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空の器  作者: 相田 來生
第一章 既存
7/29

6.休息


 6


 王城へ向かってまっすぐと伸びる大通りへ出た。

 そこは幸広が毎日通っていた商店街の何倍もの大きさで、夜にも関わらず多くの人々が行き交っている。

 何か催し物があるのか、出店のようなものも多く準備されている。

「明日はこのイェギナ王国の建国記念日なんです。そのお祝いでお祭りをするのが毎年の恒例でして。明朝から国の繁栄をお祈りする儀式が始まり、そのあと約三日間はお祭り騒ぎが続きます」

 嬉しそうに語るストラッシュを見て、この祭りを楽しみにしているように見える。

「でも!私たち王国騎士団はこういった大きな行事があるこんな時こそ警戒を強めなければなりません!こういう時にこそ不埒な輩が現れるものですから、ユキヒロ殿も道中お気をつけください」

 拳を握り自身の仕事への意気込みを語る兵士の、姿に幸広は複雑な感情を抱く。

 仕事に対してそんなに意気込んだことはもうかれこれ数年はない。

 毎日同じ道を歩き、毎日同じような業務をこなして、当たり前のように残業をし、疲れて帰る。寝て起きたらまた同じことの繰り返しだ。どこに意気込めばいいのだろうか。

 この生活に慣れてしまった今では淡々と生きることしかできなくなっていた。

 社会に出た当初は分からない事ばかりだし、新しいことを覚えることは楽しかったはずだ。

 いつからこんな感じになってしまったのだろうか、会社や世の中のために何かしようという気持ちは今はもうないのかもしれない。

「仕事、好きなん?」

 自分にはとうの昔に消え失せた感情だ。人が仕事に関してどう思っているなどとさして興味はないが、話をつなげるネタとして話を振る。

「好き、というか……お恥ずかしいお話ですが、私には守りたいと思うお人がおりまして……直接的ではないかもしれないですが、自分の行いがあの方の為になると思うと自然と力が(みなぎ)ってくるのです」

 兜であまり見えない顔は少し赤面している。

 普通なら何かの為に何かしようと思うものなのだろう。

 自分はどうだ?何の為に働いてきた?自分の為?生活の為?

 誰かの為になんて考えたことはあっただろうか。

「ユキヒロ殿?」

「え、ああ、ごめん。そっか、彼女おるんや!羨ましいなぁ、どんな子なん?」

 ストラッシュに心配そうに声をかけられ我に返る。無意識のうちに考え込むようになっている。

「いえ、あの方とはそのような関係ではなくですね……そもそも立場が違うというか……」

 照れながら意中の人の話をするストラッシュはとてもいきいきとして見えた。

(俺も帰ったら……いや、考えるだけ無駄か。それよりも仕事やな)

 今この時点での目の前も真っ暗だが、無事元の場所に戻ったとしても今と大して変わらない。むしろ帰った方が状況が悪いかもしれない。

 こんなにも人生うまくいかないものなのだろうか。

 今こうして周りで楽しそうに祭りの準備をしている人々は、皆幸せなのだろうか。家に帰ったら家族がいて暖かい食卓を囲むのだろうか。

 それに比べて自分はどうだ。

 毎日暗くて寒い部屋に帰る。

 寂しい。ああ、自分は寂しかったのか。

 自分がとても惨めに思えてくる。いろんな負の感情がふつふつと沸き起こってくる。

 次第に胸のモヤモヤは増え、心なしか心臓も痛い気もする。

 そうだ、自分は今まさに呪われているんだ。本当にお先真っ暗じゃないか。

 辛い。このまま生きていける自信がない。

 自分の中でぐるぐると黒い何かが渦巻いているのがわかる。

 こんなことじゃダメだ……前を向かないと。

 しかしついに目の前がブラックアウトしそうになったその時、強い衝撃を全身で感じた。

「んぶっ」

「ああ、ごめぇん」

 正面から女性がぶつかってきたのだ。

 その女性はとても軽い感じで謝るがすぐにその場を離れる。

 その出で立ちはとても印象的で、黒く腰の辺りまで伸びる長い髪は頭の高い位置で二つに束ねられ、テロテロとした生地の黒いライダースジャケットによく似たものを羽織り、尻が見えそうなくらいのショートパンツ、黒のロングブーツを身につけ、手には大きな酒瓶。

