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空の器  作者: 相田 來生
第一章 既存
5/29

4.転移

 

 4


『◯日未明◯◯県◯市の二階建てアパートで、人が死んでいると近所の住人より通報がありました。被害にあったのは香田豊(こうだゆたか)さん(三十二歳)と妻の洋子さん(二十七歳)。長男の(めい)ちゃん(十歳)は意識不明の重体で、長女の(ゆい)ちゃん(七歳)は現在行方が分からなくなっているとのことです。殺傷された三人には複数の刺し傷や切り傷があることから何者かの犯行であるとみられ、行方不明の結ちゃんも事件に巻き込まれたとして警察は調べています。香田さん夫妻はかねてより児童虐待の恐れがあることから何度も児童相談所の職員が訪れていましたが、その事実は今の所確認されていません−−次のニュースです……』




 暗い……何も見えない……

 体も自由に動かせない。宙に浮いているような感覚がする。

 ゆらゆら、ゆらゆらとまるで広い海の中に放り込まれたかのようだ。

 痛い。

 胸が、心臓が痛い。

 息ができない。

 たすけて……

「……!」

 急に視界が開けた。木で出来た天井が見える。どうやら眠っていたようだ。

 先ほどの夢はとてもリアルで、今でも息苦しさを感じて胸で大きく呼吸をする。汗をかいていたので全身が濡れて気持ち悪い。

 少し落ち着きを取り戻したのでゆっくりと起き上がり、辺りを見回してみた。

 辺りは明るく、日が高い。

 天井だけではなく、床や壁も木で出来ているのでおそらく小屋のような場所にいるのだろう。

 しかし何故こんな所に……

 何があったのか思い出そうとすると、夢で感じたものと同じ鋭い痛みが胸に走る。

 幸広は痛みに耐えられず胸の辺りを掴んでベッドに倒れこんだ。

 胸の痛みがじわじわと強く広がっていくのを感じる。

 呼吸が出来ない。

 必死で足掻くが短く息を吸うことが精一杯で肺にはほとんど酸素は届かず、意識はどんどんと薄れていく。

 ほとんど諦めかけたその時、部屋の扉が開いた。

『Oh! Se děje!Učitel, přijďte ve spěchu!』

 スピーカーから出ているような(こも)った声が聞こえる。

 それに続いてバタバタと人が走る足音が近付いてきた。

「Bad Do...Také to má opakovaně...」

 どこか懐かしさを感じるような聞き心地の良い柔らかな声が響き、意識の薄れる幸広の耳を刺激する。

 声の主は幸広をベッドに寝かせると、何やらペンのような物を取り出し苦しむ幸広の胸の上で円を描いた。

 ペン先からはピンク色に輝く光がインクのように伸び、描いた円の状態で空中に浮かんでいる。続けてその円の中に細かい文字のようなものを書き込むと素早くペンを振り下ろした。それと同時に描かれたそれは音も立てず幸広の体に入り込む。

 じんわりと体の中が暖かくなるのを感じると胸の痛みが和らぎ、呼吸が正常に戻っていく。

 幸広は目線だけをそばに座る人物に向けた。自分の傍に座っていたのは、角度によっては青くも見える黒くツヤのある長い髪を持ったとても美しい人だった。

 声の低さから、おそらく男性だろうか。

 その髪は幸広の位置からははっきりと確認は出来ないが、床に引きずるくらいの長さを感じさせる。話していた言葉は日本語ではない事は明確だが、顔に関しては日本人のようにもみえる。しかし怖いくらい表情に感情が感じられない。無表情だ。

