5.移送
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辺りが森のように木が生い茂ってきた頃、ようやく麓まで降りてきたことを実感する。
眼下に大きめの門が見えた。ここから見ても大きいと思えるので、近くに行けば相当なものなのだろう。
その先に馬が二頭繋がれた豪華な馬車が大きな門を半分ほどを塞ぐように止められている。
そばにはオルヴァーハのものとよく似た銀色の鎧と兜を身につけた兵士が槍を携えて控えている。
兵士は一行の姿を確認すると、鎧が擦れる音を立てながら急いで近寄ってくる。動くと背中で黒く長い髪が束で揺れるのが見える。
兵士は一行の前で素早くキレのいい敬礼をした。
「軍師殿!副団長殿!お待ちしておりました!馬の準備は整っております。ご命令あらばすぐにでも出立できます!」
「ストラッシュ、お疲れ様。買い物も何もすべて任せてしまいすまなかった」
「いえ!副団長殿のご指示ですので!」
ストラッシュと呼ばれる青年は、オルヴァーハに声をかけられ、改めて敬礼をする。
それを見て本当にオルヴァーハは騎士団の副団長なのだと感心した。
するとその青年がちらりと幸広に目線を移す。
「その方が……」
「そうだ。詳しい話は着いてからにしよう」
プロロクツヴィはストラッシュの肩にポンと手を置き、そのまま馬車へと向かう。
びくりと体を萎縮させたストラッシュは「はい!」と少し裏返る声で返答する。
重そうな兜の影になってはっきりとは見えないが、なんだかその顔は赤らんでいるようにも見えた。
オルヴァーハに促されて進む幸広を顔を上げたストラッシュがじっと見つめてくる。その目はこちらがひるむほど真っ直ぐな瞳で、彼の性格を表しているようだ。
「……なんでしょうか……」
あまりにも直視されるので何事かと思わず口を開いてしまった。
その声で我に返ったストラッシュは大きく手を横に振る。
「あ、いえ、申し訳ございません!私、王国騎士団騎士隊第一部隊第三小隊のストラッシュと申します!軍師殿、副団長殿と共にあなた様を王都まで無事お送りさせて頂きます!以後お見知り置きを!」
幸広に改めて大きく敬礼をする。幸広はその圧力に押されて若干ふらついた。
「このストラッシュはプーの昔馴染みだそうでな。幼い頃から騎士団の寄宿舎によく出入りしていて……」
「ちょっと待て、プーとは」
「プロロクツヴィのことだ。長いだろう」
まさかと思って思わず話の腰を折ってしまったが、思っていた通りの言葉が返ってきた事に幸広はたじろいだ。響きだけで見れば某有名アニメーションのソレを思い出す。
ストラッシュはそれに構わず駆け足で馬車に向かうと、近い手前の扉を開けた。
すでにプロロクツヴィは乗り込み、書類に目を通している。
先にオルヴァーハが乗り込み、中から幸広の手を引っ張りあげた。そのままプロロクツヴィの隣に座ったので、幸広は必然的に二人に向かい合うように座ることとなった。
助けてもらって恩は感じているが、いくら山道を共に下ってきたとはいえ、ほぼ初対面の人間とこんなに密閉された空間に詰め込まれるとは思っていなかった。何となく沈黙が辛い。
「それでは皆様、これより王都へと向かいます。道中揺れますので、お気を付けください」
ガタンと馬車が動き始めた。背後の壁についている小さな窓を覗くと、ストラッシュが手綱を引いているのが見える。言葉通りストラッシュが王都まで連れて行ってくれるらしい。
幸広は元の体勢に戻ると、向き合って座る二人の顔を見た。プロロクツヴィは相変わらず書類を睨みつけている。
オルヴァーハはパネンカを幸広の隣に座らせた。
その光景をぼんやりと見ながら幸広は頭の中を整理していた。