 フラフラといろんな人にぶつかりながら歩いている。

 祭りの前から祭り気分になる類の人なのだろうと思いながらその女性を見送る。

「ユキヒロ殿!大丈夫ですか?お怪我はありませんか」

「うん、大丈夫」

 あの女性とぶつかったおかげか、衝撃の驚きで先ほどの黒い感情は一瞬にして何処かに消えてしまった。

「酒瓶……気が早い女ですね。やはり警戒は強めないと……ユキヒロ殿、念のためにご自身の持ち物をご確認ください」

「ああ、うん。大丈夫何も……って、アレ?」

 パタパタと上着のポケットを触る。が、何の感触もない。手を入れてみても何もない。

 というかこの国に来てから自分の持ち物を見ていない。

 確か財布とスマートフォンと家の鍵しか持っていなかったはずだがそれすらもない。

「ユキヒロ殿……まさか」

「…………」

 幸広は血の気の引いた顔でストラッシュの目を見る。

 聖山で目を覚ました時上着は丁寧に壁のハンガーに掛けられていた。先ほど着たのでそれは覚えている。

「パ、パネンカさん、俺をここに連れて来てくださった時俺の荷物って……」

『知らねーよ』

「ですよね……」

 あからさまに落胆する。

 もしや上着を脱がしてくれた時にあの二人が……?

