないから、自力でなんとかしねーとなー、と返って来てた。
野球の才能、あるのに。
立ち止まって青いフェンスをそっと握る。
あんなに球にくらいついて取る人、他に居ないのに。
なんだか悔しくて、もどかしくて、離れられずに見つめていた。
口ではそんな事言ってるけど、たぶん、人一倍野球、好きなんだと思う。
勉強会の時、部屋の勉強机に辞書や参考書と一緒にずらっと野球の本が並んでいた。トレーニング方法とか、なんとか。素人のみのりが見ても、ノウハウ本だって分かる。
クラスでは騒がしくて軽口ばっかり叩いてて、影ではこんなに努力してるのに、本人は才能ないって本気で信じてる。
そんな事ないのに。
ラインで上手く返せなくて、私もがんばろ、みたいな当たり障りのないハチマキスタンプを流しただけ。
何もできない自分が歯がゆくて、ただスマホを見つめるしか出来なかった。
そして今も、ただ、この桜の木の影からフェンス越しに見つめるだけ。
と、その時、なぜか、溝口がこちらを見た気がした。
すぐにノックの構えになったけれど、また……。
次の瞬間、溝口が仰け反った。体勢が崩れ、よろめいて尻餅をつくと、顔抑えている。
ボール?! 当たったっ!!
ガシャンッと大きな音を立てみのりがフェンスに顔を近づけると、部員たちがわっと集まっている。
「っ溝口!」
みのりは身を返して走り出した。
フェンスの角を曲がり、坂を登ってグラウンドに出ると、溝口は立ち上がって、大丈夫っす、さーせん! と集まっている部員達に言っていた。監督が何か言って怒っている。溝口はまたさーせん! と謝り、監督にも部員にも頭を下げて、マネージャーに付き添われながら校舎の方へと歩いて行く。
途中、みのりに気付いた溝口が、バツ悪そうにくしゃっと笑って、後で電話なのかラインなのか、とにかくそんなゼスチャーをした。
みのりは黙って頷くしかなかった。
側に駆けよる事も、一緒に保健室に行く事も出来ない。
近寄れば、マネージャーにどんな関係か言わなければならない。
言えない
言えないよ。
彼女ですって言えない……。
だって
〝仮〟なんだもの
唇が震えそうになって、慌ててグラウンドを出た。
坂道を転がるように下ってその勢いのまま走る。テニスバッグが肩からずり落ちそうになって、必死で抑えた。
なんで仮って言っちゃったの
最初から、加奈の為もあるけれど、本当のカレカノとして付き合って欲しいって言えばよかったのに
途中からでも、言えたのに……。
でも、そんなの言えない
溝口は仮だと思ってる
手を繋いでくれるのだって
ミッションの内
〝ミッションコンプリート!〟
勉強会の時の、明るい溝口の言葉が脳裏にこびりついて離れない。
手を、何度も握ってくれて
もしかしたら もしかしたら私の事、って、思った。
でも、あの言葉で全てが嘘なんだと気付いた。
溝口にとっては、全て仮でのこと。
あの手には、何も意味は。
着信音がなった。
全速力を緩めて、スマホを見る。
加奈の表示。
息が出来ない。
一旦切れて、でもまた直ぐに鳴り出した。
みのりは、震える手でタップをした。