あろう事か自分の体には呪いがかかっており、それを解く為にはこの国のお姫様にお願いをしなければならない。しかしそのお姫様は病気で、それを治さないと呪いは解けない。そしてその病気は自分にしか治せない。
字面だけみると簡単な感じ見えるが……一通り思い出したところで深いため息が出た。
全てが夢であればいいのに。
そうは思うが今も続く胸の違和感を感じると、そうはいかないのだろうと実感させられる。
すると膝のあたりで何かが当たる感触がするので視線を落とすと、パネンカが慰めるように幸広に触れている。何も言わずこちらを見ているぬいぐるみは心配をしてくれいるように感じ取れた。
幸広は小さく微笑んで、猫に似せて作られた頭を撫でてやった。
辺りは日が陰り始めてきている。右側の扉につけられた窓から差し込む夕日に目を細めた。
どのくらい揺られていただろうか。眩しかった夕日は完全に落ち、少々寒さが体に響くほどになった。
そういえば日本は冬だったが、ここの気温はどのような変化があるのだろうか。日が高いうちは山中であっても寒さは気にならなかったということは、冬ではないのだろうか。そもそも四季のある国なのか。
これまで舗装されていない道を走っていたような揺れを感じていたが、気がつけばその揺れは軽減している。
窓の外は明かりはほとんどなく、まだ街へすら到達していないようだ。一体今どこにいるのだろう。
道中ほとんど会話のなかった空間にも少なからず慣れた。
車内ではいつの間にかパネンカと仲良くなり、ほとんどじゃれあう事で時間を潰していた。よくよく見るとなかなか愛嬌があり、なんとなく可愛く見えるようにまでなっている。
いつしかそのじゃれあいも落ち着き、壁にもたれ扉についている窓から何も見えない真っ暗な外を眺めていると、プロロクヴィが口を開いた。
「パネンカ、そろそろだ。見てきてくれ」
暗がりの中でパネンカはその言葉を聞くとピンと背筋を伸ばし『了解』と宙に浮くと、くるりと一回転しそのまま闇へと消えた。移動魔法は使えないと聞いたばかりだったが、先ほどは幸広が混乱していたので詳しい話は省略されたらしい。
「本当の所は人間などの生物も移動魔法は使える。しかしそれには大量の魔力の消費と大きな対価が必要となる。魔力だけでなくその者とそれに関与した者から何かしらの対価をとられる。しかしその対価があまりにも大き過ぎるため一般で使用するには適さないと、遥か昔に魔法協会が禁忌と指定した。特に世界間空間移動に関しては……。世界間移動に成功したのは数えるほどだろうがな……パネンカは生き物ではなく中に蓄積されている魔力を消費して活動しているため『物質』として認識される。物質自らの意思で行う移動には対価は魔力の消費だけで済む、という事だ」
「はぁ……」
よくわからないが、ぬいぐるみだから出来るという事なのだろう。そもそも、ぬいぐるみが意思を持つという意味がわからない。
しかしこれ以上聞いても理解出来ないのは分かりきっているので口にするのはやめておいた。
だが今の話の内容でどこか少し引っかかりを感じる。それが何なのか分からない。
すでに脳内のキャパシティは超えているのかもしれない。
そうこうしているうちに何もない暗闇から再びパネンカが現れた。
「うぁ!」
『うわ!デケェ声出すなよ……こっちがビックリすんだろうが……そんなことよりセンセイ、城の様子が変だったぜ』
「変とは?」
『うーん、なんか焦ってたな。ダイジンのおっさんがセンセイを早くって』
「結論から先に言え。ストラッシュ、もっと早く走れるか」
プロロクツヴィは身を乗り出して幸広の背後にある小窓を叩いた。
「やってみます!」
はっ、と小さく声をあげ持っていた鞭を鳴らす。それにゆっくり歩を進めていた二頭の馬が嘶くと駆け足程度に速度を速めた。
徐々にスピードは上がってきているが、そのせいで馬車の揺れは大きくなる。