 幸広を見下ろしているので影になっているが、瞳は透き通った紫色をしている。

 先ほどの胸の痛みをこの男が一瞬で和らげてくれた。何か不思議なことが起こっている、それだけが幸広には理解できた。

「……あ、りが、と……」

 先ほどの痛みの影響か、喉がつかえてちゃんと声が出なかった。

 男は幸広の言葉を聞き一瞬目を見開いたが、すぐに元の無表情に戻り再び先程のペンを構えた。

 今度は幸広の頭部上空にぐるぐると緑色の光で渦巻きを描き出した。先ほどと同じように軽くペンを振り下ろすと、緑に光る渦巻きの描き始めの部分から一本の線として幸広の顔に向かって降りてくる。

 音もなく顔面に向かってきたので、幸広は思わず目を瞑った。しかし一向に何の衝撃も起こらない。

 目を開くと自分を見下ろす綺麗な顔が視界に入る。

「どうだ、言葉はわかるか」

 身に染みるような心地よい声が響く。幸広は慌てて何度も首を縦に振った。

 男は掌を幸広の額に押し当てる。まるで母親が我が子の体温を確認するかのように。その表情からは想像出来ない優しい手つきで、幸広の中には安心感が芽生えてきていた。

 だがそもそも何故今こんな状況に陥っているのか皆目わからない。あなたは誰だ。ここはどこだ。なぜ自分はここにいる。さっきの胸の痛みは何なのか。オルヴァーハはどこへ行った。

 聞きたいことが多すぎて言葉が出てこない。

 先ほど感じた安心感とは別に焦燥感が湧いて出てくる。

 言葉を選んでいると、部屋の出入り口付近で人の声が聞こえる。

「パネンカ!扉を開けてくれ!」

『えー!自分で開けろよ……』

 ガタガタと大きな音と共に扉が開く。

 そこには両手に果物を抱えたオルヴァーハが。その傍らには何やらネコのようなネコではないぬいぐるみが空中に浮いていた。

「早かったな、オルフ」 

 幸広のベッドに腰掛ける長髪の男がオルヴァーハに話しかけた。

「パネンカからユキが目を覚ましたと聞いたんでな、切り上げてきた。あとの事はストラッシュが引き受けてくれたよ」

 オルヴァーハは両手に抱えていた果物を部屋の中央にあったテーブルに置き、そのままベッドに横たわる幸広の顔を覗き込む。そして先ほど黒髪の男にされたように額に掌を当てる。

