無題―感傷―
雪が積もったように白かった空に、数日ぶりに色味が戻った。
桜の花はじりじりと散り始めており、道の脇や川面を彩っている。
群れを離れた花弁の幾つかは、道行く人々の肩や髪に、また自転車の座席やマンションのベランダなどに身を寄せ、その多くが知らぬ間に向かうべき場所へ行く。
今は出会いの季節の最中だろうか。
別れの頃が随分前に感じられる。
形式的にできた爽やかな傷は、傷跡も残さずに姿を消した。
新たな生活に際して入れ替わりで生まれたささくれが、目下私の自尊心だ。
上手く笑えていないのは、こいつが僅かに痛むから。
きっとそうに違いない。
どうにかしようと胸を撫でてみるけど、手は、指は、届かないから困りものだ。
地面に落ちた花びらを、私はなるべく避けて歩く。
見上げる位置にあるときは称えられて、樹を去れば踏まれたり、蹴られたり。
それが何だか忍びない。
それに、私にとってあれはまだ桜だし。
足元には気にも留めず連れ合う人たちは、美しい歩幅で歩いている。
視線を下げてふらふら歩く私は、綺麗なものを守ろうとして、汚い足取りで行ったり来たりを繰り返す。
アイツやあの人やあの娘や、同じ場所を飛び出した名前も知らない大勢も今、もがいているのだろうか。
それともそつなく日々を渡っているのだろうか。
立ち止まり、やおら空を見る。
ささくれが、小さく痛んだ。
その痛みに紛れて疼いた箇所は、今更自力では探せない。
もうとっくに、私は春に立っている。
満開に近づく地面に、確かな影を落としている。
お読みいただきありがとうございました。