「なんだ、何があったんだ」
オルヴァーハがただ事ではなさそうな雰囲気に声をあげる。
「私を呼ぶということはおそらく姫に何かあったのだろうな」
冷静にそう言い放つプロロクツヴィに、感情をあらわにしたオルヴァーハが掴みかかる。
「何かって……!どういうことだ!」
「阿呆。王都を離れている間のことは私にも分からん。そもそもお前が帰ってくるまでに何年経っていると思っている。お前にはほんの数日だったかもしれんが向こうとこちらとは時の流れが違うと言っているだろう。その間に病状が悪化していてもおかしくはないだろう。姫が関わると阿呆になるその頭を何とかしろ」
「くっ……」
掴まれている手が緩むとプロロクツヴィはその手を払いのけ、襟元を正した。
「私が城を出た時は姫に変化は見られなかった。この二日足らずで急激に悪化することはまずないだろう。何かあればすぐに知らせるよう言ってあるから、事が起こったのは今しがたのことだろう。パネンカ」
パネンカは耳を立てて反応した。
『アレ、出す?』
「頼む」
プロロクツヴィは自分が座っている側の扉を全開にし、胸元から魔具を取り出す。そのまま落ちないよう片手で扉の縁を掴み体を外へと投げ出した。
「危っ……!」
飛び降りると思った幸広は手を伸ばしたが、当の本人は涼しい顔をしているのでその手を引っ込めた。
ペン先は水色の光が灯り、それを進行方向に放り投げるように一本の線を引いた。その線は前を走る馬をも追い越し、延々と真っ直ぐ伸び続けている。
「先に行って現状を確かめてくる。オルフ、お前は後から来い」
そう言い放つとプロロクツヴィはパネンカに手を伸ばす。だがその手をオルヴァーハが掴み、自分の方へ引き寄せた。
「いや、俺が行く。元々は俺のせいで姫は……」
「だからだろうが、阿呆。お前はまだ任務の途中であることを忘れるな」
ちらりと目線を幸広に向ける。オルヴァーハが幸広を連れて来た目的は、無事に王女の元へ連れて行くことだ。この道中に再び野党や闇者に襲われる可能性がゼロとは言えない。
幸広は魔法を使えない一般人なのだ。
軍師に説き伏せられた騎士団副団長は掴んでいた手を離した。己の役割を全うすることを選んだのだ。オルヴァーハが掴んだところは赤くなっている。
「パネンカ」
『あいあい。準備出来てるよー』
パネンカが淡い光を放ち、自らの体を反らし腹を突き出した。
プロロクツヴィの手はぬいぐるみの腹へと飲み込まれていく。
腹から重そうに何かを引きずり出すと、そのままの勢いで開けていた扉から外へ放り投げた。
外に放り出されたそれは瓢箪を真ん中で縦にスライスしたような形で、豪華に飾り付けられている。地面と平行に浮いているそれは幸広からはあまりはっきりとは見えないが、暗い色で塗られた裏面には水晶玉の半球のようなものが二つくっついている。その謎の板は動く馬車と一定の距離を保ちながら自走している。
プロロクツヴィはちょっとした段差を降りるような感覚で馬車から飛び降りた。
幸広は「落ちた」と一瞬顔を背けたが、それは杞憂だった。彼は自身で放り投げた謎の板の上にバランスよく立っている。
「では先に行く。ストラッシュ、あとは頼んだ」
「はい!お任せください!」
瓢箪の前方を体重移動で少し上げるように傾けると裏面の水晶が光り、先ほど引いた水色の線と共鳴を始めた。水晶が強い光を放ったと思うと、一瞬で見えなくなるほどの速さで光の線に沿ってその板は黒髪の男を乗せたまま走り去った。その姿はスケートボードを彷彿とさせる。
「あいつすごいな……」
幸広の勝手な偏見だが、プロロクツヴィは見た目とその職業柄どうしてもインドアなイメージをしてしまうが、思いの外アクティブだったようだ。
一方オルヴァーハは焦った表情で拳を握りしめている。先ほど「俺のせい」と言っていたのは、その王女に何かしたのだろうか。