 かき上げられた幸広の少し長めの前髪がさらりと顔の横に流れた。

 まさかこの歳になってこんな大人の男たちにこぞって熱を測られるとは思っていなかったので少し焦る。

 オルヴァーハは幸広に熱がないことを確認するとそばにあった椅子に腰掛けた。

「ユキ、大丈夫か?すまなかった、お前を巻き込んでしまって……」

 居住まいを正し、膝の上で拳を握ると幸広に向かい深く頭を下げてきた。

「え?あ、うん……」

 しかしベッドに横たわったままの幸広は視線を移し、先ほどから視界の端にチラチラと映り込む空飛ぶ謎のぬいぐるみを確認する。

 やはり何度見てもぬいぐるみだ。

 それにはコウモリのような黒い翼があり、尻尾は先に向かうほど細く恐竜を彷彿とさせる。翼を羽ばたき、上手く宙に浮いている。

『センセイ、この薬草もここに置いとくぜ』

 ぬいぐるみはふわふわと移動し、サイドテーブルに持っていた草を少々乱暴に置いた。置いたというよりは落としたという表現の方が合っているかもしれない。

 テーブルにぶちまけられた草は幾つかの束にされており、そのうちの一つが床に落ちる。黒髪の男が座ったまま体を倒しそれを拾う。

 するとぬいぐるみが幸広の目線に気付き、目(?)が合う。

『なんだよ、何見てんだよ。見せもんじゃねーぞ』

 ぬいぐるみの目は黒いボタンで出来ており、口元はにっこりを表現したであろう一本の黒い線が描かれている。

 声はぬいぐるみから発せられているようだが、口は閉じられているのでそこから聞こえるのではないことが伺えるがはっきりしたことはわからない。

 パタパタと翼を羽ばたかせてオルヴァーハの頭の上に座る。

「え、これ、(なん)なん。どーなっとん」

 幸広は思わず体を起こそうとするが思うように体が動かない。

 先ほどの胸の痛みから体はまだ完全には回復していないからか、黒髪の男の手を借りて起き上がる。

「ああ、こいつはパネンカと言って、見たとおり人形だ。このプロロクツヴィの魔力を込めてある。人格もあるから普通に会話もできるぞ」

「んん?」

 パネンカは短い腕を胸の前で上手に組んでオルヴァーハの頭の上から偉そうに幸広を見下ろしている。

 一瞬非現実的な単語が聞こえた様な気がして、頭の整理が追いつかなくなってきた。

「待って、ちょっと混乱してきた。とりあえず俺が今どう状況に置かれてるか順番に説明してもらえるとありがたいねんけど……」

 幸広は胸の痛みの感覚を思い出し、無意識に胸の辺りを掴んだ。

 オルヴァーハは再び悲痛な表情を浮かべ、頭を垂れる。

「ユキ、痛むか……?すまない、その傷の原因は俺だ。まさか闇者(トゥーマ)が来ていることに気付けなかったなんて……俺は腑抜けにも程がある!お前があの場に居たことにも……周りの状況をも把握出来ていないなど騎士団副団長としてあるまじき……」

「え、え、待って!ごめん、ちょ、全然意味わからん」

 自分の後悔を語るオルヴァーハは自らの膝を力の限り拳で打ち付けている。

 聞き覚えのない単語も出てきて話の内容に全くついていけていない。プロロクツヴィが口を開いた。

「オルフ、別にお前の失態に対しての弁明を求めているわけではない。順を追って説明せねば意味がわからんだろう」

「ああ、そう、か……?」

 オルヴァーハの頭の上にはたくさんの「?」が飛んでいるように見える。おそらく言っている意味がわかっていないのだろう。

 プロロクツヴィはため息をつき、幸広に向き合った。

「少年、これから説明することは君にとっては全く馴染みのない話になる。おそらく理解には時間が掛かるだろう。なのでとりあえずでいい。最後まで聞いてくれるか」

 目の前の整った顔立ちと胸にじわりと染み込んでくるような声に、やはり何故だか懐かしさとそれに加えて焦燥感も湧いて出てくる。

「まず、この男の不手際で君を負傷させてしまったことを詫びよう。すまなかった」

 プロロクツヴィが丁寧に頭をさげると、黒髪がさらりと流れ綺麗な顔を隠した。すぐに顔を上げると淡々と話を続ける。

「ここは君が暮らしていた『日本』ではなく『イェギナ王国』という国だ。我々はある目的の為、君の居た『日本』にこのオルヴァーハを派遣した」

「ん?国?ここ海外なん?」

 疑問を投げかける幸広をよそに、プロロクツヴィは話を続ける。

「我々の目的はある人物を探し出し、ここに連れてくることだった」

「え、ちょっと聞いてる?」

「結果的にそのある人物というのが君であることが判明したが、君は負傷してしまい一刻を争う危険な状態だったので、君の承諾なしではあったが気を失っている間にこちらに運ばせてもらった次第だ」