 いや、そんな助けてくれた恩人を疑うなんてそんなことあるか。

 そもそも自分の国の持ち物はこちらではほぼ無価値なモノのはず。しかし一体いつからないのかわからない。

「さっきの奴、怪しいですね」

 ストラッシュは槍に手を添える。幸広はそれを慌てて制止した。

 この国の軍人は一体どこまでが冗談でどこからが本気なのかが読めない。流血沙汰になるのは避けたい。

「いや、いつからないんか分からんから、自分でどっかに落としたかもしれんし……頼むから落ち着いて!」

 ちらりと見えた兜の奥の瞳はどう見ても本気だった。

『なら後でセンセイに聞いてみよーぜ』

「え、なんで」

 自分の心の声が漏れていたのか。若干焦るが、どうやらそうではないらしい。

『お前をここに連れて来た時そのごつい上着剥いだのはセンセイだし、何か知ってるかも。今どこにあるのかも教えてもらおう』

「え、そんなん、あの人が盗ったって決まったわけじゃないし……」

 ぐいぐいと幸広の袖を引っ張り早く行こうとパネンカが急かす。

 しかし、背後から怒号が飛んできた。

「プロル様はそんなことしません!」

 急に聞こえてきたそれはすぐそばにいたストラッシュからだった。

 あっ、と小さく声をあげ我に返ったストラッシュは何かを誤魔化すように軽く咳払いをし、言葉を続けた。

「わ、私も、軍師殿にお伺いを立てるのが一番の近道だと思います」

「そ、その心は……」

 また突っ込みたいことが増えてきたが、ここは話に乗らないと前に進まない気がするので我慢する。

『センセイは過去と未来を覗けるすげー鏡を持ってるんだよ』

 出た、ファンタジー要素。

 忘れた頃にぶち込まれるゲーム感に未だ瞬時に対応できない。ちょこちょこと情報を小出しにされると毎度現実に引き戻される感覚がして落ち着かない。


 ストラッシュに先導されて足を踏み入れた場所は、街と同様に中世ヨーロッパを彷彿とさせ、現存している古城と呼ばれるものに類似していた。

 城門の両サイドには見張りとして、ストラッシュと同じ鎧を纏った門番が立っている。

 通り過ぎる際に門番にちらりと横目で見られたが、ストラッシュと共にいるおかげか呼び止められることもなくすんなりと入ることができた。

 門を過ぎると目の前には一面に広がる石造りの建物にさすがに幸広も圧倒された。

 夜でも篝火を煌々と焚き、同じように鎧を纏った衛兵とみられる人々が忙しなくしている。

 オルヴァーハとプロロクツヴィはすでに到着しているのだろうか。

 王女に何かあったらしいという知らせを聞いていたが、周りを行き来する者達に焦りの色は見えない。

「なあ、ストラッシュさん……この人らって」

「ユキヒロ殿」

 ストラッシュは指を立て口に当てた。幸広の考えていることを読み取り、これ以上喋るなという意味を込めているのだろう。

「先ほどの情報に関してはまだ上部より通達がされていないようです。この者達にはまだ知らされていないので、ここでは口にしないでください」

「は、はい」

 小声で諭された幸広は慌てて口を押さえる。

 何も知らされていないこの衛兵達は明日からの祭りに備えているのだ。その表情からは祭りが楽しみなのであろうことが伺える。

 真っ直ぐに続く廊下を突き当たりで曲がると、中庭のような草木に溢れた空間の前に出る。吹き抜けになっているそこは月明かりが降り注ぎ、なんとも神秘的な雰囲気を醸し出している。

 ストラッシュによれば中庭の中央には質の高い魔力(マギ)の満ちた小さな泉があるらしく、城内でも神聖な場所として出入りを制限されている。ストラッシュも一度も足を踏み入れたことはないらしい。

 その泉は聖山のどこかにあると言われる泉と繋がっていて、聖山と同様にその空間に居ることで魔力(マギ)の総量が底上げされる。しかしその量としては本家聖山にはやはり劣るらしいが。

 ここに出入りできるのは城内の最高位魔法士やそれに関わる者のみで、その者たちにより強力な結界が張ってあるのだそうだ。

「この『フォンターナ』と呼ばれる泉は国内すべての正式な儀式が行われる場所で、明朝からの『繁栄の祈祷』なんかは国内最高位の祈祷師様たちが集まってここで行うんです。その魔力(マギ)の光が空に放たれた時、国に平和と繁栄をもたらされると伝えられています」

「ふーん」

 かなりの広範囲に広がる中庭は、王城の敷地内であることを忘れるくらいのものだった。そこから見える空には多くの篝火を焚いているこの場所からでも星々が美しく見える。

 こんなにも美しい星空を見たのはいつぶりだろうか。

 空を見上げながら歩いていると目の前に突如パネンカが現れた。

『オレが生まれたのもここだったんだぜ!』

「パネンカ!びっくりした……おらんと思ってたら何処行っとってん」

 城内に入ってから姿が見えなくなっていたパネンカは驚く幸広にケラケラと笑いを飛ばす。

『センセイにお前が到着したことを報告に行ってたんだよ!ちょっと思ったよりまずいことになってるみたいで手が離せないって!ストラッシュ、こいつを客室に案内しとけってさ』

「承知した」

 中庭を通り過ぎると左右二手に分かれる廊下に出た。左に曲がり、一番奥にある一室の前で立ち止まった。ここが客室のようだ。

「この部屋をご自由にお使いください。私は食事の準備をしてまいりますので、それまでお体をお休めください。パネンカ殿、こちらはお願い致します」

『おう』

 通された部屋は高級ホテルのスイートルーム並みの部屋で(写真やテレビでしか見たことがないが)、幸広一人で使うにはあまりにも大きすぎるものだった。

 今まで暮らしてきたアパートも小さなワンルームだったので、寛げと言われてもどう使えばいいのか正直わからない。

 もう少し庶民的な小さな部屋に変えてもらおうと振り返ったが、ストラッシュはすでにその場を離れていた。

 諦めた幸広はせっかくのスイートルームなので存分に堪能しようと決め、室内の探索に移った。

「そういえば、さっきあの中庭で生まれたって言うてたな。どういうことなん」

 いくつもある部屋を一つずつ見て回りながら、宙に浮くぬいぐるみに尋ねる。

『んー?オレはセンセイに作られたって言ったろ?それであのフォンターナで祈りを捧げられて命を吹き込まれたんだ。もっとも、命って言ってもセンセイの魔力(マギ)を蓄積してるだけだけどな。そこに泉の恩恵で自我が生まれた。神聖な場所で生まれたオレ様は神聖な存在なんだぜ!崇め奉れ!』