「パネンカ、城まであとどのくらいだ」
『そうだなぁ、この速さだとあと一刻くらいはかかると思うけど』
「くそっ……」
舌打ちをして拳で自分の足を殴る。そんな彼を見ていて、幸広はどこかいたたまれない気持ちになってくる。
幸広は自分の意思でここに来たわけではないし、任務とか正直どうでもいいが、目の前のこの苦しそうな青年を見ていると自分も何か協力してやらなければならないのではと思えてきた。
「オル……俺が言うのも何やけど、大丈夫やから行ってきてええよ。こっちは何とかするし、あの人にはちゃんと守ってくれてたって言うとくし。お前もあの人みたいにビューンって出来るんやろ?」
その言葉にオルヴァーハは目を見開いた。そしてすぐ悲しそうな表情へと移り、しばらく考えた。
「俺は……いや、大丈夫だ。ユキをこんなところに放っていくわけにはいかない。王都が近いとはいえ野盗が出ないとも言えないしな」
ありがとう、と今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべる。
どうしてだろう。何故、この人はずっとこんなに辛そうなのだろう。
新参者である幸広にはどうしてもそれ以上その真意を聞くことは出来なかった。国も世界も違うと言われてしまえば、新参者はその郷に従うしかないのだ。
幸広はこれ以上言葉を発することが出来なかった。
しばらく重い沈黙が続いたが、その沈黙を破ったのは車外にいたストラッシュだった。
「副団長殿!見えてきました、城下町です!」
さすが王都と呼ばれるそこは大きな壁に囲まれ、夜も更けてきているといるというのに空に向かって煌々と灯を掲げている。
街の出入り口にあたる門に着くと、二人の門番がキレのいい敬礼をする。
「お待ちしておりました!」
「副団長殿!ここよりは馬をお使いください!」
そのいきなりの申し出にオルヴァーハは狼狽える。
「いや、しかし……」
自分には任務が、そう言いかけた時ストラッシュが間に入る。
「副団長殿、ユキヒロ殿は私が責任を持って王城へお連れ致します。その馬も軍師殿がご指示されたものと思われます。城下に入ってしまえば衛兵も多くいますし、賊に襲われる心配もございません。ここはお任せください」
オルヴァーハは幸広を見た。黙ってうなづく幸広にすまない、と一礼をして用意されていた馬に跨った。
「パネンカ、お前もユキについていてくれ。何かあれば知らせろ!」
『了解』
その答えを最後まで聞かず、馬を走らせる。
残された幸広はその背中を見送ると、そのまま気が抜けたようにへたり込んだ。
「ユキヒロ殿!いかがなされた!」
「あ、ごめん……いや、ずっと気ぃ張ってたみたいで。今頃疲れが出てきたんかも」
へらへらと笑う幸広に慌てて駆け寄ってくるストラッシュは安堵の表情を浮かべる。パネンカにユキヒロを少しの間任せた彼は門番の一人に馬車の処理を託しにその場を離れた。その間に幸広は気になっていたことをパネンカに聞いてみることにした。
「なぁパネンカ」
『何?』
「なんでオルは魔法使わへんの?」
パネンカの動きが一瞬止まる。触れてはいけない内容だったのか。しかし少しの間を空けて返答が返ってきた。
『オルフの旦那は使わないんじゃなくて、使えないんだよ』
「え?」
その先を聞こうとするとストラッシュが戻ってきたのでパネンカが離れたところに移動してしまった。
皆が魔法を使えるらしかったが、何か事情があるのだろうか。
何にせよ余所者の自分には関係のないことだ、そう言い聞かせて深く考えるのを止めようとするが、とても言葉では言い表せないモヤモヤとした黒い感覚が残るのを感じる。
除け者にされているのが嫌なのか。小学生でもあるまいし。
だが確実に胸の奥には何かが残っているのを自覚している。幸広は数回深呼吸をした。