「無視かな……?」

 海を超えてまで自分に何の用事があるのだろうか。海外には知り合いなどいないはずだ。

 それに気を失うほどの怪我をした形跡は一切ない。胸の違和感以外は特にこれといった異変は起きていない。

 現状を理解しようと頭を働かせようとしたその時、ある事を忘れていることに気が付いた。

「ん?待って、日本離れたってことは……って仕事!え、今何時!?連絡……いやでも……はあぁ……」

 幸広は文字通り頭を抱えた。

 仕事に穴を開けるのを極力避けてきた幸広は余程の理由がない限りはずっと皆勤だった。

 そもそも無断欠勤などありえないし、周りの人に迷惑をかけるからという理由で風邪をひいていても這ってでも仕事に向かうような人間だった。

 自分の知らないところで起きていた事とはいえ初の無断欠勤で頭が痛くなる。

 その上色々と思うところがあり、少し切なくなった。どうせ今月末には退職するのだから、何かするならせめてその後にしてもらいたかったのが正直なところだ。

 幸広は慣れないことをしたおかげでザワザワする心を静めようと、とにかく現実を見ようと試みた。数回深呼吸をする。 

「……で、俺に何の用事ですか?」

 そんな幸広の問いかけに、プロロクツヴィは表情を変えずに答えた。

「君にはイェギナ王国第一王女の病を治療してもらいたい」

 ……ん?

「正確には治療の一端を担ってほしい。王女は現在重病に苦しんでおられる。その病の治療をするために君をここまで連れてきた。病の進行自体は決して早くはないが確実に王女の体を蝕んでいる。病状は深刻で……」

「ちょ、ちょちょちょちょ!」

 幸広は掌を前に出し、プロロクツヴィの言葉を遮る。

「なんだ」

「え、待って、落ち着いて!あなたが何をおっしゃってるのか全っ然理解出来へんねんけど、それは俺が治療すんの?看病じゃなくて?病気治すってこと?俺お医者さんちゃうねんけど」

「存じている」

「ああそっか、存じてたか……ってちゃうちゃう。何で俺?え、誰って?王女様……お、おおうじょさま?あ、そっか。ゲームなん?ファンタジー?」

 幸広の中でパニックが巻き起こっている。ファンタジー系のゲーム的な展開に頭が回らない。

 焦る幸広を見てオルヴァーハも同じように焦っていた。自分で幸広が理解できるようにうまく説明ができればいいのだろうが、プロロクツヴィ以上の話ができるとは到底思えない。下手に口を出せばさらに混乱を招くことは目に見えている。

「落ち着け、少年」

 プロロクツヴィがそういうと、その言葉にムッとなる。

「少年少年って……さっきから気になっとったけど、俺そんな少年って歳ちゃうからな。確かにちょっと童顔かもしれんけどもう二十八やから!いい大人!」

 オルヴァーハとプロロクツヴィが驚き、目を見合わせた。すると今まで静かにしていたパネンカが大声で笑い出した。

『二十八って……オマエ!赤ん坊と同じじゃねーか!何をそんな……ぷぷぷー!』

 オルヴァーハの腕の中でバタバタと腹を抱えて笑う。

「は……?」

 幸広の唯ならぬ空気を読んでオルヴァーハがパネンカの口を塞ぐが、そこからは音声は出ていないのであまり意味がなかった。

『ボクちゃんもうもう大人でちゅーってか!』

 幸広の頭の中で何かが切れるような音が聞こえた。

「お前何やねん……もう一回言うてみぃ!」

『ミィミィってネコちゃんか!ネコちゃーん』

「しばく!」

 幸広はパネンカに掴みかかろうとしたがプロロクツヴィに止められ、パネンカはオルヴァーハに抑え込まれた。興奮する幸広は肩で息をしている。

 この短い期間であまりにも多くのことが起こり、幸広には相当なストレスがかかっていたのだろう。物心ついた頃から人前でキレるようなことはしないようにしていたので、今の自分の感情をどのようにコントロールすればいいのかが分からなかった。

 そんな彼をなだめるようにプロロクツヴィは幸広の肩を抱き「落ち着け、君は間違っていない」と囁いた。

「君のいた世界とこの世界では時間軸が違うのだ。こちらの方が時の流れが速い。それに加えて我々は長寿の人種なので君の年齢はこちらではまだ若いという認識になってしまう。この人形の無神経さには私に責任がある。すまない。しかしそのような経緯であることを理解して頂けないだろうか」