「なんやそれ。ふーん……作ったって、お前ぬいぐるみやろ?あの人がチクチク縫ったってこと?」

『なんだよ、おかしいか?センセイは何でもできるんだぞ』

 幸広は脳内でプロロクツヴィが無表情で針を持つ姿を想像した。……が、それ以上想像しようとしたところで思考が止まった。脳が考えることを拒否しているようだ。

 部屋の探索を続けていると、風呂を発見する。もはや大浴場だ。完全に体が癒しを求めている。

「パネンカぁ、俺風呂入ってくるわぁ」

『勝手に入れよ』

 わざわざ報告をする幸広は我ながら関西の血が流れているな、と思った。

 一人で暮らしている時も誰もいないのに「風呂入ろ」は勿論「トイレ行こ」など口に出すことが多い。

 幸広が風呂に籠ってからしばらくすると部屋の扉がノックされる。パネンカが扉を開くと鎧を脱ぎ軽装になったストラッシュが手に食事を抱えて立っている。

「パネンカ殿。ユキヒロ殿は如何なさった?」

『あいつなら風呂だぜ』

「そうですか。軽食を用意したので食べられそうだったら食べてくださいとお伝えください」

『おうよ。でもそろそろ声かけたほうがいいかな。女の風呂並みに長い』

「どういう事ですか?」

 ストラッシュは部屋に備え付けられたテーブルに食事を置き、風呂の扉をノックする。

「ユキヒロ殿、大丈夫ですか?ユキヒロ殿」

 声をかけても応答はない。ストラッシュはそっと扉を開くと脱衣場には誰もいない。かすかに水音がする。

「ユキヒロ殿?」

 まさか、と急いで奥の扉を開くとそこには大きな浴槽のヘリで湯に体を浸けたまま突っ伏している幸広の姿が。

「パネンカ殿、急ぎタオルと水を準備してください!」

 駆け寄ると、やはり気を失っている。

 幸広を抱えて風呂から出たストラッシュは、パネンカからタオルを受け取り幸広を包むとそのままベッドに寝かせた。

『死んだ?』

「死にません!物騒なこと言ってないで何かで風を送ってください!」

 膨れ面をした(ように見える)パネンカは体から淡い光を発すると自らの腹に手を突っ込み、うちわによく似た形状の板を取り出した。

 それぞれで扇いでいると、幸広が(うめ)く。

「ユキヒロ殿、気がつかれましたか」

「え……ここどこ……誰?」

『ボケてるぞ』

 パネンカを一瞬睨んだが、ストラッシュはすぐに幸広に向き合った。

 先ほどまでずっと兜をかぶっていたので幸広はストラッシュの素顔をちゃんと見たことがなかった。

「ストラッシュです。風呂でのぼせておいでだったので失礼ながら運ばせていただきました。気分は如何ですか」

 水を飲むように促すと、ゆっくりと起き上がろうとする幸広の背中を支える。

「マジか……ごめん迷惑かけて。もう大丈夫」

 水を一口飲むとグラスを返し、再び横になる。

 冷たいタオルを受け取ると幸広はそれを目の上に置いた。じんわりと沁みわたる冷たさが心地いい。

「しばらくお側におります。食事も準備してますので、もし 食べられそうなら」

「ん……ありがと……」

 そう言うとこれまでの疲れからか、間を空けずに深い眠りについてしまった。

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