 幸広は肩に乗せられた手を払いのけプロロクツヴィを睨みつける。

「いや理解もクソも意味分からんから。なんやねんさっきから世界世界って。おちょくるんも大概にせぇよ」

 完全に頭に血が上っている。自分でもわかるくらいイライラがにじみ出ている。これまでのストレスのたがが外れてしまったように汚い言葉がポロポロと零れ落ちていく。

 この数日一緒に過ごした面白くて優しい時とは違う幸広の様子に戸惑い、オルヴァーハはパネンカを抱きかかえたまま見守るしかなかった。

 プロロクツヴィは今もなお幸広の背中に触れている。悔しいかな、幸広の感情の高まりはその手のぬくもりで若干和らいでいる気がする。

 その反面この男に触れられると体の中で何故か狼狽する感覚もある。そんな理解出来ない状態にイライラが止まらない。

「順を追って説明するつもりだったんだがな。……君は、魔法を信じるか?」

 その言葉に幸広は目を剥き再びプロロクツヴィを睨みつけた。完全に馬鹿にされている。

 しかし無表情を貫くそのブレない姿勢に幸広は若干怯んだ。

「イェギナ王国を含め、この大陸すべてを称して我々は『シヴェト』と呼んでいる。これは君がいた地球と同じようなものだ。しかし地球とシヴェトは似て非なるもの。同じ次元には存在していない。君達の言葉を借りるなら君からしてみればここは『異世界』となる」

 話の内容がぶっ飛んでいて正直聞く気が起きない。

 幸広は全面的にその態度を示しているが、それでもプロロクツヴィは話を続ける。

「我々の住む『シヴェト』には『魔法(マギエ)』という力があり、すべての民が生まれながらにして『魔力(マギ)』を持っている。その魔力(マギ)の力の恩恵で長く生かされていると言っても過言ではない。その力は人により持つ量と質は違うが、魔力(マギ)の量が多ければ魔法(マギエ)を使える量も増えるし、質が良ければ効果の高い魔法(マギエ)を使用できる」

 プロロクツヴィはペンを取り出し、幸広に見せる。

「これはその魔力(マギ)を出力するための道具、魔具(ナラディ)。この魔具(ナラディ)魔力(マギ)を出力することでイメージを具現化することができる」

 そう言って今度は空中でペンを動かす。するとペン先から茶色の光がこぼれ出て宙に漂う。

 宙に簡単な四角形を描きペンを振り下ろすと、何もない部屋の中央に木の桶が出現し、ガランと音を立てる。すかさず水色の光で雫のような円を描いたと思えば、桶の上に小さな雨雲が現れ、雨が降った。濃い緑で簡単にループを描くと突風が桶を煽り、そのまま部屋の天井近くまで持ち上げて水を振りまく。水がこぼれ落ちると同時に炎が発生し、一瞬で水は蒸発した。その時のペン先には赤色が灯っている。

「このように想像しているものを描くことで、魔法(マギエ)として発動することができる」

 いつの間にか開かれた窓からは気持ちの良い風が吹き込み、炎で熱された部屋が冷やされていく。

 まるで手品のように何もない空間から現れ残された桶を口を開けて見ていた。

 今の今まで絶対にバカにされていると感じていた幸広も、実際に目の前で披露された光景に言葉を失う。

 すべての民が……その言葉を思い出すと、幸広は身震いをした。目の前でこんな非現実的なものを見せられてしまうと、疑いはするもののこれまで聞いてきた話の内容を少しは真実なのではという気持ちが芽生えてくる。

「すべての人ってことは、オルもあんなん出来るん?」

 好奇心に負けた幸広はただ純粋に尋ねたが、オルヴァーハは目を細めて曖昧に笑うだけだった。抱えられたパネンカがオルヴァーハを見上げている。

「この魔法(マギエ)を応用して私が君の居た世界にオルフを送った」

 プロロクツヴィがオルヴァーハを見る。オルヴァーハもそれに応えるようにプロロクツヴィの顔を見た。

 二人の表情に若干の変化が見えたが、その裏に何の意味が隠されているのかまでは分からない。幸広はただ聞いた通りに言葉を飲み込むしかなかった。

「そんでそこで俺とオルが出会って、怪我した俺を連れて来たと」

「本当にすまない……」

「もーええって」

 胸のあたりを触りながら、自分でも起こったことを思い返してみるが、いまいち記憶がはっきりしない。

 オルヴァーハを探しに公園へ向かったまでは覚えているが、その後の記憶が曖昧だ。

「少年、その傷に関しては私からも君に謝らなければならない」

「へ?」

 相変わらず『少年』という呼び方は変わらないが、この無表情にそろそろ慣れてきた。

 プロロクツヴィのその言葉を聞き、オルヴァーハが口を開く。

「あの時、こちらの世界の異端者『闇者(トゥーマ)』と呼ばれる者が現れた。奴らはイェギナを……いや、このシヴェト全土を闇の力で覆い尽くそうとしている者たちで、奴らはおそらく我々の目的を横奪するために現れたのだと思われる。俺は任務に気を取られすぎて闇者(トゥーマ)の気配に気付くのが遅れ、咄嗟に攻撃を受け流してしまった。それをお前に当ててしまったんだ。そもそもお前の気配にすら気付けていないことにも問題があって……」

「はぁ……」

 オルヴァーハの要領の得ない話を右耳から左耳へと送る。

 そういえばあの時オルヴァーハは手品をしてたなとぼんやりと思い出す。その『闇者(トゥーマ)』たる存在の攻撃?をそこにいるぬいぐるみから取り出した剣でなぎ払ったのだ。まぁそれが自分に当たったらしいが。

 少し何が起こったかを思い出してきた。

 胸の痛みも、その攻撃が当たった場所とほぼ合致している。首元の服を引っ張り直接肌の傷跡を確認するが、見た感じ何ともない。

 それどころか昔負った傷ですら見当たらない。

『外傷はお前をこっちに連れて来た時にセンセイがチョチョイと治したぜ』

 幸広の行動の意図を読み取り、オルヴァーハの腕の中からパネンカが答える。先ほどの一触触発のような空気はもう今は感じられない。

「そうなんや。まあでも治ったんやったらそんな謝らんでも」

「それだけではないんだ」

 オルヴァーハの表情はほぼ絶望していると言っても過言ではない。最初に幸広と出会った時の武士の様な自信ありげな彼とは打って変ってまるで別人に見えてくる。

 抱えているパネンカを力一杯握りしめているので、ふわふわの綿で膨らんだ柔らかそうなボディからカエルが潰れたようなうめき声が聞こえる。

 その状況に見兼ねてプロロクツヴィが代わりに話を続けた。

「困ったことに君の受けた魔弾は厄介なものでな。外傷は私の魔法(マギエ)で治せた。しかし君の体を貫通した時に体内に呪いを残していった」

「のろい」

 淡々ととんでもないことを告げられる。

 目が覚めてからというもの、耳にする内容はますますファンタジーへと近づいている。

 それにしても呪いとは、また大層な事態に陥ったものだ。

「君が受けたのは闇属性の魔弾。それが君の心臓の三分の二を貫き、瀕死の状態だった。急ぎこちらに運び治療したが、あれは呪弾だったらしく、判断が遅れて呪いが定着してしまった」

「ほっといたらどうなんの」

「先ほどのような発作の回数は増え、残りの正常な君の心臓部分にも呪いは侵食し、最後には朽ちて死に至る」

「……」

 そろそろ脳内のキャパシティは限界を迎えてきている。

そうだ、これはゲームだ。そう考えれば何かが緩和出来るかもしれない。

 考えろ、幸広。ゲーム上ではこのあとどういう展開になる?

 おそらくこのあと呪いを解けるのはあの人だけだ!って紹介されるけど、その人は実はもう死んでたとか死にかけで、あとは呪いをかけた張本人を倒しに行くぞ的な展開になり、そいつの本来の目的は世界を崩壊させて新世界を作るみたいなよくある話を聞かされて『君にしかこの世界は救えない』ってことになって、そんなこと言われても俺には無理だ!とか言って逃げ出すけど実は結局自分には特別な力が備わっていて、最終的にスゴイパワーを発揮して世界を平和に導いちゃう感じ。

 もうすでに闇の人達が世界を闇に染めちゃいたいって話は聞いたし、さっき王女の病気がどうとか言ってたのがめちゃくちゃ怪しい。本当に想像通りの展開になりそうで先の話を聞くのが怖い。

「……一応聞くけど、この呪いどうやったら解けるんかな」

「君の呪いを解けるのはおそらく王女しかいない。しかし現状王女は病に臥せっている。まずは王女の病を治療しなければ」

 はい出たー予想的中。ここまで綺麗に予想が当たるとは正直思っていなかったので逆に期待通りで面白くなってくる。

 だが無表情で淡々と語るプロロクツヴィを見ると、この話が嘘ではないことが感じ取れる。

 このまま治らなければ……それを考えると少し恐怖を抱いた。

 しかし知らない場所に連れてこられた幸広は帰る術もなく、その上爆弾を抱えている以上現状どうすることも出来ない。

 ここはとりあえず大人しくしておく方が賢明かもしれない。

 ふと、最近の自分の出来事が脳裏によぎる。

 そういえば、仕事どうしよう。他人に迷惑をかけてしまうことを懸念して、これまで仕事に穴を開けることを極力避けてきたが、正直現時点で色々なことが重なりすぎてリストラを言い渡された事すらも忘れていた。坂本にだけはちゃんと話をしたかったが……。

 だが、全てが終わったとして、元の場所に戻れるのだろうか。

「俺、帰れるんやんな」

 プロロクツヴィは「もちろん」と返答してはくれたが、その時のオルヴァーハが一瞬悲しそうな表情をしたことが気にかかる。それによりこの先の不安が深まってしまった。

『それで、こいつの治療で聖山にまで来たけど、これからどうすんだ?センセイ』

 オルヴァーハの腕から抜け出したパネンカがプロロクツヴィの傍へと移動した。

 話を聞くと思いの外幸広の症状が思わしくなく、名前の通り「聖なる山」へとわざわざ連れてきてくれたらしい。

 聖山はシヴェト全土でも魔力(マギ)の量が多く、その恩恵に与るとその者の魔力(マギ)の総量が底上げされ、質も上昇する。

 しかし一歩でも山から離れるとその効果はなくなってしまう。

 一昔前に「聖山の土を持っていれば」という噂も流れたが、実際に実行した者の話では山の土ですらも山を離れると塵になり消えてしまうという。

 その仕組みは現在も解明されておらず、その名の通り「聖なる山」として崇められている。

「これから王都に戻る。少年の手を借りられるとなれば一刻も早く王女に会ってもらわねばならない。ストラッシュに麓で馬を用意するよう手配しているので、明るいうちに出よう」

「え、馬なんや。魔法でビューンって移動出来へんの?」

「君は思い違いをしているようだが魔法(マギエ)は万能ではない。何事に対してもそれ相応の対価が必要になってくる。まぁ多少の距離であれば方法も無くはないがな。オルフを君の世界に送ったというところから移動も可能だと考えたのだろうが、あの魔法(マギエ)は太古より禁忌とされていて本来は使用は禁じられている。現在使える者もいないだろう」

「ほなどうやって俺んとこ来たんな」

 その時初めてプロロクツヴィに薄い笑みが浮かんだ。それは悲しみとも取れるものだった。

 幸広にはプロロクツヴィが『聞くな』と言っている様にも思え、それ以上深く追求することを諦めた。


 プロロクツヴィに手を借りながら身支度を整えるとそのまま部屋を出る。

 一歩外に出るとそこは山の五合目あたりで、そこからは広大な大地を見下ろすことが出来た。初めて雲を見下ろした幸広はその壮大な光景に感嘆した。

 幸広がいた場所は山小屋だったようで、入山が許可された者であれば自由に使っていいらしい。

 病み上がりのような感覚で、足元は少しふらつく。

 体を支えてくれるプロロクツヴィは思っていたより小柄で、幸広とほぼ同じか少し小さいくらいだった。体つきは華奢で、もしや女性なのではと思えてくる。黒くてツヤのある髪は簡単に束ねられているがそれでも地面に擦りそうなほどの長さだ。

 先ほど少し自己紹介を受けたが、彼は王国の軍師であり学者で、魔法(マギエ)の研究もしているらしい。そしてこの国最高峰の博士号も持っている。

 今いる聖山は現在イェギナ王国の東領地に位置し、王都が管理している。入山するには王都にて許可証を発行しなければならないが、プロロクツヴィはその王都から直接派遣されているようなものなので、入山は顔パスだそうだ。堂々たる職権乱用。

 一般の民が入山する為には様々な審査を経て且つ正当な入山理由をもってしなければ叶わない。これまでに入山が許可されたのも数えるほどらしい。

 以前に入山申請をせず麓の関門をかいくぐり侵入した愚者がいたらしいが、山中で迷い以来誰もその姿を見なくなったという。

「聖なる山」ではあるが、山が人を選ぶ、とも言われており一方では「魔の山」として恐れられているらしい。

 一行は足元がおぼつかない幸広をかばいつつ下山していく。

 病み上がり状態の幸広にはこの運動はかなりハードだった。

 三合目あたりでやっと街並みが一望出来る。上空から見る街はヨーロッパを彷彿とさせ、幸広に本当に日本ではないという現実を突きつけた。

 旅行でちゃんと来たかった、と現状をかみしめていていると、進行方向から人が向かってくるのが見える。

 だが山登りをするにはあまりにも軽装で、幸広でさえ少しおかしいと感じた。

 綺麗に染まった白髪に、平らで細身の体に全身タイツを思わせるくらい体にフィットするボディスーツのようなものを身にまとっている。

 顔がはっきり見えてくると、驚いたことにとても若く端正な顔立ちをしている。

 正直ダサいと思った格好だったが、その顔を見るとそんな服をも着こなすだなんて得な奴だ、と思考がずれてきた。

 しかしその人が近づくにつれ、どこか空気が淀んできている。

 オルヴァーハとプロロクツヴィは腰に下げた剣や胸元の魔具(ナラディ)に手を伸ばし、身構える。

「聖山」は個人の魔力(マギ)が極限まで底上げされることにより大惨事を招きかねないので、原則戦闘は禁止されている。

 そんな場所で武器に手をかけるということは、武を生業とする人にとって相当ヤバい相手なのだろうか。

 涼しい顔で結構な傾斜を登ってくる彼の背中には風になびく髪が見え隠れすることから、後ろで細く束ねられているのが分かる。

 すれ違いざまに「こんにちは」と笑顔で挨拶をされた。

 その笑顔が目に入った瞬間、幸広は目の前がブラックアウトした。

 すぐに現実に引き戻されたが、心臓が跳ね上がっているのが分かる。全身の毛穴から汗という汗が流れ出てくる。

 一瞬のことだったのではっきりとは思い出せないが、昔感じたことのある最悪に嫌な、思い出したくない過去を無理やり引きずり出された感覚がする。

 しかし挨拶をされただけで、特に何かをされたわけではなかった。むしろ両サイドの武器を抜こうと構えている物騒な二人の方が何かしでかしそうだ。

 彼が通り過ぎた後も当の二人は未だ険しい顔をしており、プロロクツヴィが「日が陰る前に降りよう」と歩を速めた。

次回は2月25日更新予定です。

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